筑波大学硬式野球部のブログ

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ラストシーズンに懸ける想い⑰(体育4・濱内太陽/履正社)

2022年09月01日 23時25分50秒 | 2022年 俺の話を聞いてくれブログ

平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。

 

 

 

第17回は濱内太陽(体育4・履正社)です。

 

 

 

是非ご覧ください!

 

 

 

 

こんにちは。

 

筑波大学硬式野球部4年、主将の濱内太陽です。

 

 

今回は僕なりに、一生懸命、気持ちを込めて書きました。

 

 

是非ご覧ください。

小学生の時、両親に無理矢理やらされた野球も、両親のおかげでここまで続けることができました。

 

 

中学の時、松原ボーイズで主将を務め、履正社高校でも主将を務めました。

 

履正社高校では明治神宮大会優勝、春の甲子園準優勝など貴重な経験をすることができました。

 

高校最後の夏、第100回記念大会の甲子園出場をかけた大阪桐蔭戦では例の事件の立役者ともなりました。

 

そして、現在所属している筑波大学に入ってからも主将を務めています。

 

ありがたいことに野球を始めてからすべてのチームで主将を経験させていただいてきました。

 

こればかりは出会うチームメイトに恵まれすぎていたことの積み重ねで経験できたことです。

 

野球人生で自慢できることを聞かれると一番に「良い仲間に出会えたこと」と答えるかもしれません。

 

知らんけど。

 

 

これまで主将を務めてきて、一番難しかったチームは筑波大学です。

 

まさに今これを読んでいるみんなです。

 

変に頭が良いやつ、変に真面目なやつ、変に頑固なやつ、隙あらば遊ぼうとするやつ、すぐ帰省したがるやつ、いろんな人が集まっているチームをまとめるのには本当に苦労しました。

 

でも、「主将嫌だな」と思ったことは一度もなく、このチームの主将を務めることができて本当に良かったと思っています。

 

 

ですが僕自身、少しだけ悔しいことがあります。

 

 

それは、このチームで主将を務めてから一度もチームに貢献できてないことです。

 

春のリーグも怪我でまともに出場できず、たくさん迷惑をかけました。そして秋のリーグも一試合も出場できません。

 

 

今書いているこのブログも病室の片隅で執筆をしています。

 

体に管を通されながら、パソコンと向き合っている現在も、チームに何もできないことが本当に悔しいです。

 

最後のシーズン、今までとは違う形でチームに関わることになりますが、このチームの主将として、さらなる覚悟をもって最後まで引っ張ります。

 

 

 

チームの代表としてリーグを戦う選手は、試合に出られない部員にはいろんな想いがあるということを胸に刻んでプレーしてください。

 

 

選手をあきらめてスタッフになってくれた人、怪我で出られない人、自由な時間を割いてまでサポートをしてくれる院生の方々。

 

 

それぞれのみんなの想いがあります。

 

僕の分までとは言いません、支えてくれるすべての方のために戦いましょう。

 

心を一つにして。チーム「一心」となって。

 

 

そしてみんなで優勝しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

最後の秋リーグに出場できなくなっても、もう野球ができなくなっても、自分自身を責める気持ちや悔しい気持ちは1ミリもありません。

 

 

それは野球を始めてから、一日も手を抜かず、全身全霊で誰よりも野球と向き合ってきたからこその想いです。

 

 

誰よりも上手くなるために、上に行くために、他の人が休んでいる間も、最後の最後まで野球に打ち込んできました。

 

だから、野球ができないことに後悔はないし、今でも野球が大好きです。

 

 

 

死ぬ気でやってきた経験があるから、人生を懸けて取り組んだ経験があるから、何があっても大丈夫だと信じています。

 

 

これからの人生、どんなにつらいことがあろうと、僕は必ず乗り越えて見せます。

 

野球やってよかった。

体育専門学群4年 濱内太陽 

履正社高校

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#13 勝っても負けても官軍 (森口尚哉/体育3・立川)

2022年08月09日 20時28分43秒 | 2022年 俺の話を聞いてくれブログ


平素よりお世話になっております。

 

3年野手コーチの森口です。

 

今津くんから執筆依頼を受けてから滞納に滞納を重ねたこと、深くお詫び申し上げます。

 

遅れた分熱い文章を書こうと意気込んでおりますので、読めるところまで読んでいただけると幸いです。
 

軽く出生について書くと、生まれた場所は大阪で、育ちは東京です。

 

同期に東京の中の田舎だといじってくる人がいますが、都会にしか住んだことないと断固として言い続けます。

 

車のプレートを見て、「なんで大阪ナンバーなの?」と聞いてくる人が多いですが、祖父から譲り受けた愛車だからです。聞いてくるくせにすぐ興味なさそうにする人ばかりで悲しくなるのでもう聞かないでください、、、
 

 

さて、自分について書きすぎると来年のブログで書くことがなくなりそうなので、来年にとっておいて早速本題に入っていきます。
 

 

私は野手コーチになって、「野球は残酷なスポーツだな」とつくづく思います。

 

試合中の間の取り方や配球、練習内容、どれをとっても自分で選択した結果だし、結果が良い方向に転べば褒められ、悪い方向に転べばミスだと言われます。

 

勝てば官軍負ければなんとやらという言葉がありますが、私はこの言葉を、「自分の選択が正しかったかどうかを決めるのは結果でしかない」と解釈しています。
 

 

体痛いし暑いし今日は自主練しなくて良いかな。この選択も結果が出れば良い休養だったと思えるし、結果が出なければ無駄にした1日として後悔することになるでしょう。

 

