つながりあそび・うた研究所二本松はじめ

二本松はじめ(ピカリン)の活動予定や活動報告、日頃、考えていることなどを書きます。研究所のお知らせも掲載します。

抱っこ通信818号  楽しいからこそ、時にはまじめに

2017年08月29日 | 抱っこ通信
21~22日とつながりあそび・うた研究所の2017年サマー・カレッジの反省会とご苦労さん会でした。会場は那須高原温泉。

昼間は春の会議に基づいて、サマー・カレッジを各地の実行委員会と一緒つくってきた中で、到達した点や足りなかった点など、個人としても研究所としてもたくさん話し合いが出来ました。

私は入院という思いがけない事態でしたが、ユズリン・まっちゃん・大吉つぁんの三人体制でのサマー・カレッジが、良い意味で今後のサマー・カレッジを考えた時、今年は貴重な体験になったのではないかと思っています。

三人の話を聞いていて、ユズリンには自称所長代行?としての緊張感、まっちゃんにはつながりあそびのエースとして責任感、大吉つぁんには講師デビューとして不安感が大きかったようです。
そして、チームつながりとしての大事なもう一人、中根さんには、ピカリンに代わって「つながり」の思いを語ってもらい好評だったとのこと。いつも支えられています。ありがとうです。

さらに各地の実行委員会の仲間たちがサマー・カレッジを楽しく豊かなものにするために、様々な問題や課題も抱えながらも奮闘している姿も報告されていました。ありがとうです。
姿を見せられなかった私に対するご心配、お見舞いも嬉しかったです。

参加者数、職種、地域、参加回数などの数字で目に見える点からと、各会場での楽しさや雰囲気など講師として感じた点や、全国各地でつながりあそび・うた現場(保育・教育等現場)から見えてきた様々の問題や課題も出されました。内容を深めるには時間が不十分でしたので次回の研究所会議で深めることにしました。

話し合いのまとめというか、反省点に基づいて、新年の研究所会議で話し合いを深め、全国サマー・カレッジ実行委員会代表者会議で、これからのサマー・カレッジについて提案していきたいと思います。


私自身は最後に二つの発言をしました。今回はサマー・カレッジにあまり参加出来ていなかったので、もっぱら聞き役にまわっていました。「寝ているの?」なんて言われながらもね。しっかり考えていましたよ。

このところの会議ではなしていることですが、一つは講師として、つながりあそび・うたを創造する側として、サマー・カレッジでのあそび・うた・おどりなどが現場で、保育・教育実践に役立っているのかを考えようということです。

国が求める子どもづくりへの管理保育(保育者自身が管理されつつある)や保育士が足りなくなるような保育情勢の中で、現場では保育士、先生が疲れ切ってしまう現実があり、そういう状況での研修会等が「癒しの場」「発散の場」などであってもよいのではないか、むしろ、そこも大事にしていかなくてはならないということをあげました。

サマー・カレッジでも、第一の願い(目標)に「子どもたちへ、の前に、まずは自分自身が楽しもう」があげられています。もう少し広い意味ですが・・・。ここをやはり第一に考えたいと思います。

保育現場では子どもたちと歌ったり、遊んだり、踊ったりの生活だけではないのですが、子どもたちを主人公に楽しい生活をつくっていくことが保育の大事な部分でもあり、そういう時にちゃんとサマー・カレッジでのつながりあそび・うたが楽しまれているかが問われているような気がしています。

それでも、先生だけがおもしろ、おかしく、だけでなく、子どもたちに寄り添った楽しさやおもしろさがあるのか、また、現場を生き生きさせる楽しさがあるのかが問われています。実際に、各サマー・カレッジでは、現場でのつながりあそび・うたの実践紹介がニュースになったり、壁に掲示されたりしていますので、確かに現場で実践されていることには間違えありません。

実践の中には、つながりあそび・うたとして新たらしいものもありますが、それぞれ息の長いものが多いと思います。私のつながりあそび・うたで言えば『だいこんづけ』とか『夢わかば』とか『ラララ・ラッセーラ』とか。

やはり現場で大事される、実践されるということは、何らかの思いというか、楽しさという
か、良さがあるのです。サマー・カレッジでの願いに二つ目ですが、つながりあそび・うた
には、作者のねがい、つながりの思いがこめられています。
つながりあそび・うたにあるその思いに、保育者の中に共感する何かがあり、子どもたちや
保育生活の中で輝きを放っているのです。

