つながりあそび・うた研究所二本松はじめ

二本松はじめ(ピカリン)の活動予定や活動報告、日頃、考えていることなどを書きます。研究所のお知らせも掲載します。

抱っこ通信1269号(2024.1.5) 車検とそして

2024年01月05日 | 抱っこ通信
「車検は大切なおクルマの誕生日!」なんて洒落たキャッチコピーの葉書が届いて、今日の午前はディーラーへ。45歳で自動車免許を取得し、車生活になりましたが、前車に続いての車検です。それまでは車検の前に新車に交換。北海道から鹿児島までの活動で走行距離が半端ではなかったのです。故障なんかはしませんが、なんとはなく心配だったからです。
前回と今回の車検もコロナで活動も制限されていたこともありますが、もう車の運転にはからだにしんどくなっているのが正直なところです。音響などを持参しなければならない活動も減ってきているので、そろそろ車での移動はやめたいなと思います。

午後は整形外科病院に。腰痛治療に先月から週一に理学療法士のリハビリを受けています。合わせて柔道整体師のマッサージは月2回くらい受けています。月1度は医師の診察、診断を受けなければならないし、半年ごとにレントゲンとMRIでの診断を受けなければなりません。薬は出してくれません。
 2012年秋の夢わかばプロジェクト岩手ツアーでの宮古市で発症した坐骨神経痛です。2か月ほど活動は休止、車イスでの移動なんて言うこともありました。数年、通った整形外科病院では痛み止めの飲み薬とシップをくれるだけで症状はあまり変わらず。そのうちにだんだんと行かなくなり、それでもなんとか生活ができていたのですが、一昨年の夏のミニコンサートとサマー・カレッジ2日間の活動で、からだがしんどくなり、ネットで探したのが今の整形外科病院です。脊柱狭窄症と診断され、しばらくはマッサージを、ということで通っています。そして、先月からはリハビリが加わったのです。保険適用ですし、時間もたっぷりあります。
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抱っこ通信1268号(2024.1.4)

2024年01月04日 | 抱っこ通信
4日は仕事始めの人が多いようですが、私が市役所に務め始めた70年初めは、職場ごとにお神酒で「乾杯!」なんていうことがありました。良い時代だったのでしょうか。また、12月28日と翌年の1月4日が日曜日という年は、二日間だけですがなにか得をした気分になったものでした。
市役所に務めていた頃の年末年始は、全レク(全日本レクリエーション・リーダー会議)の沖縄ツアーがあったり、スキー協(現新日本スポーツ連盟全国勤労者スキー協議会)の正月スキーがあったり、一応、全レクとしてのレク・リーダー(今は言わないか?)としての活動で忙しくしていました。いまさらながら、働きながらの活動で良く体が持ったということと、本職と活動とをなんとか両立させていたかなと思います。きっと職場の同僚には多大な迷惑をおかけしていました。飽きられ、諦めていたのでしょうか・・・。

昨年、12月にはそうやって働きながらも「つながり」を広げている全国のつながり仲間たちがオンラインでつながって、昨年のサマー・カレッジの総括と今年に向けての抱負を話し合うことが出来ました。忙しい中、本当にありがたいことでした。
自分もそうやって働きながら活動していたので、その大変さを知っているつもりだし、また、働きながらだからこそのその喜びも知っているつもりです。楽しくなければ、面白くなければ続けられないですが、もう一つ大事なことですが、「つながりの哲学」なんていうとオーバーですが、それぞれの「つながりの思い」がそれこそつながっていると実感できているからでしょうね。実践を重ねながら、楽しさを重ねながら「つながりの哲学(思い)」を深めていきたいと思います。

さて、2024年のスタートに、九州つながりの会・向日葵の仲間たちが初めてウインターカレッジに挑戦します。先日の総括会議でも報告があったように、例年、福岡サマー・カレッジの参加者の約7割が園から派遣されて参加しています。夏だからか、研修の時期なのでしょうか。そういう意味では、冬のこの時期の研修会への参加を園から派遣、というのは難しいと考えられます。ですから、一人ひとりにウインターカレッジの参加を具体的に丁寧に誘っていかなければならないです。内容は年度末、年度初めに向かうこの時期の現場の要求に応えられるものだと自信を持って言えます。多くの人の参加をお持ちしています。



