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つながりあそび・うた研究所二本松はじめ

二本松はじめ(ピカリン)の活動予定や活動報告、日頃、考えていることなどを書きます。研究所のお知らせも掲載します。

抱っこ通信1290号 つながりあそび・うた研究所風の便り2月号 つながりあそびから

2025年02月02日 | 抱っこ通信
つながりあそびから

もう2月です。
いつ頃から時間が通り過ぎるのが早くなっています。
つながりあそびで忙しい時も時間は確かに早く通り過ぎていたと思うのですが。
確かに時間が足りなく感じるくらいね。
でも、今の時間の速さは違うのです。
ほとんど何もしていないのに、です。
自分の好きなことをしようと思えばできるのですが、何もしていない?

やはり自分がやりたいのは、好きなのは
子どもたちと、仲間たちとのつながりあそび・うた活動なのです。
それが確かめられている時間なのですね。

いま、やろうと思っているのが、
つながりあそびを遊ぶ中で発見したことや
子どもたちや仲間たちから教えられたことを文章化することです。

つながりあそび・うたをつくる時やつくった時は、
「楽しいもの」「ただ楽しいもの」「楽しさが楽しさを呼ぶもの」
「子どもたちが喜ぶもの」「仲間たちがからだも心も解放されるもの」などを考えてというか、たまたまできちゃったということの方が多いのです。
でも、遊んでいる時や遊んだ後に気がつくというか、子どもたちの姿や仲間たちの感想などに「つながりあそび」を、「つながりあそびの楽しさ」を発見することや教えられることが多いのです。その繰り返しだったのか?
サマー・カレッジやつながりあそび研修会などで私がおしゃべりしていることは、その子どもたちや仲間たちから教えてもらったことに過ぎないのです。
だから、その感謝の意味でも「文章化」したいのです。

宿題としてやらなければということではなく、
自分が自分でいられたことを感謝したいのです。
自分が楽しみにしていることです。
みなさんも楽しみにしていてください。
抱っこ通信に綴っていきます。

夢わかばコンサート
楽しみと言えば、3月の夢わかばコンサートです。
毎年、東日本大震災を忘れないために続けてきました。
今年は第15弾として、ゲストにまっちゃん(町田浩志)を迎えます。
夢わかばコンサートは2回目になるのかな。
「いきてゆこう」をテーマにどんなステージを見せてくれるか、聞かせてくれるか楽しみです。
全レク一座は、ユーチューブで見られるミュージックビデオになっている
『瓦礫の街』などを歌ってくれます。
私も歌いますよ。
いまからスケジュールを空けておいてください。
3月9日(日)午後1時30分開演
会場 成美教育文化会館

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抱っこ通信1290号(2025.1.18) 阪神・淡路大震災から30年

2025年01月18日 | 抱っこ通信
 1995年1月17日の阪神・淡路大震災にはほんとうにビックリしました。その10日前に淡路島の保育士さんとつながりあそび・うたの研修会を開いていたこともあり、また、サマー・カレッジin神戸に参加した仲間たちや保育園の子どもたちのことが心配でした。なにもできない自分が悲しかったです。

 1月31日付のつながりあそび・うた研究所機関紙『手と手と手と』第18号には、テレビのニュース等で知った「遊ぶ子どもたち」の姿を通して、子どもたちに安心の世界と自分の存在を示せる場所をと感想を綴りました。
そして、5月には、淡路島の保育士さんを通して知り合えた全日本教職員組合(全教)の組合員の先生たちから依頼を受けて、淡路島でつながりあそびのボランティア活動をしました。その感想を7月9日付の『手と手と手と』第22号に掲載してありますので転載します。あれから30年、それぞれがそれぞれの「前」に進めているでしょうか。


