皆様こんにちは。船長の佐光です。
「なぜ船長と呼ばれるようになったんですか?」
とよく聞かれますが、僕もイマイチ分かりません。2年生の頃から元々同期の外野手の中で呼ばれていましたが、
ここまで浸透するとは思いませんでした。
ワンピースのモンキー・D・ルフィにあやかって、サコー・D・ユージとも呼ばれていますが、残念ながらワンピースに
ついてはキャラクター名が少々分かる程度でこれっぽっちも読んだことがありません。
どうやら僕はサコー・D・ユージ海賊団の船長ということで、「船長」らしいです。
ワンピースを読みたいとは度々思うのですが、既に話が進み過ぎていて全てを1から読む気になれません。
船長と呼ばれるのは今では全然嫌ではないので、皆様ぜひ船長と呼んでやってください。
そんな話はこの辺にしておきましょう。早めのワンタップをしたところで、「俺の話を聞いてくれブログ」を
書き始めようと思います。自分に回ってきたら何書こうかな〜となんとなく想像をしていたので書きたいことは
たくさんあるのですが、頭の中で全くまとまっておらずどのように着地するか全く分かりません。
短く終わるのか、長々と書いてしまうのか想像もつきませんが、僕のブログにしばしお付き合いください。
「俺は1年秋のリーグ戦に出てしまった。」
これは1年生の秋以来、2年半以上僕が心の中で抱き続けてきた想いです。1年生の6月にA野手に上がり、
思い出したくもない地獄の夏を乗り越え、守備と代走でリーグ戦に出場しました。
「1年でリーグ戦なんてすごいね」
と言われたこともありましたが、僕自身はリーグ戦に出たことを全く誇らしく思えませんでした。
達成感や満足感は微塵もなく、ただただめちゃくちゃ緊張したことを覚えています。
「なぜ1年で何も分からない自分が」
「自分の実力は全然リーグレベルじゃない」
「もっと上手い先輩方はたくさんいるのに」
「自分がいなくてもチームは成り立ってる」
などとネガティブなことばかりが頭を支配し、グラウンドに行くのが本当に嫌な毎日でした。当然その頃は
野球が楽しくなく、大学生にもなってなぜこんなにきつい野球をやっているのだろうかといつも思っていました。
不思議ですよね。
あんなに楽しかった高校野球。事実、やっているのは同じ野球です。
ですがなぜここまで野球に対する思いが変わってしまうのでしょうか。僕と同じように楽しかった野球が
つまらなくなってしまったという経験をした人は多いのではないでしょうか。
でもやっぱり、根は野球が大好きなんですよね。楽しい時もつまらない時も、この想いは変わったことはありません。
野球が好きでなければ絶対にここまで続けてくることはできませんでした。
その後、長い怪我人生活とB野手生活を送ることになります。同期の選手たちが次々とリーグ戦で活躍するようになり、
「俺はまだやれる」と思いつつも、半分「もうだめかもな」とも心のどこかで思っていました。
僕は小さい頃から良くも悪くもプライドが高い人間でした。
だからこそ、"リーグ戦に出たことがあるのに"B野手にいる自分が嫌いでした。
しかし特別何かアクションを起こすわけでもない、というとても中途半端な状態で野球を続けていました。
そんな頃、前Bヘッドである木室さんはある言葉を繰り返し僕らに伝えてくださいました。
それは、
「帰省して周りの人たちに『筑波の野球部ってすごいね』と言われたときに、どんな立場にいても『はい、
ありがとうございます。頑張っています!』と胸張って言える行動をしなさい。」
「自分のために野球をして欲しい。それが結果的に周りの人たちへの恩返しになるから。」
というふたつの言葉です。だいたいニュアンスはこんな感じだと思います。
これらふたつの言葉は僕の中にはずっと響いていて、今でも大切にしています。この言葉のおかげで僕はB野手での活動に
少しずつ誇りを持てるようになりました。そして、大学野球で初めて野球を楽しめるようになっていきました。
木室さんにはとても感謝しています。
自分らの代を迎え、僕はまたB野手でのスタートとなりました。先の天王台シリーズでは調子が良かったので少し
ショックでしたが、まぁこんなもんだろ、こっから頑張るしかないと受け入れ、自分自身そしてチームと向き合うことに
しました。
B野手にいると、それだけ下級生と関わる機会が増えます。その中には必死にチャレンジしている選手ももちろん
いますが、昔の自分と重なる選手や怪我続きの選手など様々な状況の選手がいます。そんな選手たちと関わる
日々の中で、「リーグ戦で活躍したい」という思いの他に、「苦しんでいる選手の支えになりたい」
「チームの受け皿のような存在になりたい」という思いが生まれました。
どうか、苦しんでいる下級生のみんなが僕のように自分が成し遂げたことを誇りに思えないような人間には
なりませんように。そして、どんな立場であってもこの筑波大学硬式野球部の一員であることを誇りに思えるように
少しでも力になりたいと思っています。
僕は今、再びリーグ戦を戦っています。今年の3月にAチームに上がり、何とかメンバーに入ることができました。