そういう現場で生かされる息の長いつながりあそび・うたをちゃんと創造できているかを今、考えなければと思います。

いつか、子どもたちがつながりあそび・うたを詠み人知らず知らずであそんでいたら、こんな嬉しいことはありません。ピカリン個人は有名にならなくても、スポットライトを浴びなくても、広がらなくてもいいのです。つながりあそび・うたが子どもたちの中で、保育の中で広がっていくことが大事であるし、いつも子どもたちに、保育者にスポットライトが当たっていてほしいのです。それが私の夢なんです。
いつか『手と手と手と』が全国津々浦々に広がったら、きっと時代も変わっているだろうな、なんて思っていたこともあります。もともと仲間のの結婚を祝う会でのお祝い歌なんですが。


二つ目は、サマー・カレッジが他の研修・講習会よりも優位な点でもあり、難しい点でもあるのですが、一緒にサマー・カレッジをつくっていくサマー・カレッジ実行委員会を、パートナーとして、仲間として、いろいろな面で対等平等でなければならないし、実行委員の個々に心を寄せていく必要があるのではないかということです。

今、つながりあそび・うたを自分の保育に生かすことはもちろんのこと、多くの子どもたちへ、保育仲間たちへ、地域の人たちへ「つながり」を広げる運動の柱の一つとして、サマー・カレッジ実行委員会が共に育つ、育てることが求められています。

サマー・カレッジの優位な点は、参加者自身が、学ぶ主体が主人公になってサマー・カレッジをつくるということです。多くの実行委員会では、今年のサマー・カレッジが終わるや否や、来年のサマー・カレッジ開催に向けての準備がすでに始まっています。

サマー・カレッジについて、研修内容、指導に関してはつながりあそび・うた研究所が担当し、準備・運営・経営は実行委員会が担当しているように見えます。
今後はサマー・カレッジ実行委員会に、つながりあそび・うたの創作も含め、研修の内容にも参加してもらうことと、準備・運営・経営についてもつながりあそび・うた研究所としてもっと参加していくが求められています。
そのための話し合いの必要性が、サマー・カレッジ30周年、40周年に向けて大事になっていると思います。

すでに現場では、保育時代につながりあそび・うたを楽しんだ子どもたちが保育士として働いています。全国つながり青年学習会も来年4年目を迎えます。現場を退いた後もつながり運動やサマー・カレッジに参加して仲間たちも増えてきました。つながりあそび・うたの確かな歩みが見えてきています。新しい時代にふさわしいつながりあそび・うたの、つながり運動の姿を考えていきたいです。


来週、大阪と東京で古希コンサートをつながりの仲間たちが開いてくれます。自分でも信じられないくらい早く年齢を重ねてきたのですね。古希といっても今という時代ではまだまだ駆け出しです。

つながりあそび・うた研究所、全レク(全日本レクリエーション・リーダー会議)さらに、その前の、自治体労働者としての社会教育時代や学生時代の地域の青年サークル時代から数えると、自覚的に働く人たちの中で活動・運動をしてから50年を越えています。長いような短いような・・・多くの先輩たちの歩みを継承しながら、多くの人に迷惑をかけながらですが、楽しい豊かな活動してきたなと思います。そこには、必ず、働く仲間たちの笑顔があったのです。

その仲間たち、今では子どもたちも含めて、人間らしい笑顔をさらに輝くようにといろいろ考え、実践していきたいです。
夢は果てしなく広がり、一緒に活動する仲間たちが希望となり、一緒に仲間を増やしながら行動する中で実現できるのです。サマー・カレッジもその一つです。その思いから二つの発言をしました。

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抱っこ通信817号  夢わかばTシャツでただいま

2017年08月28日 | 抱っこ通信
 27日は埼玉県三芳町でコピス・サマーフェスティバル2017。
午前中に親子「つながりあそび・うた」コンサートで、0歳児から小学生までの親子と久しぶりの『ニコニコ』『おなか』などで楽しくあそびました。
地元の幼稚園のあゆ先生に協力を頼んだら、4人の埼玉のつながり仲間を誘ってくれました。力強かったです。

 ピアノのみかりんとは、ずっと夏のつながり保育講座で一緒していますので安心してつながりあそびを楽しめます。
親子つながりあそびの伴奏って、というか、私のリードで伴奏するって結構難しいのです。
メロディーやコードは簡単ですが、子どもたちに合わせながらテンポやリズムが変わったり、途中でストップしたり、急に繰り返したりと目まぐるしく変化していくからです。
現場で実践していなければ大変だと思います。

