年末恒例の「一年頑張ったね旅行」から帰り、研究所事務所に立ち寄ると伊佐市子ども発達支援センターからの毎月の便りとコンサートの写真が届いていました。
2015年も自分で言うのもなんですが、思いのほか自分が動けた、頑張れたと思っています。
全国で「つながりあそび・うた」を待っている子どもたちや仲間たちがいるから頑張れたのだと思っています。
ピカリンを、二本松はじめを生かしてくれてほんとうにありがとうです。
2015年は、私のというより、私たちのとても大事の人へ送ったメールから始まりました。4112字という長いメールです。
今、そのメールを読みながら、そのメールを送った動機や意味とは違うところですが、そのメールの一文での自分の思いを改めて考えています。
メールそのものは前年の12月26日付です。
「・・・来年の4月からは研究所=つながりの仲間づくりが25年目を迎えます。すでに話していることですが、自分の中では、3年先とか、5年先の活動を見越しながら活動・運動はできる状況ではありません。体力的には一年一年の勝負になってきています。でも、もちろん気力や意欲はそれなりに旺盛ですが。つながりを一生涯続けるつもりです。ライフワークです。自分のできるところでね。それは、自分への責任、仲間への責任、子どもたちへの責任。オーバーな言い方をすれば人類の歴史への責任だと考えていますから。つながりの活動・運動をしながら子どもたちに、仲間たちのそんなことを教えてもらったと思っています。・・・」
なぜ、そのことを考えているかというと、12月19日に大阪のつながりの仲間たちと楽しい一泊温泉旅行をしました。つながり楽集会東京の仲間たちとの一泊温泉旅行以来7年ぶりのつながりの仲間たちとの旅行でした。数年前からそんな話が出ていましたがやっと実現したのです。ですから私としては珍しく二次会というか、夜中の12時過ぎまで飲んでおしゃべりをしていました。翌日、平和コンサートが控えていたのですが。
そのおしゃべりの中でハッと気づかされ、反省したことがありました。
「つながりあそび・うた研究所25周年記念を、関東の仲間たちが開かないのであれば私たちが開きたい。20周年が東日本大震災で開くことができなかったので」という話が大阪の仲間たちから出ました。
お酒の席でしたが、真剣にまじめに話をしてくれました。ドキッとしました。私としては、つながりの仲間のみんなが公私ともども忙しくなっているので、25周年記念は開かないで、古希を祝う70歳記念で開けばいいんじゃないか、などとごく近くの仲間とは話していたのです。でも、その考えって、まったく私個人の問題と研究所の25周年を、一緒にごっちゃにして考えてはいなかっただろうかと反省させられたのです。
研究所の10周年も、15周年も、20周年も私個人のお祝いとしてではなく、つながりの活動、運動に参加する仲間たちの研究所のお祝いとしてみんなで取り組んできたはずなのにです。20周年は、記念コンサートはできなかったですが、仲間たちによって20周年記念誌『ありがとう みんなでつながって』を出版することができました。その中でも、私は20年の歩みを私個人の歩みというよりも仲間でつくってきた「つながりあそび・うた研究所の歩み。つながりの歩み」として書いてきたつもりでした。
25周年の今、その立場というか、考え方が足りなかったのではないかと反省しているのです。もしかしたメールで書いた「責任」が足りなかったのではないかと。それはつながりの活動や運動に大きな影響が出ていたのではないかとも思っています。もう一度、自分の思い、決意を考えます。
さて、今年はこの国の平和と立憲主義、民主主義が安倍自公政権によって180度も方向に変えられてしまいました。反面、その流れをストップさせようとする若い力も着実の育ってきたことも間違いありません。
安倍自公政権でなされる安倍政治は、暮らしのあらゆる分野で私たちの願いとは違って、大企業やアメリカの要請に沿う形で着々とその準備をしてされてきました。その結果が、抱っこ通信666号(前号)での「働く(保育)楽しさを、生きている楽しさを奪われている」ことにつながっているのです。もしかしたら、「人間」になっていく楽しさをも奪っているのです。
