筑波大学硬式野球部のブログ

筑波大学硬式野球部公式HP http://club.taiiku.tsukuba.ac.jp/baseball/

#19 描いた夢と ここにある今(山田拓朗/体育2・川越東)

2021年03月27日 16時15分49秒 | 2021年 俺の話を聞いてくれブログ



いきなりですが、皆さんは叶えたいことはありますか?


きっと皆さんそれぞれで、何か実現させたいことがあるはずです。
試合に出たい、活躍したい、プロになりたいといった野球に関わることもあるでしょうし、
スマブラが上手くなりたい、モテたい、料理が上手くなりたいといった野球とは関係のないこともあると思います。
受験生の皆さんでしたら、志望校に合格したいといったところでしょうか。そういった何かを叶えたい、実現させたい
という思いはとても大事なことだと思いますし、誰しもが持っているものだと思います。

そしてこれはあくまで僕の自論ですが、それらの大抵のことは叶えられると思っています(火星で暮らしたいとか、
アニメの世界へ行きたいとか、そういうのは別です)。というか、そう思って生きていた方が楽しいと思うのです。

例えば、痩せたいと思っている人がいたとします。その人が本気で痩せたいと思っているなら、
自然と食生活が改善され、運動習慣が改善され、痩せることが出来ると思うのです。脂質の多い食べ物を本能的に避ける
ようになると思うのです。そして、痩せるということを実現出来ると思うのです。

実際、僕も痩せようと思った中学三年生以来、マクドを殆ど食べていませんし、食べたくもなりません(自分が東京出身
なのにマクドナルドをマクドと呼ぶのは、マイヒーロー菅田将暉さんがそう呼んでいるからです)。
配車の時に気を遣わせてしまってホントにすいません。

でもこの考え方は、割と他の人には当てはまらないみたいです。痩せたいと思っても、食べたいものは食べたいし、
動きたくないものは動きたくないそうです。もしかしたら僕が変わっているだけかもしれません。

一時期、心友の岩室くん(絶賛前歯損傷中、いじってあげて下さい)と、口癖のように言い続けていた言葉があります。

「やりたいんだろ?やったらええやん」

どんな経緯で言い始めたかは覚えていませんが、意外とこの言葉は使い勝手がいいです。
例えば、打てなくて悩んでいる時に「ヒットを打ちたいんだろ?打ったらええやん」といった感じで使います。
この言葉に当てはめると、なんとなく実現できそうな気がしてくるのです。

これは僕の経験論なのですが、正解が無い問いに対して、狭い考え方しか持たずにアプローチしても、中々上手く
いかないことが多いです。中学生の頃、いくらバットを振り続けてもヒットが打てず、毎日死んだ顔で練習に行って
いたことを思い出しました。

あの頃の僕にひとつアドバイスができるとしたら、先程の言葉を送ると思います。難しく考えることも時には大事
ですが、割り切りも大事です。でも、やるからには本気でなくてはいけません。真剣でなくてはなりません。
そのような意味を込めた「やりたいんだろ?やったらええやん」の精神は割と僕にはハマってます。


ここまであたかも僕が野手であるかのような内容を綴ってきましたが、現在はバリバリの投げ専です。でも高校1年までは
野手でした。苦手なことは、守備と走塁と変化球打ちです。

自分は大学に入って球速が伸びました。これも「やったらええやん精神」で、広い視点で考えて、取り組んできた結果
かなと思います。でも多分シャドーボクシングは効果が無かったです。

ただ、球速だけで打ち取れるような甘い環境では無いことは重々承知しています。球速だけを追い求めると多方面から
怒られる気がします。吉本さん(今日好き青桐寮編出演)には褒めてもらえますが。これからも「やったらええやん精神」を
忘れずにやっていきたいと思います。

また、僕は元々緊張しがちで試合になると力を全然発揮できないタイプでした。でも「試合で緊張しても良いプレーが
したいんだろ?したらええやん」と自分に言いきたせていたら少し直ってきました。




僕にとっての人生のバイブルであるMAJORでのワンシーンでこんなものがあります。

主人公である本田吾郎(当時)が、強豪横浜リトルとの大一番でまだ未完成であったチェンジアップを見事に操り、
強打者たちを三振に抑えるシーンです。その時の横浜リトルの樫本監督の心情を表したセリフが、

「スポーツ選手には練習でやったことを試合で100%出せるやつと、気負いや緊張で、50%も出せないやつの2つのタイプ
がいる……だがあいつはそのどちらにもあてはまらない!!練習で未完成だった球を、逆境で100%以上にして出してしまうん
だからな!!」

というものです。僕はこのシーンを読んでハッとしました。そして、僕もこうなろうと思うようになりました。
試合は自分の力以上のものが出せるから、気楽に行こうと。時に僕もこの考え方を忘れそうになるので、
ここに残しておきます。

余談ですが、僕の部屋にはMAJORが全巻揃っています。ぜひ読みに来てください。
あと、僕が風呂で泳いでいるのは、当時5歳の吾郎くんが風呂で泳いでいるシーンを参考にしています。


加えてもう1つ、僕の好きな言葉があります。

好きこそ物の上手なれ

これは、割と有名な言葉かと思います。やはり、好きであることが1番大事なのだと思います。僕は野球が好きです。
上手くなりたいという純粋な気持ちで練習をしています。そして何より、野球を愉しむことは忘れてはいけないと
思っています。

勿論、上手くいかない時は全く愉しくないです。打ち込まれた後はどうしようもないくらい落ち込みます。
でも野球が好きだから、また次頑張ろうと思って練習に行けるのだと思います。

正直、今野球が好きではない人もいると思います。そんな人は、ハッタリでもいいから、1日だけでもいいから、
俺は野球が好きだ!と自分に言い聞かせて練習してみて下さい。ダラダラこなしていた練習よりも、ワンチャン
やり甲斐あります。ワンチャン愉しいです。



そして最後に、僕はこのチームが好きです。林ヘッド(JK100人に聞いたなりたい顔ランキング第4位)は、どんな時も明るい
声掛けをしてくれます。市村投手ヘッド(試合中の走行距離ナンバーワン)と森トレーナー(アツい漢)は、これでもかという
くらい僕達ピッチャー陣を気にかけてくれます。