 あっという間の1時間。
心配していた声もあそびでは最後まで出ました。
『夢わかば』だけは低音域をうたいましたが参加者も含めてみんながうたってくれました。
声の部分ではちょっぴり自信にもなりましたが、復帰後、初めての一人でのリードだったので緊張しっぱなしでした。疲れました。体力をつけなければ。

 コピスみよし(三芳町文化会館)には夢わかばの種から芽吹くまでの彫像がありました。
『夢わかば』を聞いてそのように見えたとK課長がおっしゃっていました




2017年最後のサマー・カレッジ

 19日はサマー・カレッジin埼玉。ユズリンと二人講師。
私にとっては3年ぶりの埼玉でしたので、2年前のサマー・カレッジで楽しんだ『デンデン音頭』から『うさぎがね』の手遊び、『だるまさんが』の絵本遊びから『だるまさんが大変身』のペプサートと踊りを楽しんだ後に大吉つぁんにバトンタッチしました。
後半は、『ぞうさんれっしゃ』に乗って『うさぎさん』と『カエル』と『キツネとタヌキ』も乗ってきてぴょんぴょん跳ねたり、化け比べをして遊びました。
1曲が手遊びになったり、運動遊びになったり、いろいろな楽しみ方をつくれると楽しいと提案しました。
久しぶりに『ネコの首』でグループごとに「勝手に遊んで!」もらい、最後は『ハッピーフレンズ』。
声も出て、あそびの流れで高い声も出ていました。やはり体を動かさなくてはね。

 ユズリンにとっては自身最後の2017年サマー・カレッジでしたので、期するものがあったのでしょうか。
それと同時に、まだ、体調が戻っていない私への気遣いでしょうか、張り切ってリードしていました。
つられて久しぶりに歌の伴奏もしました。


 20日はサマー・カレッジin山梨。まっちゃんと二人講師。
2年ぶりの山梨で、流れは埼玉とほぼ同じ。
『ぞうさんれっしゃ』に乗りながら、いろいろな動物が出てくるような、お話をつくりながらのつながりあそびの展開は懐かしいというか、やはり楽しいだけでなく、研修としてもたくさんのあそびを覚えていくには良いかなと改めて思いました。
なんとノーマイクであそんじゃいましたよ。

 サマー・カレッジ開催の2週間前に、参加者が思うように集まらず、講師への支払いも十分できない状況で、このまま開催しても良いものかの相談が実行委員会からありました。
もちろん、「あんまりお金のことは気にしないでやろう」と伝えました。
いま、「ただいま」「おかえり」と声を掛け合う場が地域に必要なんです。
そして、そういう場づくりをしている仲間がいる限り、私たちも一緒にやっていきたいと考えます。

 まっちゃんのリードを見て聞いていて、今年もよく勉強しているなと思いました。
合間のおしゃべりが保育の情勢を適切に捉え、現場での保育士さんたちの悩みや苦しみに寄り添っているなと感心しました。
まっちゃんの場合は机上の学習からの言葉だけはないのです。現場に入っていてこそ言葉です。
いつも刺激を受けています。


 この二日間で嬉しかったこと。
一つは、いろいろな面で、二人ともすでに私を追い越していることです。
これでいいのです。
これでなくてはならないんです。
もちろん、まだまだ追い越されていないところもありますけどね。
一人ひとりが違っているからつながりあそび・うた研究所が、つながりが、サマー・カレッジがおもしろいのですね。素敵なのです。

 もう一つは、2会場とも夢わかばのTシャツを着て参加出来たことです。
術後はVネックか、襟元、首回りがゆったりとしたシャツを着ていたのですが、私の本来のコスチューム夢わかばTシャツを着てあそんでも、傷跡が痛くなかったのです。
緩やかだけで全快に向かっていることが確かめられました。

 そして、実行委員だけでなく、参加してくれた仲間たちも、私の復帰を待っていてくれたことが伝わってきて嬉しかったです。
来年のサマー・カレッジが楽しみです。


 いよいよ今度の日曜日(9月3日)は大阪で古希コンサート。チケットは完売らしいです。
土曜日(土曜日)は東京で古希コンサートです。チケットがあります。


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抱っこ通信816号 念願かなったかわさきゆたかさん

2017年08月18日 | 抱っこ通信
9月3日、大阪旭区浄願寺さんでの古希コンサートにかわさきゆたかさんを迎えることができました。私のわがままを受け入れてくれたぬくぬくの仲間たちとかわさきさんに感謝です。