つながりあそび・うた研究所をなぜつくったのか?なにをしたいのか?それは「人と人とのつながりあいって楽しいよ。大切だよ」「生きているって素敵だよ」を子どもたちへ、子どもたちと育ちあう仲間たちへつながりあそび・うたを通して広げるためでした。つながりあそび・うたにその力を宿らせています。本来、あそびはその力が宿っているものと思います。特に子どもたちのあそびの中には。ですから、つながりを広げることは安倍政治の流れをストップさせようとする力にもなるのではと思っています。
生きている(生きる)楽しさを奪うものに立ち向かうためには楽しさをもってです。生きている楽しさを取り返すだけでなく、その楽しさをさらに発展させるためにも、つながりをもっと広げていきたいと思っています。
今、NHK紅白では,楽しみにしていた「あさが来た」のメンバーが出場しました。そのなこんなを考えている2015年大晦日です。
以下、活動記録としてフェースブックの文章を転載します。
12月5日
今日は恵那のルンビニー保育園。365日ピカリンデー?いろいろなドラマを見せてくれる親子です。
「今度はじっくり保育実践を聞いて、すごいんだから」と子どもと保育士さんを自慢する主任さん。
思い切り遊んでいるから、からだと心を解放しているから話もしっかり聞けるんだね。
ぞう組(4・5歳合同)さんのダンス『笑う門には福来る』が決まっていました。最初に覚えた♪ハルトウカラジ♪、意味もわからず叫んで、歌っていました。可愛いかったな。
各部屋だけでなく、給食の先生も調理室にピカリン装飾 。幸せな一日でした。来年もね。
12月6日
オープニングは『笑う門には福来る』のダンス。子どもたちの踊りが一人ひとりマイペースで可愛かった。0歳から80歳まで世代を越えた人が集まってくれました。60人の目標が約90人。短い取り組みなので実行委員の仲間たちはドキドキの連続。でも、一番楽しんでいたね。
「家に帰って(平和について)話し合ってみます」「どんどん引き込まれていきました」「ピアノとヴァイオリンの音が良かった」「立ち止まれるコンサートでした」と口々に伝えてくれました。
生のピカリンに会えて嬉しかった若い親さんたち。保育園で子どもたちが歌っていた『夢わかば』の作者に会えたということで。
若々しいピカリン、みやちゃんを見て、負けてはいけないと背筋をピーンとして帰ったおじいちゃん、おばあちゃんもいたそうな。良かった良かった。
保育・教育関係者が参加が四分の一しかいなくて、雰囲気づくりに苦戦しましたが、テーマがじわっと染み込むような嬉しいコンサートでした。実行委員の仲間たちに感謝です。
12月10日
今日は奄美市の春日保育園。90人の子どもたちと笑った笑った。『ぐるぐるぐるぐる』の前踊り?の『グッパー』を前に出てやるいちご組さん(1才児)を見守るぶどう組さんのお兄ちゃん、お姉ちゃんたち(4・5才児)の眼差しがやさしいことやさしいこと、うるうるしてしまいます。『時計もグルグル』ではお化けが出てきて大騒ぎ!
小さい子を守るお兄ちゃん、お姉ちゃんもかっこ良かった。でも、中には小さい子を置いてお化けになりたがるお兄ちゃんも。
夕べは奄美市の保育士さんたち(すみれ会)のつながりあそび・うた研修会。最初は参加者の距離間がやたら広め、でも、最後は隣の人の体温を感じられる距離に。あそんだね。 最後に『島人に贈るうた うがみんしょうら』を生でギター一本で唄いました。♪ムジヤ山おかげ山ムジヤおかげ ちゅうやちゅう中世間おかげ 花なれば匂い枝振りやいらぬ 姿振りやいらぬ人や心 わっきゃーしまんちゅう この島に生まれた わっきゃーしまんちゅう この島でいきていく♪
12月10日
今夜は大雨洪水注意報が出ているなかでの午後の6時30分から龍郷町の親子ふれあいコンサート。町の文化スポーツ施設りゅうゆう館が主催。町内の保育園児の半分以上の親子が集まってきました。親子でゆったりたっぷりの時間を過ごしました。でも、終了後の帰宅する時の風と雨が台風並み。大丈夫だったかな。壁面のピカリンのイラストが嬉しいです。
12月11日