僕がマウンドに上がると、内野、外野、ベンチから本当にたくさんの声が聞こえてきます。特に謙ちゃん(2年西浦謙太)
の声はよく聞こえます。最近ではオブザという言葉を良くかけられます。意味はまだいまいちよく分かりません。
そして、その度に僕はこのチームの戦力としてチームに貢献したいと強く思います。そして、自分に言い聞かせます

「チームに貢献できる選手になりたいんだろ?なったらええやん」

よし、今日も練習頑張ろう。

最後まで読んで頂きありがとうございました。





体育専門学群2年 山田拓朗
川越東高校出身

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#18 team (伊藤蓮/体育3・横手)

2021年03月26日 20時14分21秒 | 2019年 沖縄キャンプ


「君と世界が終わる日に」毎週楽しみに見ていたこのドラマの最終回を見届け、ようやくこのブログを書き始めることに
しました。皆様、お疲れかとは思いますが私の稚拙な文章にしばしお付き合い頂けたら幸いです。
 


いきなりですが、これまでのブログを読んでみて思ったことが一つあります。それはまだまだみんなのこと理解してる
ようでしてないなーってことです。とくに三年生
(新四年)とはこんなに長い時間を共に過ごしているのに未知なことや、
意外だなぁと思うことが多くあって、自分がいかに無知であるかを思い知らされると共に、まだまだみんなのことを
知ろうとしないとなと思わされます。これがいわゆる無知の知ってやつかって感じですね。
 

なので私も、私がなにを考えているか、どんなチームにしたいか、どんな人間になりたいかを知ってもらいたい、
自分で整理したいので書いていこうと思います。
(自分のことは自分が一番知ってるようで自分が一番知らないっていう
説もありますがご容赦願います。)
 

 

かわいい後輩のうちの一人、仲井くんのブログにもありましたように我が野球部は一般から推薦、はたまた北から南まで
多種多様な人材で溢れ帰っています。野球への関わり方、向き合い方、将来の考え方、価値観、いずれも同じ人間は
存在していません。それがこの野球部の強みであると同時に欠点にもなりえると思っています。
しかしまた、そこに我々の存在価値があるとも私は考えています。皆さんはいかが思いますか?

強豪私立出身から公立進学校出身など多種多様な人材が入り混じり、かつ国立大学である我々が成し遂げようとしている
こと
(リーグ優勝、日本一、全国への発信)は全国の野球少年、はたまたそれ以外の人々にも夢と希望を与えることができる
と私は本気で思います。これが我々の目指す「心を奮わせる存在」であります。
 

つまり、「筑波でもできるなら俺らもできる」とか「筑波みたいにやれば勝てるかもしれない」「そんな取り組み方
あるのか」「
筑波ってすごいな、なんか応援したくなるな」と、これを見た人がそんな風に少しでも思ってくれれば
それはもう、私たちはこれを見てくれている人々の心に微力ながら影響を与えられたということになります。
(心を
奮わせる存在の私なりの結論ですが)それが私が目指すチーム像です。

心を奮わせるなんて大層な言葉ですが、私は自分の人生が他人の人生に影響を与えられるような人間が多く存在する
チームを創りたい、またその一員、そんな人間
になりたいのです。 

誰しも感謝されたり、アドバイスを求められたり、自分が頼られたりしたら嬉しい気持ちになりますよね。
それが相互にできるチームが、良いチームって言われるんじゃないかなってこれを書いてて思いました。
 

野球のプレーはもちろん、日常生活でこそ。掃除は少し手間かかって嫌なときもあるけど、終わってからありがとう
なんて言われた、少し報われた気持ちになる経験みんなしてきてるはずです。こんなことがいつもグラウンド内外、
社会の至るところで起こっていればきっともっと良い世の中になっているはずなのになぁ。なんて一人でいるときに
考えることがあります。お互いにお互いを称えあったり、頼りあったりできれば一人一人の存在価値、
存在意義は向上、
自尊心も高まり、チームの一体感も出てくる。これが常にできる人に、集団になりたい。
 

 



「大人とは他人の幸せを自分の幸せに思える人間」
(ちょっと違うかも) 

みたいなことを以前監督さんがミーティングでおっしゃっていました。二十歳そこらの私が言うのもなんですが、
僕はまさにこれがいまのチーム、ひいては社会に足りないものではないかと思いました。

人は自分のためにする行動には限界があるってなんかの本に書いてあったように、自分のためはもちろんそこを
乗り越えた何か
(家族、仲間、大切な人)のためにする行動は強大なパワーを生み出すらしいです。そのなにかが人によって
異なるのは当然ですが、少しだけみんながチームのためにという思いを持ってくれれば、もっともっと我々は強く、
たくましく、心を奮
わせる存在になれるのではないでしょうか。 

強要はしませんが、なにか思い詰めたり、なんのためにこんなことしてるんだろうなどと気が病むようなときは
周りの人や、家族、自分を応援してくれる人を思い出してみるといいのかもしれません。
 

そのとき思い出すのがチームメイトであれば最高のチームになっているともいえるのではないでしょうか。 

 

運命とかっていう言葉を使うのはあまり好きではありませんが、私たちは出会うべくして出会っていると私は考えて
います。極端ですが、人は自分のためになる人としか出会わない
(良くも悪くも)っていうのがわたしの考え方です。
なんせ人生が100年だとして一人一秒ずつ出会ったって世界中の人には出会えないのですから。
 

だからこそこのチームで、この仲間で大きいことを成し遂げたい。

それがリーグ優勝なのかもしれないし、もっと大きいことなのかもしれない。
 


来るリーグ戦に向けて、チームで戦うっていうことに変わりはありません。ただその中にチームのために、仲間のために
という人が少しでも多くいてくれれば、欲をいえば全員がそうであってくれれば勝利はもちろん、それ以上のものを経験
できると本気で思っています。
 

 

全員で作り上げよう。最高のチームを。 

 

 

体育専門学群三年 伊藤蓮 

秋田県立横手高等学校 

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#17 二度目の大学野球 (中嶋夏樹/体育3・伊那北)

2021年03月25日 20時19分28秒 | 2021年 俺の話を聞いてくれブログ

 

「野球部を辞めたい」

こう考えたことがある人は一定数いるだろう。何せ、僕も退部を真剣に考えていた一人であるから。

このブログは、同期や先輩方への感謝と、悩める後輩たちへのメッセージを込めて書かせていただく。

 