4日は仕事始めの人が多いようですが、私が市役所に務め始めた70年初めは、職場ごとにお神酒で「乾杯!」なんていうことがありました。良い時代だったのでしょうか。また、12月28日と翌年の1月4日が日曜日という年は、二日間だけですがなにか得をした気分になったものでした。
市役所に務めていた頃の年末年始は、全レク(全日本レクリエーション・リーダー会議)の沖縄ツアーがあったり、スキー協(現新日本スポーツ連盟全国勤労者スキー協議会)の正月スキーがあったり、一応、全レクとしてのレク・リーダー(今は言わないか?)としての活動で忙しくしていました。いまさらながら、働きながらの活動で良く体が持ったということと、本職と活動とをなんとか両立させていたかなと思います。きっと職場の同僚には多大な迷惑をおかけしていました。飽きられ、諦めていたのでしょうか・・・。

昨年、12月にはそうやって働きながらも「つながり」を広げている全国のつながり仲間たちがオンラインでつながって、昨年のサマー・カレッジの総括と今年に向けての抱負を話し合うことが出来ました。忙しい中、本当にありがたいことでした。
自分もそうやって働きながら活動していたので、その大変さを知っているつもりだし、また、働きながらだからこそのその喜びも知っているつもりです。楽しくなければ、面白くなければ続けられないですが、もう一つ大事なことですが、「つながりの哲学」なんていうとオーバーですが、それぞれの「つながりの思い」がそれこそつながっていると実感できているからでしょうね。実践を重ねながら、楽しさを重ねながら「つながりの哲学(思い)」を深めていきたいと思います。

さて、2024年のスタートに、九州つながりの会・向日葵の仲間たちが初めてウインターカレッジに挑戦します。先日の総括会議でも報告があったように、例年、福岡サマー・カレッジの参加者の約7割が園から派遣されて参加しています。夏だからか、研修の時期なのでしょうか。そういう意味では、冬のこの時期の研修会への参加を園から派遣、というのは難しいと考えられます。ですから、一人ひとりにウインターカレッジの参加を具体的に丁寧に誘っていかなければならないです。内容は年度末、年度初めに向かうこの時期の現場の要求に応えられるものだと自信を持って言えます。多くの人の参加をお持ちしています。





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抱っこ通信1267号(2024.1.3)

2024年01月03日 | 抱っこ通信
年が変わると何かをやってみようと思うのですが、長続きをしたことがない。今年は三日坊主にならないように無理せずやっていこう。

今朝、私の仲間の「オレの娘です」が亡くなってしまった。親父さんとは「戦争反対!と声をあげよう」街頭宣伝活動で、毎週顔を合わせていますが、彼女とは「どこかでお会いしていたのでしょう」という感じ申し訳ないのですが。
そんな親父つながりの彼女から昨年の私の誕生日にメッセージをいただきました。
「二本松さん 誕生日おめでとうございます。出会った時、自分は小学生。ステージで『この曲を手話やりながら歌いましょう!』と言われていたのがすごく印象的で。実際聴覚にハンデある方も、手話通訳の方同伴でコンサートに行かれるそうです。(突発性難聴の後遺症と闘いながら頑張っている堂本剛くんが言っていました)あったかい気持ち。優しい気持ち。発信し続けて下さる二本松さん。応援しています。」と。
彼女への返信です。「生きているっていうことは、その人なりに、その人らしく社会に参加して、社会を人間らしく発展(変えて)させていくことなんだよね。そんなことをいつも発信したいです。その一つが手話で歌うことかな。メッセージありがとうです。」と。
改めて彼女のフェイスブックを読みました。昨年の彼女を誕生日の投稿です。「自分の名前の通りに生きます。海が広い様子を表す言葉が転じて人の心が広い、と言う意味の自分の名前。川からどんどん水が流れても、黙って受け入れて自分のものにする『海』」と。
いつかどこかでゆっくりおしゃべりしたかったな。残念です。今年は悔しい思いをしないように会いたい人には会いに行くとしよう。
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抱っこ通信1264号 つながりあそび・うた研究所2023年12月号原稿

2024年01月03日 | 抱っこ通信
楽しさを奪うものに立ち向かう楽しさ
二本松はじめ

12月に入りました。なにかと気忙しい12月。ですが、私はいつものんびり。久しぶりに「忘年会」等というものに誘われています。街中でも「忘年会」がちょっとした話題になっているらしいです。初めて体験するとか久しぶりとか。コロナ禍のここ3年間には考えられなかったですね。少しずつコロナ前に戻ってきているのでしょうか。