今日の午前中は、新園舎になった奄美子ども発達支援センターのぞみ園で就学前の子どもたちと親さんたちと。18年間通っています。鹿児島県での療育との初めての出会いの場です。新園舎になっても、子どもが増えてもどっかりゆったり子どもたちに寄り添っているのぞみの仲間たちに見えました。大人向けに『また歩きはじめるさ』をギター一本で唄いました。「ピカリンの歌を聞いて、私も休んでいいんですね」と職員に語った看護士のお母さんがいたそうです。みんながんばり屋のお母さんたちです。
午後は学童の親子と。昨年度までは土曜保育だけでしたが、今年度からは毎日。学童の子どもたちは自分の好きな遊びを選んで参加しますから、みんなで、が難しいところもありましたが、『ダルビュッシュ』ではゴール役をやる子どもや、リーダーになって「ダイコンサラダ」や「ダンゴヤ」と叫ぶことを楽しんでいる子どもなど、自分の役割?居場所?があれば、みんなで、を楽しめました。
最後に『うがみんしょうら』を唄いましたが子どもたちも前に出ていい顔で一緒に歌っていました。保育園の卒園式で歌ったそうです。そういえば『島人に贈った歌 うがみんしょうら』が収録してあるCDは、奄美のすべての保育園に贈っていました。
12月12日
午前中は瀬戸内町の保育園に遊びにいきました。奄美市から車で約1時間です。それでも数年前に来たときよりもだいぶ時間短縮。トンネルができていました。お目目がクリンクリンの1才児さんたちにに見つめられるとドキドキしてしまいます。『だるまさんが』の絵本遊びでは終わりの頃にやっと動き出しました。その仕草が可愛いこと可愛いこと。おじいちゃん丸出しです。
奄美から鹿児島に戻ってきました。いつも宿泊する伊佐市の湯之尾温泉の宿です。金鉱脈から湧き出す温泉です。3泊します。
奄美空港で18年間お世話になっている春日保育園の白浜さんと初めてのショット。ありがとうございました。また、来年もね。
12月13日
今日は湧水町の子ども発達支援センターみのりの10周年コンサート。地域のお爺ちゃんがつくってくれた「根を張って二葉をつけたみのりの花」のオブジェ、チェーンソー彫刻です。オープニングはお母さんのマンドリン演奏。子どもたちが大好きな曲ばかりでした。ピカリンは10周年を祝っての『誕生日』や家族での『カレーライスジャンケン』や子どもたちが大好きな『ゴシゴシゴシゴシ』や『ダルビュッシュ』なども楽しみました。最後はもちろん『夢わかば』。しっかり歌っていましたよ。
みのりとの出会いは6年前、隣の伊佐市子ども発達支援センターたんぽぽさんとの合同クリスマスコンサートだったかな。その頃は人数も多く親子も職員もまだまだ落ち着いていなかった印象ですが、今回はマンドリン演奏の時から子どもたちが落ち着いてビックリ。そして、遊ぶときは本当にからだ全体で笑っていました。やっと療育がスタートラインに立てたのかな。10年は必要ですね。
子どもたちがコンサートのお礼にと『多喜雄のソーラン節』を踊ってくれました。小学生の踊る姿に憧れて踊り始め、子どもたちに負けじとお父さんたちも取り組み 、また、お父さんたちの踊る姿に子どもたちが刺激をもらい踊り続けています。一番小さなひよこ組の竹太鼓も親子での一生懸命な姿に微笑んでしまいました。
12月14日
今日は伊佐市子ども発達支援センターたんぽぽです。午前中は3才児までの親子と遊びました。初めまして、の親子もいましたが、『満月仮面』の高い高いあたりから親さんの笑顔が見られて1時間はすぐだろうと思いましたよ。指しゃぶりをしていたAちゃんも最後の方では指しゃぶりを忘れていましたし、お母さんがお仕事で代わりにおばあちゃんが来てくれたBちゃんは、30分以上も過ぎても声も表情も出ていなくて心配でしたが、『ダルビュッシュ』の時からCちゃんと手をつなぎ遊びに参加。その時から声も表情も出てきて、最後はピカリンの話にも応えてくれました。『夢わかば』で何人かの親さんは涙、涙、涙。生きているっていろいろあります。
