つながりあそび・うた研究所二本松はじめ

二本松はじめ(ピカリン)の活動予定や活動報告、日頃、考えていることなどを書きます。研究所のお知らせも掲載します。

抱っこ通信1275号(2024.4.1) 風の便り年4月号

2024年04月01日 | 抱っこ通信
誕生日って何の日
二本松はじめ

つながりあそび・うた研究所は33歳になりました。

春という名を聞けば、縮こまっていたからだがだんだん緩んでくる感じですが、4月の声を聞けば、それこそ草原をスキップしたくなる感じです。ま、最近ではあくまで“感じ”で、気持ちはスキップしたいと思ってもからだは動かずです。

♬誕生日って何の日 感謝する日 君が生まれてきたこと 感謝する日♬
♬誕生日って何の日 感謝する日 僕を産んでくれたこと 感謝する日♬
♬誕生日って何の日 感謝する日 君に出会ったことに 感謝する日♬

4月です。つながりあそび・うた研究所を立ち上げて33回目の誕生日であり、34年目を迎えます。20周年の時に東日本大震災があり、仲間たちが準備をすすめてくれていた記念コンサートは中止になってしまいましたが、20周年記念誌『ありがとう みんなでつながって』を出版できました。記念誌は、つながりの仲間たちの、そして私自身の財産になっています。企画・編集・出版に関わってくれた仲間たち、原稿を執筆してくれた仲間たち、なによりもつながりあそび・うたを子どもたちと楽しんでくれた仲間たちにありがとうです。

10周年、15周年、20周年とつながり仲間たちとつながりあそび・うた研究所の誕生を祝い、その歩みを確かめ、喜び合うだけでなく、新たな一歩を踏み出す機会となってきました。残念ながら30周年はコロナ禍ということで、集うということ、接するということさえ躊躇され、新たなことに取り組むという気持ちさえも封じ込められていたことは間違いありませんね。コロナでそれぞれの地で、みんなで顔合わすとか、考えを寄せ合うとか。つながりが断ち切られていたこともその原因です。それでも、個々にはつながりの30年を考え、新たな一歩を考えた仲間もいたことも事実でしょう。私のつながりが、私たちのつながりになり、みんなのつながりになっているのでしょう。その証拠に一昨年からサマー・カレッジも復活してきたのです。嬉しくて、ありがたくて・・・。

もう一つ、ゆずりん(中山讓)のユーチューブ、まっちゃん(町田浩志)のオンラインでのセミナーなど、それぞれが発信し続けていること、学び、交流の場を持ち続けていたことは、つながりの運動面で、つながりの仲間たちを励ます意味で大きな役割を持っているのです。もしかしたら月1回だけどもこの「風の便り」も、そして、まっちゃんが頑張ってくれている研究所のホームページもその役割を果たしてきているのでしょうね。

34年目はサマー・カレッジも昨年同様に開かれる予定ですし、新しいサマー・カレッジ(名前は別にして)への挑戦もあるかもしれません。楽しみに迎えたつながりあそび・うた研究所の誕生日です。



つながりあそび・うた研究所の私は50歳に。

次は、私ごとです。今年度は、つながりあそびの二本松(ピカリン)の50年目の誕生日なのです。
私がいまここにいるきっかけになったのが、50年前の第1回レクリエーション・リーダー学校(1974年7月13~15日 当時群馬県水上町湯の小屋温泉葉留日野山荘)に、講師として参加した時からです。つながりの私が誕生したといっても過言ではないのです。レク・リーダー学校の主催は山岳スポーツ研究所。共催だったか後援だったかの記憶が曖昧ですが、当時の新日本体育連盟全国勤労者スキー協議会、勤労者山岳連盟、日本のうたごえ協議会だったかな。開催の宣伝や参加者の組織はどうしていたのでしょう。ある面、実務的に主催する側にいたわけではないので、これまた記憶が曖昧ですが、しんぶん赤旗には宣伝広告が掲載されていたと思うのですが・・・。そのレク学校の参加者を中心に1年以上の学習と話し合いを行っていた準備会を経て、全日本レクリエーション・リーダー会議(全レク)が76年に設立されているのです。

 レク・リーダー学校以前にも、学生時代には東京狭山青年の家で利用者の子どもたちのレクリエーション指導とか、某労働組合の昼休み活動のフォークダンス指導とか、市教社会教育時代には青年事業や少年事業でのレクリエーション指導とか、他市町村の社会教育事業でのレクリエーション指導とかいろいろやってはいたのです。その関係もあって、以前からの知人でもある社会教育仲間の草一平氏に誘われて講師として参加したのです。
指導日記を見るとその指導内容たるや恥ずかしい限りです。あそび、うた、おどり、集いの持ち方すべてを指導するのですから責任は重大ですが、まだまだ未熟者で勉強不足のところばかりです。いまも同じですが、おどりやうたではみやちゃん(宮島泰子)がスタッフとして参加し、一緒に活動していました。

このレク・リーダー学校の立場や意義は、それまでレクリエーション関係の指導者養成とは全く違ったものでした。それはレクリエーションを何かに使われるのではなく、参加する自分自身を解放し、自分自身の楽しみとなるレクリエーション活動を、主人公であるみんな広げようという考え方でした。まず、自分自身が楽しむということと、働く人の立場に立ったすべての国民、弱い人の立場に立った、みんなが幸せになるためのレクリエーション活動、国民の権利としてのレクリエーションをどう広げるかという大きな願い(目的)を持ったレクリエーション・リーダー学校だったのです。ただし、このことは全レクを設立するために週一集まっていろいろ論議した準備会の中て明らかになったことですが。

このレク学校から自分の人生が変わっていきました。どう変わったかを言葉に、文章に表すということは難しいです。ま、社会教育という楽しい仕事を楽しんでいた人間が、仕事と同じくらいレクリエーション活動を広げることの楽しさに目覚めて、そのために時間を費やしてきたということでしょうか。その根っこには「○○の要求に基づいて」という私自身考え方があります。「青年の要求に応えて、住民の要求に応えて社会教育を」という考え方、「子どもたちの要求、保育士や教師など子どもと育ちあう人たちの要求に応えて」というつながりあそび・うた研究所の考え方です。その要求に応えるのが自分の要求でもあるし、そんな生き方始めたのが50年前のこの誕生日からです。どう育ってきたか、どう育ててもらったかは、またいつか・・・。



4月21日は、第29回奈良レクリエーション学校です
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 抱っこ通信1274号(2024.... | トップ | 抱っこ通信1270号(2024.... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

抱っこ通信」カテゴリの最新記事