今年はサマー・カレッジが戻ってきた地域もあったり、ゆずりんの地域のコンサートや小学校公演が少しずつ戻ってきているようだし、まっちゃんのからだの変調を来し、延期するほどつながりあそび活動があったようですし・・・。私? 私は月1回ほど遠出というか地方でのつながりあそびミニツアーを入れたり、地元にいる時は、週一に「戦争反対!と声をあげよう」街頭宣伝活動で、東久留米駅前で地域の先輩のみなさんに混じって歌って来ました。さて、2024年はどうなるのでしょうか。

「どうなるのでしょうか」などと書くとまっちゃんに怒られそうですね。「なにをしたいのか」「なにをするのか」ですね。最近はそんなに意気込むというか考えるということはないのですが、いつものように自然体で、やりたいことをやっているし、やっていきたいと思っています。
一つだけこれだけはやってみたいな思うことがあります。研修会のレジュメにも書いていますが、最近はあまり触れていなかった「生きる楽しさを奪うものに立ち向かう楽しさ」についてとその意味について、じっくり考えてまとめていきたいと考えています。
はじめてこの言葉を使ったのは、1994年1月に発行した研究所機関紙『手と手と手と』第9号です。文章は「厳冬だからこそ心に暖かさを ~楽しさを奪うものに立ち向かう力も育む『楽しさ』を!~ 」と表題をつけて、前年に当時の岐阜県恵那郡加子母村で開かれた『あったかコンサート』に参加したお父さんの感想「・・・こんな時代です。どこかで温かなところを持っていないと、人生楽しくないような気がします・・・」から文章ははじまり、「『楽しい』ってことを大切にしながら、『楽しい』っていうことを奪うものに立ち向かう力を育む『楽しさ』を、今年もつくりだし、広げていきたいと思います。」とまとめています。

サマー・カレッジが、参加者自身で実行委員会を組織し、開かれるようになり始めた頃に、各地の実行委員会でつながりあそびとは、サマー・カレッジとは、を活動面と運動面とで考えようと学習会を開いたことがあります。正直、まだまだ実績どころか、実践が蓄積されていたわけでなかったですから、独りよがりで稚拙な自分の思いを吐露するしかなかったのです。そこで強調していたのは「つながりあそびの楽しさは、生きる楽しさを奪うものに立ち向かう楽しさ」ということでした。きっと私自身もよくわからず語っていたと思いますが、当時の私の「つながりあそび」での一つの到達点もあったし、今でもその考えは変わっていません。しかしながら、その意味は具体性にも欠けるし、一般的でもないし、わかりずらさは否めません。あれから20年(綾小路きみまろは40年)も経っていますし、そろそろまとめ、次へのステップのためにも自分自身がその意味するところをまとめてみなければと思っているところです。自分としては、この言葉を目標に、励みとして活動し、生きてきたんだと思うのですが・・・。楽しみに、というか一緒に考えてください。
 
一つ言えることは、コロナ禍の中でも週一に配信し続けているゆずりんのユーチューブでの「ゆずりんの音楽日記」や、まっちゃんのオンラインだったり、ハイブリットだったりしながらも月1回続けている「わくわくセミナー」は、まさに「楽しさを奪うものに立ち向かう楽しさを」つくりだし、広げている活動です。すごいことです。感謝、感謝です。


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抱っこ通信1263号 つながりあそび・うた研究所風の便り11月号原稿

2024年01月03日 | 抱っこ通信
つながりあそびを受け入れられる風土とは
二本松はじめ

私の活動は、以前にも書きましたが、つながりあそび・うたの土壌を耕すことと種蒔きです。特に、研究所を立ち上げてからの30年間は、つながりあそびの種を蒔きたい現場の荒廃が進み、風が通り過ぎるだけであったり、コンクリートのように固く固く固められているように感じています。そこでは風のいろいろな表情を感じることも必要ないし、雨(水)は、表面を濡らし、すぐに流れてしまうような現実があり、そういう実態に見合った保育文化の華? 花しか咲いていないようにも感じます。その他の樹や草花を知ることさえも出来なくなっているというか、必要としていません。
そこには子どもという存在がいないような気すらします。

 一方、その土地の風土に根づいた緩やかな風が吹き、水分をたっぷり含んだ土壌を持つ現場もあります。一面では近寄りがたいような現場もありますが、そこでは子どもの存在が感じられます。

と、一方的に見えたり、感じていてはいけないのでしょうが、コロナ禍もあって子どもたちが身近に感じられなくなっていた私がいたことも事実ですし、そんな私から見ての感想です。

