つながりあそび・うた研究所二本松はじめ

二本松はじめ(ピカリン)の活動予定や活動報告、日頃、考えていることなどを書きます。研究所のお知らせも掲載します。

抱っこ通信1276号(2024.4.1) 念願かなった「いわき雑魚塾」

2024年04月01日 | 抱っこ通信
3月24日の夢わかばコンサート第14弾の取り組みは、自分なりによく頑張ったと思います。いわき雑魚塾のステージを聴くことと、多くの人たちに聞いてもらうことが、彼らのCD文庫『でれすけ原発』を聞いて読んときからの一つの願いでした。

2014年委出版された、CD文庫『でれすけ原発』を初めて聞いた時、抱っこ通信には次のように書いています。「久々にフォークソングを聴いた。骨太で、聞き手に受けそうな歌詞ではなく、自らのことをうたっているのだけど、自己満足な歌ではなくね。海の匂いが、山の匂いが、町の匂いが、暮らしの匂いが、そこに息づく人たちの匂いがした。みんなうたいたくなる歌だった。 笠木透さんや雑花塾、そして、全国の歌仲間に支えられ、共につくった被災者が自らのことをうたい、語っているCD文庫「ー東日本大震災3-『でれすけ原発』」(発行いわき雑魚軸塾)を聞いてみてください。読んでみてください。」と。

そして、夢わかばコンサート第14弾を開くにあたって、今年のテーマについてみんなに次のように提案しました。「『あの日を忘れず』から『あの日を忘れずいまを見つる でれすけ原発』に替えたというより、13年を経過した福島の人々の心は。暮らしは日常を取り戻しているかのように見えても、いまだ故郷に帰れない人、帰らない人がいる現実は、人とのつながりを断ち切られるなどの『心の日常』とは程遠いものと思えます。その大きな原因は『原発』にあるです。また、3.11や原発や能登半島地震などと共に、ウクライナやガザ地区に見られるように人を殺す、殺されていることをマヒさせるような現実を突き付けられている今を、私たちはしっかりと見据えて、一人の人間、それも何も持たず弱い人間だけれども、さらに人に歌を聞かせることはできないかもしれないけど、精いっぱいうたうことや楽しんで歌うことができる私たちが、私たちの今の思いを歌うことが小さいけれど明日への希望になるのではないでしょうか。そんな夢わかばコンサートをつくりたいですね。」と。

コンサートを終えて、「私たちが3.11を忘れないためにも、一人ひとりが人間らしく生きるためにも、あの日のことを、あの日からのことを、今のことを、そしてこれからのことを、見る、聞く、考えることがとても大事なような気がしています。
 いわき雑魚塾の仲間たちの演奏、語りに、多くの方々がたくさんのおもいを感じて、胸に刻みつけたと思います。そのことが今日、明日、それぞれが一歩踏み出すことにつながれば嬉しいです。最後に舞台も会場も『手と手と手と』を歌いながらみんなで手つなぎ、肩組みできたのが嬉しかったですね。
♬でれすけ でれすけ でれすけ でれすけ原発 でれすけ でれすけ でれすけ でれすけ原発 手と 手と 手と 手と 手と手と手と手と 手と手と手と手と 手と手と手と手と 手と手と手と手と 仲間がいっぱい♬」と。

参加した仲間たちからも感想が届けられています。「被災した自らが、語り歌うので胸に迫るものが違った」「福島、原発、知らないことが多かった」「歌の内容はきついものがあったのに、雑魚塾のみなさんのステージには希望が持てた」「良い企画でした」「まだコンサートの感激が消えません」と。

組織の面ではいろいろな課題が見えてきました。自分の弱さというか、苦手な部分が見えています。夢わかばコンサートそのものも「あの日を忘れない」の一点で、多くの個人、団体と手をつなぎながら開催していかなければと思います。今回の場合でも、福島県人や原発がない社会@東久留米の会や九条の会や新婦人の会などに、チラシを配布やチケットを預けるだけでなく、企画や準備の段階から一緒にやっていけたら良かったのではないかと反省しています。

それでも、夢わかばコンサートの次を期待する声や、もう一度いわき雑魚塾をという声なども届いていますので、もう一度スタートラインに立ち返って第15段位取り組みたいなと思います。

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