筑波大学硬式野球部のブログ

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#23 「B野手の悪足掻き」 (佐光雄治/体育4・向陽)

2021年04月30日 20時08分55秒 | 2021年 俺の話を聞いてくれブログ

 

 

皆様こんにちは。船長の佐光です。

 

 

「なぜ船長と呼ばれるようになったんですか?」

 

とよく聞かれますが、僕もイマイチ分かりません。2年生の頃から元々同期の外野手の中で呼ばれていましたが、
ここまで浸透するとは思いませんでした。

 

ワンピースのモンキー・D・ルフィにあやかって、サコー・D・ユージとも呼ばれていますが、残念ながらワンピースに
ついてはキャラクター名が少々分かる程度でこれっぽっちも読んだことがありません。
どうやら僕はサコー・D・ユージ海賊団の船長ということで、「船長」らしいです。

 

ワンピースを読みたいとは度々思うのですが、既に話が進み過ぎていて全てを1から読む気になれません。
船長と呼ばれるのは今では全然嫌ではないので、皆様ぜひ船長と呼んでやってください。

 

 

そんな話はこの辺にしておきましょう。早めのワンタップをしたところで、「俺の話を聞いてくれブログ」を
書き始めようと思います。自分に回ってきたら何書こうかな〜となんとなく想像をしていたので書きたいことは
たくさんあるのですが、頭の中で全くまとまっておらずどのように着地するか全く分かりません。
短く終わるのか、長々と書いてしまうのか想像もつきませんが、僕のブログにしばしお付き合いください。

 

 

 

 

 

「俺は1年秋のリーグ戦に出てしまった。」

 

 

これは1年生の秋以来、2年半以上僕が心の中で抱き続けてきた想いです。1年生の6月にA野手に上がり、
思い出したくもない地獄の夏を乗り越え、守備と代走でリーグ戦に出場しました。

 

「1年でリーグ戦なんてすごいね」

 

と言われたこともありましたが、僕自身はリーグ戦に出たことを全く誇らしく思えませんでした。
達成感や満足感は微塵もなく、ただただめちゃくちゃ緊張したことを覚えています。

 

「なぜ1年で何も分からない自分が」

 

「自分の実力は全然リーグレベルじゃない」

 

「もっと上手い先輩方はたくさんいるのに」

 

「自分がいなくてもチームは成り立ってる」

 

などとネガティブなことばかりが頭を支配し、グラウンドに行くのが本当に嫌な毎日でした。当然その頃は
野球が楽しくなく、大学生にもなってなぜこんなにきつい野球をやっているのだろうかといつも思っていました。

 

不思議ですよね。

 

あんなに楽しかった高校野球。事実、やっているのは同じ野球です。
ですがなぜここまで野球に対する思いが変わってしまうのでしょうか。僕と同じように楽しかった野球が
つまらなくなってしまったという経験をした人は多いのではないでしょうか。

 

でもやっぱり、根は野球が大好きなんですよね。楽しい時もつまらない時も、この想いは変わったことはありません。
野球が好きでなければ絶対にここまで続けてくることはできませんでした。

 

 

その後、長い怪我人生活とB野手生活を送ることになります。同期の選手たちが次々とリーグ戦で活躍するようになり、
「俺はまだやれる」と思いつつも、半分「もうだめかもな」とも心のどこかで思っていました。

 

僕は小さい頃から良くも悪くもプライドが高い人間でした。
だからこそ、"リーグ戦に出たことがあるのに"B野手にいる自分が嫌いでした。
しかし特別何かアクションを起こすわけでもない、というとても中途半端な状態で野球を続けていました。

 

 

そんな頃、前Bヘッドである木室さんはある言葉を繰り返し僕らに伝えてくださいました。

 

それは、

 

「帰省して周りの人たちに『筑波の野球部ってすごいね』と言われたときに、どんな立場にいても『はい、
ありがとうございます。頑張っています!』と胸張って言える行動をしなさい。」

 

「自分のために野球をして欲しい。それが結果的に周りの人たちへの恩返しになるから。」

 

というふたつの言葉です。だいたいニュアンスはこんな感じだと思います。

 

