平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
最後を飾る第21回は永戸涼世(体育4・八千代松陰)です!
是非ご覧ください!
皆さんこんにちは
筑波大学硬式野球部主将の永戸涼世です。
普段からリーグ戦会場や父母会といった現場のみならず、SNSを活用した広報を通じても多くのご支援ご声援を頂いていること、身をもって感じております。
いつも本当にありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
「俺から言わせると4年生がだめなんだ」と言われているのを他人事のように見ていた2年生。また4年生が言われるのかと思っていたら「3年生のリーダーシップが足りない」と1学年飛ばして怒られ始めた3年生。
そして遂に自分の番が回ってきてしまったという感じです。
月日の流れは早いものですね。
皆様の期待に応えることが出来るよう心を込めて書きますので、しばしの間お付き合いいただけると幸いです。よろしくお願いします。
ラストシーズンに懸ける想いを綴るにあたって軽く大学生活を振り返る時間をください。
大学入学から3年生に至るまでは、1年生からリーグ戦に出場させていただいたり、入れ替え戦の緊張感ある試合に出場させていただいたり、ベストナインを受賞させていただいたりと同期の中でもかなり濃い経験をさせていただいたと思っております。首脳陣の方々ありがとうございました。
他にも本当に色々なことを経験しました。
その度にたくさんのことを学び、転んで少々立てなかったとしても意地で立ち上がり、前に進んできました。
野球以外の部分でもたくさんの経験をし、少しずつ子供から大人に近づいて行きました。
短気は損気であるとか、人生は幅と奥行きであるとか、これもまた一興と言えば何とかなるとか、まあ諸々です。
話を本線に戻します。
このブログを書くにあたって、多くの人の目に留まるし、ラストバッターだし、どうせ書くならば自分にしか書くことが出来ない文章を書きたいと思いました。
こう考えるのは、自分が承認欲求の高い人間であることが関係していると考えています。(大海さん、成沢さんこれで満足していただけたでしょうか)
我々の学年の中で自分しか経験していないことといえば、
先ほども書いたように、入れ替え戦のグラウンドに立っていたことや、富士急に向かうつくばエクスプレス内で吐き気を催して途中下車をしたことなどがあげられますが、
「大学野球で主将を経験した」ということが一番大きなものでしょうか。
ということで、今回のブログは “キャプテン“ というテーマの下で話を進めていきたいと思います。
先ほど振り返った通り、野球はある程度順調に進んできていました。
しかしキャプテンに就任してからの感想は
「苦しかった」
これにつきます。
これまで僕は中学校、高校、大学と少年野球以外はキャプテンを務めてきました。
中学校時代もなかなかに苦労した記憶がありますが、それはキャプテンとしてではなく人間関係やとんでもない練習量に対してであったため、チームを組織していくということに関して悩んだ時間が圧倒的に多いのは筑波大学においてキャプテンを務めた期間です。
なかなか方向性が揃わず今も揃っているか怪しい同期や、野球の実力は確かなものがあるのにまとまりに欠ける後輩たち。
特に同期に対しては、ことあるごとに厳しい言葉をかけてきました。
新チーム発足時に行った規則を確認しなおすミーティングでは、当然幹部が運営しやすいように協力してくれるものだと思っていました。
しかしそんな姿勢は皆無で、自分たちが率先してルールの抜け穴を探すような始末でした。
高校時代の同級生であればこんなことはなかったのにと何度も考えました。
(卒業後も試合を見に来てくれるナイスガイばかりでいいチームでした。これからもよろしく)
そんな状態だったので春季キャンプはひどい有様でした。
・掃除をしていないことを球場の管理人さんに怒られ、残っていた監督にやらせてしまう。
・昼食のカレーの盛り付けに失敗し、最後の方に足りなくなる。
しまいには、op戦に大敗して「お前らの優しさがチームを壊すんだ」と大目玉を食らいました。
あの時は心が折れた音が大きめに聞こえました。
そういった出来事が重なっていったため、常に危機感は持っていました。
そのたびにミーティングを繰り返すものの、本当にこれであっているのかという考えが頭を埋め尽くすばかりで、解決しているのかわからず暗闇の中を手探りで進んでいるような状態でした。
そうこうしているうちに最後の春季リーグが開幕してしまいました。
初戦を勝利で飾ったものの、その後はご存じの通り1カ月間勝ちがない状態が続きました。
何をやっても上手くいかず、チームの成績が低迷していくのと同様に自分の調子も下降していくばかりでした。
あの期間は野球を“楽しい”や“面白い”という感情はなく、“勝たなければならない” “負けてはならない”という極めて義務的な感情が自分を支配していました。
好きでやっているはずの野球が、いつの間にかきつく、辛いものへと変わっていました。
それでも、チームに対しても自分に対しても諦める事だけは絶対にしないと決めていたので、もがき続けました。
リーグ戦に帯同していた4年生投手陣に本音をぶつけたこともあります。