震災復興コンサートで得たもの
心の中に春のつぼみを

 「子どもたちに夢と希望と元気を…つながりあそびの二本松はじめさん震災復興コンサート…」
 全教・淡路教職員組合の先生たちが震災復興の第2弾として、被害の大きい北淡町と一宮町を中心に「被災した子どもたちが少しでも早く元気をとりもどし、震災の心の傷を早く癒やしてほしいと願って」コンサートを計画、5校の小学校と一つの保育園でコンサートが実現しました。5月中旬のことです。
 今、教育現場では教育課程の精選の名のもとに行事の切り捨てが強行されており、しかも、淡路教組はすべての組合が一人分会である、という現実の中での取り組みです。実際、このつながりあそびコンサートの取り組みは、そんなに簡単には進まなかったようです。
 「最悪の場合、自分のクラスだけでも」、との不安と期待が交差する中での取り組みです。しかし、それぞれの学校での取り組みは数多くのドラマを生みました。それだけでも、私が「行って良かった」ようです。反対に、私自身が先生たちから「とにかく足を踏み出すこと」の大切さを学び、「勇気」と「本気」をもらってきたのです。
 そして、子どもたちからも多くのことをもらってきました。本音を言うと、子どもたちは震災に打ちのめされて、あそびやうたどころではないのでは…、もしかしたら、ぜんぜんノッテこないのでは…、と少々心配していたのです。
 でも、子どもたちはそんな心配を吹き飛ばしてくれ、本当に楽しく元気にあそびあい,笑いあっていました。もちろん、心の深部まで伺うことはできませんでしたが…。
 子どもって変わり身が早いのですね。良いも悪いも、現状には満足できないのですね。そして、なによりも前向きなのですね。どんな時だって、心の中に、春のつぼみをいっぱい持っているのですね。子どもたちからは「人間のしたたかさ」や「人間のしなやかさ」をもらってきたようです。
 「先生と会えてよかったです。つながりゲームっていうのは、手のつながりと心のつながりっていういみなんだね」(井高恵梨香 北淡町立室津小学校3年)


 阪神・淡路大震災でもう一つ思い出すのは、2000年に神奈川で開かれた全国合研(全国保育団体合同研究集会)での閉会集会で、翌年の33回開催地兵庫の保育仲間たちが『春よこい』を歌ってくれたことです。♬ひとつふたつ ゆびおって 春よこいこい 早く来い♬と。翌年の全国合研プレ企画(オルグ)で兵庫県内をまわった時にも各地で歌いました。
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抱っこ通信1289号(2025.1.11) わっせわっせ

2025年01月11日 | 抱っこ通信
80年代初めの頃まで、全レク(全日本レクリエーション・リーダー会議)の2泊3日のレクリエーション学校は、群馬県水上町湯の小屋にあった葉留日野山荘でよく開かれていました。春のレク学校、キャンピング学校、雪のレク学校、中級レク学校、バスレク等々。山荘は廃校になった少学校分校を改築して宿泊施設としていました。浴室は温泉。寝室は2段ベットが4台。談話室も。食堂は元体育館、と言っても分校でしたから、かなり狭いです。
この食堂が主に研修会場です。朝食、昼食、夕食が終われば机やイスを廊下に出して研修する会場に変わります。一応、食事の準備は班(グループ)活動だったと思うのですが、机、イス等の出し入れは、みんなでわっせわっせやっていたように記憶しています。

このわっせわっせの時間が、レクリエーション学校では良いアクセントにもなって、また、大事な時間になっていたと思います。学び、遊ぶ主体は参加者一人ひとり、その一人ひとりがつながってみんなでつくるのがレクリエーション学校です。研修の時間だけでなく、生活そのものも本人が意識するとしないとに関わらず、主人公になっていくということにつながっていたのですね。もちろん、最初からその時間(仕事)を意識してレクリエーション学校のプログラミングに入れていたわけではなかったです。そうせざるを得ない会場の制約もあったのです。そこはみんなで力を合わせてやる、ということを誰にも分っていたのでしょうね。いまはどうなんでしょうか。

夜10時過ぎは、この食堂が交流会会場。よく飲んで、食べて、歌って、踊って、おしゃべりしていました。語り合う、議論し合うもあったかな。2泊3日のレク学校ですから1泊目より2泊目は、からだも心も解放されて、それはそれは楽しかったです。私も午前様は当たり前の若い若い頃でした。いろいろ仲間たちから学びました。さすが、何年後からかな?0時を回ると山荘後ろのメアリーさん?から苦情もいただいたこともありましたっけ。反省。