実は、彼の歌を聞いたことがないのです。1975年に出版された「民衆のうた」という雑誌に、私も参加していた奥多摩うたの里のオリジナル曲の一曲として、彼の『春一番』が紹介されていたのです。うたの里で聞いたかどうかは覚えていませんが、その時が川崎豊という名前を初めて知りました。

同じく「民衆のうた」のNo.12号(1977年)には、関西のフォーク、シンガーソングライターの仲間たちの集まりである民唄開拓舎について川崎ゆたかさん文責で「開拓舎は、過去5年間の『うたの宿』の総括の上に立ち、発展させ・・・基本的な活動である各地域におけるサークル、うたう会などの組織化にも精力的に取り組み、・・・学生中心の大フォー連やその他の民主団体と共に、大阪の文化的状況変革のため一致団結してがんばる決意です」と書かれています。嬉しいですね青年らしくてね。

当時、私も地域の青年たちのたまり場づくりを市の仕事(社会教育)としても、自分の活動としてもいろいろと展開していた時期でした。

1977年からは月一回喫茶店を借りてのんびりコンサートを開いていました。年一回以上はプロ、アマチャア問わずゲストを招いて特別コンサートを楽しんでいました。関西からはフォーク界の大御所であるすずききよしさんを初め、民唄開拓舎のメンバーであった中島光一さん、秋田克英さん、八木たかしさんらをお呼びしていましたから、いつかはかわさきゆたかさんの番と決めていたのです。

でも、いつの間にか、私自身がつながりあそびのプロとして全国をまわりはじめていて、ほとんど地元の活動がしなくなり、かわさきゆたかさんをゲストのコンサートを実現できていなかったのです。 蛇足ですが、この頃の私の活動をいつかまとめたいと考えています。

かわさきゆたかさんは高校生の時から唄づくり、演奏活動をはじめ、大阪で福祉施設に働きながら人間の生きざまを唄いつづけ、55才で退職後もホームコンサートを月一回開催し、地域のさまざまな場所で唄いつづけています。是非、彼のフェースブックやホームページを読んでほしいです。多彩な活動がわかりますよ。
つい最近の活動は毎月の?「九条の会西区」のうたう会でした。いまでも、民唄開拓舎での精神で活動しているのですね。頭が下がります。

というわけで、古希コンサートですが、私のわがままでもあり、私の希望でかわさきゆたかさんの唄が聞けるのです。多くの人たちにも聞いてほしいのです。待っています。








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抱っこ通信815号 古希コンサート待ってます

2017年08月13日 | 抱っこ通信
9月3日(日)午後1時から、大阪市旭区の浄願寺さんで、ぬくぬくつながりの会の仲間たちが主催して、京都、神戸のサマー・カレッジ実行委員会の仲間たちが後援、協力する『二本松はじめさんの古希をお祝いするコンサート』を開いてくれます。

9月9日(土)午後5時30分から、荒川区のムーヴ町屋ホールでつながり楽集会ちば・神奈川・東京の仲間たちが『古希コンサート ありがとう 生きてきました 生かされてきました』を開いてくれます。


10年前の『ピカリン還暦お祝いコンサート あか~(る)いコンサート ~君からもらった宝物~』(2007年9月8日 北千住シアター1010)から10年もたったのですね。信じられないくらい早くときが流れて行きました。

還暦コンサートでは次のようなメッセージをプログラムに記しました。

「あか~(る)いコンサートにご参加いただきましてありがとうございました。還暦という私事に、仲間のみなさんがニコニコ顔を見せていただき、改めて生まれてきて、生きてきて良かったと感謝しています。

『流す涙は誰のため、流す汗は何のため』と問い続け、『少しだけ ほんの少しだけ』みんなが人間らしく幸せに生きられる社会をめざして、自分なりにがんばってきたつもりの60年間でした。

いつも私のまわりにはたくさんの仲間たちがいました。『手と手と手と』をつないでこなければ生きてこられませんでした。仲間の中でこそ私が私らしく輝き、生かされてきたのですね。ありがとう!