午後は並行通園(幼稚園、保育園にも通っている)の4・5才児と遊びました。みやちゃんの『ぐるぐるぐるぐる』ではみやちゃんを殴っていたD君を初め、次から次へと子どもたちが前に出てきて技?を披露してみんなから拍手をもらっていました。Eちゃんは「先生に負けない」と言って腕捲りをして張り切ってやっていました。最初の頃のあそびでは後ろで「やらない」と言っていたそうです。暴力をふるっていたD君には「ピカリンは暴力嫌い。強い子はやさしくしなければ」など何回か言いました。その時は止めるのですが、すぐに忘れてしまう。でも止めている時間がだんだん長くなってきて、最後の方はそういう暴力は見えなくなっていました。最初に言葉を掛けたときから、D君とは目で会話をしていた感じです。ずっとピカリンが気になって仕方なかったようです。
来年はたんぽぽ20周年。あそびにこられると嬉しいな。そんな思いで『みんなたんぽぽ』を歌いました。先生たちは歌詞を忘れないようにと朝、手の甲に歌詞を書いていたそうですが、汗でぐちゃぐちゃ。うたもぐちゃぐちゃ・・・笑うしかなかったです。
夜は行政職員、たんぽぽ職員、子育て支援職員、保育園職員との夕食交流会。女子会の中に男一人。毎年ありがとうです。
12月15日
鹿児島療育ツアー第6弾7日目。午前中は2ヵ所の伊佐市子育て支援センター合同クリスマスコンサート。三ヶ月から5才児までの60人以上の親子が集まり、センターでも大好評の『だるまさんが』の絵本遊びや『ゴシゴシゴシゴシ』はもちろんのこと、先生たちには初めての『だるまさんと』の絵本遊びや『だるまさんが大変身』を楽しみました。メインは『ママのおなかにかくれんぼ』ごっこ。子どもが安心できる隠れ場所は?のテーマです。センターの先生たちにいただいたのが鹿児島限定の鎮痛剤です。おじいちゃん、おばあちゃんたちが肩こりに腰痛に使っているそうです。頭痛には頭に塗るんだって。ほんとかな?
午後は市内の保育園、幼稚園、療育の年長組の合同クリスマスコンサート。13施設の子どもたちが集まりました。約200人、市内の5、6才児の90数パーセントの子どもたちが集まったことになります。歌合戦『みんな大好き』での子どもたちの歌声は半端じゃなかったです。耳が痛かったです 。愛する人を守るときはたたかわなければね。次の『春よ来い』の手遊びでは、私の友だちのK君の話をしまいました。ベットで寝たきりのK君が、友だちがいたことと、心の中で春のつぼみを膨らませいたからこそ今春に一年生になったんだよと。
明日は初めて種子島に渡ります。楽しみです。
12月16日
今夜は種子島で研修会。養護学校、保育園、幼稚園、こども園、療育などの先生たちが約70人集まってくれました。寒い体育館で思い切りからだを動かして心も少しだけ動いていたようです。『手と手と手と』『夢わかば』も知っていた先生も多かったです。みんな、先輩先生や教材CDなどで覚えていたようですが、「ブームではなく文化として定着してきたのでは」言ってくれた先生も。「つながりあそびには哲学があります」と言い切ってくれた先生たちが嬉しかったです。終了後は鍋で交流会。単身赴任の先生も多かったです。明日は養護学校コンサート。
12月19日
戦後の平和しか知らないありがたさ。だからこそ、「花子とアン」の中でもなんどもなんども言われていた「想像の翼を広げよう」。
今は決して平和でないかもしれない。ひとりの人間として生きるには。曲がり角を曲がるためにも「想像の翼を広げよう」。
今日はオフ日。明日のコンサートでの拍手を想像しながら温泉街をニヤニヤのんびり歩いています。ちょっと今日はアブナイ人になっています。
12月21日
今日は大阪市立保育協会東部ブロック子育て支援事業の親子つながりあそびコンサート。雨の中、4か月から3才児までの親子が集まり、『おむすびころり』『だいこん漬け』『バナナ』など、その場で座って遊ぶものを中心に楽しみました。最後は『おなか』。親さんたちが耳をかたむけてくれました。
12月22日
18泊のツアーから帰ってきました。たくさんのお土産をいただいてきました。なによりもみなさんの笑顔と子ども、いのち、平和、仲間たちに真摯に向かい合う一人ひとりの人間との出会い。感謝感謝です。
勿論、芋焼酎や黒糖焼酎などの大好物、養護学校生徒や療育、保育園の子どもたちの作品などで帰りの車は満杯。恵那での平和コンサートや奄美大島龍郷町親子つながりあそびコンサートや湧水町子ども発達支援センターみのり10周年記念コンサートでのTシャツ。そして、来年も、という約束、幸せです。