そういえば、春のレクリエーション学校会場はその後、葉留日野山荘から千葉県岩井海岸の民宿に変わったのですが、そこでも食事会場が研修会場。わっせわっせの時間がありました。

時々、机やイスを片付けなければ実技研修ができないような会場での依頼を受ける時ありますが、その時は、参加者が集まってからみんなで会場準備をしましょうと担当者に話しますが・・・。

写真は1975年の全レク準備会当時のレク―リーダー学校。事務局の大竹さんと私。黒板が懐かしい。


写真は1979年春のレクリエーション学校で葉留日野山荘の玄関が見えます。2日目の午前・午後は野外活動。近くの上の原高原へのハイキング実習。観天望気や地図の読み方や野外料理なども、高原では水芭蕉が咲いていました。講師は草一平さん

10数年前につながり楽集会・東京の仲間たちと葉留日野山荘へ、当時の玄関です。その下は、79年春レクの朝のつどいで「タタロチカ」を踊っています。元校庭です。


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抱っこ通信1288号(2025.1.7) 蟻さんたちのように群がって

2025年01月07日 | 抱っこ通信
昨年末の敦賀市での保育のうたごえサークル『まつぼっくり』のコンサートは、外はみぞれ模様でしたが、客席いっぱいのうたごえの仲間や保育の仲間や地域の仲間たちに見守られて、とても心温まるコンサートとなりました。ともかく、まつぼっくりをはじめ、とても真面目で真摯な演奏に、これまた、真面目なみなさんが惹き込まれていました。

このコンサートで私が印象に残ったことです。演奏ではなく申し訳ないですが、嬉しかったというか、懐かしかったことです。
コンサート終了後の片付けの時間に、コンサートに参加していた仲間たちが、ピアノに蟻さんたちのように群がって、舞台から、幼稚園ホールの定位置に移動させる光景を見たときに、なんだか胸が熱くなりました。
コンサート開始前のピアノ移動の時は、数人で、ピアノの脚下にダンボールを引き、リーダーの掛け声よろしく、床を傷つけないようにそろりそろりと移動させていたのです。ピアノの移動キャスターが会場にはなかったのです。その光景に出くわしていますから、余計に蟻さんたちがお菓子?に四方八方から群がっているように、10数人位はいたのでしょうか、みんなでピアノを持ち上げて移動させている光景は印象的でした。最近では、会場によっては危険が伴ったりしますから、移動キャスターがあって、素人さんには移動させなくなっているようですので、久しぶりに見た光景でした。

きっと、コンサートに参加して楽しかったからでしょうね。心があったまったのでしょうね。この光景を見るだけで、まつぼっくりの30年間、仲間たちの中で育ってきたうたごえだったことが伝わってきました。

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抱っこ通信1287号(2025.1.6)風の便り1月号 子どもたちの願い

2025年01月06日 | 抱っこ通信
つながりあそび・うた研究所風の便り2025年1月号
     子どもたちの願い
                         二本松はじめ

「子どもたちから『私たちってなんのために生きているの?』なんて、素朴な疑問を発せられたら困惑してしまう大人は多いことでしょう。そういう私も困る一人ですが、私の場合は答えを決めてあります。それも単純明快に。『しあわせになるため』と答えます。『じゃあ、しあわせってなに? どんなこと?』とたたみこんでくるかも知れません。そうしたら『そのしあわせってよくわからないから、そのしあわせを見つけるために生きているんだよ』と答えます。そして一声加えます「お前たち(子どもたち)が生まれてきてくれただけでもしあわせだよ」っと。子どもたちは照れくささを隠すようにさらに突っ込んできます。『どうして?』。子どもたちは親や先生たちの苦労を知っているからです。『だってお前たちがお父さんに、親にしてくれたんだから。ほんとうにありがとう』と言ってあげます。この話はわが娘との15年前の会話が元になっています。
 誰でもがしあわせになるために生まれてきたのです。しあわせになるためにみんな精いっぱい生きているのです。子どもを育てる意味もそこにあるのです。そのためにも子どもを育てるだけなく、子どもに育ててもらいましょう。親として、先生として、人間として共育ち合い、育て合うことが大切なのです。(略)」
これは今から20年前に出版されたつながりあそび・うたシリーズ『遊園地につれてって』の巻頭文です。

