今日はギター絃を購入がてら、文京区にあるシビックホールで開かれている広島と長崎の原爆写真集刊行記念写真展に行ってきました。
写真を見ながら、地元東久留米市で1980年代に開いていた「原爆写真展」などを思い出していました。
1978年3月から月一回、喫茶店を借りて開いていた全レク東久留米レクリエーション・リーダー会議の「のんびりコンサート」。
1年目から、「8月、戦争と平和、人間のいのちを考える節としたい」と願って「愛と平和と自由とコンサート」を開きました。
1年目は、当時、私が指導していた桑の実コーラス有志のお母さんたちに♪戦争をのぞんだか♪を歌ってもらったり、水村さんというお母さんのわが子への手記を朗読してもらいました。
もちろん、戦争反対の歌や平和を願う歌などを中心に、みんなで歌ったり、聞いたりしていましたが、3回目からはゲスト(初回は沖縄からシンガーソングライターまよなかしんやさん)出演もありました。
1981年の「愛と平和と自由とコンサート」4回目と同時に「原爆写真展“ピカドン”」を初めて開きました。
当時、掲示用の写真を貸し出してくれる団体があったのです。
会場も喫茶店ではなく、福祉会館ホールで開きました。
その時に私は、いわさきちひろさんの若い人に贈る絵本「わたしがちいさかったときに」(「原爆の子」より)から、うたと朗読による音楽構成「わたしがちいさかったときに」を初演したしました。
朗読を高校生のすずきなるみちゃん(小学生の時から知人)にお願いしましたが、朗読の評判が良かったですよ。
翌年の1982年は、私たちが呼びかけて、市内の団体・個人とで実行委員会を組織し、「東久留米平和のつどい」を2日間開きました。
1日目は初めての原爆写真展や戦争体験を語り継ぐ会、映画「にんげんを返せ」「ピカドン」「予言」など上映。15日は平和コンサートでした。
この年は、毎月平和コンサートを開きましたよ。それだけなく、沖縄10フィート運動から生まれた「にんげんを返せ」上映と全レク一座の出前コンサートも呼びかけていました。
「平和」がこれほど街中にあふれた年はなかったです。
「東久留米平和のつどい」は、翌年の1983年から参加する団体や個人が増えて、規模も大きくなり、「東久留米反核平和週間」へとつながっていくことになります。
もちろん、母体となる東久留米反核平和市民実行委員会は、現在も活動を続けています。
この年から原爆写真展は、私たち(全レク一座)の手から離れていきましたが、平和コンサート活動は私たち中心にさらに旺盛になっていきます。
大阪からすずききよしさんを7回お招きしての平和コンサートをはじめ、関西からは中島光一、秋田克英、甲斐あきら、北海道からは森田まさはる、沖縄からはまよなかしんや、新潟からはたっつぁん、倉敷からは八木たかし、東京からきたがわてつ、川津恒一、三輪車一座、寺井一道、三多摩から三多摩青年合唱団、横井久美子、宮沢勝之、山田進、風見鶏、桑の実コーラス、外国からはイザベル・パラなどなど、プロ、アマ問わず平和をテーマにコンサートを開きました。
自分が暮らし、働く地域にこだわっていろいろ仕掛けていた時代でした。
今はどうだろうか。
あまり地元・地域で活動していないなと寂しい思いをしています。
仕方ないです、市役所の辞めて自分が始めたつながりあそび・うた研究所、保育応援団、つながり、という仕事、活動、運動が全国区だからね。そして、先着順だしね。
この時期、毎年6~8月の土・日は全国のつながり仲間たちとサマー・カレッジだしね。
わかりきっていても、やはり寂しいですよ。地域の活動、運動に参加できないことがね。
地元でも戦争法案反対、安倍政治を許さないという声が大きくなっています。
またこの時期は、平和を願う多様のつどいが開かれています。
私が音響で参加した時の6月集会の参加者数よりも、7月集会では倍以上の参加者になったと聞いています。
数だけではないです。要求や意見表明も多彩・多様になっていると聞いています。
今までは参加していない人々も参加しているそうです。残念ながらそういう場には参加できないのです。
いま、いろいろ考えています。地域でも参加できるように、また、30数年前のようにいろいろ働きかけていこうかなとも思っています。
お知らせです。
7月31日(金)午後7時より、東京労音当センターホールで「二本松はじめ平和ココンサート7070“あなた(父母から聞いていた時代に戻さないために)”」を開きます。若干の席が空いています。
一緒に考えましょう。
「戦後70年、戦争と平和、人間のいのちを考える節としたい」
「戦後70年、平和を守るためには笑顔 笑顔を守るためにも平和」
