つながりあそび・うた研究所二本松はじめ

二本松はじめ(ピカリン)の活動予定や活動報告、日頃、考えていることなどを書きます。研究所のお知らせも掲載します。

抱っこ通信1036号 そのときぼくは

2019年08月06日 | 抱っこ通信
 ♪晴れ渡った夏の朝、運命のその瞬間、午前8時15分直前の様子を、子どもたちはこんなに書いている。・・・・
 
 これは1967年7月20日、童心社から出版された若い人の絵本「わたしがちいさかったときに」(長田詩新編〈原爆の子〉他より いわさちちひろ画)の中の一文です。
 この絵本の中に書かれている子どもたちの詩に曲をつけて、他の文章と共に構成した音楽構成『わたしがちいさかったときに』を初演したのが、1981年8月15日、当時、月一回、地元東久留米で開いていたのんびりコンサートの特別企画「愛と平和と自由とPart4」でした。
 正直なところ作品は、まだ、未完成でした。20分間近くの構成で、途中に高校生のすずきなるみさんに朗読してもらったりしながら、自らも涙しながら歌ったのを記憶しています。
 
 その後、何回か演奏を重ねながら構成を少しずつ変更し、1987年に自主制作したカセット『生きて生きて生きて』の中に『わたしがちいさかったときに』を収録しました。
 
 1999年には戦後55年を記念して、自主制作CD『青空この街』を発表。その中にも玉木孝治編曲で新構成『わたしがちいさかったときに』を収録しました。
 そして、昨年、私の古希祝いのお礼として自主制作したCD『あの日から・・・大切なあなたへ』の中にシモシュ編曲で新構成『わたしがちいさかったときに』を収録しました。
 
 
 仲間たちとつながりあそび・うたで生まれてきたこと、生きていること、生きていくことを楽しんでほしいという活動と、そのためにも平和をつくる活動は、私のつながりあそび・うた活動の両輪です。その平和をつくる原点となった作品がこの『わたしがちいさかったときに』なのです。
 
 昨日までの愛知で開かれていた全国保育団体合同研究集会で、2日目の夜(4日)に開催地実行委員会自主企画として取り組まれた「ぴかゆずコンサート」の中でも『わたしがちいさかったときに』の中から「ぼくが時々町に出て行くと・・・」(中森敏夫文)「死んだ女の子」(ナジム・ヒクメット詩 中本信幸訳)「にんげんをかえせ」(峠三吉詩)を歌いました。特に「にんげんをかえせ」は会場のみなさんにも歌っていただきました。
 
 毎年、8月6日、私は『わたしがちいさかったときに』を聞いています。

 (追記)8月11日東久留米で開く「笑顔が笑顔をつれてくるコンサート(夏) へいわってすできだね(な)」で初演の構成でうたう予定です。



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2 コメント

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Unknown (松岡洋一)
2019-08-07 18:22:52
はじめまして。
場違いな投稿になることをお許し下さい。
抱っこ通信877号に登場する宮田剛さんとはお知り合いでしょうか。
実は宮田さんと連絡をとりたくネット検索していたらこちらのブログ『抱っこ通信』を拝見し投稿させていただいた次第です。
私は音大時代の後輩になります。もし可能であれば連絡していただきたいのです。
大変不躾で失礼極まりないお願いではありますがどうか宜しくお願い致します。
私の連絡先を記載しておきます。
proibita.8-2-07@docomo.ne.jp
松岡洋一
もし連絡が不可能であればこの投稿は削除していただいて構いません。
何卒宜しくお願い致します。
返信する
Unknown (松岡洋一)
2019-08-13 08:20:29
投稿から一週間経ちましたが連絡ありませんので諦めたいと思います。
本当に失礼な投稿で申し訳ありませんでした。
この投稿二件とも削除していただけると幸いです。
有難う御座いました。
最後にピカリン様の更なる御活躍を心からお祈り申し上げます。
返信する

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