これからも明日・未来・自分・仲間を信じて、つないで、たたかって、生きる楽しさを奪うものに立ち向かいながら『生きて生きて生きて』行きます。よろしくお願いいたします。」

メッセージに記した通りの生き方をしてきたかが問われる古希コンサートですね。

還暦コンサートに来てくれた親父も姉もすでに亡くなっています。自分の残されている時間もそろそろ見え隠れしています。
それだからこそ、と言うわけではなく、人間が生きているということが素晴らしく、楽しいものだということを広げることと、その楽しさを多くの子どもたちと人々から奪うものに「楽しい」を広げることでたたかって生きていきます、が届けられる古希コンサートにできたらと思っています。楽しみに。


プログラムの詳細はどちらも決まっていませんが、一つは私の体調面、特に歌える声が戻っているかが心配ということと、もう一つは、特に大阪でですが、私のわがままを聞いてもらうプログラムにしたい思っています。

大阪の一部は、現役の保育士でサマー・カレッジや東京での夏のつながり保育講座にも参加してくれて、最近はライブにも出演するどらみちゃん(かたやまふうさん)の出演と、1975年の全国うたの里以来、気になっていたシンガーソングライターかわさきゆたかさんに出演をお願いしました。かわさきゆたかさんについては後日、紹介しますが、今はフェースブック友だちで、彼の人生を楽しむ姿、もちろん、その根っこにはたたかう姿がありますが、とても魅力的で歌を聞いてみたくなったのです。

そして、大阪です。まっちゃんにも是非、歌ってほしいし、もちろん、ぬくぬく本舗のお笑いもあります

二部は、シモシュ、まどかまるこさんにも加わってもらい、平和コンサートで取りあげる歌だけでなく、かなり即興的にやわらかい歌もと思っています。


東京では、ユズリン、まっちゃん、大吉つぁんのつながりあそび・うた研究所とつながりの仲間たちの「お祝いします!輝かせます!」のステージと、シモシュ、まどかまるこさんも加わっての「生きているって楽しいな」ステージを予定しています。


10年前と大きく違うところは、古希コンサートを取り組んでくれる仲間たちの忙しさです。保育現場が大きく変えられて来ています。もう一つはそれぞれが10年も年齢を重ねて家庭でも職場でも地域でも、それぞれでのポジションの責任の大きさが変わってきていることです。そのなかでの古希コンサートの取り組みです。ありがとうの一言です。
多くのみなさんの参加で、参加者のみなさんの交流と、元気になって明日へ迎えられる楽しい古希コンサートにしたいと思っています。




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抱っこ通信814号 おかえり、ただいま

2017年08月08日 | 抱っこ通信
第49回全国保育団体合同研究集会(埼玉)に3日間参加して来ました。今年、特に感じたのは子どもたちへ平和な未来を手渡したいという保育者、保護者の思いでした。最終日の地元企画も素敵でしたが、いろいろな場面での発言にも憲法を守ろう、平和でなければ子どもは遊べない、育たないというものが多かったです。それだけ安倍政権の憲法九条改悪、戦争ができる国づくり路線に危機感を持っているのですね。

現実に平和を守る、未来をつくる「人になる」 「人として育つ」ということが保育現場や子育ての中で奪われているように思います。子どもたちだけではありません。保護者も保育者もです。

そのような現実の中でも、目の前にいる一人ひとりの子どもに寄り添いながら、子どもたちと一緒に泣いたり笑ったり怒ったりしながら「人として育ちあう」実践がたくさん討議、交流されたと思います。

仲間たちにとっては合研は「ただいま」と戻ってこられる場です。そして、「おかえり」と迎えあえる仲間がいる場です。今年も楽しめました。学べました。


今回「ただいま」「おかえり」の言葉では、文化企画でのまっちゃんとのリハーサルの時から、一緒にコンサートをつくるつながりの仲間たち一人ひとりから「おかえりなさい」と言ってもらえました。
リハーサルは9時からだったんですよね。本番は15時50分からなのに、朝早く家を出発してくれたり、前泊してくれたりしてリハーサルに参加してくれました。

こんな私でも、みんな待っていてくれたんですね、ほんとうに嬉しかったです。オープニングの埼玉の仲間たちの秩父屋台ばやしを客席で聞きながら、いつの間にか「おかえりなさい」「ただいま」がぐるぐるして涙している自分がいました。ほんとうにありがとうです。