これらふたつの言葉は僕の中にはずっと響いていて、今でも大切にしています。この言葉のおかげで僕はB野手での活動に
少しずつ誇りを持てるようになりました。そして、大学野球で初めて野球を楽しめるようになっていきました。
木室さんにはとても感謝しています。

 

 

自分らの代を迎え、僕はまたB野手でのスタートとなりました。先の天王台シリーズでは調子が良かったので少し
ショックでしたが、まぁこんなもんだろ、こっから頑張るしかないと受け入れ、自分自身そしてチームと向き合うことに
しました。

 

B野手にいると、それだけ下級生と関わる機会が増えます。その中には必死にチャレンジしている選手ももちろん
いますが、昔の自分と重なる選手や怪我続きの選手など様々な状況の選手がいます。そんな選手たちと関わる
日々の中で、「リーグ戦で活躍したい」という思いの他に、「苦しんでいる選手の支えになりたい」
「チームの受け皿のような存在になりたい」という思いが生まれました。

 

どうか、苦しんでいる下級生のみんなが僕のように自分が成し遂げたことを誇りに思えないような人間には
なりませんように。そして、どんな立場であってもこの筑波大学硬式野球部の一員であることを誇りに思えるように
少しでも力になりたいと思っています。

 

 

僕は今、再びリーグ戦を戦っています。今年の3月にAチームに上がり、何とかメンバーに入ることができました。
もうここまで来たら、今までの全てをぶつけて存分に悪足掻きしようと思います。今1番僕に求められていることは、
代走で出場し、土壇場で1点をもぎ取ることです。

第1節武蔵戦の2試合目ではそれを体現することができました。タイブレークでタイムリーを打ったことよりも、
代走でホームインしたことの方が僕にとっては価値のあることです。そして1年生の頃とは違い、今では自分の役割を
誇りに思えています。

 

 

 

 

2年間B野手でやってきたことが自信になり、それが原動力となってきました。B野手でしか経験できないこともたくさんありました。これからは、自分のプレーや行動が少しでも他の誰かの原動力となれるような存在になりたいです。そう、自分自身が誰かの「心を奮わせる存在」でありたいのです。

 

僕がこのような想いを胸に今グラウンドに立っているんだよということをこのブログを読んでくださった皆様には少しだけ知っておいていただけたら幸いです。

 

どうか、このB野手の悪足掻きを最後まで見届けてください。

 

 

 

そしてもうひとつ、どうしても書きたいことがあります。長々とすみません。

 

それは、どんなに辛いときでも変わらず己の「心を奮わせる存在」であり続けてくれる
アメリカのプロバスケットボールリーグ、NBA(National Basketball Association)のことです。

 

僕にとっての「心を奮わせる存在」である証として、僕はNBAのロゴが入ったリストバンドをつけてリーグ戦に
臨んでいます。そして、グローブの刺繍には故コービー・ブライアントの生き様を表す「Mamba Mentality」と
入れました。よく言われますがmanabaではありませんよ、Mambaです。

 

中3の秋、所属していた硬式野球チームを引退した頃のことです。受験生なのに勉強したくねぇなとか思い、
親のいない間にサボってテレビのチャンネルを回していたところ、たまたまNBAの番組がやっていてそこから
ドハマりしてしまいました。

 

僕はいつでも変な寄り道や遠回りをするタイプです。でも、その途中で出会った物事が人生に大きな影響をもたらす
こともあるのです。僕はその出会いを大切にしてきました。NBAはその1つで、これまで生きてきた中でもかなり
大きな出会いです。

 

近年、NBAは八村塁選手や渡邊雄太選手の活躍で日本での人気も少しずつ上がってきましたが、僕の周りで
僕が本気でNBAを語り合えるほどNBA好きな人はほとんどいません。少し寂しいです。

 

NBAは、平均201cmの大男たちが戦いを繰り広げる異次元の世界です。我が部最高身長で195cmある堀田くんでも
余裕で小さい部類に入ってしまいます。NBAには様々なドラマや名シーンがあり、どれも感動的なものばかりです。
暇な時にぜひYouTubeで見てみてください。きっと心を奮わせられます。もっと気になった方はぜひ声をかけてください。
色々と教えてあげます。やっぱり、名シーンというのは前後の文脈を知ってナンボですからね。そのシーンを見る
だけでもすげぇ〜とはなりますが、色々と知った上で見ると心が奮う度合いが全く違います。

