つながりあそび・うた研究所二本松はじめ

二本松はじめ(ピカリン)の活動予定や活動報告、日頃、考えていることなどを書きます。研究所のお知らせも掲載します。

抱っこ通信829号 生きているって楽しい、けど、辛いね

2017年10月14日 | 抱っこ通信
今日の午前中は、盛岡市にある北松園風の子保育園で親子つながりあそびコンサート。
9時に保育園を出発して、クラスごとに親子の散歩。保育園行事として毎年開かれています。

約1時間の親子散歩の後に、ホールに集まってのコンサートです。保護者会と保育園との共催行事として、毎年開かれています。

今年は、保護者のお父さんたちには『グルグルグルグル』を、お母さんたちには『レッツ・ゴー!』に挑戦してもらいました。だって、子どもたちが『ぼくらは元気』を踊ってくれたんですからね。

それ以外は『だるまさん』シリーズや『大根漬け』『オチャラカホイダンス』など、親子でベッタリピッタリのあそびばかりを楽しみました。
超お疲れの保護者ばかりでしたが、子どもたちに負けないくらいの笑顔でした。子どもたちの照れくさそうな笑顔がなんとも言えません。

コンサート終了後は、園庭でおむすびとせんべい汁のおひるを食べました。初めていただいたせんべい汁。すいとんのような、けんちん汁のような、うん、おいしかったです。

そうだ、子どもたちが古希のお祝いをしてくれました。また、壁にはお帰りなさいのメッセージが。嬉しかったです。




午後は児童養護施設みちのく・みどり学園に遊びに行きました。
子どもが原点、という精神で運営されている学園です。保護者がいない子どもや、虐待など様々な理由で養護が必要な子どもたちが生活しています。

今回は幼児から中学生まで約20人が集まってくれました。
『ひとりじゃないさ』からスタートしましたが、『満月仮面』『カレーライスジャンケン』と続いて、なんとなく、わたしたちへのして警戒感も弱まり、やっとほぐれてきたかなと思ったのですが、『カレーライスジャンケン』でリーダー家族と合わなかった子どもが、涙して先生にしがみついてしまいました。みんなで「ドンマイ!」と励ましたつもりなんだけど、これがまた、彼女を追い詰めてしまった。しばらくは私と目を合わせなかったです。

『いっしょに行こう』で失敗した子どもを誘い合えるようになって、次は『ダルビュッシュ』。これには小学校高学年の子どもや、中学生もノリノリで遊んでくれました。涙していた彼女も楽しんでいました。失敗しても良いんだね。何回も挑戦出来れば。
つながりあそびの作品の持つ力を考えてしまいます。

次は『もっともっと』。どんな答えが返ってくるか楽しみでした。🎵ネコより大きいもの知ってるかい🎵 ネコ➡ライオン➡ゾウ➡恐竜ときて、ここまで順調に来ましたが、次に幼児さんからキリン。「キリン?じゃあゾウさんの後ろに入れてあげるね」。これを聞いて勇気をもらった幼児さんからサイ、家・・・。ま、いろいろ出ましたが、やっと地球➡空➡宇宙まで出て、ここでストップしてしました。

「宇宙までは学校で習うかも。でも、この先は一人ひとり違って良いけど、ピカリンが決めている答えがあります。それが出るまであそびを止めないからね」と脅かして?続けると、出ましたが、マルマル先生とかピカリンとか・・・。そして、やっと4年生から「心」が出ました。その後もしばらく空白がありましたが、出ました出ました「命」。
ここで『もっともっと』はお終い。

最後は『夢わかば』。🎵ぼくらは生まれて良かったよ 産んでくれてありがとう🎵と歌うにはちょっぴり考えてしまいましたが、いつものように歌いました。反応が心配でしたが、集いが
終わっても子どもたちは立ち上がらず、ちょっぴり名残惜しそうでした。