僕が筑波大学を志したのは、野球部に所属して高いレベルに挑戦したいという単純な理由である。はじめは体専以外の
学群に入れたらなと考えていたが、学力の関係もあり高3の夏に体専志望に変えた。当時の僕にとって大切だったのは、
どんな勉強をするか、ということよりも、筑波大学で野球をする、ということだったのである。

無事合格を果たし、念願の部活動に参加した。様々な疑問を感じつつも、新人連は充実したものだった。朝練から
始まり、夜は平砂宿舎の広場でバットを振る生活、懐かしい思い出である。

 

しかし、新人連が終わりを告げようとしていた2018年5月13日、僕は1度目の大けがを負う。初出場した試合、しかも、
代走で出場した直後に盗塁を仕掛けた際、右膝前十字靭帯と半月板を損傷した。当時はケガについての知識はほとんど
持っておらず、楽観視していた部分もあったが、全治8か月程度と診断を受けたときは衝撃を受けた。


長いリハビリを乗り越え、大学2年の5月、ついに復帰を果たす。しかし2019年5月15日、1度目のケガをしてから1年と
2日後に、僕の右膝は再び悲鳴を上げた。診断結果は再断裂、1年間のリハビリ生活を余儀なくされることとなった。
この時はまだ自分の可能性を信じており、3年の春リーグから戦力になってやるという気持ちでリハビリに取り組んで
いた。しかし、この気持ちは時間とともに薄れていった。7月に手術を受け、1週間ほど実家に帰ったのだが、この時に
僕の中で完全にスイッチが切れてしまった。そして、8月の上旬につくばに戻ってきた際には、野球部を辞める決意を
固めていた。

 

退部したいと考えていた理由は主に2つある。

 

一つ目は、自分を信じられなくなったこと。1度目のケガのときも真剣にリハビリをしたが、結果として再受傷して
しまったならばどうせ次も同じだろうと考え、復帰後の姿を思い描けなくなっていた。

二つ目は、野球部のシステムの問題。身勝手な理由だが、スタッフになって今日も懸命に活動してくれている仲間や
後輩の存在を慮らずに当時の考えを正直に書くと、自分の可能性に挑戦することすらできていないまま選手の道を断つ
ことは考えられなかった。また、結果を残していない状態で選手を続けたい、と言うことにも大きな抵抗があった。

これらの理由から、これ以上部活に参加し続けることは不可能だと思い、退部を決意していた。

 

しかし、僕は心が弱い。決断したものの行動に移すことができず、部活にほとんど参加しないまま10月末のスタッフ
ミーティングに突入してしまう。この、退部を決意してからミーティングが始まるまでの約2か月間と、ミーティングの
期間中、何人もの同期や先輩方が話を聞いてくれた。その中で、僕は野球が好きで、プレーしたい気持ちは残っている
ということに気づかされた。野球がしたくて筑波大学に来たのに、その気持ちにうそをついていいのか、真剣に考えた。

 

「どんなに小さな試合でもいいから、1本ヒットを打ちたい」

 

この時の純粋な目標である。野球ができる体に戻るかどうかもわからなかった僕にとっては大きな目標だったが、他の
選手からすればかなり低い目標だろう。しかし、同期の仲間たちは、僕が選手を続けることを応援してくれた。
今となっては感謝の言葉しか見当たらない。

 

選手を続けることとなり、以降リハビリに励んだ。しかし、足の状態はなかなか回復せず、復帰の目途が立たない。
当初は3年の7月頃を目指していたが、復帰できたのは11月だった。年末までに数試合出場機会をもらったが、結果を
残すことはできなかった。

 

そして2021年、ついに目標が叶うときが訪れる。先日の茨城アストロプラネッツとの試合で、ライト前を打つことが
できた。一般的には、たいして記憶に残るようなヒットではないだろう。だが、僕にとっては大きすぎるヒット、
大学野球に取り組んできた証となるヒットだった。

 

野球と真剣に向き合うのもあと半年余り、自分のためにプレーするのはもう十分である。野球を続けさせてくれた
仲間のため、チームのために精一杯の力と心を込めてプレーしていきたいと思っている。




体育専門学群3年 中嶋夏樹

長野県伊那北高校出身

 

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#16 一瞬 (野中大輝/体育3・秋田南)

2021年03月23日 16時38分13秒 | 2021年 俺の話を聞いてくれブログ

 

こんにちは。
筑波大学硬式野球部3年の野中大輝です。試合時の整備ありがとうございました係をやらせてもらっています。

名前ですが、読み方はノナカダイキです。しかし、ヤナカなどと呼ばれています。
最近ではヤン坊と呼ばれることが増え、本来の名字と1文字も被っていないのですが、もう呼びやすいもので結構です。

さて、今回せっかくこのような機会をいただいたので、できるだけ私なりの言葉で何か書けたらと思っています。




まずは、この3年間で特に感じた大事だと思ったことを紹介します。

それは、心に少しでも余裕を持つことです。これは、簡単だと思う人には簡単かもしれませんが、人によっては非常に
難しいことではないかなと思います。そもそもそんな人には余裕がないことに気づく余裕すらありません。
実際私は一年夏の記憶がほぼありません。三遊間の先輩が揉めてたことと熱中症で倒れてプールに浸かってたのは
覚えています。

この先の内容は、当たり前の話かもしれないし、私自身周りから見たときに出来ているとは言い難い状態であるかも
しれませんが、現在余裕のない方たちが少しでも余裕を持てるきっかけになればいいなと思い、いくつか私が
実践したことを紹介します。出来ている人が大半かもしれませんが、後で皆さんお待ちかねのプロレスの話も少しする
つもりなので良ければ最後までお付き合いください。

まず、一つ目は準備です。

例えば、練習メニューが出たら大事なことや注意することを考えます。それで整理ができたら大丈夫ですが、まだ不安が
あれば余裕が出来ている人と話すのが1番です。私は、ハイボールヒッターの今井君によくお世話になってます。
これだけでいざ実践するときの感じ方が変わると思います。野球を例に話してはいますが、日常生活など他の場面でも
準備は大切になってくるんじゃないでしょうか。

二つ目は、自分を空から見下ろしたような景色をイメージすることです。

野球の試合で、ボールが実際に動いてるのは20分程度ということらしいので、それ以外の時間で自分の動いてる姿を
想像していたら少しは余裕が持てると思います。この二つから言いたいことは、少しでも頭の中整理できたら良いよね
という事ですが、やっぱり難しいので自分なりの方法探してみてください。あと、リラックスして話せる人と話す時間も
大事だと思います。