 

 

しかし今回は僕の大好きな選手であるレブロン・ジェームズや、好きなチーム、好きなシーンについて語るのでは
ありません。

 

NBAには、6thマン賞というアワードがあります。それについて少し話そうと思います。

 

6thマン賞とは簡単に言えば、そのシーズンで最も活躍したベンチプレーヤーに贈られる賞です。
バスケットボールは1チーム5人でプレーしますが、6人目の選手の賞という意味です。

 

強いチームには、必ずと言って良いほど優秀な6thマンが存在します。彼らは、ベンチから出てきて試合にインパクトを与え、流れを引き寄せます。時には試合終盤の大事な場面を任されることもあります。

 

優秀な6thマンに共通すること、それは自分が求められている役割をとても良く理解しているということです。
その求められている役割に向かって全力で準備をして、試合ではそれを全うするのです。

 

僕もチームにとってそんな存在になりたいと思っています。もちろん、レギュラーで試合に出ることを諦めているわけ
ではありません。しかし、チームの勝利のために自分が今最も輝ける場所で最善を尽くしたいのです。

 

そして6thマンには、このチーム全員がなれると思います。立場は違えど、チームの成長にコミットできる、僕は
そう思います。いけみつ(帰省したいBヘッド)のブログの「役割」に通じる部分がありますが、僕もいけみつと
同じようなことを思っています。

 

 

 

1年生の頃には分からなかったこと、できなかったこと。それを今の下級生に強要することは僕にはできません。
出来ていなかった人に言われたところでそんなに響くものではありません。だからこそ選手としてチャレンジすると
同時に、どんな形であれ、受け皿となってチームを底上げできるように引退まで突っ走りたいと思います。

 

 

結局、長々と書いてしまいました。最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。

 

春リーグはまだまだ続きます。皆様、週末はスポーツブルで「#首都劇場」をお楽しみください。

 

 

ではまた。

 

 

体育専門学群4年  佐光雄治

 

名古屋市立向陽高等学校出身

 

 

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#22「伝えたい感謝」 (阪上祐人/体育4・須磨学園)

2021年04月29日 20時24分05秒 | 2021年 俺の話を聞いてくれブログ

 

こんにちは。筑波大学硬式野球部の阪上祐人です。

今回ブログを書くにあたって、前半では僕の野球人生、後半では日頃伝えることができない感謝を述べたいと思います。
桜美林大学に連敗して悔しい気持ちの中、普段よりも言葉遣いを丁寧にしようと意識しています。

 

 

野球を始めたきっかけは覚えてません。
ただ、小学校は11人だけのチームでいろんな大会で優勝して楽しかったということだけ覚えています。

 

僕は中学時代バケモンでした。上中尾の次くらいにはいい選手だったという自信があります。今の自分よりも中学の
自分のほうがうまいのではないかと思うくらいです。我がキャプテン片岡との出会いも中学でした。当時から彼は
すでに僕の心くらいは奮わせていました。中学時代の心がどんなんやったとか気になってる人いたら僕に聞いてくれたら
言える範囲で教えてあげます。

 

高校では、中学のチームと比べると、環境が正反対のチームで個人として不完全燃焼で終わってしまいました。
身体の成長も止まり、限界を感じ始めたのも高校の時です。もう野球はええかなとも思っていました。ですが、僕の
学業成績が夏以降伸び悩んだこと、心が筑波に行くということを聞いたことで高3の11月から筑波大学を考え始めました。

 

そして何とか入学し、筑波では最後にちょっと試合に出て、寮の風呂とか食堂でくだらないことで笑いを誘うような
生産性のない時間を過ごしています。もちろん現状に満足していません、もっと笑わせられるように頑張ります。

 

 

といった感じの人間が僕であり、同期からはうざがられ、後輩からは恐れられています。

ラストシーズン悔いのないように取り組んで、必ずみんなでリーグ優勝したいね。

 

 

そして、振り返ってきた僕の野球人生ですが、いろんな方々に支えられてここまで続けることができています。

まず、両親は地元から離れた地で野球をしているので金銭的な負担が大きいうえに、帰省したら友達と遊びまくって
家にほぼいないのを、、、、、と、書いてるうちにとても申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
卒業したら親孝行始めます。