「楽しかったけど、やっぱり私をおいて去って行くんだよね」。そんな子どもたちの視線も感じていました。子どもたちも私たちも辛いのです。

明日は休養日。洗濯日。5日分たまっています。洗濯終了後、久慈市に移動します。

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抱っこ通信828号 やっと重石がとれました

2017年10月13日 | 抱っこ通信
今日の午前中は、大槌町大槌保育園でつながりあそびを楽しみました。
6年前の震災の年の7月。ユネスコからの支援で建てられたプレハブの園舎で子どもたちと遊び、次は新しい園舎が完成した2年前、そして、今回で3回目です。
定員も増えて、保育士さんも5人も増えました。実習で来た学生が故郷で保育士さんになっていました。

『ゴシゴシゴシゴシ』や『でんしゃにのってゴーゴーゴー!』などの定番を楽しみました。考えてみたら今年初めてのパターンでした。からだを動かすことで心も動いていくのが嬉しいです。どこでもそうですが、『ダルビュッシュ』では、一人ひとりの子どもたちの姿が見えておもしろいです。

被災地ではどこの園でも見られますが、年長さんの人数が少ないです。震災の年に生まれた子どもたちです。岩手の大学ではこの年に生まれた子どもたちの生育について追跡調査をしています。

午後は、山田町の船越保育園で子どもたちと遊びました。
唯一の町立保育園です。保育園まで広い道が出来ていました。住宅の高台移転計画で、道が出来たということです。新しい家が建っていたり、建設中でした。
震災の時は、保育園が避難所となり、一時は多くの人々が生活していたので、満足に保育が出来なかったと先生が言っていたことを思い出します。

また、5年前に遊びに行ったときは、腰痛が発症し、ホールをハイハイしながら移動、やっとイスに座りながら歌いあそびました。時間も短くしてもらって十分に遊べなかったので、いつかリベンジというか、借りを返すというか、そんな気持ちをずっと持っていましたので、今回は遊べてとてもスッキリしました。

『だるまさんと』を何回も繰り返して遊びましたが、回数を重ねるごとに声も動作も大きくなって行きました。自分の欠点ですが、このあそびを繰り返し楽しむということがなかなか出来なくて、直ぐに次へ展開してしまうのです。たまたま人数も40人足らずで、年長、年中さんの人数も少なかったこともあり、今回は自然と繰り返しが多くなったのでした。これからはもっと意識的に取り組まなければと思いました。

年長さんが二人しかいませんでした。いつもはまわりを気にして、なかなか自分を出さなかったそうですが、今日は大きな声で歌ってくれました。先生たちはビックリしていましたよ。

帰り際に前回もいた先生から「前は大変だったねえ」と声をかけられました。




終了後、山田町から盛岡市に120キロ移動してきました。街灯もない真っ暗闇の中、地元の車は飛ばす飛ばす。つられて私も飛ばした飛ばした。疲れてホテル内で夕食でした。












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抱っこ通信827号 あの日、あの時

2017年10月11日 | 抱っこ通信
今日、岩手県釜石市鵜住居に入りました。
震災の映像でも何度も出てきた旅館に泊まります。

今夜は旅館で月命日に企画されている、震災を相撲甚句にのせて献歌する「釜石あの日、あの時甚句」伝え隊の甚句を聞きました。
切なくて重たくて、それでいて、今を懸命に生き抜く人たちの言葉が胸に突き刺さります。
甚句を詠う人の隣での手話、ボディアクションも素敵でした。
 
あの日、あの時、一番欲しかったもの、それは家族の安否。

自分が生きていることが確かめられたとき、携帯も通じない、何も連絡する手段がない中で、ただ一つ願うこと、それは家族の、愛する人の安否、と詠います。

いつか東久留米での夢わかばプロジェクトコンサートで釜石あの日、あの時甚句を多くの人に聞いてほしいと思いました。

明朝は女将による語りもあります。
今日は、あの日から6年7ヶ月間です 

私自身が、あの日を忘れない!ために岩手県に毎年来ています。
明日から保育園、こども園などをまわって遊びます。楽しみです。

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抱っこ通信826号 急な夏休み北海道から帰って

2017年10月07日 | 抱っこ通信
北海道から帰ってからの今週は、かただと車のメンテナンスで終わってしまいました。これも大事です。
甲状腺がんの術後も順調、声帯も前回よりは戻ってきているそうです。血圧も腰痛も薬を飲んでさえいれば、ほぼ大丈夫というのが現状です。気持ちはとても元気で、何事にも前向きに取り組めそうです。問題は、というか、いつまで薬を飲み続けたらいいのかわかりませんが・・・。