今までもサマー・カレッジ等のレジュメには「人は幸せになるため、人を幸せにするために生まれてきた」と書いてきました。

2025年、新しい一年を迎えて、いま一度、この文章を、言葉を思い出しています。戦後80年、被爆80年。阪神淡路大震災30年。昭和100年等々、今年は節目の年といろいろ各方面から言われています。
でも、どうでしょう。ウクライナでは、ガザ地区では、シリアでは、アフリカやアジアでは・・・。いのちを奪われ、家族を奪われ、暮らしを奪われ、日常を奪われています。
日本でも、戦後すぐの話ですが、給食のパンを兄弟姉妹のために持って帰る子どもたちがいたことをニュースで知っていましたが、いまでも給食でしかおなかを膨らませることが出来ない子どもなど、絶えずおなかをすかしている子どもたちがいることも知っています。貧困のために食べることさえ奪われている子どもたち、格差と見えない競争と貧困の中で、未来図を描けない子どもたちがたくさんいる現実があります。

いま、子どもたちから「なんのために生まれてきたの?」「なんのために生きているの?」「しあわせってなに?」等の問いかけに、なんて答えたらよいのでしょうか。その答えを見つけるために、今年もつながりあそびの活動、運動に参加していきたいです。

今年も、私たちが東日本大震災を忘れないため、憲法九条を守り平和をつくるための夢わかばコンサート第15弾を開きます。ゲストはまっちゃんです。多くの仲間たちの参加をお待ちしています。



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抱っこ通信1278号 遊んじゃった、遊べちゃった

2024年05月15日 | 抱っこ通信
 今日(5月15日)は板橋区教育会児童文化部研修会でしたが、急遽、特別支援教育部も加わり50数名の参加者でつながりあそびを楽しみました。児童文化部とは20数年のお付き合いです。毎年、何をやるかを考えてしまいますが、参加してくれた先生たちが「あ~あ楽しかった」と思え、子どもたちと「遊ぼう」と思っていただければとプログラムを考えます。その前に、講師としての自分自身が楽しんでしまうことが大事ですね。

 さて、研修会は久しぶりに『ひとりじゃないさ』からスタートし、これまた久しぶりの『ドレミの歌』手遊びVerと『ドレミの歌』スタンドアップVer。歌は誰でも知っていますが、手遊びVerを子どもたちと楽しむためには、先生は「練習しなければね」と。子どもから憧れるくらい早く手遊びが楽しめたら素敵です。もちろん、子どもたちに求めることではないですが。
 スタンドアップVerをみんなでうまくできたら「ヤッター!」感が広がることを保証しました。最初からはうまくいきませんが、だんだんに、少しずつうまくなっていくというか、ひとりひとりが変わっていくことが、そしてみんなでやっていくこと、やり切っていくことが楽しいということが広がることは保証できます。残念ながらその時間が、今の学校現場にはないのですね。
 次も久しぶりに『リズムアンサンブル』。3リズムと「ハイ」Verを楽しみましたが、もう少しみんなで聞き合うことを要求した方が良かったと反省。ちょっと中途半端でした。予定になかった『袋の中にかくれんぼ』も、前年に同じような「あってこあそび」を楽しみましたが、楽しむ中で、子どもに寄り添うこと、先生が子どもに近づくことの意味を実感してもらうには中途半端に終わってしまった。反省。

 後半はイスから離れて『ジャンケン集合』『5(ファイブ)・5・5』『誕生月集合』。せっかく初めで会う人もいますから、誕生月ごとで自己紹介。次は『でんしゃにのってゴーゴーゴー!』『動物園に行こう』(集合あそび)『無人島』(3人グループ)で、からだを動かすことが楽しいを経験しました。からだを動かす楽しさが少しずつ広がっていくことが、遊びながら話し合うというか、作戦会議というか、相談し合うというか、呼びかけ合うというか、目線でおしゃべりするというのか、だんだんお互いに思いを出し合い、交流するようになり、そういう和やかな雰囲気が広がっていく中に伝わってきました。