やっと、サマー・カレッジが戻ってきて、仲間たちから少しずつ現場の雰囲気や子どもたちの姿を聞けるようになって、また、保育現場等に入るようになって、少しだけ気が付いたこともありました。


10月に遊びに行った盛岡市の社会福祉法人わかば会の4か所の保育園を回って感じたことですが、子どもを育てる、保育をつくりだすには、その土地の風土に根づくことの大切さと風土をつくりだす一端になる必要性です。ここでいう風土とはかなり広い意味を持ちますが・・・。

わかば会に見てみるとホームページには次のように書かれています。
「当法人は『働く父母が安心して預けられる保育園』『子どもたちの全面発達』を目標に掲げ、昭和56年4月に『わかば保育園』を開園しました。
当時盛岡市内には産休明けの長時間保育を実施している保育園はなく、共働き家庭は二重保育や無認可保育園に預けざるを得ませんでした。
このような状態を何とか解消しようと、当時無認可保育所だった高松わかば保育園を母体に父母たちが『わかば保育園をつくる会』を結成し、市内外から数多くの人たちの寄付金等物心両面にわたる支援を得て、5年間の運動の末に、わかば保育園を設立することができました。

わかば会の理念
社会福祉法人わかば会は子どもの人権を尊重し、保護者と協力しながらその健やかな成長のために尽くすとともに、保護者が安心して子どもを預け働ける環境づくりに努めます。
未来の主人公になる子どもたちの権利を尊重し、豊かな乳幼児期を保障することを基本とし、保護者の皆様と一緒に保育を創っていくことを大切にしてまいります。
そして子どもが本来持っている能力を引出し、豊かな感性を育み、一人ひとりが仲間の中でゆっくりじっくりと自分を育てていけるような保育環境づくりに努めます。
さらに、地域の皆さんと連携し、子育て支援や地域福祉の向上を目指し、地域の子育ての拠点となるよう努めます。
そのためにも、職員一人一人が生き生きと活動し、喜びをもって働き、自己実現できるような職場環境、職場の風土づくりに努めます。」

と、ま、書かれているのですが、ある面では保育園ができる必然性がその地域にはあったのです。その必然性がその保育園の風土を産み、育て、その地域の風土にもなっていっているのですね。そこには必ず子どもの存在があったはずですね。子どもの存在こそが、その地域の風土をつくり育てる主体であるはずですから。同時に、保育園の歴史の長短だけでなく、保育園の主体である人の問題とも言えます。

残念ながらつながりあそび・うたは、そんな風土を持つ保育園には受け入れられているように感じますが、コチコチに固められた保育園、風土をもたない保育園にはなかなか受け入れてもらえていないようにも感じます。私たちが圧倒的に届けられていないのが事実ですが。がんばれ!つながり


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抱っこ通信1266号 これからも

2024年01月02日 | 抱っこ通信
昨年、5月に新型コロナウイルス感染症の5類感染症移行に伴い、なんとはなくですが、少しずつですが気持ちが外向きになっているような感じが広がってきたようです。まだまだ分からないことも多く、不安で心をおおわれてなかなか踏み出せないことも多いことも間違いありません。まだまだコロナ禍での暮らし、生き様がどうあったかを論ずるというか、総括して次に踏み出すには早いと思いますが、新しい年に向かってそれぞれが一歩踏み出していければと思います。

そして、2024年は「『安心の世界』が地球規模でも、日常のささやかな暮らしの中でも、特に、子どもたちに少しでも広がることを強く願って」と書いたばかりなのに昨日は「能登半島地震」。少しでも被害が少ないことと迅速な救援活動を願うばかりです。少しでも「安心の世界」を。

昨年、毎木曜日の、地域のみなさんと「戦争反対!と声をあげよう」の街頭宣伝行動に42回参加できたことが嬉しかったです。「音楽があるとないとでは違うのよね」「新しい歌を覚えられて楽しい」「うたごえに励まされています」と喜ばれています。
残念ながら月一の東久留米反核平和市民実行委員会の街頭宣伝行動には6回しか参加できなかったです。地方でのつながりの活動と重なってしまっているのです。
退職保育士の会の「公立保育園をなくさないで!」の街頭宣伝行動には14回参加。これは私のスケジュールに合わせてくれています。

今、どんな歌が求められているのかを考えながら街頭に立っています。基本は自分の言葉での創作曲を歌っていますが、闘っている仲間たちの中から生まれた歌も歌っていきたいし、仲間たちをまきこんだ創作活動を進めたいなと考えています。
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抱っこ通信1265号(2024.1.1) 研究所風の便り2024年1月号

