Tsuny'sブログ

老人が感じた日常生活を気ままに綴ったあれこれ

アメリカと戦争していたことがあったの?

2014-12-08 23:52:09 | 日記

1941年の今日(日本時間)、ハワイの真珠湾に停泊中のアメリカ艦隊を奇襲攻撃(現地時間7日午前7時49分)した日だ。日本が英米に宣戦布告した第二次世界大戦(日本側は大東亜戦争)の始まりの日が日本時間の12月8日だ。

幼い頃だから記憶は薄いが、ラジオの大本営発表で何度も日本の攻撃成功を伝えていたが、叫ぶようなアナウンスだった。

しかし、その時は幼い心には何が起きたのか理解出来ず、大人達の緊張した様子や、興奮した仕草で重大なことが起きたことを悟った。やっぱりかーといった予期していたような雰囲気だった。

父親は、切り抜いた関連新聞記事を綴って、表に「永久保存」と朱書きして保管していたが、今はどこにいったかわからない。

国民学校に入学して、兵隊さんになることを軍部から洗脳され、「欲しがりません勝つまでは」と云わされて我慢した。

「一億一心」と民族主義を叩きこまれ、爆弾が落とされた時の伏せ方を訓練した。炒り豆少々と止血用具を小袋で持ち歩き、防空ずきんを何時も首にくくりつけて歩いた。靴が無いので冬でも破れた薄い靴下か素足で、冷たい床を歩いた。消しゴムが無かった。アルミの弁当箱はみんな拠出して積み上げ、お別れ式までして、木箱の弁当箱を使ったが、梅干しだけがおかずだった。米海軍軍艦を空爆する日本軍航空機の絵を沢山描かされた。

尊い多くの命を奪い合ったが、アッツ島玉砕を知った時は、負け戦だと少年の心の中でも感じていたが、言葉には出せなかった。

直立不動の姿勢で、玉音放送を聞いた。

1945年敗戦後になって、白い紙があることを知った。

空襲の恐怖感と空腹・物資不足に耐えた悲惨さは忘れはしない。

日本国と比べて、広大な面積のアメリカ国には資源が豊富で、巨大で強力だということを知ってしたはずなのに、何で戦争に踏み切ったのか不可解だ。

愚かで誤った戦争を仕掛けた判断を止められなかったのは嘆かわしい。

12月8日の忌まわしい記憶が風化しているから、反省の日であっても世間は振り向こうとしない時代になった。外交なしに破壊と殺し合いと心の傷付け合いで解決する人間の愚かさを痛感する。

73年前のことだから「アメリカと戦争していたことがあったの?」なんて思っている若い人のいることも聞いたが、忌まわしい過去も、復興に掛けた人々の努力も忘れてはいけない。