 最後は『無人島』でのグループで『まあるくなれる』の創作ごっこと3グループごとの発表会でした。最後の最後に、特別支援教育部?から出されていた『手と手と手と』を歌って終わりました。先生たちの集まって来た時と終わりの時の表情が全く別人だったことが嬉しかったです。
 いろいろな感想をいただきました。「からだ(心)が前に出て、つながりあうこと」「今日まで知らないもの同士がいつのまにか遊んでいる。そんな自分を発見してびっくり」「今日の楽しさは今の学校にはなくなっている。最初にこういう時間が奪われているのでは」「子どもを教育することを生成AI等に奪われないための最後の砦、子どもと育ちあう最後の砦として授業を、教室を、学校をつくってほしいとの話しの『最後の砦』という言葉が沁みました」等々。

 
『まあわるくなれる』創作ごっこの作品です。
♬ご飯食べたら笑っちゃう 今日はカレーだ笑っちゃう 明日もカレーがいいけれど 毎日カレーじゃ笑っちゃう 心がまあるくまるくなれる♬

♬嬉しい時は笑っちゃう 思わず顔がにやけちゃう
 みんなにわければ最高 スクラム組んで幸せだ 心がまあるくまるくなれる♬

♬褒められたときは笑っちゃう 嬉しくなって笑っちゃう
 先生が笑えばみんなも 笑顔になって笑っちゃう 心がまあるくまるくなれる♬

♬お腹がいっぱい眠っちゃう おもわずいびきがグーグーグー
 お外で遊ぼうみんなで いっしょに遊ぶと楽しいな 心がまあるくまるくなれる♬

♬美味しい時はまた食べちゃう 思わずからだが欲しちゃう
 ひとりすすめればみんなが 美味しい美味しいまた食べる

♬100点採ったら笑っちゃう 0点採っても笑っちゃう
 クラスのみんながわかれば 笑顔が広がり笑っちゃう 心がまあるくまるくなれる♬

♬喧嘩をしたとき怒っちゃう プリプリプリプリ怒っちゃう
 仲直りしたら笑っちゃう 気分も晴れて笑っちゃう 心がまあるくまるくなれる♬

♬テレビを見てると笑ったちゃう 思わず大きく笑っちゃう
 みんなが笑うとつられちゃう みんなが笑うと楽しい 心がまあるくまるくなれる♬

♬嬉しい時は笑っちゃう 手をつないだら笑っちゃう みんなでつないで輪になれば みんなキラキラ笑っちゃう 心がまあるくまるくなれる♬

♬頑張りすぎると疲れちゃう 土曜授業が疲れちゃう しっかり休めばからだが
 リフレッシュされて頑張れる 心がまあるくまるくなれる♬

♬喧嘩をしたとき泣いちゃう 思わず涙があふれちゃう
 ごめんね言えたら仲直り みんなと楽しく遊べちゃう 心がまあるくまるくなれる♬

♬疲れたときには眠っちゃう 夜更かししすぎて眠くなる
 早く寝れればスッキリだ 歯磨きするのを忘れるな 心がまあるくまるくなれる♬

♬山に行ったら叫んじゃう 思わずみんなでヤッホー
 ひとりが叫んだヤッホー 心を一つにヤッホー 心がまあるくまるくなれる♬

♬苦しい時には黙っちゃう 下ばかり見て黙っちゃう
 上を見つめて歩いたら 明るい空が広がってる 心がまあるくまるくなれる♬

♬発見したとき笑っちゃう もっと見たくて笑っちゃう
 探検しようよみんなで みんなで見つけて笑っちゃう 心がまあるくまるくなれる♬


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抱っこ通信1277号 みんなでつくった♬まあるくなれる♬(奈良レク報告)

2024年04月30日 | 抱っこ通信
第29回奈良レクリエーション学校が4月21日開かれました。奈良教育大学付属小学校体育館をお借りして、みんなでつながりあそびを楽しんで、現場の子どもたちの笑顔を想像しながらからだと心をおもいきり弾ませました。今回は一人講師で3時間という研修という最近にはない依頼でしたので、どう構成していくかを考えてしまいました。