 

次にチームメイトのみんなにも支えられています。優先的にグラウンドを使わせてもらったり、スタッフ陣は練習に
付き合ってくれたり、チームが勝つためにいろんな形で戦力として活動してくれています。
最後にやるのは選手や、自分含めてチームの代表として責任もって取り組んでいこうと思います。



最後にここが一番大事なところです。僕だけではありません、筑波大学硬式野球部の支えになっているのは、筑波の野球部を応援してくれている存在です。

いつもパワーの源になる食事を作ってくださっている寮母さん、

いつも明るく接してくださる寮の横のセブンイレブンの皆様、

いつもきれいな二等辺三角形にもみあげを整えてくださるフリークス(美容院)の方々、

その他にも人それぞれ支えてくれている人はいるかと思います。
僕はあいさつと感謝を述べることはとても大切であると思っていて、地域の方々にも積極的に挨拶をしています。

 

 

「為せば成る=ケセラセラ」

 

春リーグで俺らの野球を貫いて、みんなで涙のVサインつくってやりましょう。

 

以上、僕が伝えたいことでした。

 

引き続き、新型コロナウイルス感染予防の徹底をよろしくお願いいたします。

 

 

体育専門学群4年 阪上祐人

兵庫県須磨学園高等学校出身

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#21 「役割」 池田暢(体育4・福岡中央)

2021年04月21日 10時54分25秒 | 2021年 俺の話を聞いてくれブログ


こんにちは。筑波大学硬式野球部の池田暢です。

 

「すごいのは筑波の硬式野球部であっておれじゃない」

 
筑波に入って野球をしているというだけで、周りにはすごいねと言われることはよくあったけど、
1年生の時は正直こう思っていました。

神宮大会に出場しても、筑波の野球部が勝手に神宮に行った。感覚としてはこんなもんでした。
高校までとのレベルの違いに驚かされて、Bチームの一選手として毎日の練習をこなして、

別に自分がいなくても明日の野球部は変わらずまわる、そんな状況を自分が誇りに思えるわけでもなく、
なんとなく過ごしていた時期もありました。
 
早く帰省がしたい。野球のモチベーションといえばこれでした。
けど、それなら辞めればいいのにそれだけは考えられない自分がいて、なんで野球をするのか一回ちゃんと考えたことが
ありました。

その結果、まとめると「野球が好きだから」という、真剣に考えたわりには簡単な答えが出てきました。
野球が好きだから、結果が出ると嬉しいし、勝つと嬉しいし、だから野球をやっている。
 
すごく簡単な答えだし、「なんだそれだけか」って自分でも思いました。

けど、その簡単な答えがめちゃくちゃ大切で、その簡単な理由に自分は14年も費やしとるんかって思ったら、
その時の状況がとてももったいないように感じました。

この部活でも結果を出したいし、勝ちたい。筑波の野球部が勝手に勝つのはもう嫌やなって。
このチームが勝つには自分が必要で、勝ったときに本気で一緒に喜びたい。
 
そんな思いで、それを叶えるためには自分は野手コーチになるのが一番良いと思って野手コーチになりました。
もしかしたらチームのために、というより自分の思いを叶えるためにというほうが強いかもしれません。
 
 

ここまでが野手コーチになるまでの僕の話で、ここからが野手コーチになった僕の話です。
 
こんな感じで野手コーチになった自分は今Bヘッドをしています。
(早く帰省がしたい。このことは何があってもぶれません。何があってもぶれません。)
 
野手コーチになって一番に感じることは、グランド外が本当に大変ということです。明日の30分のメニューを組むのに
1時間考えることもあるし、一週間の予定を立てるのに何時間も時間を費やすわけです。オフの日にミーティングに
呼ばれることもあります。(これだけはどう考えても嫌です。ヘッドコーチ林さん。)

