筑波大学硬式野球部のブログ

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#03『話しましょう、空白の時間を~受験生へのエールを添えて~』(大竹哲司/体育3・刈谷)

2021年01月30日 20時02分54秒 | 2021年 俺の話を聞いてくれブログ

おはようございます。こんにちは。こんばんは。
筑波大学硬式野球部所属の大竹哲司と申します。

現在、青桐寮304号室におります。廊下が騒がしいです。加藤三範さんと村木さんが吉本くんをいじりまくってる声が聞こえます。僕は、結構この二人が好きなので、もう少しでお別れかと思うと悲しいです。

 

え?どういうこと?何言ってるの?

そう思った方々、その反応は正しいです。

 

散々歴代の先輩のブログリレーの評価をしてきて、自分の番になってしょぼいこと書いたらやばいという焦りから、たぶん提出の一年前くらいになると思いますが考え始めたいと思います。この時点で引退まであと1年あり、3年の秋リーグも終わってません。今日のブログは田上さんです。こんな早くから準備して自分でもキモいです。これから一年かけてネタを探していきます。




ただいま!ネタ探しから帰ってきました、、、

 

っていう完璧な出だしで、毎年恒例の引退直前のブログリレーに臨もうと思っていたのに、まさかその前にブログ書かされるなんて思ってもいませんでしたね。たぶん、この企画しますってなって1番焦ったのは自分です。

 

「人生何があるか分からんですな。」

 

さてさて、何書こうか迷います。

俺はこういうの苦手だからって笑いに走ると、若僧の林ヘッドから何か言われそうだし、きっと笑いに走るだろう片岡主将と同類扱いされるのは心外なので真面目に書こうと思います。

 もし片岡くんが真面目な思いをブログに書いたのならば皆で言ってあげよう。

 

「それ、成長やん。」と。

 

「成長やん。」の話を皆に聞いてもらいたいという気持ちや後輩たちも少し気になっているであろう、本当に片岡主将とは不仲なのかについてお話したいところですが、いただいた貴重な機会を片岡くん関連の話で使ってしまうのは嫌なので割愛させていただきます。

(ちなみに片岡くんは「何だかんださとしとよく絡んでるから、実は好きなのかもしれない」って先日のさくら室内の練習のときに言っていました。思うのは自由ですが、残念ながらそれは一方通行です。僕は普通です。あと主観と客観がよくずれ過ぎていることがあり、自分の意見がみんなの意見、自分の意見は正しいと思うところがあるので、そこは直してほしい部分です。そこを直したらきっともっと成長できるでしょう。伸び代やん。)

これは本当に独り言で、片岡くんには聞こえないように言いますが、残りの期間キャプテンと共に成長し、キャプテンを支えていけるように自分も頑張ります。

 次は独り言ではなく、片岡君だけに聞こえるように言います。

君には三つの選択肢がある。

ブログを真面目に書くか。笑いに走るか。ブログを書かないか。

 

盛大な身内ネタ、失礼しました。

どうでもいい話をしてしまいました。すみません。

 

うーん、そうですね、ちょうど、受験シーズンなので、どのくらいの人がどのくらいのテンションで読んでくれているか、分かりませんが、自分の専門分野である「受験」をテーマにブログを書きたいと思います。

 

 

その前に注意事項があります。めちゃくちゃ長いです。
たぶん「ブログ史上一番長文説」が出ているこの前の林ヘッドのブログなんて比じゃないくらい長いです。でも自分で言うのもなんですが、内容はまあまあ期待の持てる、笑いあり、涙あり、学びありの文になっております。一度読み進めると最後まで気になってしょうがないものになっています。なので、時間がない方、この後、直ぐに何かしないといけない用事がある方は途中まで読んでやめてしまうと続きが気になって作業に集中できなくなる可能性がありますのでこれ以上読み進めないことをお勧めします。

 

 

いいですか、覚悟は出来ましたか。

 

 それではいきましょう。本日はよろしくお願いします。




 私の経歴を言いますと、愛知県立刈谷高等学校を卒業して、河合大学国公立専門学部の名古屋キャンパスに一年通い、その後南山大学経済学部経済学科に入ってウエイトリフティングサークル設立途中に退学して、筑波大学体育専門学群に入学しました。俗にいう二浪ってやつです。でも、途中で大学を経由してしまったので、ニ浪界では、邪道と言われています。ちなみに2年間予備校に通っての二浪は「純・ニ浪」って言われます。皆大好き、ヌヌヌ尾上くんがその部類です。ヌヌヌヌヌ。


