今日は、東京大空襲の日です。東京下町を中心に、アメリカ軍爆撃機B29が約3000機が飛来し、東京下町を中心に焼夷爆弾の落とし、約10万人の人々が殺されました。亡くなった人を多くが子ども、女性、お年寄りの非戦闘員でした。
最初に飛んできた米軍機B29は、まず、爆撃する範囲を示すように焼夷弾をまわるく落とし、B29の次波からは、その範囲内に焼夷弾を雨あられのように落とし、木造家屋の密集した下町を焼きつくしたのでした。すべて計算しつくされた無差別の大量殺戮だったのです。これが戦争です。
人は笑顔の中で生まれ、人らしく幸せになるために精いっぱい生き、人らしく笑顔の中で亡くなっていく存在です。それが普通で、当たり前の人の一生だと思います。しかし、戦争はそのすべてを奪ってきました。
そんな歴史を二度と繰り返させていけないのです。子どもたちと歌ったり、遊んだり、つながりあって、そして子どもたちと育ちあう仲間たちとつながって、生きている楽しさを実感し、生きている楽しさを広げるためにも生きる楽しさを奪うものには立ち向かっていきたいのです。
そのひとつとして、『炎の海ー1945年3月10日―』を創作したり、「いのちと戦争と平和」を願い、考えるCDを自主制作してきました。1999年『青空この街』(戦後55年)、2005年『母・・・それは憲法』(戦後60年)、2015年『笑う門には福来る』(戦後70年)の3枚です。それらを集約した『あの日から・・・大切なあなたへ』を仲間たちの古希祝いの返礼として制作しました。
つながりあそび・うたをつくり、広めることと、いのちと戦争と平和を願い考える作品をつくり、広めることはどちらもなくてはならない活動なんです。活動の運動の生きていく両輪なんです。
振り返ってみると、自分の親から戦争体験などを聞くことは全くと言ってよいほどありませんでした。また、自分自身も子どもたちへ戦争や平和について話す機会はなかったです。CDはその代わりにはなりませんが、その姿勢だけは感じてもらえれば嬉しいのですが・・・。
もう少し、出来ることをできる限りのつもりで楽しみながら続けていきたいです。
CD『母・・・それは憲法』の前文を紹介します。
人間らしく生きること 人間らしく死ぬことができるように
私の一生の仕事はつながりあそび・うたを通して「生きているってひとりじゃない」「ひとのつながりあいって楽しいよ 大切だよ」を子どもたちへ、子どもたちと育ちあう人たちへ届けることです。それは同時に、いのちの美しさを生きることの素晴らしさを広げることだと自負しています。それはまた「平和」を守り、つくりだし、広げることだと思っています。それが私にとって人間らしく生きることです。
私は憲法と同い年です。あの悲惨な戦争を反省する中から生まれた憲法。いかなる理由があってもいのちを奪うことも、奪われることも許さず、すべてのいのちが輝き、その寿命をまっとうできることを国家に義務付け、国民に保障した憲法を持つ国に生まれ、育ってきました。この憲法を持つまで、どれだけの多くの犠牲が日本でアジアで地球にあったのでしょうか。そのことをしっかり伝えることと、その犠牲になったいのちたちのために、そして子どもたち、未来のために、いま憲法九条を守り、輝かせることに努力すること、それが私にとって人間らしく死ぬことができることだと思っています。
すべての人たちが 人間らしく生きること、人間らしく死ぬことができるように!
つながりあそび・うた研究所 二本松はじめ
今日、YouTub二本松つながりソングチャンネルにアップしました。
『炎の海-1945年3月0日ー』