提示されるメニューは一つのファイルとか一つの文章にまとめて送られるけど、そうやってできたメニューっていうのは
選手のみんなに特に知っておいてほしいです。

だからこそ選手に伝えたいのは、同じように家で2時間も3時間も考えろってことじゃなくて、
グランドでの2時間、3時間の練習を本気でやってほしい。

グランドで一番本気出さないといけないのは、やっぱりプレーする選手じゃないかなって思います。
スタッフは明日の練習とか来週の練習、一ヶ月後のチームとか半年後のチームを本気で考えています。
だから納得できないメニューがあるなら聞けばいいし、思うことがあるなら愚痴で終わらせるんじゃなくて、
それを意見にして伝えてほしい。
 
スタッフが何をしようが、結局勝つか負けるかは選手がグランドで何をするかだと思います。
その部分はスタッフは選手を信じて任せるしかないから、グランドで一番本気になってほしい。
 
 


あとはBの4年生の選手に個人的な思いを、この場を借りて書かせていただきます。

スタッフか、選手か。
この二択に悩んで、それでも選手を続けている人たちを自分は本当に尊敬しています。スタッフは言ったら立場が
保証されて日々野球をする中で、その人たちは4年生でBなのに選手をする価値みたいなのを求められ続けて、
Aの選手にもスタッフにもないしんどさが絶対あると思います。

それでも声とかプレーとかでチームを引っ張る姿を見たら、選手として残るべき人たちが残ったんやなって、
本当に思います。

やから最後、
もしかしたらラストチャンスになるかもしれんけど、どんな形でも、リーグで活躍する姿をぼくは見たいです。

そして後輩たちは、この人たちの姿を見て何かを感じてほしいです。4年生でBで頑張る選手を目指せってことでは
ありません。リーグで打つこと、リーグで守ることを目指してやるんやけど、それでも今この先輩たちから学べるものは
絶対何かあると思います。
 
 
 
自分はずっとBにいて、今もBヘッドをしているのでここまで割とB目線の話になってしまったし、いろいろごちゃごちゃと
言ったけど、結局日本一になろうと思えばリーグに出る人たちがグランドで結果を出さないといけません。
どう考えてもやっぱり一番プレッシャーのかかるところだし、しんどいと思うけど、勝ちたいから打ってほしいし、
勝ちたいから守ってほしい。
 
 
 


このチームにはいろいろな人がいます。
強豪私立から来た人もいれば、公立高校からきた人もいて、
be動詞が分からない人もいれば、東大に落ちて筑波に入ってきた人もいて(落ちることならおれでもできるけど)、
日本の教育を変えたいと言って世界一周しようとする人もいれば、
帰省がしたすぎて授業中に空港のライブ映像を見る人もいます。
 
けど、そのいろんな人全員に必ず役割があると思います。
 

もう一度言いますが、このチームにはいろいろな人がいます。
スタッフに回った人、悩んだけれど選手に残った人、チームを代表してリーグに出る人。
だけど、これまで書いてきたように、全員にやるべき事があります。
 
いろんな人のいろんな役割は、全員がそれを全うすれば筑波の強みになるし、できなければ筑波の弱みになる。
 
 
自分はこのチームで勝ちたいと思っています。
150の役割が機能すれば勝てると思うし、そんな集団が日本一になれたら、心を奮わせる存在に近づけると思います。
 
このチームが勝つためには全員が必要とされて、
勝ったときに全員が本気で喜べるようなチームになりたいなと思います。
 
 
拙い文章でしたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
 

 

 

体育専門学群4年 池田暢

福岡中央高校出身

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2021年 春季リーグ戦

2021年04月13日 19時55分11秒 | 2021年春季リーグ戦

皆様こんばんは。
4年マネージャーの中川です。
先週末からリーグ戦が開幕し、武蔵大学との第1節では無事2勝を収めることができました。

本日はその試合の様子をプレイバックしていきたいと思います!


まずは、4/10開幕戦。
先発はエースの佐藤隼輔(体育4・仙台)
隙のない投球で9回を無失点完封で投げ切りました。

先発の佐藤隼

 

打線は相手投手の山内に抑え込まれていましたが、7回裏、西浦謙太(体育2・府立八尾)のツーベースを皮切りに、小川柾(体育3・札幌第一)のタイムリーヒットが決勝点となり、勝利を収めました!