浪人しているときに、浪人を乗り越えて頑張った人の話を聞くと自分も何となく頑張ろうって思えました。そんな思いから、あんまりしたくないですが、この話をします。僕の話を聞いてもうひと踏ん張りしてみようって人が一人でもいたらいいなって思います。

 ちなみに僕はサザエさんの旦那のマスオさんがニ浪って知ったときに親近感を何故か覚えました。今勉強頑張って、マスオさんみたいに幸せになろうって思いました。もっとちなみに話をするとマスオさんはニ浪して早稲田大学商学部に入学して、野球部所属です。補欠らしいですが元ピッチャーです。投球スタイルとしましては自称豪速球投手でストレートでグイグイ行くらしいです。

 

(笑)

 

ここからは本当に真面目に書きます。ボケも一切なしです。よろしくお願いします。




 筑波大学に入学したいと思った大きな理由はやはり野球を高いレベルでやりたいというところにあるでしょう。現役時代の受験勉強も浪人時代の受験勉強も野球頑張ろうと、結構真剣に考えていたからやれたといっても過言ではないです。そのくらい野球に対する情熱は高かったと思います。しかし、その情熱も一気に冷めてしまった事件が起こります。それは皆さんご存知伝説のセンター国語60点事件です。自己採点したら、評論は漢字だけ合ってて10点、小説、古文は忘れましたが、漢文が4点だったのは確か覚えています。

 浪人時代、大学でも野球頑張ろうって結構勉強したのに、このセンター国語(後に僕はセンター国語を好敵手と呼ぶことになります。)一つで受験に失敗したのかと思うと、私の中でパッと何かが切れてしまい、野球とは何だろうか?こんなにも苦しんでやろうとしていた野球とはほんとに何だろうか?と思い、何か良く分からない感情が湧き上がってきました。

センター試験の合計点は現役時代よりも下回るものでした。そんなセンター結果で受かるはずもなく、見事筑波大学に不合格しました。色んな方々が私立大学で野球やれるところとかクラブチームで野球できるところとか探してくれて勧めてくれましたが、当時の僕は既に野球が大嫌いになっていたので、地元の大学に入学しました。(余談ですが、このとき僕の髪は金色に輝いていました。そしてこの時の髪型について自分からは話したことないですが、首脳陣の方々が何故か知っているという情報を掴んだので、それについていつか質問してみたいです。)

 

 特にやることもなかったので、不合格を知ってから、すぐに友達の親が経営するレストランにバイトさせてくださいと電話をして働かせていただきました。

 しっかり働き続けました。本当にしっかりと働き続けたので、準社員とまで呼ばれました。準社員として、3ヶ月くらい働き、お金もバイトにしては結構貯まり口座を見てニヤニヤし始めたときでしょうか?店長さんが自分にニ浪の話をしてきました。この店長もニ浪経験者です。やりたいことがあるなら、、、的な話です。正直ここで心が奮えました。

完全にこの日からです。頭の中にニ浪というのがチラつきはじめ、野球のやの文字くらいがぼやけ始めたのは。

 

 でも、もういいやって言う気持ちも残っていたので、特に何かするわけでもなく準社員としてまだ頑張って働いていました。筑波では披露したことないですが、バニラアイスを薔薇の形にする「バラクリーム」という技を身につけました。いつか機会があればやってみたいです。本当にうまく披露できたら、女の子は惚れてくれると思います。

 

 セミの声が聞こえ始め、少し気温も上昇してきました。そんなある日、予想もしていなかったお客さん、いやお客様が現れてしまいました。僕の尊敬していた刈谷高校の監督である、岡田先生です。受験後、もう野球なんて辞めます。って言って以来初めて会いました。このとき手から汗が出るという経験を初めてしました。めちゃくちゃ緊張して挨拶しにいったら接客はいいからとりあえず座れと言われ、お話することになりました。


監督さんは野球続けたらどうだと仰っしゃりニ浪を普通に勧めてくれました。何でか分からないけど、この瞬間ですかね、脳内にチラついていたニ浪が1体だったのに増殖してニ浪ニ浪ニ浪ニ浪ってニ浪が複数体になったのは。分かりやすいように説明すると、英語表記で単数形Nirouにsがつき複数形Nirousに変わりました。(やばい、滑ったかも。まぁいいや。)


 そしてこの時です。Googleで「二浪 有名人」を検索して、「マスオ 二浪 早稲田」にたどり着いたのは。

 