もうここまで来たら、今までの全てをぶつけて存分に悪足掻きしようと思います。今1番僕に求められていることは、
代走で出場し、土壇場で1点をもぎ取ることです。
第1節武蔵戦の2試合目ではそれを体現することができました。タイブレークでタイムリーを打ったことよりも、
代走でホームインしたことの方が僕にとっては価値のあることです。そして1年生の頃とは違い、今では自分の役割を
誇りに思えています。
2年間B野手でやってきたことが自信になり、それが原動力となってきました。B野手でしか経験できないこともたくさんありました。これからは、自分のプレーや行動が少しでも他の誰かの原動力となれるような存在になりたいです。そう、自分自身が誰かの「心を奮わせる存在」でありたいのです。
僕がこのような想いを胸に今グラウンドに立っているんだよということをこのブログを読んでくださった皆様には少しだけ知っておいていただけたら幸いです。
どうか、このB野手の悪足掻きを最後まで見届けてください。
そしてもうひとつ、どうしても書きたいことがあります。長々とすみません。
それは、どんなに辛いときでも変わらず己の「心を奮わせる存在」であり続けてくれる
アメリカのプロバスケットボールリーグ、NBA(National Basketball Association)のことです。
僕にとっての「心を奮わせる存在」である証として、僕はNBAのロゴが入ったリストバンドをつけてリーグ戦に
臨んでいます。そして、グローブの刺繍には故コービー・ブライアントの生き様を表す「Mamba Mentality」と
入れました。よく言われますがmanabaではありませんよ、Mambaです。
中3の秋、所属していた硬式野球チームを引退した頃のことです。受験生なのに勉強したくねぇなとか思い、
親のいない間にサボってテレビのチャンネルを回していたところ、たまたまNBAの番組がやっていてそこから
ドハマりしてしまいました。
僕はいつでも変な寄り道や遠回りをするタイプです。でも、その途中で出会った物事が人生に大きな影響をもたらす
こともあるのです。僕はその出会いを大切にしてきました。NBAはその1つで、これまで生きてきた中でもかなり
大きな出会いです。
近年、NBAは八村塁選手や渡邊雄太選手の活躍で日本での人気も少しずつ上がってきましたが、僕の周りで
僕が本気でNBAを語り合えるほどNBA好きな人はほとんどいません。少し寂しいです。
NBAは、平均201cmの大男たちが戦いを繰り広げる異次元の世界です。我が部最高身長で195cmある堀田くんでも
余裕で小さい部類に入ってしまいます。NBAには様々なドラマや名シーンがあり、どれも感動的なものばかりです。
暇な時にぜひYouTubeで見てみてください。きっと心を奮わせられます。もっと気になった方はぜひ声をかけてください。
色々と教えてあげます。やっぱり、名シーンというのは前後の文脈を知ってナンボですからね。そのシーンを見る
だけでもすげぇ〜とはなりますが、色々と知った上で見ると心が奮う度合いが全く違います。
しかし今回は僕の大好きな選手であるレブロン・ジェームズや、好きなチーム、好きなシーンについて語るのでは
ありません。
NBAには、6thマン賞というアワードがあります。それについて少し話そうと思います。
6thマン賞とは簡単に言えば、そのシーズンで最も活躍したベンチプレーヤーに贈られる賞です。
バスケットボールは1チーム5人でプレーしますが、6人目の選手の賞という意味です。
強いチームには、必ずと言って良いほど優秀な6thマンが存在します。彼らは、ベンチから出てきて試合にインパクトを与え、流れを引き寄せます。時には試合終盤の大事な場面を任されることもあります。
優秀な6thマンに共通すること、それは自分が求められている役割をとても良く理解しているということです。
その求められている役割に向かって全力で準備をして、試合ではそれを全うするのです。
僕もチームにとってそんな存在になりたいと思っています。もちろん、レギュラーで試合に出ることを諦めているわけ
ではありません。しかし、チームの勝利のために自分が今最も輝ける場所で最善を尽くしたいのです。
そして6thマンには、このチーム全員がなれると思います。立場は違えど、チームの成長にコミットできる、僕は
そう思います。いけみつ(帰省したいBヘッド)のブログの「役割」に通じる部分がありますが、僕もいけみつと
同じようなことを思っています。
1年生の頃には分からなかったこと、できなかったこと。それを今の下級生に強要することは僕にはできません。
出来ていなかった人に言われたところでそんなに響くものではありません。だからこそ選手としてチャレンジすると
同時に、どんな形であれ、受け皿となってチームを底上げできるように引退まで突っ走りたいと思います。
結局、長々と書いてしまいました。最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
春リーグはまだまだ続きます。皆様、週末はスポーツブルで「#首都劇場」をお楽しみください。
ではまた。
体育専門学群4年 佐光雄治
名古屋市立向陽高等学校出身