また、他にやってることとして人の話を聞きすぎないなどがありますが、多分良くないです。

こんな感じで、周りが見えなくなったり、なんか苦しかったりといったような思うところがある人いたら少しは話せることあると思うのでぜひ話しましょう。





 ここからは、プロレスの話です。よくあまり興味が無い人にしつこく話をしてしまうことがあります。被害に遭われた
皆さんは申し訳ございません。2階の後輩たちが「僕は好きですよ」と言ってきたのを見て、片岡主将の厳しい教育が
目に浮かびました。

そもそも、私が好きになったきっかけは、2013年1.4の東京ドーム大会”オカダ対棚橋”の闘いです。衝撃を受けたのを
覚えています。プロレスには、相手の力を引き出して、出された技を全て受けきった上で勝つ、「受けの美学」という
言葉があります。恐ろしい危険な技を繰り出し合いながらも、何度も立ち上がるその姿に私は心を奮わせられて
しまいました。ここでは説明し切れないので興味ある方は是非一緒に観に行きましょう。

また、プロレスラーは多くの言葉を残しておりまして、ブログの最後に「物事が変わるのは一瞬だ」という言葉を
挙げさせていただきます。良くも悪くも物事は一瞬で変わります。

大学まできたら、これまでの人生の中で多くの人がそんな場面を経験してきたと思います。そしてこれからも
経験していくと思います。これから始まるリーグ戦も決して全てが上手くいくとは限りません。どんな激しい攻撃を
受けたとしても受け切って跳ね返していきましょう。きっと勝利の3カウントが聞こえてきます。



色々絡めて上手いことまとめてみようとしてみましたが、すごく微妙な感じになってしまいました。
とにかく、いろんな立場、役職などあるとは思いますが、全員でリーグを戦い抜いて優勝を掴み取りましょう!

森君が書いてくれたワンバウンドボール回しや、二塁への直角スライディングなどのエピソードはまた別の機会で。

拙い文章ではありましたが、読んでいただきありがとうございました。


体育専門学群3年 野中大輝

秋田県立秋田南高等学校出身

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#15「俺が見ている景色」 (中澤寛也/体育3・時習館)

2021年03月21日 17時09分13秒 | 2021年 俺の話を聞いてくれブログ

 

                                  

最近気に入っている言葉はいとれん(伊藤蓮/思想家)が練習後にボソッと放った一言、

「有言実行ってかっこいいよね。」

 

 

全国の筑波大学硬式野球部ファンの皆様おはようございます。こんにちは。こんばんは。

東三河が生んだ小型肉弾戦車、中澤寛也です。日頃より弊部への手厚いご支援、温かいご声援ありがとうございます。
こんなご時世ではございますが、部員一同毎日真摯に野球と向き合い、元気に活動に取り組むことができております。


僕の書いた文章を読んでいただくのはこれで3回目でしょうか。何回書いても慣れないもので、非常に頭を悩まして
おります。そして今回は「俺の話を聞いてくれ」という人生経験の浅い二十歳過ぎの若造にとってはでかすぎるテーマで
書かせていただきます。これまでに掲載されたメンバーのブログはもちろん全て読みましたが、みんな自分の思いや考え
を伝えるのが上手で、おもしろいブログを書いていて本当に凄いです。尊敬します。


しげ(山本祥平/配車要員)のブログの中で、よしもん(吉本孝祐/キャラ渋滞)と一緒に名前を並べられて小言を
言われましたが、僕はそこに対して全く問題意識を持っていないし、「何とかなる、何とかできる」という自身がある
ので気にしていません。しげには頑張ってもらって「泥臭く、貪欲に」あがいてほしいと思います。

あんまりだらだら話していると、さとし(大竹哲司/二浪の星)に
「もっと考えまとめてからしゃべれよ。何言いたいかわからん。」と下顎を少し出しながらど正論のありがたい御指摘を
受けそうなので本題に入ります。

 

選手からトレーナーに転身して1年と4か月。
トレーナーのグラウンドにおける主な業務はウォーミングアップとトレを仕切る、けが人が出たら対応する
(基本的に吉田さんが応急処置をやってくださる。いつも感謝しております。) 、あとは諸々の補助です。

プレーに集中する選手や練習を回すのに必死なコーチとは違って、結構余裕があります。
練習も回ってるし、特に僕に求められる仕事がない。そんな時僕はここに立ちます。


ここに立つといろんなものが見えてきます。


ノックが上がらなさ過ぎてハニカム林(林大樹/人格ヘッド)。それに対して微妙な反応の外野陣。
狙えばいつでもホームラン打てる野中(野中大輝/俺たちの4番)のめちゃくちゃ上手い殺したバント。
決まらんけどおらつく大希(星野大希/イケメン宇宙人)。

右に視線を移してグラウンドの外を見ると、ケガ人たちが復帰に向けて必死にトレーニングを積んでいます。
その奥には中川(中川隼/ツッパリヘア)率いるマネージャー陣がチームのため、リーグ戦運営のための業務に追われて
忙しそうに働いています。

左後方を振り返ると、なぜか選手以上に身体づくりの意識が高い市村(市村悠大/歴史評論家)ともりけん(森健太/アツい漢)
がウエイトをしていて、B投手・B野手が他目グラウンドの限られた環境の中でAチームに食い込むために一生懸命練習
しています。

こんな感じで、ここに立つといろんなメンバーのいろんな表情を一度に見ることができるので、僕はこの場所が
大好きです。あんまり長居しすぎると、いけみつ(池田暢/元バスケ部)と泰河(大友泰河/天才ノッカー)に
「またさぼってんのか」と言われるので、最近はグラウンドに戻るようにしています。

球場の中にもう一つ僕の好きな場所があります。ハウスです。


ここに立つと、脳内の細胞がフル稼働していろんなことに考えを巡らせることができます。個人的に忘れられない
ハウスでの思い出は、寺崎(寺崎魁人/鍋奉行ガチ勢)と2年生スタッフミーティング前の悩み期にほぼ毎日2時間ほど
籠って自主練したことです。あの時は2時間一言も話さずに僕は黙々と投げる、てらさきは黙々と打ち続けるという日も
ありました。

僕は自分たちのスタッフミーティングから1年経ち、1つ下の学年にとって1番良いのは何なのかをひたすら
考え続けました。僕の頭では正解らしい正解は出せませんでした…。寺崎もいろいろ考えていたと思います。