2015年も自分で言うのもなんですが、思いのほか自分が動けた、頑張れたと思っています。
全国で「つながりあそび・うた」を待っている子どもたちや仲間たちがいるから頑張れたのだと思っています。
ピカリンを、二本松はじめを生かしてくれてほんとうにありがとうです。
2015年は、私のというより、私たちのとても大事の人へ送ったメールから始まりました。4112字という長いメールです。
今、そのメールを読みながら、そのメールを送った動機や意味とは違うところですが、そのメールの一文での自分の思いを改めて考えています。
メールそのものは前年の12月26日付です。
「・・・来年の4月からは研究所=つながりの仲間づくりが25年目を迎えます。すでに話していることですが、自分の中では、3年先とか、5年先の活動を見越しながら活動・運動はできる状況ではありません。体力的には一年一年の勝負になってきています。でも、もちろん気力や意欲はそれなりに旺盛ですが。つながりを一生涯続けるつもりです。ライフワークです。自分のできるところでね。それは、自分への責任、仲間への責任、子どもたちへの責任。オーバーな言い方をすれば人類の歴史への責任だと考えていますから。つながりの活動・運動をしながら子どもたちに、仲間たちのそんなことを教えてもらったと思っています。・・・」
なぜ、そのことを考えているかというと、12月19日に大阪のつながりの仲間たちと楽しい一泊温泉旅行をしました。つながり楽集会東京の仲間たちとの一泊温泉旅行以来7年ぶりのつながりの仲間たちとの旅行でした。数年前からそんな話が出ていましたがやっと実現したのです。ですから私としては珍しく二次会というか、夜中の12時過ぎまで飲んでおしゃべりをしていました。翌日、平和コンサートが控えていたのですが。
そのおしゃべりの中でハッと気づかされ、反省したことがありました。
「つながりあそび・うた研究所25周年記念を、関東の仲間たちが開かないのであれば私たちが開きたい。20周年が東日本大震災で開くことができなかったので」という話が大阪の仲間たちから出ました。
お酒の席でしたが、真剣にまじめに話をしてくれました。ドキッとしました。私としては、つながりの仲間のみんなが公私ともども忙しくなっているので、25周年記念は開かないで、古希を祝う70歳記念で開けばいいんじゃないか、などとごく近くの仲間とは話していたのです。でも、その考えって、まったく私個人の問題と研究所の25周年を、一緒にごっちゃにして考えてはいなかっただろうかと反省させられたのです。
研究所の10周年も、15周年も、20周年も私個人のお祝いとしてではなく、つながりの活動、運動に参加する仲間たちの研究所のお祝いとしてみんなで取り組んできたはずなのにです。20周年は、記念コンサートはできなかったですが、仲間たちによって20周年記念誌『ありがとう みんなでつながって』を出版することができました。その中でも、私は20年の歩みを私個人の歩みというよりも仲間でつくってきた「つながりあそび・うた研究所の歩み。つながりの歩み」として書いてきたつもりでした。
25周年の今、その立場というか、考え方が足りなかったのではないかと反省しているのです。もしかしたメールで書いた「責任」が足りなかったのではないかと。それはつながりの活動や運動に大きな影響が出ていたのではないかとも思っています。もう一度、自分の思い、決意を考えます。
さて、今年はこの国の平和と立憲主義、民主主義が安倍自公政権によって180度も方向に変えられてしまいました。反面、その流れをストップさせようとする若い力も着実の育ってきたことも間違いありません。
安倍自公政権でなされる安倍政治は、暮らしのあらゆる分野で私たちの願いとは違って、大企業やアメリカの要請に沿う形で着々とその準備をしてされてきました。その結果が、抱っこ通信666号(前号)での「働く(保育)楽しさを、生きている楽しさを奪われている」ことにつながっているのです。もしかしたら、「人間」になっていく楽しさをも奪っているのです。