2024年01月01日 | 抱っこ通信
「安心の世界」を広げるつながりあそび
二本松はじめ

つながりあそびの研修レジュメでも書いていることですが、「安心の世界」が地球規模でも、日常のささやかな暮らしの中でも、特に子どもたちに少しでも広がることを強く願う2024年です。箇条書きですがレジュメに書いていることを紹介します。レジメでは2章になります。

人は安心の世界で、共感と笑顔の中で育つ。 
①抱っこしあって、みつめあって、微笑みあって
*からだとこころを許しあう関係をたっぷりつくろう=委ねる楽しさと安心感
*からだが触れ合う時、心もふれあう。こころがふれあう時、からだも触れ合う。
②おもわずからだが笑っちゃう=人のつながりって楽しい(遊びって楽しい)
*人は、人を楽しませる、喜ばせる、幸せにする存在=特に子どもは
*生まれてきてくれてありがとう。生きているだけでありがとう。
③自分の中にある好きを見つけよう
 *楽しい時、人間は・・・より主体的に、積極的に、人間的に(仕事も生き方も)
④子ども(人)は笑顔(愛)の中でしか育たない「安心の世界」

ひと言で「安心の世界」といっても、人それぞれです。みんなで話し合い内容を深めあえればと思っているのですが、私の活動(仕事)は実際につながりあそびをみんなで遊ぶ中で、遊ぶ本人に実感してもらう、体得してもらうことにありますから、なかなか伝え合い深め合うことが難しいのが正直なところです。歌詞とか、言葉とかとはまた違ったものを感じ取られることもできますが・・・。
 でも、つながりあそびそのものの力というか、面白さとか楽しさも大事なのですが、一緒に遊ぶ「みんな」のつながりあいが「安心の世界」をつくりだす決定的な要因なのです。この人とのつながりあいを変化、発展させる、豊かにする、楽しいものとすると言い換えてもいいと思いますが、それが「つながりあそび」なのではないかなと思っています。安心の世界をつくりだすつながりあそびです。

もう一度、レジュメを見てください。いま、ここに書かれていることが子どもたちだけでなく、人類から奪われていないでしょうか。「地球規模でも、日常のささやかな暮らしの中でも」です。自分の生い立ちや自分の子育てなどを重ねながら見てください。そして、今の「自分」を重ねて見つめてください。つながりあそびを広げる2024年のスタートです。


先月に開かれたサマー・カレッジ代表者会議は楽しかったです。オンラインでも久しぶりにみんなで顔を合わせて会議だったので、それだけで嬉しかったです。画面からうかがえる仲間たち表情からは、ブランクの時間の長さもありましたが、その間、子どもたちを真ん中に踏みとどまってきた仲間たちがいたこと、そして、つながりあそびの火を消さなかったこと、それらがサマー・カレッジの再開につながっていたことが伝わってきました。ほんとうにありがとうです。それにしても、オンライン会議もそうだし、研究所風だよりもそうだし、ホームページもそうだし、研究所のことはまっちゃん頼みだったなと反省をしています。
メモを取るのに忙しかったですが、メモに残っていたいくつかを紹介します。

*新しいつながりをどうつくっていくか。それは人とのつながりでもあるし、その人のつながりをつくりだし豊かなものにする文化活動をどうつくりだしていくかの問題。
*現場を持つ仲間が減っていく中で、お手伝いとしてサマー・カレッジにかかわるだけでいいのか。現場を持っている仲間が実行委員になるような働きかけを。
*新しく参加した仲間たちの感想が良かった。実行委員になることが生活の一部になり豊かになる。現実が厳しくても挑戦することで実行委員みんなの力が発揮できる。
*現場でつながりあそび・うたを知ってもらえるような実践を。
*平和の問題や研究所の思いなどを広げることで、自然につながりをつくっていくことができれば。
*現場が大変だからこそサマー・カレッジを開いていく。本来、保育は、仲間は楽しい。先輩から後輩へのつないでいくこと。保育運動とつながり運動とのつながりあいを。

保育や学校現場の仲間たちの要求から出発したサマー・カレッジです。それは子どもたちの要求でもあり、現場の仲間たちの要求でもあったのだろうと思います。もう一度、その要求の中身を点検してみる必要があります。要求さえ出せない状況に追い込まれている現場を変えていくためにもね。「楽しい」を広げるためにもサマー・カレッジを身近なものにしていきましょう。2024年のサマー・カレッジのスケジュールも出され、すでにスタートしています。



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