2人の間に聞こえるのは打撃音だけ。他の人から見たら少し異様な時間が流れていたかもしれません。
でもなぜか心地良い、そんな時間でした。

最終的に寺崎はSSDという立場でチームを支える立場に回ることを決断しました。
僕はその決断をした寺崎をリスペクトしています。今後もチームのために力を尽くして頑張って欲しいです。


個人の決断には周りの人の助言が大きな影響を与えますが、その決断の責任は全て自分にあります。全て自分に
返ってきます。周りの人は責任を取ってくれません。人生における貴重な時間として生かすも殺すも最後は自分。
このことはスタッフミーティングを2年見て、ようやく分かった僕の中での1つの答えです。スタッフミーティングに
ついての自分なりの考えを持っている人、「正解のない問い」を共に考えましょう。

ちなみに、「正解のない問い」はいとれんも大好物で、いろんな内容でお話しています。だいぶ気持ち悪いですが、
楽しいです。一緒にお話ししましょう。気持ちは「お前も鬼にならないか?」って感じです。

難しい話は置いといて、ハウスは野球も上手くなるし、自分も見つめ直せます。
バッピして欲しい人、どんどんお待ちしております。気軽に声を掛けてください。





3年間の大学野球生活を通していろんな景色を見てきましたが、まだまだ見られていない景色が山ほどあると思います。
その中に「リーグ優勝・日本一」もあります。昨今、スポーツ界では勝利至上主義の価値が問われる場面が
多くなってきていますが、勝利を重ねることでしかできない人間の成長や掴むことのできない何かがきっとあると
思います。

僕が人生の中で勝利にこだわって何かに取り組むのは、もしかしたら大学野球が最後になるかもと思っています。
勝利の先に何があるのかを知るためにも、チームの勝利にコミットしていきます。選手のみんな、僕を使ってください。



少し熱くなってしまいましたが、この手の話は心(片岡心/俺たちのキャプテン)の大好物なので、みんな積極的に
熱い話をしに行きましょう。チームとしてまた一つ成長するきっかけになるかもしれないです。


拙い文章でしたが、貴重な時間を割いて最後まで読んでくださった皆様ありがとうございました。
それでは次回「ダンベルアップの真実」でお会いしましょう。じゃ~ね~。

 

 

体育専門学群新4年 中澤寛也

愛知県立時習館高校出身

 

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#14 春リーグに向けて (浅井佑介/体育3・名大附)

2021年03月18日 20時00分03秒 | 2021年 俺の話を聞いてくれブログ


こんにちは。3年の浅井佑介です。
平素より筑波大学硬式野球部を応援していただきありがとうございます。

私は、現在プロになることを目標に練習や日常生活を送っています。皆さんもあるとは思いますが、日々の生活の中で
私は過去の自分の行動や選択について「あの時こうしていたらどうなっていたのか」と考えることがよくあります。
特によく考えること、最近感じたこと、思っていることについて書いていこうと思います。

文章を書くことが苦手で拙い文章で恐縮ですが、
今回ブログを書く機会をいただいたので書かせていただきました。



よく考えることの一つとして高校時代のことがあります。ご存知の方もいると思いますが、私は高校3年間、夏の大会
では全て5回コールドで負けています。また2年時の秋、春は人数が9人そろわず他校と共に合同チームとして出場するなど
一般的なイメージの高校球児とはかなり異質な高校野球生活を経験しました。

そのような経験をする中で、もし高校野球を強豪校で過ごしていたら自分はどんな投手になっていたのか、こういう
取り組みをしていたら合同チームや少人数でも勝ちあがることができたのではないかとか、大学生になった今だからこそ
考えられることでもありますが、ふと思い残したことがあります。

 

また私は2年の秋リーグ戦の最終戦で先発をさせていただきました。その時に初先発で気合が入りすぎたのか、
積み重なってきたものが耐えきれなくなったのか、試合中に肘を痛め、負傷交代をしました。その節は寛山さんと
中真さんには大変ご迷惑をおかけしました。大学最終登板が緊急登板という結果にしてしまい申し訳ありませんでした笑

その後、手術をし3年次の約1年間リハビリを行ってきました。怪我をしてなかったらあの試合は勝てたのか、3年次の
自分はどうなっていたのか、どうケアをしていたら怪我をしなかったのかとか、思い返すと様々な思いが、
きりがないほど浮かんできます。

一方、怪我をしたことで新たな出会いや経験もあり、
この経験を生かしたいという思いもあります。

最近では、川村先生の紹介であるトレーナーの方にみていただく機会がありました。その方とお話する中で自分の身体に
対する知識不足を痛感し、身体や指先の細かい感覚などへの興味が高まりました。知識として身体の構造を理解し、
練習していればもっと自分の投球がよくなっていたのではないかという思いになったのと同時にトレーナーの方との
会話を通じてピッチングについて、もっと細かい感覚を表現できるようになりたいという思いが強くなりました。



どういった進路を選択しても数年後に、大学のときにもっとこういう練習すればよかったなとか、こういう勉強すれば
よかったなという思いは必ず起きると思います。しかしこういう現時点でどうしようもない後悔をできるだけ
「あの時これをやったからこれができた。こうなることができた」と思えるように、今できることを一生懸命
取り組んでいきたいと思います。

このようなご時世で先の読めない中、オープン戦の中止など登板機会の減少もあり、例年以上にチャンスが少なく
なっています。そのためその少ないチャンスを逃さないために、リーグ戦で結果を出すために、しっかり準備して
いきたいと思います。



最後になりますが、この春リーグでは筑波の投手陣の注目度が高くなっています。
その中で、筑波は佐藤だけじゃないんだぞという思いを感じ取ってもらえるようなパフォーマンスをし、
リーグ優勝に貢献したいと思います。

実際に足を運んで見に来ていただけるかはわかりませんが、
見に来ていただいた方の心を奮わせるような投球ができるように頑張ります。

まとまりのない文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。




体育専門学群新4年 浅井佑介
国立名古屋大学教育学部附属高等学校出身

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#13 整理 (三好伸平/体育3・時習館)

2021年03月16日 17時00分00秒 | 2021年 俺の話を聞いてくれブログ


こんにちは。筑波大学硬式野球部2年の三好伸平です。

入学してから今日までずっと読む側だったのに、急に指名されて書く側に回り、不安になりながら書いている途中です。
最後まで読んでいただけると幸いです。

 

 

さて、突然ですが三好伸平といえばなんでしょうか?

