平素より筑波大学硬式野球部への厚いご支援、ご声援誠にありがとうございます。
はじめまして。尾上達哉と申します。
今自分は母校である宮崎西高校で教育実習期間中です。本日、水泳の研究授業が終わりほっとしたところでこのブログを
書きはじめました。拙い文章でありますが最後まで読んでいただければ幸いです。
ちなみに、先程、先輩のけいすけさんから婚約指輪を買ったと電話がありました。ご結婚おめでとうございます。
ブログを書くにあたり、何を書こうかなんと3分にもわたり非常に悩みましたが、やはり僕にしか伝えられないのは
あの2年間だろう、と。笑
僕は2年間の浪人を経て筑波大学に入学しています。
高校時代の僕と言いますと、「勉強?なにそれおいしいの?」といった感じで、県内でも有数の進学校であるのにも
関わらず、野球するか、遊ぶか、寝ているかといった生活を送っていました。そんな生活を送っていれば当たり前の結果
ではありますが、お恥ずかしいことに高3の夏に受けた模試ではマークシートにも関わらず900点満点で300点も
取れませんでした。
そんな高校時代、学年最下位を取ったこともある僕が2年間で筑波大学に入学したメソッドを知りたい受験生の方は
筑波大学硬式野球部受験対策係までお問い合わせください!!
また、この大逆転劇が映画化、ドラマ化されたとすれば、今春の超話題作「ドラゴン桜」に匹敵する感動の受験物語と
なること間違いなし!!映画制作会社の皆様、ご連絡お待ちしております。
はい、冗談はさておき、、、
現役時代、古文の助動詞すら覚えてなかった自分が1浪目、自分で言うのもなんですが、割と必死に勉強して
筑波大学体育専門学群を受験しました。
落ちました。
1103点が合格最低点でした。僕の点数は1102点。
あと一点足りませんでした。
流石にこの時ばかりは、ウルトラスーパーポジティブ人間の僕でも落ち込みました。
「どこの一点だったんだろう」
「1浪目、妥協した時間がその一点につながったのではないか」
そんな反省をいかして、2浪目は「まだできることはないか、妥協していないか」と常に自問自答しながら、
一生に一度の成人式にも出席せず、必死に勉強し、筑波大学に合格しました。初めて、嬉し涙が出ました。
この浪人話を踏まえて、自分が皆さんにお伝えしたいこと、それは
「一瞬に生きる」
と言う言葉です。小久保裕紀さんの座右の銘としても有名です。
意味としては、一瞬一瞬を全力で生きて、悔いのないようにする、ということです。
とにかく、この1分、1秒を全力で生きて、目の前のことに全身全霊で取り組んでいれば、結果の良し悪しに関わらず、
後悔なんてあろうはずがない。僕も心からそう思います。
選手として大した結果が出せていない僕の大学野球ですが、「一瞬に生きる」ことができていたためか、
ここまで自分が選手として歩んできた道に後悔はありません。これは本心です。
今、Bチーム、Cチームでくすぶっている後輩には特にこの言葉を伝えたいです。
Aチームと比較して環境も決していいとはいえないし、チャンスも学年が上がるにつれ、限られてきます。
学年が上がるにつれ、いろんなことが見えてきたり、周りの同期が結果を出しはじめ、不安になったり、言い訳を
したくもなります。そんな時こそ、「まだできることはないか」と考えながら、目の前の一瞬一瞬を大切に練習に
取り組んで欲しいなと思います。
普段、不真面目な僕が大真面目なことを書き、なんかよくわかんない感じになってますが、要するに僕が今一番
伝えたいことは、地元宮崎に帰省したいということです。
まとまりのない文章でしたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。これからも筑波大学硬式野球部の応援よろしくお願いいたします。
それでは、
帰省しまs…
間違えました。
失礼致します。
体育専門学群4年 尾上達哉
宮崎西高等学校
帰省したらいろんな話を聞かせてください。