さて、来週からは術後の本格的な活動が始まります。
9日午前は、地元東久留米で「公立保育園はみんなのもの 保育園の魅力を分かち合おう ほいくまつり」に参加。夕方からは駅前で憲法九条リレートークにも参加。
10日から21日までは移動含めてですが、岩手県で夢わかばプロジェクトコンサートツアーです。13ステージが待っています。今年もどんな出会いがあるのか楽しみです。


北海道へ行っている時もですが、総選挙の報道が連日のようにされていました。民進党が分裂したとか、希望の党は第二自民党だとか、その代表が国政選挙出馬するのかどうかとか、各政党の政党意義や政策はそっちのけで緑一色だったような気がします。
半面、自民党というより安倍首相の露出がかなり減り、立憲民主党や日本共産党などの報道はさらに少なく感じました。かなり意図的、恣意的に放送されているのでしょうね。

まだ、各党の政策、マニュフェストが出そろっていなかったこともありましたが、なんで今、解散、総選挙なのかということと、この間、2012年12月の総選挙後の安倍自公政権がどんなことをやってきたのか、国民の生活がどうなったかなどをちゃんと調べて報道してほしいと思いました。

私は北海道に行く日の抱っこ通信(9月24日付)には次のように書きました。
「・・・ところが、突然に、安倍首相が解散、総選挙を決めました。

誰が考えても、臨時国会冒頭で解散をするということは、安倍首相、安倍政権、自民党に『まずいこと』がきっとあるということです。
森友・加計疑惑隠し・・・それ以上に『安倍国政私物化許すな』『安倍政治は許さない』『安倍改憲許すな』『立憲主義、民主主義、平和主義を取り戻そう』『安保法制=戦争法廃止』
などなどと言ってきた国民の世論と運動が、安倍政権を追い込んだのです。
安倍政権を辞めさせる絶好のチャンスが向こうからやってきたのです。
いま、大事なことは野党と市民とが共同して候補者を一本化し、共闘してこそはじめて自公・自民補完候補者に選挙で勝てるのです。
そのために自分のできることを、自分たちのできることを精一杯です。」と。

今度の選挙の最大の争点は、安倍自公政権をこのまま続けさせるのか、それとも交代させるのかです。

今回の解散・総選挙については、自民党の中でも驚いた人が多くいたのではないでしょうか。そういう声は出てこないでしょうけど。突然出てきた安倍九条改悪案の時もそうでした。自民党内では一応機関を作って憲法については論議を続けているはずなのですが、そこを吹っ飛ばしての私案の形での発表でした。党、機関を飛び越えて越えて個人が優先してしまう、そのことに異議を唱える人がいなくなっているというのもこの党が政党として衰退している証拠であり、国民にとっては危険になっていると言えます。
自民党の中の党内民主主義は捨て去られてきています。国政が官邸主導という名で、安倍総理とその取り巻きに私物化されているのではないでしょうか。
党内民主主義という点では希望の党、都民ファーストにもないように見受けられます。

安倍総理は「国難突破解散」と言いましたが、戦争できる国へ変えるために憲法を踏みにじり、沖縄、福島などに住む人々や国民の多くが、辺野古への新基地建設反対、原発再稼働反対と声を上げているにも関わらず無視し、森友・加計問題や自衛隊の日報問題では丁寧に説明をするなどと言いながらなにもしない安倍政権そのものが国難と言えます。

さらに加えるとしたら自民党のキャッチコピーとして「人づくり革命」とありますが、安倍総理自身への不信が募り「人として」どうなのかということも問われています。
まずは、この自公政権の危険性をあぶりだし、国民が主人公になれるような政治の担い手、政党を選ぶということが最も大事なことだと思います。


網走市の「感動の径」より斜里、知床連山を望む
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