 帰って親に相談し、親もそうした方がいいと思うよ。って言ってくれたので、ニ浪を決断しました。

 

 それから数か月後、好敵手である、センター国語との戦いも何とかトリプルスコアをたたき出し勝利しました。三年連続三回目の出場で何とか筑波大学の合格にたどり着けました。







 話をまとめると、


①店長さんが二浪経験者だったこと

②ちょうどいいタイミングで岡田先生に出会ったこと

 

プラスして

③自分は現役のときに筑波の副専の試験中にケガしてしまった(それなかったら、一発で合格してたと今でも思ってる。がちで。)のでそれも込みで考えると、何かニ浪の神様にニ浪することを導かれたかのようなお話ですね。ニ浪することが最初から決まっていたのでしょうか?




 って言う長話をするとたいていどこの飲み会でも通用します。でも話すと長いっていうのが難点でどこを省いてどこを話そうか、日々模索しています。

あと、この話を投入するタイミングも結構重要です。なぜなら相手にニ浪の耐性がついていないと逆にめちゃくちゃ気を使われてしまうからです。例をあげるとこの話を野球部以外の三年生や四年生にして、話を聞いたあとに「あ、そうなんですか、、、」ってさっきまでタメ口で話していたのに、急に敬語を使われ出すと投入タイミングを失敗した証拠となります。でも僕も試行錯誤繰り返し、場数も踏んできたので、そういう反応がきても対処できます。逆にここからいかに笑いにもってくかというのをテーマに頑張れます。

対処法①としましては、突然「そんな僕からはじまるぅ~キムジョ、、、、」すみません、また関係のない話をしてしまいました。最近は、コロナで皆でワイワイすることができていないので、悲しいです。よくわからないですが、こういう時にこれを使うと友達に教えていただきました。一度使ってみたいので使います。ぴえん。

 

 

ちょうど飲み会とかの話が出てきたので、少し触れると、筑波大学には多くの優秀なアスリートや面白い人がいるので、少し勇気を振り絞って野球部以外のコミュニティに足を踏み入れるといいと思います。とても刺激をもらいます。僕はお酒が好きではないですが、こういう場にいって何か学ぶことはあります。特に学ぶことが無さそうだなっと思ったらしれっと、お金だけ払って帰ります。これが皆がよく言う「いつもさとしはどっかいなくなる」って言う話です。その場からしれっといなくなるのは、結構得意です。

 

 話を戻して、トータル約3年間という結構長い回り道とお金を費やしてしまって本当に申し訳ございませんでしたと深々と家族や親戚には頭を下げるレベルですけど、それと引き換えに飲み会では実際受験には滑ったスベらない話として一生使うことができるのでまぁまぁ良かったと思います。コスパはかなり悪め。ガハハハ。他にも色んな話のストックができました。最初は二浪がコンプレックスでしかなかったけど、今はそんな感情一切無いですね。むしろ、この位置に味を占めている自分がいるのが、少し面白いです。

 

おっとここで質問が入りました。えーと、ペンネーム、新野球必勝法70か条さんからです。

 

Q二浪ということで一個上が年下であると思いますが、敬語はしっかりと使っていますか?

 

A はい、ペンネーム、新野球必勝法70か条さん、ご質問ありがとうございます。
四年生の皆さんには、敬語でお話ししています。一部例外はありますが、本当に抵抗なく敬語です。入学当初に自分の高校の先輩でもある大川さんという方が、「ここからは年齢ではない。割切れ。先に貢献している方が先輩。」という感じのありがたいお言葉をくれたのが良かったのかもしれません。この言葉の後押しもあり、ご飯とかも遠慮なく、よく奢って貰います。最初はお互いに変な感じでしたが、結構大きい声で、「写輪眼、これが俺の使う時空間忍術だ!!」ってやると違和感もなくなりました。これを読んでいたらですが、冒頭に出てきた加藤三範さんは今、爆笑しているでしょう。あとよく奢ってくれていた島脇前主将は院進で二年後は自分が社会人で彼は学生なので、この恩を返しにつくばに戻ってくることを約束します。

ごくまれに、野球部以外の方で年上に敬語使われるのが気持ち悪いという理由から、何回も敬語辞めて言ってくる人はいるので、そういう時はため口でお話しします。でもここも不思議ですが、話始めると年下なのにため口でしゃべることに逆に気持ち悪さを感じます。

 

 

 