タイムリーを放った小川柾

続いては、4/11第2戦
延長12回タイブレークにもつれ込む痺れる展開となりました。

先発はリーグ戦初登板の北爪魁(体育2・高崎)
初回に2ランホームランを浴びますが、その後はランナーを出しながらも粘りの投球で5回まで2失点で抑えます。

打線は相手先発の石綿を捉えきれず、突破口を見出だせません。

膠着した試合が続く中、北爪の後を受けた吉本孝祐(体育4・彦根東)が要所を抑え、攻撃のリズムを作ります。

途中登板した吉本

吉本が作った流れに乗り、打線は7回、代打の野中大輝(体育4・秋田南)のツーベースを皮切りに星野のこの日2打点目となるタイムリーヒットで同点に追い付き、試合はタイブレークに突入します。

2本のタイムリーヒットを放った星野

延長に入り、10回は両軍無得点に終わります。
延長11回、佐藤耕平(体育2・弥栄)の犠牲フライで勝ち越すも、その裏、エラーが絡み同点に追い付かれます。

犠牲フライを放った佐藤耕

そして、運命の延長12回。
片岡心(体育4・報徳学園)が送りバントでランナーを進め、佐光雄治(体育4・向陽)のタイムリーヒットが決勝点となり、4-3で2連勝を飾りました!

決勝打を放った佐光

2日間、ご来場頂きました方々、ライブ配信にて試合をご観戦頂きました方々、皆様のご声援のお陰で素晴らしいスタートを切ることができました!

次節は4月24,25日曜の桜美林大学(大田スタジアム)との試合です。

これからも応援宜しくお願いします!

 

中川隼

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#20 ちはやふる、野球の神様はくる (野澤千駿/体育3・新潟長岡)

2021年04月09日 20時06分54秒 | 2021年 俺の話を聞いてくれブログ

 

こんにちは。珍しく”サウナー”こと三好伸平に断られ、サウナ欲を必死にこらえながらブログを書き始めています。
いつもブログを読んで心を奮わせられているので僕も頑張ろうと思いますがビミョかったらごめんなさい。


軽く自己紹介させていただきます。
筑波大学硬式野球部3年の野澤千駿です。名前は「ちはや」と読みます。よく良い名前だねと言われます。この前も
誰かが「ちはやって名前かっこいい、親センスある」とほめてくれました。親に感謝です。

「ちはやふる」っていう言葉は「神」を導く枕詞であるので、この春リーグは野球の神様が現れて筑波を大勝利に
導いてくれることになっています。まだ僕は野球の神様が味方をしてくれたと思う経験をしていないので、そろそろ
現れると思います。日ごろの行いもよいですからね。

こんな風に調子に乗ったことを言うと、島先輩にいつもガチトーンで怒られるので、名前自慢はこれくらいにします。
ぜひ、「ちはや」って呼んでください。あ、全然ちーくんでもいいですよ。

出身は新潟県長岡市というところです。日本三大花火に数えられる長岡花火が有名です。全長約2キロの超大型
スターマインフェニックスなど、心に響く大型花火が咲き乱れる長岡まつりは毎年8月2日、3日です。
YouTubeでとりあえず見てみてください。毎年見ていたのに筑波に来てから見てないので、次行ったら感動して
泣いちゃうと思います。いつか見に来てください。全力でいい観覧席お取りいたします。

あと僕の特徴といったら一人称が「僕」っていうところがあげられます。それなのに他人のことを「お前」っていうのが
おかしいらしく、大澤によくからかわれます。彼は頭がよく、僕の言動に対して言い返せない感じに上手に
からかってきます。うざいとしか言えず、それもまたからかわれます(笑)。

ですが彼は僕と同じドラマ好きでよく話が合い、仲良くしてくれる大切な存在です。一月期ドラマは
「オー!マイ・ボス!恋は別冊で」と「知ってるワイフ」が最高でしたな。春のオープン戦期は、同じタイミングで
帯同することが多く、何とか食らいつこうと一緒に頑張りました。と僕が思っているだけで彼は「一緒に」なんか
思っていないかもしれませんが。リーグ戦期も一緒に頑張ろう。

 