つながりあそび・うた研究所をなぜつくったのか?なにをしたいのか?それは「人と人とのつながりあいって楽しいよ。大切だよ」「生きているって素敵だよ」を子どもたちへ、子どもたちと育ちあう仲間たちへつながりあそび・うたを通して広げるためでした。つながりあそび・うたにその力を宿らせています。本来、あそびはその力が宿っているものと思います。特に子どもたちのあそびの中には。ですから、つながりを広げることは安倍政治の流れをストップさせようとする力にもなるのではと思っています。
生きている(生きる)楽しさを奪うものに立ち向かうためには楽しさをもってです。生きている楽しさを取り返すだけでなく、その楽しさをさらに発展させるためにも、つながりをもっと広げていきたいと思っています。
今、NHK紅白では,楽しみにしていた「あさが来た」のメンバーが出場しました。そのなこんなを考えている2015年大晦日です。
以下、活動記録としてフェースブックの文章を転載します。
12月5日
今日は恵那のルンビニー保育園。365日ピカリンデー?いろいろなドラマを見せてくれる親子です。
「今度はじっくり保育実践を聞いて、すごいんだから」と子どもと保育士さんを自慢する主任さん。
思い切り遊んでいるから、からだと心を解放しているから話もしっかり聞けるんだね。
ぞう組(4・5歳合同)さんのダンス『笑う門には福来る』が決まっていました。最初に覚えた♪ハルトウカラジ♪、意味もわからず叫んで、歌っていました。可愛いかったな。
各部屋だけでなく、給食の先生も調理室にピカリン装飾 。幸せな一日でした。来年もね。
12月6日
オープニングは『笑う門には福来る』のダンス。子どもたちの踊りが一人ひとりマイペースで可愛かった。0歳から80歳まで世代を越えた人が集まってくれました。60人の目標が約90人。短い取り組みなので実行委員の仲間たちはドキドキの連続。でも、一番楽しんでいたね。
「家に帰って(平和について)話し合ってみます」「どんどん引き込まれていきました」「ピアノとヴァイオリンの音が良かった」「立ち止まれるコンサートでした」と口々に伝えてくれました。
生のピカリンに会えて嬉しかった若い親さんたち。保育園で子どもたちが歌っていた『夢わかば』の作者に会えたということで。
若々しいピカリン、みやちゃんを見て、負けてはいけないと背筋をピーンとして帰ったおじいちゃん、おばあちゃんもいたそうな。良かった良かった。
保育・教育関係者が参加が四分の一しかいなくて、雰囲気づくりに苦戦しましたが、テーマがじわっと染み込むような嬉しいコンサートでした。実行委員の仲間たちに感謝です。
12月10日
今日は奄美市の春日保育園。90人の子どもたちと笑った笑った。『ぐるぐるぐるぐる』の前踊り?の『グッパー』を前に出てやるいちご組さん(1才児)を見守るぶどう組さんのお兄ちゃん、お姉ちゃんたち(4・5才児)の眼差しがやさしいことやさしいこと、うるうるしてしまいます。『時計もグルグル』ではお化けが出てきて大騒ぎ!
小さい子を守るお兄ちゃん、お姉ちゃんもかっこ良かった。でも、中には小さい子を置いてお化けになりたがるお兄ちゃんも。
夕べは奄美市の保育士さんたち(すみれ会)のつながりあそび・うた研修会。最初は参加者の距離間がやたら広め、でも、最後は隣の人の体温を感じられる距離に。あそんだね。 最後に『島人に贈るうた うがみんしょうら』を生でギター一本で唄いました。♪ムジヤ山おかげ山ムジヤおかげ ちゅうやちゅう中世間おかげ 花なれば匂い枝振りやいらぬ 姿振りやいらぬ人や心 わっきゃーしまんちゅう この島に生まれた わっきゃーしまんちゅう この島でいきていく♪
12月10日
今夜は大雨洪水注意報が出ているなかでの午後の6時30分から龍郷町の親子ふれあいコンサート。町の文化スポーツ施設りゅうゆう館が主催。町内の保育園児の半分以上の親子が集まってきました。親子でゆったりたっぷりの時間を過ごしました。でも、終了後の帰宅する時の風と雨が台風並み。大丈夫だったかな。壁面のピカリンのイラストが嬉しいです。
12月11日