テーマは「共歓から共感へ~つながりあそびを子どもたちと楽しもう~」。まず、参加者自身が楽しむこと。その楽しさは自分と参加者、みんなでつくりだしていること。その楽しさを子どもたちと楽しもうと思えること。などなど、ただ、与えるだけでなく、子どもたちと楽しさを一緒につくりだすことを経験できればと考えました。今回は私のミスで自分の好きな絵本を持参しての「絵本自慢大会」の準備ができなかったので、新曲の「まあるくなれる」の創作ごっこを楽しんでみました。

3部構成の1部は、その場で座っての『元気いっぱい』から『だるまさんの』あてっこあそび。子どもの側に立つとはどういうことをあそびで経験。手遊び『グッパー』と『ぐるぐるぐるぐる』のガッシーンの前に『グッパー』だけを楽しむためにリーダーになって実践。遊べるための準備のあそびも大事なんです。1部最後は『動物園に行こうよ』。80年代には『猛獣狩りに行こうよ』なんて言う名前で遊んでいましたが、♬ヤリだってもってるもん 鉄砲だって持ってるもん♬だけじゃ怖いので、♬友だちだっているもん♬と近くの人と手つなぎを入れてはいたものの、「猛獣」でいいのだろうかと。社会が変わっていく大きな原動力に文化が変わっていきます。それにふさわしいあそびやネーミングがあるはずです。

2部は動き回って『ぞうさんれっしゃ』『無人島』『ダルビュッシュ』『おいらカエルやめる』で1時間。遊び方を時代に合わせてというか、少し先の子どもたちに相応しいあそびにつくりかえていくことが大事です。

3部は創作ごっこで、小グループに分かれて、まず、最初は創作ごっこの準備のあそびとして絵本『だるまさん』シリーズのように助詞を変えるだけで新しい『だるまさん』シリーズをつくってしまうという創作ごっこを楽しみました。時間があれば絵も描いてもらいますが、今回は言葉遊びだけでした。
発表された例では、「が」を使って、「だるまさんがはしった だるまさんがたべた だるまさんがすべった だるまさんがうたった」や、助詞を一回一回換えての「だるまさんがジャンプ だるまさんのあっかんべー だるまさんとあくしゅ だるまさんにコチョコチョ」などそれぞれ創作して発表してもらいました。

 いよいよ『まあるくなれる』の創作ごっこです。まずは歌を覚えますが、リードする私自身が、まだちゃんと歌えなくて・・・譜面通りに(私が作ったはずなのに)。そして、歌う高さ、キーも下げて・・・。なんとか参加者のみなさんに助けられました。見本は♬楽しい時は♬でしたが、いま、感情を言葉にするとか、行動にするとか難しくなっているようですし、まして感情を交流する、ぶっつけ合うなんていうことが難しくなっているようなので、楽しい時以外、例えば、嬉しい時とか、悲しい時とか、なんでもOkにして歌詞の創作ごっこ進め、それぞれ出来上がったグループごとに歌って発表してもらいました。
出来上がった(発表された)歌詞を紹介します。

♬おなかがすいたら おこっちゃう おもわずおなかがグーグーグー
 きゅうしょくたべよう みんんあで みんなでたべるとたのしいな
 こころがまあるく まあるくなれる♬

