Tsuny'sブログ

老人が感じた日常生活を気ままに綴ったあれこれ

平和通買物公園40周年

2012-06-03 23:56:37 | インポート
旭川市のJR旭川駅前の宮下通りから7丁目と8丁目をわける南北約1kmの道路は、昔七師団があった戦時中は「師団通り」という名称で栄えた。

戦後は「平和通」として商業施設が集中する中心街として、旭川市のメインストリートで多くの客を集めた。

商業の中心としては車の交通量が多くなり、一方通行になったりで、安心してゆっくりと買い物がしづらくなった。

旭川市長に五十嵐広三さんがなった1963年からの構想で、大胆にも当時の国道を、歩行者専用道路にする大市民運動が商店街を中心に市役所や青年会議所の若い世代が盛り上がり、警察・開発局など国の役人の固い頭を縦に振らしたのだった。

当時参加していたアンデパンダン運動仲間の推進役っだた五十嵐さんの豊かな発想に賛同して、奇想天外扱いされた夢の実現が叶うことを願った。

当時の熱っぽく奔走した五十嵐さんを応援した時を思い出すと、木版画の仲間だった商店主の活躍も同時に思い出す。

1972年(昭和47年)6月1日に平和通買物公園 という名称で実現し、全国初の恒久的な歩行者専用道路がオープンした。
期限付きの歩行者専用道路(歩行者天国)はあっても、こんな「人間の回復」「車社会からの解放」「自然との対話」を求め、安全にショッピングが楽しめる空間を確保出来ているのは、珍しいケースだ。

後になって思えば、ヨーロッパの旧市街地にある車を通さない商業専用道路を五十嵐さんはイメージしたのだと、先のビジョンを見すえた施策だったと推察する。

平和通買物公園は、旭川市民が誇りの遺産なのだが、その存続には維持管理に紆余曲折があり、最盛期に比べて寂れた感はあるのはいなめない。

平和通買物公園は、あれから今年で40周年を迎えた。

6月1日の記念セレモニーに始まった3日間記念イベントが、平和通買物公園に客を集めている。

            
      JR旭川駅側から今日の買物公園
8条通りまで、盛りだくさんの記念イベントで普段より人出が多かった。
            
      買物公園からJR旭川駅方向

                     佐藤忠良作「若い女-夏」
この彫刻は、オープン当時には駅前の買物公園入口に設置されていて、その辺りの空間がとても素敵だったのに、いつも間にか別の場所に移動されたが、いい場所とは言い難い。

記念イベントのジャンルは多岐にわたり、全線賑わっていたので、記念にふさわしいと思った。

買物公園で世界旅行いうエリアでは、鷹栖町が姉妹都市オーストラリアのゴールドコーストを紹介していた。
     
           
鷹栖町教育委員会国際交流アシスタントのアンドリュー・シーワードさんと、1982~83年にゴールドコーストへ行った時のことを交えて歓談した。
日本語ペラペラの彼の人柄が気にいったので、少々長話になった。

           
     見物客も力が入った高校生の綱引き競技会
      
     

     
      混雑していて盛況のプレ食べマルシェ

これらは、ほんの一部であって、短時間では十分に楽しめることはできず仕舞いだった。

1条通のアッシュアトリウム内での、買物公園の変遷を写真や映像で見る空間で、懐かしい光景に出会えて感動した。

オープン当時のような熱気溢れる気迫を維持しなければ、市の宝として発展はおろか維持すら困難ではないかと危惧するのは、考え過ぎだろうか。

ルナリアの花

2012-06-02 21:24:09 | 自然の恵み
ヨーロッパ原産で、ルナリア(Lunaria annua)と呼ばれ、日本には1901年(明治34年)に合田(当時東京美術学校教授)さんがパリから持ち帰ったそうで、和名はゴウダ草。

数年前、道端の小花園にまとまってきれいに咲いていたのを眺めていたら、育てているおばさんが、快く根付きでくれたもの。
草丈は60cmくらいで、花径は2~3cm。

            

こぼれ種から育って2年目に花が咲くが、秋になると果実が球ではない姿なのが珍しい。

薄くて扁平円の半透明で乾燥させてドライフラワーにすると、金貨のように輝いて見え、すれると乾いた金属音に聞こえる。

地方によっては「カネのなる木」とか「大判草」と呼ぶこともあるそうだ。
英名のコインプラントは、金貨に見立てているのだろう。

            
ラナンチュラス・ゴールドコインも金貨に似ている。
ランナーが伸びてよく増える。

金貨にちなんだ花が育つと、何となく幸せな気分になるのは邪念があるからだろうか。