やはり「時習館」でしょうか。筑波への流れを作って卒業なさった横田さんから始まり、4年連続でこの野球部に入部
している「時習館」でありますが、この連続も途切れてしまいそうで、悲しく思ってくれている方もいることを
願っています。

僕が入部するころには、某Nさんの影響で「時習館」はヤバいというイメージになっており、知らぬ間に風評被害を
受けた覚えしかないです。噂によると「ショキザワ」なんて呼ばれていたそうですね。被害を受けているとはいえ、
入試の日にバットを貸してくれるなど筑波に入る前も、野球部に入ってからもたくさんお世話になったことには、
心から感謝をしております。あと1年頑張ってください。

 

話は変わりますが、今回俺の「サウナ」の話を聞いてくれということでこのブログを書いています。

 

 

自分がサウナに行き始めたのはおそらく2年生の夏過ぎだったような気がします。いつかはっきりと覚えていません。
その日はオフで昼ご飯を食べに行き、サウナに行こうということになりました。そのサウナで見事に“整い”、18時からの
バイトに寝坊するという経験をしました。その時の眠りの気持ちよさにより、すっかりサウナの虜になり、それからと
いうものの週1程度で行くようになりました。これが「サウナー三好」の誕生の経緯であります。

 

ここからはサウナの魅力について話そうと思います。

サウナはなんといっても“整う”ということが魅力でしょう。整った後には信じられないくらい気持ちよく眠りにつくことが
できます。大きな魅力はこの“整う”ということに集約されます。ほかにもサウナ後のコーヒー牛乳やサウナ後のラーメン
など小さな魅力は個人個人によってたくさんあります。この快感を得るためにサウナに行っています。

 

では、“整う”ためにはどうしたらいいの?と思う人もいるかもしれません
そんな方に向けてサウナで“整う”ための、三好流整い方を紹介していきます。

まず、10~12分汗がだらだら出るまでサウナに入ります。その後ぬるま湯で汗を流し、水風呂に体に温かい膜のような
ものができるまで入ります。その後寒いと感じるまで外気浴をします(冬)。冬は寒すぎて寝転がるところに逃げて
しまうこともありますがそれでも大丈夫です。夏は水滴がなくなるくらいまで外気浴をします。これを3回やると
確実に“整う”ことができます。初めて行く方はつらいと思うのでサウナを7分くらいに縮めてみたり、2セットに
してみたらいいでしょう。

 

 

以上が私からのサウナ紹介となります。読んでいただきありがとうございました。
ちなみに、自分はすぐのぼせてしまい長風呂ができない人ですがサウナはいけます。皆さんだまされたと思って
ぜひ行ってみてください。喜楽里が野球部でいっぱいになる日を楽しみにしています。ではまたサウナで会いましょう。

 

 

体育専門学群2年 三好伸平

愛知県立時習館高校出身

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#11 筑波 (仲井淳人/体育2・兵庫星陵)

2021年03月14日 14時48分20秒 | 2021年 俺の話を聞いてくれブログ

 

ついに僕にブログの番が回ってきてしまいました。
文章を綺麗に書くのは得意ではないので気が引けるのですが、せっかくなので少しだけ書こうと思います。
しばらくの間お付き合いください。

まず誰やねんと思ってる人の方のために軽く自己紹介します。


こんにちは。
体育専門学群2年の仲井淳人と申します。
2000年9月5日生まれのO型です。出身は淡路島で、高校は神戸市です。

僕は神戸というものを謎に誇らしく思っている節があり、神戸出身ですシティーボーイですと6回くらい言ったことが
あります。「いやお前、島出身やろ」と、変な関西弁でツッコミしてくれる優しい友達もいます。

野球の方は、小学校3年生から北淡少年野球クラブで始めて今年で13年目になります。
性格は真面目です。
最近はサワヤンにハマっています。
そろそろ就活も始めないとなと思っているところです。
本も読みたいなと思っています。おすすめの本あれば教えてください。


さて、前置きはこの辺にして、そろそろ本題に入ります。

 



僕のブログのテーマは、「筑波」にします。

・順風満帆だった野球人生の、ここにきての挫折をいい感じに書こうかな
・これからの2年間頑張るぞみたいなことを書こうかな
・僕の大好きなTHE BLUE HEARTSについて語ろうかな

とか色々考えましたが、今回は「筑波」について書きます。

 

筑波に来てから、本当に色んな人と出会いました。

・他学に入って野球と勉学を高次元で両立している人
・本気でプロ野球選手になろうとしている人
・スタッフとしてチームに尽くし最後までグラウンドに残ってる人
・酒に溺れながらもチームで1番打つ人
・大学ジャパンの人
・将来のビジョンを真剣に考えてそれのために突っ走る人
・コミュ力の塊の人
・スマブラビビるほど強い人
・全然ダメな僕に対して「仲井さん、天才ですね」と絡んでくる2つか3つ?年上の人

筑波にいると人間って本当に十人十色だなと感じます。
どれも僕なんかが真似しようとしてもできないようなことばかり。


こんな人達と一緒に生活するのは本当に刺激的でそして楽しい。
筑波に来てよかったと思えます。
これからも僕とどんどん関わってください。刺激をください。

 

これらの中でも特に、

・帰省に精神を蝕まれ、今にも帰りのチケットを取りに行ってしまいそうな人達

この人達のエネルギーは凄まじいです。林さんいけみつさん尾上さん。

筑波での生活が楽しいですが、帰省の存在は欠かせません。
僕は地元が大好きです。

次帰省した時には、夜中に男女で摩耶山登って夜景を撮ってストーリー上げるみたいな私立の陽キャ大学生みたいなこと
しよっと。



すみません。少し話があちこちにいってしまいました。

まるで我が最強投手陣のPF、酒豪・生島光貴のノーエラーノックでの送球、僕のグローブからいつも出ていくボールの
ようですね!