さて、「俺の話を聞いてくれ」ブログということで、僕の聞いてほしい話をしたいと思います。

みなさん、「イップス」を知っていますか?今まで普通にできていたことが、プレッシャーなど様々な原因で
できなくなることを言い、野球では送球がうまくいかず、引っ掛けたり上に抜けたりしてしまい、普通に
投げられなくなることを言います。

僕は高校2年の時にイップスになりました。きっかけは、もっと強い送球をしたいと思って、ノックを受けていた時に
腕を大きく回して投げようとしたことでした。ピッチャーみたいに。今考えればそんなことをしたらおかしくなるのは
当然だと思いますが、強い送球ができるようになりたいと思いすぎて、突っ走ってしまいました。それから
どうやって投げていたかわからなくなって、相手が捕球できる範囲に投げるイメージができなくなりました。

当時の監督さんはイップスの自分を練習に普通に参加させてくださり、試合でも使い続けてくださいました。
ただそれが良かったのかはわかりません。高校時代はずっとショートを守っていたのですが、ゲッツーをとるときに
どうしてもショートスローしなきゃいけないとき、抜けるか引っ掛けるかで大体センターかライトに転がって
いきました。それが嫌でゲッツーが取れるときもファーストに投げて、そこでも暴投してしまったこともありました。 

高校2年生の夏の大会もイップスでしたが試合に出ました。送球はすべて願いながら投げていました。投げる方向
向いてないです。幸いゲッツーもトスで済み、何とかファーストがカバーしてくれていましたが、ベスト8をかけた
その夏最後の試合でイップスが発動してしまいました。そんなショートが試合に出ているのを先輩方はどのように
見ていたのだろうかと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

当時のピッチャーは「ショートに打たれたらヒットだと思ってた」と言っていました。やばいですよね。
全然野球が楽しくなくて、恥ずかしいプレーを続けている自分が情けなかったです。

投げない方が良いということも聞きますが、当時の僕は練習すれば治ると思っていたので、めちゃくちゃ投げまくり
ました。「ミセナイナミダハ、きっといつか」、イップスを治してくれるはずだ!なんてわけのわからないことを
考えて、泣きながらGReeeeNの曲を流してネットスローをしたこともありました。

結構前の中学野球太郎という本に、筑波大学硬式野球部監督の川村先生がイップスについて述べられている記事があり、
そこに書いてあったゴミ箱に山なりで投げるパラボリックスローや、軍手を付けて投げる、お風呂の水の中で投げる
など、いろいろ書いてあったので全部やりました。筑波大学のことを知ったのはその本がきっかけなので今思えば
イップスに少し感謝かもしれません。




こんな感じでいろいろ頑張りましたが全く治りませんでした。

いつ治ったかといわれると、多分発症から1年後くらいの、雪が解けてグラウンドが使えるようになったころだと
思われます。この練習で治したという明確な方法があれば、今イップスで苦しんでいる人たちにもアドバイスができる
のですが、投げ続けていたらやっとコツがつかめたって感じで、どのように治したかうまく説明できません。

ただ、今はイップスではないです。
弱肩ですので強い送球を求めて日々試行錯誤していますが、普通に野球ができています。



このような経験をしてきたこともあり、練習の時などにふと思うことがあります。
「あ、今普通に投げたわ、幸せだなあ」って。

よくよく考えると、「あの時あんなにひどかったのに今筑波で野球やれてるのか、すごいな」って思うんです。
それで「なんで普通に野球できてるのにミスすることとか考えてるんだろう、もったいないな」って考えに至りました。

エラーや凡打をしないようにできる限り練習したら、あとは思い切ってプレーしようと思います。
普通に野球できるだけで幸せなんだから。



リーグ戦が近づいてきました。「自信もって思い切りプレーしよう」ってありきたりで簡単な言葉ではありますが、
詰めていった結果、最後はこれだと思います。

「打てるものなら打ってみろ」「抑えられるものなら抑えてみろ」って感じで行きましょう。
僕は試合に出れても出れなくても、応援する立場でも、チームのために全力で臨みます。みんなも同じ気持ちだと
思います。


普通に野球ができる幸せの、もっと高いところにあるものをつかみたいです。最高の瞬間を。

今、多くの人の心を奮わせる、チームTSUKUBAになるときです。






体育専門学群3年 野澤千駿

新潟県立長岡高等学校出身

 

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