今日の午前中は、新園舎になった奄美子ども発達支援センターのぞみ園で就学前の子どもたちと親さんたちと。18年間通っています。鹿児島県での療育との初めての出会いの場です。新園舎になっても、子どもが増えてもどっかりゆったり子どもたちに寄り添っているのぞみの仲間たちに見えました。大人向けに『また歩きはじめるさ』をギター一本で唄いました。「ピカリンの歌を聞いて、私も休んでいいんですね」と職員に語った看護士のお母さんがいたそうです。みんながんばり屋のお母さんたちです。
午後は学童の親子と。昨年度までは土曜保育だけでしたが、今年度からは毎日。学童の子どもたちは自分の好きな遊びを選んで参加しますから、みんなで、が難しいところもありましたが、『ダルビュッシュ』ではゴール役をやる子どもや、リーダーになって「ダイコンサラダ」や「ダンゴヤ」と叫ぶことを楽しんでいる子どもなど、自分の役割?居場所?があれば、みんなで、を楽しめました。
最後に『うがみんしょうら』を唄いましたが子どもたちも前に出ていい顔で一緒に歌っていました。保育園の卒園式で歌ったそうです。そういえば『島人に贈った歌 うがみんしょうら』が収録してあるCDは、奄美のすべての保育園に贈っていました。
12月12日
午前中は瀬戸内町の保育園に遊びにいきました。奄美市から車で約1時間です。それでも数年前に来たときよりもだいぶ時間短縮。トンネルができていました。お目目がクリンクリンの1才児さんたちにに見つめられるとドキドキしてしまいます。『だるまさんが』の絵本遊びでは終わりの頃にやっと動き出しました。その仕草が可愛いこと可愛いこと。おじいちゃん丸出しです。
奄美から鹿児島に戻ってきました。いつも宿泊する伊佐市の湯之尾温泉の宿です。金鉱脈から湧き出す温泉です。3泊します。
奄美空港で18年間お世話になっている春日保育園の白浜さんと初めてのショット。ありがとうございました。また、来年もね。
12月13日
今日は湧水町の子ども発達支援センターみのりの10周年コンサート。地域のお爺ちゃんがつくってくれた「根を張って二葉をつけたみのりの花」のオブジェ、チェーンソー彫刻です。オープニングはお母さんのマンドリン演奏。子どもたちが大好きな曲ばかりでした。ピカリンは10周年を祝っての『誕生日』や家族での『カレーライスジャンケン』や子どもたちが大好きな『ゴシゴシゴシゴシ』や『ダルビュッシュ』なども楽しみました。最後はもちろん『夢わかば』。しっかり歌っていましたよ。
みのりとの出会いは6年前、隣の伊佐市子ども発達支援センターたんぽぽさんとの合同クリスマスコンサートだったかな。その頃は人数も多く親子も職員もまだまだ落ち着いていなかった印象ですが、今回はマンドリン演奏の時から子どもたちが落ち着いてビックリ。そして、遊ぶときは本当にからだ全体で笑っていました。やっと療育がスタートラインに立てたのかな。10年は必要ですね。
子どもたちがコンサートのお礼にと『多喜雄のソーラン節』を踊ってくれました。小学生の踊る姿に憧れて踊り始め、子どもたちに負けじとお父さんたちも取り組み 、また、お父さんたちの踊る姿に子どもたちが刺激をもらい踊り続けています。一番小さなひよこ組の竹太鼓も親子での一生懸命な姿に微笑んでしまいました。
12月14日
今日は伊佐市子ども発達支援センターたんぽぽです。午前中は3才児までの親子と遊びました。初めまして、の親子もいましたが、『満月仮面』の高い高いあたりから親さんの笑顔が見られて1時間はすぐだろうと思いましたよ。指しゃぶりをしていたAちゃんも最後の方では指しゃぶりを忘れていましたし、お母さんがお仕事で代わりにおばあちゃんが来てくれたBちゃんは、30分以上も過ぎても声も表情も出ていなくて心配でしたが、『ダルビュッシュ』の時からCちゃんと手をつなぎ遊びに参加。その時から声も表情も出てきて、最後はピカリンの話にも応えてくれました。『夢わかば』で何人かの親さんは涙、涙、涙。生きているっていろいろあります。