ですね。。。

 

戻ります。

野球部だけでなく、他の部や学群の知り合いもみんなそれぞれがやりたいことやそれぞれの夢に向かって全力で
突き進んでいます。本当にそう感じます。彼らからの刺激も凄まじい。

僕の生煮えの文章力ではあまり上手くまとまりませんが、ここで伝えたいのは「筑波に来てよかった」ということです。筑波に来て本当に成長できたと思います。技術的にも人間的にも。考え方も少しは広がりそして深くなりました。

これほど素敵な場所に通わせてもらっている両親には感謝しかありません。いつもお金と心配をかけてすみません。
あと2年、頑張ります。


これからも、他の筑波大生に負けないように僕もなりたい自分に歩みを進めて行けたらと思っています。


筑波に来てよかった。
こんな世の中だからこそ、これからも筑波大生全員でもっと筑波を盛り上げていきましょう。

 

拙い文章に時間を割いていただきありがとうございました。
周りが秀逸な文章を書くので、非常に肩身の狭い思いがしましたが伝えたいことはこんな感じです。
末筆ではありますが、これからも筑波大学硬式野球部のご支援・ご声援をよろしくお願いいたします。




体育専門学群2年 仲井淳人 

兵庫県立星陵高校出身

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#10 "奮わせる"を支える (勝田美緒/心理3・舞鶴)

2021年03月12日 19時33分20秒 | 2021年 俺の話を聞いてくれブログ

 

こんにちは。3年マネージャーの勝田美緒です。
まだ話したことのないみなさん、はじめまして。
日々スーパーハウスで先人の方々のブログの批評を聞いているので、マネージャー1人目にならないことを願っています。

初めましての皆さんへ基本情報です。

大分県出身、地元溺愛です。推し球団はソフトバンクホークスです。
好きな食べ物はタコライスととり天、嫌いな食べ物は野菜(色が濃いほど嫌い)です。
少年野球では4番捕手主将ということで敵チームから異様な目で見られ続けました。
バレー部では身長が低すぎてアタッカーを1週間でクビにされ、リベロに転向して無双しました。
大学1年次はプロスピに授業時間の全てを費やし、第二外国語を落単しかけました。
大学2年次は成人式マジックを狙いましたが、寝落ちしたおかげで計画が無に帰しました。
成人式の夜は寝ないのが鉄則らしいです。皆さんご参考にどうぞ。

さて、森トレーナーに裏キャプテンと言われたんで真面目モードでいきます。

新入生担当やらバス代集めやらが担当なので、後輩の皆さんにはお金集めと叱責が生業だと思われることが多いですが、今回はまともなことを書きます。


私は、強いチームに入りたくて野球部を選びました。
理由は、私がずっと弱小チームの主力だったからです。

チームワークがズタボロだったり、1人で突っ走って誰もついてこなかったりな12年の選手生命を経て、
勝つには何があればよくて、何をすればいいのか。という永遠の課題の答えを探すためです。

強い組織の方程式を知りたくて、選手を辞めること、野球部を選ぶことを決めたのがもう3年前です。老いたものですね。
人が入れ替わる学生部活動の世界で、大量の推薦や強大な指導者がいない、それでも強いことに魅力を感じて入部しました。
すごい志を持ってる人がいっぱいいて、みんなが当たり前に同じ方向を向いてると思って、そんな崇高な人たちの強靭な
メンタルを学びたいと思っていました。


でも、全然そんなことなかったです。

1年の頃から昇進や降格をかけて練習して、
2年の秋には選手生命を絶つミーティングをして、
4年の春までに結果がなければサポートにまわる。
おまけに毎シーズン、なんなら毎クール、練習方針やチームの目指すものを話し合う。

強いチームは最初から強いわけではないのだと感じました。


そして部員も普通の人がいっぱいいました。
うまくいかなくて悩む人も、
練習して練習して、強くなろうとする人も、
なんかやる気が出なくて苦しむ人もいました。


普通の部員がつくる強いチーム。
たぶん強豪私立とは一味違って、強さの集結ではない深いチームになるし、心を奮わせるチームになるんだと思います。


ただ、私は強さを求める部内で、弱さを支えることも必要だと今は感じています。

この部内には、描いた野球人生を送っている人もそうでない人もいて、それはこの先もずっとそうです。
そんな人たちがおんなじ目標をめがけて走っているんだから、ある程度ひずみが生まれるのも仕方ないと思っています。
個人が何かと向き合ったり、選手を諦めたりすることが必要とされているのなら、その個人の支えも必要だと思います。

価値観の違いも、実力差も乗り越えて、チームが同じ方向を向くには、誰かが涙を呑んでいる現状があること。
強さの裏で、自分と、チームと向き合って、
各々が同じ方向を向けるように努力してることを知りました。



いま、威張って心理的にあーだこーだ言ってる手前恥ずかしいですが、
私自身、高校時代には闘争心が行き過ぎてバーンアウトを経験しました。

今でこそキャパオーバーなヘッドをからかっていますが、私も十分キャパオーバーなキャプテンをしてました。
そのときは何も見えていなかったけど、今グランドから一歩離れていると、自分の至らなかったところがよく見えます。
同じ部活で同じ時を過ごしていても、やっぱり1人1人、ペースは全く違います。

もちろんグランドに立つ人は、勝つことや強さを求めてガンガン進んで欲しいです。
その裏で、躓いたり、息切れたりする人に、何かできることがあればいいとずっと思っています。

自分と向き合ったり、追い詰められたりする部員に対して私が提供できるものはほぼないし、ましてモチベーションを
あげたり、バーンアウトを治したりすることはできないです。
話を聞いて、できることをしたいと思っています。



冒頭に叱責が生業だと書きましたが、私は割と愛情を持ってグサグサ言ってるつもりです。
頼る相手は誰でもいいですが、誰かを頼ることを忘れないで欲しいです。
林くん、いつでもお待ちしてます。

個人的な意見ですが、この部活は頑張り屋と自分に鈍感な人が多すぎです。
せめて自分が疲れていることくらい自分でわかってください。
マネージャー諸君もです。よく自分と向き合って活動してください。

そんなこんな、深そうなことを考えつつも、
日々、片岡主将からの薄っぺらい愛情表現をかわし、
森トレーナーには裏ボスとからかわれながら、
スーパーハウスで中川主務に就活相談をしながら毎日過ごしています。

私自身、残りの期間は最低限マネージャー業務をこなし、部員を支えるためにできることをして、残せるものを遺したい
と思っています。
できれば後輩には、“お金集めの小言がうるさい人"以外の印象を残したいです。