お待ちしています。


写真を見ながら、地元東久留米市で1980年代に開いていた「原爆写真展」などを思い出していました。
1978年3月から月一回、喫茶店を借りて開いていた全レク東久留米レクリエーション・リーダー会議の「のんびりコンサート」。
1年目から、「8月、戦争と平和、人間のいのちを考える節としたい」と願って「愛と平和と自由とコンサート」を開きました。
1年目は、当時、私が指導していた桑の実コーラス有志のお母さんたちに♪戦争をのぞんだか♪を歌ってもらったり、水村さんというお母さんのわが子への手記を朗読してもらいました。
もちろん、戦争反対の歌や平和を願う歌などを中心に、みんなで歌ったり、聞いたりしていましたが、3回目からはゲスト(初回は沖縄からシンガーソングライターまよなかしんやさん)出演もありました。
1981年の「愛と平和と自由とコンサート」4回目と同時に「原爆写真展“ピカドン”」を初めて開きました。
当時、掲示用の写真を貸し出してくれる団体があったのです。
会場も喫茶店ではなく、福祉会館ホールで開きました。
その時に私は、いわさきちひろさんの若い人に贈る絵本「わたしがちいさかったときに」(「原爆の子」より)から、うたと朗読による音楽構成「わたしがちいさかったときに」を初演したしました。
朗読を高校生のすずきなるみちゃん(小学生の時から知人)にお願いしましたが、朗読の評判が良かったですよ。
翌年の1982年は、私たちが呼びかけて、市内の団体・個人とで実行委員会を組織し、「東久留米平和のつどい」を2日間開きました。
1日目は初めての原爆写真展や戦争体験を語り継ぐ会、映画「にんげんを返せ」「ピカドン」「予言」など上映。15日は平和コンサートでした。
この年は、毎月平和コンサートを開きましたよ。それだけなく、沖縄10フィート運動から生まれた「にんげんを返せ」上映と全レク一座の出前コンサートも呼びかけていました。
「平和」がこれほど街中にあふれた年はなかったです。
「東久留米平和のつどい」は、翌年の1983年から参加する団体や個人が増えて、規模も大きくなり、「東久留米反核平和週間」へとつながっていくことになります。
もちろん、母体となる東久留米反核平和市民実行委員会は、現在も活動を続けています。
この年から原爆写真展は、私たち(全レク一座)の手から離れていきましたが、平和コンサート活動は私たち中心にさらに旺盛になっていきます。
大阪からすずききよしさんを7回お招きしての平和コンサートをはじめ、関西からは中島光一、秋田克英、甲斐あきら、北海道からは森田まさはる、沖縄からはまよなかしんや、新潟からはたっつぁん、倉敷からは八木たかし、東京からきたがわてつ、川津恒一、三輪車一座、寺井一道、三多摩から三多摩青年合唱団、横井久美子、宮沢勝之、山田進、風見鶏、桑の実コーラス、外国からはイザベル・パラなどなど、プロ、アマ問わず平和をテーマにコンサートを開きました。
自分が暮らし、働く地域にこだわっていろいろ仕掛けていた時代でした。
今はどうだろうか。
あまり地元・地域で活動していないなと寂しい思いをしています。
仕方ないです、市役所の辞めて自分が始めたつながりあそび・うた研究所、保育応援団、つながり、という仕事、活動、運動が全国区だからね。そして、先着順だしね。
この時期、毎年6~8月の土・日は全国のつながり仲間たちとサマー・カレッジだしね。
わかりきっていても、やはり寂しいですよ。地域の活動、運動に参加できないことがね。
地元でも戦争法案反対、安倍政治を許さないという声が大きくなっています。
またこの時期は、平和を願う多様のつどいが開かれています。
私が音響で参加した時の6月集会の参加者数よりも、7月集会では倍以上の参加者になったと聞いています。
数だけではないです。要求や意見表明も多彩・多様になっていると聞いています。
今までは参加していない人々も参加しているそうです。残念ながらそういう場には参加できないのです。
いま、いろいろ考えています。地域でも参加できるように、また、30数年前のようにいろいろ働きかけていこうかなとも思っています。
お知らせです。
7月31日(金)午後7時より、東京労音当センターホールで「二本松はじめ平和ココンサート7070“あなた(父母から聞いていた時代に戻さないために)”」を開きます。若干の席が空いています。
一緒に考えましょう。
「戦後70年、戦争と平和、人間のいのちを考える節としたい」
「戦後70年、平和を守るためには笑顔 笑顔を守るためにも平和」
お待ちしています。