午後は並行通園(幼稚園、保育園にも通っている)の4・5才児と遊びました。みやちゃんの『ぐるぐるぐるぐる』ではみやちゃんを殴っていたD君を初め、次から次へと子どもたちが前に出てきて技?を披露してみんなから拍手をもらっていました。Eちゃんは「先生に負けない」と言って腕捲りをして張り切ってやっていました。最初の頃のあそびでは後ろで「やらない」と言っていたそうです。暴力をふるっていたD君には「ピカリンは暴力嫌い。強い子はやさしくしなければ」など何回か言いました。その時は止めるのですが、すぐに忘れてしまう。でも止めている時間がだんだん長くなってきて、最後の方はそういう暴力は見えなくなっていました。最初に言葉を掛けたときから、D君とは目で会話をしていた感じです。ずっとピカリンが気になって仕方なかったようです。
来年はたんぽぽ20周年。あそびにこられると嬉しいな。そんな思いで『みんなたんぽぽ』を歌いました。先生たちは歌詞を忘れないようにと朝、手の甲に歌詞を書いていたそうですが、汗でぐちゃぐちゃ。うたもぐちゃぐちゃ・・・笑うしかなかったです。
夜は行政職員、たんぽぽ職員、子育て支援職員、保育園職員との夕食交流会。女子会の中に男一人。毎年ありがとうです。
12月15日
鹿児島療育ツアー第6弾7日目。午前中は2ヵ所の伊佐市子育て支援センター合同クリスマスコンサート。三ヶ月から5才児までの60人以上の親子が集まり、センターでも大好評の『だるまさんが』の絵本遊びや『ゴシゴシゴシゴシ』はもちろんのこと、先生たちには初めての『だるまさんと』の絵本遊びや『だるまさんが大変身』を楽しみました。メインは『ママのおなかにかくれんぼ』ごっこ。子どもが安心できる隠れ場所は?のテーマです。センターの先生たちにいただいたのが鹿児島限定の鎮痛剤です。おじいちゃん、おばあちゃんたちが肩こりに腰痛に使っているそうです。頭痛には頭に塗るんだって。ほんとかな?
午後は市内の保育園、幼稚園、療育の年長組の合同クリスマスコンサート。13施設の子どもたちが集まりました。約200人、市内の5、6才児の90数パーセントの子どもたちが集まったことになります。歌合戦『みんな大好き』での子どもたちの歌声は半端じゃなかったです。耳が痛かったです 。愛する人を守るときはたたかわなければね。次の『春よ来い』の手遊びでは、私の友だちのK君の話をしまいました。ベットで寝たきりのK君が、友だちがいたことと、心の中で春のつぼみを膨らませいたからこそ今春に一年生になったんだよと。
明日は初めて種子島に渡ります。楽しみです。
12月16日
今夜は種子島で研修会。養護学校、保育園、幼稚園、こども園、療育などの先生たちが約70人集まってくれました。寒い体育館で思い切りからだを動かして心も少しだけ動いていたようです。『手と手と手と』『夢わかば』も知っていた先生も多かったです。みんな、先輩先生や教材CDなどで覚えていたようですが、「ブームではなく文化として定着してきたのでは」言ってくれた先生も。「つながりあそびには哲学があります」と言い切ってくれた先生たちが嬉しかったです。終了後は鍋で交流会。単身赴任の先生も多かったです。明日は養護学校コンサート。
12月19日
戦後の平和しか知らないありがたさ。だからこそ、「花子とアン」の中でもなんどもなんども言われていた「想像の翼を広げよう」。
今は決して平和でないかもしれない。ひとりの人間として生きるには。曲がり角を曲がるためにも「想像の翼を広げよう」。
今日はオフ日。明日のコンサートでの拍手を想像しながら温泉街をニヤニヤのんびり歩いています。ちょっと今日はアブナイ人になっています。
12月21日
今日は大阪市立保育協会東部ブロック子育て支援事業の親子つながりあそびコンサート。雨の中、4か月から3才児までの親子が集まり、『おむすびころり』『だいこん漬け』『バナナ』など、その場で座って遊ぶものを中心に楽しみました。最後は『おなか』。親さんたちが耳をかたむけてくれました。
12月22日
18泊のツアーから帰ってきました。たくさんのお土産をいただいてきました。なによりもみなさんの笑顔と子ども、いのち、平和、仲間たちに真摯に向かい合う一人ひとりの人間との出会い。感謝感謝です。
勿論、芋焼酎や黒糖焼酎などの大好物、養護学校生徒や療育、保育園の子どもたちの作品などで帰りの車は満杯。恵那での平和コンサートや奄美大島龍郷町親子つながりあそびコンサートや湧水町子ども発達支援センターみのり10周年記念コンサートでのTシャツ。そして、来年も、という約束、幸せです。