すぐに行動に移してくれて少しずつ状況が変化していくのを感じていました。
大きな変化が表れたのは東海大学戦あたりからでした。
投手陣が粘り、打者陣も援護する「繋ぐ、絆ぐ、つなぐ」といったスローガンを体現するような野球でシーズン初の勝ち点を獲得することが出来ました。
結果4位でリーグ戦を終え、優勝という目標には遠く及ばない結果になったのにも関わらず、心のどこかで入れ替え戦を回避したことにホッとしてしまっている自分がいました。
その心の矛盾も相まって、今までの中で一番苦しいリーグ期間となったことは間違いありません。
自分が正しいと思って仲間と共に創ってきたチームがこんなにも脆く弱いものであったことを受け入れるのには少々時間が必要でした。
正直、何点取れば勝てるのかと考えてしまったことも事実です。ごめんなさい。
何となくこなせている気がしていた “キャプテン” という役職がこんなにも自分のことを苦しめるものだとは思ってもいませんでした。
夏休みに入り秋リーグが目と鼻の先にある今もなお悩み続けています。
きっと学生野球が終わるその時まで悩みは尽きないのだと思います。
しかし、悩みながらも挑戦し続けたいと思うことが出来る、そんな環境があること自体が幸せなのだと思います。
そうとなれば、神宮球場で引退するその日まで悩み続けてやろうと思います。
バッチコーイって感じです。
そして、これまでの経験から一つ確信したことがあります。
それは
「秘めたる闘志は意味をなさない」
ということです。
かなり物議をかもしそうな発言ではありますが、人生の夏休みと揶揄される大学生活の全てをささげた野球を通して感じたことなので、言いたい人には勝手に言わせておきます。
仮に、どれだけ野球選手として大成したいと思い続けていたとしても、何も行動を起こさなければその思いはほぼ存在しないのも同然です。
だってその思いをもとに行動をとることが出来ないほどの小さなものなのですから。
下級生のころの僕です。
なんなら3年生の春リーグくらいまでの僕です。
でも当事者って何か外部からの刺激がないと気づかないんですよね。
僕にとっては、監督から集合中に名指しで「何がしたいかわからない」とご指導いただいたことであったり、本気でその競技で飯を食っていこうとしている人たちと関わっていたりしていたことが刺激となって気づくことが出来ました。
あの時期が僕のターニングポイントでした。
本当に感謝しています。ありがとうございました。
このチームにも同じことが言えると思います。
これまで多くの同期の熱い想いがこもったブログが投稿されてきました。
その多くには
「リーグ優勝がしたい」「笑って終わりたい」
そう書いてありました。
これを秘めたる闘志にしてはいけないということです。
その熱い想いを形にして行動に移さなければ、その想いは意味をなさないということです。
まあ要約すると、
「行動に移そうぜ」ってことです。
ここからは4年生全員がいろんな場所で戦力になると思います。
それぞれが持った熱い想い、必ず形にしよう。
これまでさんざん怒られてきましたが、終わりよければ全てよし。
最後が良ければこれまでの過程は全て正しかったと言うことが出来ます。
証明しよう俺らの4年間を。
後輩たち。
4年生が不甲斐ないせいで最近の試合後ミーティングでは松永や宮澤、ましてや古賀までもがリーダーシップを求められてしまっています。情けないです。
頼りないと思いますがあと少し力貸して下さい。
ここまで大層なことを書いてきましたが、自分一人でここまで来たわけではありません。
様々な方々の支えがあってここまでなんとかやってくることが出来ました。
ここまでも文字数が大変多くなっているため、全員に言及することはできませんが本当に感謝しています。
中でも東條さんにはとても感謝しています。
東條さんなしで今の自分はないと言い切れるくらい、野球人として学ぶことばかりでした。
技術はもちろんですが思考の整理や積み重ねることの重要性を教わりました。
炎上ではなく、イクメン指導者としてバズることを願っております。
そして最大の感謝は家族に対してです。
同僚にサーフィンをしてきたと間違われるほど肌が黒くなるまで試合を見に来てくれる父。
僕が実家を出たせいで今もなお幼稚園で担任を持ち続けてくれている母。
社会人なのに弟の公式戦に全通することを目標に掲げている兄。
リーグ戦のときも勝ったら残ってくれているし、負けたら見つからないように帰っている僕のことを一番に考えてくれているような人たちです。
2人が自分のことよりも優先して、応援し支え続けてくれたから今の僕があります。
春リーグ期間は3人とも柄にもなく励ますようなLINEを送ってくれました。
苦しくてどうしようもない時に踏ん張れたのは3人がいたからです。
気持ちよく学生野球を終えて、一休でビール片手にもつ煮を囲んで4人で笑いましょう。
筑波大学に入学し硬式野球部に入るという決断をしたことで、素晴らしい指導者や先輩、同期、後輩に出会うことが出来ました。この環境が何気ない毎日を宝物にしてくれました。
もしあの頃の決断をやり直すことが出来たとしても、この環境を選ぶと胸を張って言えます。
最後は僕が兄貴と慕っていた先輩がやっていた予祝で締めたいと思います。
「リーグ優勝・日本一おめでとう!」
永戸涼世 (体育専門学群4年/八千代松陰高校出身)