♬うれしいときはおどっちゃう ゆらゆらふりふりおどっちゃう
 てとてとをつないでわになって くるくるみんなでおどっちゃう
 こころがまあるく まあるくなれる♬

♬たのしいときはテンションあがる おもわずからだがとびはねる
 ひとりがはねればみんなも あっちでこっちでとびはねる
 こころがまあるく まあるくなれる♬

♬うれしいときはにっこにこ おもわずえがおでにっこにこ
 にこにこえがおがみんなへ しあわせいっぱいにっこにこ
 こころがまあるく まあるくなれる♬

♬さみしいときはしずんじゃう だれかにハグしてもらいたい
 やさしいこころがつたわれば なみだもえがおにかわっちゃう
 こころがまあるく まあるくなれる♬

創作ごっこがもっとワイワイガヤガヤと賑やかになることを想像していたというか、期待してのですが、シーン・・・。みんなで真剣に取り組んでいたようです。

奈良レクの会場である奈良教育大学付属小学校の先生も毎年参加してくれます。小学校では「子どもたちが主人公の学校」「子どもたちとつくる授業」などを大事にしてきたそうです。つながりあそびも「あそびに子どもを合わせるのではなく、子どもにあそびを合わせる」「楽しさを子どもたちとつくる」ことを大事にしてきました。奈良レクの楽しさの中にその実感があるからこそ奈良レクに先生たちが参加してくれていたのですね。今、与えられる側だけでなく生みだす側、伝える側、分かち合える側に立つということを大事にしたいです。
来年の奈良レクは30回記念です。みんなで盛りあげよう、楽しもう。


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抱っこ通信1276号(2024.4.1) 念願かなった「いわき雑魚塾」

2024年04月01日 | 抱っこ通信
3月24日の夢わかばコンサート第14弾の取り組みは、自分なりによく頑張ったと思います。いわき雑魚塾のステージを聴くことと、多くの人たちに聞いてもらうことが、彼らのCD文庫『でれすけ原発』を聞いて読んときからの一つの願いでした。

2014年委出版された、CD文庫『でれすけ原発』を初めて聞いた時、抱っこ通信には次のように書いています。「久々にフォークソングを聴いた。骨太で、聞き手に受けそうな歌詞ではなく、自らのことをうたっているのだけど、自己満足な歌ではなくね。海の匂いが、山の匂いが、町の匂いが、暮らしの匂いが、そこに息づく人たちの匂いがした。みんなうたいたくなる歌だった。 笠木透さんや雑花塾、そして、全国の歌仲間に支えられ、共につくった被災者が自らのことをうたい、語っているCD文庫「ー東日本大震災3-『でれすけ原発』」(発行いわき雑魚軸塾)を聞いてみてください。読んでみてください。」と。

そして、夢わかばコンサート第14弾を開くにあたって、今年のテーマについてみんなに次のように提案しました。「『あの日を忘れず』から『あの日を忘れずいまを見つる でれすけ原発』に替えたというより、13年を経過した福島の人々の心は。暮らしは日常を取り戻しているかのように見えても、いまだ故郷に帰れない人、帰らない人がいる現実は、人とのつながりを断ち切られるなどの『心の日常』とは程遠いものと思えます。その大きな原因は『原発』にあるです。また、3.11や原発や能登半島地震などと共に、ウクライナやガザ地区に見られるように人を殺す、殺されていることをマヒさせるような現実を突き付けられている今を、私たちはしっかりと見据えて、一人の人間、それも何も持たず弱い人間だけれども、さらに人に歌を聞かせることはできないかもしれないけど、精いっぱいうたうことや楽しんで歌うことができる私たちが、私たちの今の思いを歌うことが小さいけれど明日への希望になるのではないでしょうか。そんな夢わかばコンサートをつくりたいですね。」と。

コンサートを終えて、「私たちが3.11を忘れないためにも、一人ひとりが人間らしく生きるためにも、あの日のことを、あの日からのことを、今のことを、そしてこれからのことを、見る、聞く、考えることがとても大事なような気がしています。
 いわき雑魚塾の仲間たちの演奏、語りに、多くの方々がたくさんのおもいを感じて、胸に刻みつけたと思います。そのことが今日、明日、それぞれが一歩踏み出すことにつながれば嬉しいです。最後に舞台も会場も『手と手と手と』を歌いながらみんなで手つなぎ、肩組みできたのが嬉しかったですね。
♬でれすけ でれすけ でれすけ でれすけ原発 でれすけ でれすけ でれすけ でれすけ原発 手と 手と 手と 手と 手と手と手と手と 手と手と手と手と 手と手と手と手と 手と手と手と手と 仲間がいっぱい♬」と。