コンサートではまっちゃんをはじめ、つながり仲間たちにおんぶに抱っこでした。ステージのみんなが楽しんで歌って踊ってくれたから、とても賑やかな和やかな時間をつくることができました。二日目の学習、交流に少しは役に立ったかな。

私は声がまともに出ませんでしたから『九ちゃん音頭』だけはなんとか頑張りましたが、きっと、会場のみなさんには歌詞がちゃんと届いていなかったのでは思います。おしゃべりもね。

それでも今日、合研に参加した熊本県球磨郡山江村の保育者から『九ちゃん音頭』の収録されているCDの注文がありました。「今、とっても大事です。広めなくては」ということでした。伝わっていたのかなと嬉しくなりました。歌詞集と振り付けイラストも同封しました。

さらにステージ最後にサプライズがありました。いつの間に集めてくれたのか、仲間たちの「おかえりなさい」メッセージのパネルをプレゼントしてくれました。一人ひとりのメッセージを読むとまたしても涙、涙です。術後、涙もろくなったのかなあ。
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抱っこ通信813号 ただいま

2017年08月01日 | 抱っこ通信
8月に入りました。
超久しぶりの抱っこ通信です。
前号は6月20日付で、「休む前にあなたへ伝言」ということで、「自由」について書きました。読んでいただけたでしょうか。

6月22日に甲状腺癌の手術をしました。癌はすでにステージ4まで進行していました。
2月ごろから声が出づらくなって、3月に病院に行って初めて癌とわかりました。
数年前からというか、もう20年も前から自覚していたしこりが大きくなっていたのですね。
なんだかんだで21日入院、22日手術ということを決めました。

手術をするからには病院と医師にすべて信頼するしかありません。
自分のやれることは医師や看護師さんから言われたことを守るだけです。

甲状腺癌の手術は6~7時間が普通だそうですが、私の場合は12時間かかってしまいました。
大変でした。と言っても私は寝ているだけでしたが。
事前の話し合いでの中で、仕事、活動柄、声帯と大きな声を出したり、高い声を出す声を出すので、それらに関連した神経、筋肉等については細心の注意をしてくれるということで、きっと丁寧に手術をしてくれたのだと思います。気管切開は止むをえない処置だったのでしょう。

入院から1週間は点滴から管で直接胃に送る経管栄養に変わり、2週間目から、三分粥、五分粥、全粥となって、普通食が食べられるようになったら退院です。ちょうど2週間で退院できました。入院後半は普通の生活はできていましたからね。

入院中は新聞2紙と文庫本を読むこととラジオとテレビの生活で、時々、病院内探索。何も考えずもっぱら静養です。
退院しても22時就寝、5時起床の生活を守っていますよ。

気管切開していますから、抜糸を終えてから普通のおしゃべりがOKになり、新聞記事を音読したりしていますが、やはり、人とのおしゃべりが一番です。
東京サマカレで仲間たちとおしゃべりしたりする中で、朝より夕方、あそびのリードの前より後の方が声は出やすくなりました。
きっと聞いてくれる人たちにもだんだん聞きやすくなっていったと思います。まだまだだけどね。
そろそろギター伴奏で歌の練習もしたいと考えています。古希コンサートには間に合いそうです。

入院中にもいろいろな発見がありました。
最大の喜びは、からだ中につながっているいろいろな管(チューブ)が一日ごとに外れていくのです。
そのたびに動ける範囲が広がってきて、からだだけでなく心も「自由」になっていくことでした。
少しずつ人間らしくなっていく気がしました。
とても貴重な体験で、「自由」について再確認しました。

福井サマカレで復帰予定が1週間遅れてしまいましたが、東京サマカレもつながりあそび・うた研究所のユズリン、まっちゃん、大吉つぁん、そして実行委員のつながり楽集会関東の仲間たちと参加してくれた仲間たちに支えながら、ちょっぴり自分の役割を担うことができました。
自分って、人間って「ひとりじゃないさ」を実感しました。
また、病後の回復にも自信をもつことも少しできました。ほんとうに感謝です。


多くの仲間たちにご心配をおかけしました。お見舞いのメール、フェースブックもありがとうです。
入院中は声が出なかったので電話は失礼させていただきました。申し訳ございません。

今週末は合研、そして、埼玉と山梨でサマカレ、9月3日大阪で、9月9日東京での古希コンサートに続きます。さ、楽しもう。


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