これが部員のやる気になるのかは謎ですが、一女子マネージャーなりに、
みんなが同じ方向を向いて勝ちを目指せるようになんかしたいよっていう話でした。

森くん、裏キャプテンらしさは出せたでしょうか。

スーパーハウスで批評されるのが非常に怖いです。
マネージャーの皆さん、優しめな評価をお願いします。



人間学群心理学類3年 勝田美緒
大分県立大分舞鶴高等学校出身

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東日本大震災を忘れない

2021年03月11日 14時46分00秒 | 2021

【語り手:野条大雅(体育3・佐倉)】


2月13日、夜遅くに非常に大きな地震が起きた。
その頃自分は寝る前だった。少し、ドンっとするようなのを感じそこから大きな揺れが長く続いた。
調べてみると、東日本大震災の余震らしい。

東日本大震災が起こってから今年で10年が経つ。
東日本大震災が起こってから数年間はあの日のことを思い出すこともあったが、近年はそういったこともほとんどない。しかし被災地ではその爪痕が残っているはず。まだ復興に向けて活動している人がいるはず。そして10年が経った今、
私たちはもう一度東日本大震災のことを思い出していく必要があるのではないかと感じた。

当時の自分は卒業式の1週間前でもう少しで小学校を卒業するというところだった。
母が迎えにくるまで家に帰ることができず、また父は帰宅難民となっていた。
被災地で何が起こっているのか、しばらくの間はわからなかった。
当時はスマホもなく、ラジオを聴いてテレビを見てそこで初めて被災地で起こったことを知った。

自分はテレビでしか見たことのないものをいつか実際に見てみたいと思っていた。
できたら今年、実際に現地へ赴き自分の目で確かめたかったが、現在コロナウイルスの影響でそれはまだできない。
そこで今回は、岩手県出身の西舘(2年:盛岡第三)に話を聞いていきたいと思う。

 

 

 

・西舘は岩手のどこに住んでいた?
一戸町というところに住んでいて、周りを山に囲まれた内陸のところ。




・震災当時はどんな状況だった?
当時は、小学校4年生。教室にいるときに地震が起こった。避難訓練と同じように避難を行った。数日前にも大きな地震
(M7.2)が来ていて「また来たのか」と思った。

保護者が迎えに来てくれて家に帰ることができた。
家は停電していたので電気をつけることができなかった。そのため早く寝る生活を1週間くらい強いられた。
ストーブを使ったり、カセットコンロを使ってお湯を作って暖を取った。
停電している以外は自分の家に被害はなかった。周りでは土砂崩れがあったり、田んぼを埋め立てた家が傾いたりした
ということを聞いた。

幸いにも自分は避難をしないで済んだが周りでは避難した人もいた。3月になり雪が少なくなってきたとはいえそれでも
寒く避難・避難生活は大変だったというのを聞いた。

地震による生活への影響に関しては、ガソリンスタンドがかなり混んでいたり電池や食料の買い占めがあったりした。
ガソリンはできるだけ多くの人が入れられることのできるようにみんなで配慮していた。1週間以上ガソリンスタンドへの
補給がなかったためかなり大変だった。
また、震災以降ほぼ春休みのような状態になり学校には登校していなかった。

 

 

・身近で被害にあった人はいた?
高校の同期で家が流されたという人がいたみたい。だが、本人にとって辛い出来事なのであまり深くは聞けなかった。

 


・震災で一番大変だったこと
周りの情報を得ることができなかったこと。
当時はスマホがあるわけでもなかったので、情報収集は本当に大変だった。
学童保育の先生がワンセグで情報を得ていたのでそこから震災の状況を聞いたり、ほぼ使わなかったがラジオの情報も
入れたりしていた。
津波の情報はかなり後になって知った。映像情報に関しては1週間くらいは得ることができなかった。




・震災を振り返ってみて
当時は小学校4年生だったので覚えていないこともある。
被災地の状況に関しては、中学校の総合の授業で実際に現地へ行って見た。テレビでは流せず現地で見ることしか
できない、津波の映像とかを見た。津波は真っ黒で何もかもを飲み込んでいくようだった。
映像の中では、車が普通に走っている様子や津波を見に行ってしまって津波に飲み込まれてしまった人がいた。




・津波に対する警戒感は何か変わった?
訪問先には震災が起こる前から石碑が立っており、津波が来たらすぐに逃げろというものがあった。それでも当時は
一時は避難したものの物を取りに帰ってしまって津波の被害に遭った人がいたとのこと。

震災が起こってから、確実に津波に対する警戒感は高まったと思う。津波は一回だけ来るのではなく、引き波の状態に
なってからまた来るというのを何度か繰り返される。未だ行方不明になっている人はこの引き波で海に行ってしまった
ために見つからないという可能性が高いらしい。最期を看取ることもできないというのは親族等にとって一番辛いこと。
そのため、一度津波が発生したらそれがしっかりと落ち着くまでは避難を続けなければならないというのが教訓として
ある。



・岩手出身ということで何か背負うものとかはあった?
小学校・中学校の時、同じ県内の中でも野球ができない人がいた。
グラウンドに仮設住宅が立ったことによって野球ができなくなっていた。
そのような人がいるなか、自分は野球ができた。このことには感謝しながら野球をしている。



・最後に、東日本大震災を通じてみんなに伝えたいことは?
まずは、あの日に起こったことを風化させないこと。津波の恐ろしさや地震が起こった時の対処はしっかりと知って
ほしい。
リアス式海岸になっているところは津波が集まることによって、そうでないところと比べて高くなることや避難訓練を
本番と同様に行うなど何か起こった時への対処を覚えてもらいたい。

あとは、実際に東北に来てもらいたい。
実際に被災地がどのような状況になっているのか見てほしいし、そうでなくてもきてもらえるだけで東北の人々が元気に
なってくる。
先述したリアス式海岸のところでは牡蠣の養殖が盛んだったりする。震災による被害から養殖を再開している人も
いるのでその牡蠣を食べるなどしてもらえたら良いなと思う。


_____________________




今回話を聞いて大震災の被害の大きさを認識させられた。そしてこの出来事を教訓にできることも。

できる対策をすることによって被害を減らすことはできる。岩手キャンプでお世話になった洋野町では
死者行方不明者を0に抑えることができたという。洋野町では街清掃で避難経路を確認するなど災害への危機意識が
高かったことが要因と考えられている。
(引用源:https://blogos.com/article/283254/)


将来起こるかもしれないことに対して、自分たちができることをやることで被害は減らせる。
地震が起こった場合どのような対処を取らなければいけないのか、今一度調べて備えをとっておくべきだと私は思った。



最後に、改めて東日本大震災で亡くなられた方に謹んで哀悼の意を表します。
(野条大雅・体育3)

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