参加した仲間たちからも感想が届けられています。「被災した自らが、語り歌うので胸に迫るものが違った」「福島、原発、知らないことが多かった」「歌の内容はきついものがあったのに、雑魚塾のみなさんのステージには希望が持てた」「良い企画でした」「まだコンサートの感激が消えません」と。

組織の面ではいろいろな課題が見えてきました。自分の弱さというか、苦手な部分が見えています。夢わかばコンサートそのものも「あの日を忘れない」の一点で、多くの個人、団体と手をつなぎながら開催していかなければと思います。今回の場合でも、福島県人や原発がない社会@東久留米の会や九条の会や新婦人の会などに、チラシを配布やチケットを預けるだけでなく、企画や準備の段階から一緒にやっていけたら良かったのではないかと反省しています。

それでも、夢わかばコンサートの次を期待する声や、もう一度いわき雑魚塾をという声なども届いていますので、もう一度スタートラインに立ち返って第15段位取り組みたいなと思います。

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抱っこ通信1272号

2024年04月01日 | 抱っこ通信
昨年11月29日に行われた東久留米市の研修会の参加者感想文をいただきました。いろいろな研修会で感想文をいただくことは多くはありませんが、毎年、サマー・カレッジでは各会場での感想文を読むことが楽しみでもあり、学びにもなっていました。よくよく考えてみると最近、サマーカレッジの感想文も読んでいないことに気がつきます。昨年は愛知会場だけだった。

さて、東久留米市での感想文で目についたことだけでもメモしておこう。
*子ども役になって久々に遊びとても楽しかった。体を動かし心のコリもほぐれていくことが体感できた。コロナ禍になり人と手をつないだり、身体的なつながりも避けていたのが、本来はとても楽しいものだと改めて感じた。(久留米みのり)

*久しぶりに楽しい!と心の底から笑ったりうたったり思い樹楽しい時間を過ごさせてもらいました。園にもちかえって子どもたちと今度は一緒に心の底から楽しみたいと思います。(わらべ東久留米)

*様々なあそびやうたを知り、その中でも大人とでも子どもとでも楽しめ、人と人のつながりの楽しさを体験することができた。心を開いて人と接することは難しいことだけれど、つながりあそびを通して改めて人と接することの楽しさを味わうことができた。安心感がとても大事だと伝わり、子どもたちにも積極的に取り入れたいと思いました。(わらべ東久留米)

*研修に参加した方々と歌ったり、からだを動かしたりできて、とても楽しかったです‼ この“誰かと一緒に楽しい”が、保育園で子どもたちと過ごす中で一番大切なのではないかと感じました。(滝山しおん)

*乳児向け、幼児向けのくくりではなく、その子どもに合わせて遊び方を変えていくというのがとても参考になりました。大人の楽しそうな姿は子どもも楽しいということを忘れずにやっていて自分も楽しいことを子どもたちともしていければと思いました。(滝山しおん)


現場に戻って一つでも遊んでくれたら嬉しいです。
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抱っこ通信1271号(2024.1.8)

2024年04月01日 | 抱っこ通信
今日は成人の日です。56年前の私の成人の日は、なんだか忙しかったことを覚えています。姉に誂ってもらったスーツを着て、家の前で写真を撮った後に、まずは町内会の祝う会に顔を出して記念品をいただいてから、練馬区の主催する成人の日の記念の集まりに出席。集まりは何か所かで開いていたと思うのですが、私は当時サークル活動をしていた石神井地区での集いに参加。おしゃべり会だったような気がするのですが、司会、進行をやっていました。はっきりした記憶はないのですが実行委員会制だったのでしょうね。
 東久留米市に就職して社会教育課に配属されてからは成人式を担当していました。コンピューターがまだ普及する前は、市民課や上の原、滝山、ひばりが丘の各出張所へ出かけて、住民票から成人式該当者を書き写していました。当時、明治生まれの方に成人式の案内状が届いたというようなニュースが良く流れていました。間違っては大変ですが、住民票の生年月日の字も個性的なものも多かったですからね、結構、気を使いました。それから一人ひとりに葉書に宛名を書いて案内書を出すのですから大変でした。退職する何年前からコンピューターが導入されて仕事も楽になりました。
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