 質問から帰ってきて、バイト先の店長である杉浦さん、岡田監督本当にありがとうございました。




 

では勝手ながら、偉そうに応援メッセージを送らせていただきます。

 

 

受験生へ

 まずは頑張れ!合格するのがやはり一番。失敗なしに。

頑張れしか言えないけど、本当に頑張れ。

 

失敗しちゃった受験生へ

落ち込む気持ちはめちゃくちゃ分かります。しかし、無情にも時間はみんな平等に進んでしまい、色んな期限が迫ってきてしまうという事実だけ伝えときます。だから、しんどいけど、ゆっくりでいいから前を向いて頑張ってみよう。何とかなる。これにつきます。

 

 あ、もちろんニ浪させてくれた環境にあった自分は恵まれています。誰もがマネできるわけではないでしょう。そこに関しては本当に感謝です。家族、親戚の方々本当にありがとうございます。

 

 



 長いですが、もうひとつしたい話があるのでします。

 

 

これは僕が好きなお話です。

 

本人たちは覚えているか分かりませんが、ワタナベカズヤくんと松本将史師匠のお話です。

 

 とあるミーティング中。どんなミーティングかは忘れましたが、上中尾くん関連のミーティングだったと思います。片岡くんにかずやさんが本当に完璧に論破されてかずやさんが凹み、まさしさんに相談しに行ったそうです。

 かずやさんはこのときから選手辞めるかどうかの葛藤していたのでそれも含めての相談です。

 最初はまさしさんも相槌打って話を聞いていましたが、最後かずやさんの話が終わった瞬間に、まさしさんが半ニヤケで放った言葉はこれです。 


「まぁーお前が何悩んでるか知らんし、俺も一年前は悩んでたけど今は何を悩んでたか覚えてないし、まぁ自分で適当に決めたらええんちゃう?笑」

 

 このあとかずやさんは結構ふてくされながらこの話をしていたし、当時の自分もまさしさんひどいな、まさしさんにはリアルな相談せんとこって思いました。半ニヤケされるし。

 

 でも今はこの言葉が凄くいい言葉だと思っております。自分はこう思うようになったのでこの話が好きなんだと思います。

 浅そうで深い、深そうで浅い、浅そうで浅いまさしさんならではのアドバイスだなと思います。ちなみにまさしさんが半ニヤケでも文面上でも「マジレスすると」っていう前置きをしたときは頑張って真面目な話をしようとしてる証拠です。「マジレスすると」っていう前置きがなかったら、話半分でいいと思います。「マジレスすると」っていう前置きがないと真面目な話ができないまさしさんが少し不憫です。

 

 

 

そんな話は置いといて、解説なしにこの言葉の深みに達して共感した人はコロナ落ち着いたらご飯や飲みにでもいきましょう。



 少し自分なりに解説するとこうです。

 前述した通り自分も浪人してたこと今は笑い話にしてます。リーグ出て10打席連続ヒット出なかったとき悩んでいましたが、何でこんなに悩んでたか今は思い出せません。他にも特に困ったこととか嫌なこととか全然思い出せません。まだ23年しか生きていないので今後社会に出てどんなことが起こるか分かりませんし、数年後こんなこと言って本当に悩んでいるかもしれません。

 でもそんなに深刻に悩んでいたこともいずれはスゥーってなくなってくれることのほうが多いのかなって思います。こういうメンタルでいると気持ちも楽になります。偉そうなことなんて言えませんが、今後後輩たちが何か悩んでいたら、ああー何かさとしさんカッコつけたことブログで言ってたなーって思っていただけると幸いです。そして相談でもしにきてください。半ニヤケまたは「マジレスすると」っていう前置きをしながら「何に悩んでるか分からんけど、時が経ったら何で悩んでたか忘れるから、まぁ適当に決めたらええんちゃう。」って言ってあげます。

嘘です。

マジレスするとちゃんと相談には乗ります。

 

はい、この話終わり。

 

 

 長くなりましたが、7000字で、ブログにしては超大作を読んでいただきありがとうございました。この話からあなたにとってプラスに捉えられる何かを感じ取っていただけたら、嬉しいです。

 

 以上で終わります。ありがとうございました。これからも頑張ります。

 



 

 あと、本当に最後に。ブルガリアスクワットすると切れ痔になるので対処法教えてほしいです。

 また、このブログすべっていて、あなたの界隈で評判悪かったらコッソリ教えてほしいです。

 

体育専門学群3年 大竹哲司
愛知県立刈谷高等学校出身

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