その日の練習でどれだけの密度でやるかも、どれだけの時間を費やすかも、一つ一つが選択だし、誰しもが自分のした選択が正しかったと思えるように練習するし頭を使うのかな、と考えたりします。
 

そして、自分の選択が正しかったかどうかは結果が出ないとわからないんじゃないかな。とも思います。

 

自分自身がスタッフになると決めた選択もチームがリーグ優勝すれば官軍。

 

10年後、20年後にあの時の経験が今の成功につながっていると思えれば官軍。

 

こう思うようにすると自分が決めた場所で精一杯足掻こうという気持ちになります。
 

 

大層なことを言っていますが、どんなに迷っても、どんな選択をしても、その後の自分次第でいつかは官軍になる、というなんとも楽観的な価値観です。

 

 

どっちが正しいかなんてその時には分からないし、そう思わないとやっていられないです。

 

 

自分自身野手コーチという選択が正しかったかどうかなんてわかりません。

 

だけどその選択が正しかったと思えるようにチームに尽くします。
 

勝っても負けてもいつかは官軍。

 

でも、願わくば、目先のリーグ戦で官軍になりたいものです。
 
 

拙い文章にお付き合いくださり、ありがとうございました。
 


体育専門学群3年 森口尚哉 

都立立川高校

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#12 ぶつかる勇気(成沢巧馬/体育3・東邦)

2022年08月08日 21時10分57秒 | 2022年 俺の話を聞いてくれブログ

みなさんこんにちは!

 

筑波大学硬式野球部3年の成沢巧馬です。

 

今回このブログを書くことになり、今までの皆さんのブログを見返すと、とてつもない文字数で自分の生い立ちや思いを書いてあって若干焦っていますが、僕は人生で読書感想文程度の文章しか書いたことがないので、そこにはあまり執着せずに書いていこうと思います。

 

 

まず初めに、僕の自己紹介と生い立ちを話したいと思います。

 

愛知県の東邦高校出身、血液型はAB型で、小さい頃から変わり者と言われて育ちました。

 

身長は183cmと恵まれていますが、実は父親に追いつくことはできなかった為、満足はしていません。趣味は腕時計を見たり集めたりすることで、成人祝いに買ってもらった時計はとてもお気に入りで大切にしています。

 

僕は小学4年生の時に野球を始めました。野球を始めた頃のエピソードは、バッティングセンターに行ったら1球もバットに当たらない。キャッチボールをしたら、グローブではなく顔面でボールを受け止めたことくらいでしょうか。

 

僕は小学生ながらに自分が情けなく感じるくらい絶望的な野球センスをしていました。

 

 

そんな僕ですが、野球を始める時に父と約束したことは、高校に特待生で行くということでした。

 

僕の尊敬している父親とのエピソードを何個か紹介したいと思います。

・毎日泣かされながら練習をしていた

・バッティングセンターで打てないと、打っている途中に父が帰ってしまうためバットを持って10キロ走って帰った

・砂を詰めたペットボトルを持って練習場から家まで帰っていた

・学校の成績が悪すぎて死にかけた

 

中学まではこんな感じだったので、何回も野球をやめようと考えました。

社会人野球まで野球をしていた父は厳しかったですが、そのおかげで野球が上手くなったと今の僕は本当に感謝しています。

 

そして僕は、東邦高校に進学しました。理由は、小学生の時のチームメイトでもあった石川昂弥が行くなら全国制覇できるかも?という安易な考えでした。

 

しかし、入学すると強豪校ということだけあって、毎日ハードな練習、怖い先輩、高いレベルの環境の下で、下級生の頃は毎日生きるのに必死でした。

そんな中でも、3年生の時に出場した甲子園で優勝して、高校野球では十分な結果となりました。

 

監督との進路面談で思い切って筑波大学に行きたいと話したら、即答で「お前の頭では卒業できないから止めなさい」と言われましたが、結果的に入学することができてとても嬉しかったです。

 

大学に入学してからは、手術や怪我などであまり十分にプレーができていないですが、残り3シーズン悔いのないよう必死で泥臭くプレーしたいと考えています。

 

自己紹介はこんな感じで、今回のブログでは、僕の大切にしている考えやチームスローガンの「一心」について話したいと思います。

 

 

野球部の150人という大きな集団の中には、色々な悩みを持っている人がいると思いますが、それは皆同じだと思います。そういった人たちはこのブログを「自分と同じくらい今悩んでいる人が書いている」と思って読んでみてください。

 

僕が大切にしていることは、人に流されないということです。これは決して人の意見を聞かないことでも、頑固に貫くということでもありません。

 

人に流されないということは、自分の意志や考えをしっかりと持って行動していくということです。150人も居たら、それだけの考え方があってどれが正しいとか間違っているとかはないと思います。

 

 

ただ、同じ考えの人が多くいると、まるでそれが正しいかのように思ってしまって、自分とは違う考えを持っていてもそれを発信しづらくなってしまうと思います。

 

僕が筑波大学に入学して筑波の選手に思うことは、みんな優しくて心が大人な人が多いから、余計に周りに気を使ったり、自分自身で心に溜め込んでしまったりする人が多いと思います。

 

このチームのスローガンである「一心」とは、自分の考えを周りに伝えることができる人や、影響力のある人たちだけが示した方向をみんなで進んでいくことではないと思います。

 

 

新チームが始まった時に、僕はとても良いスローガンだと思いましたし、本当にチームが「一心」になったらリーグ優勝、日本一を取れると思いました。しかし、心を1つにするということはとても難しいことだと僕は思っています。

 

※ここから先は本当に個人的な意見です。

 

他の人が書いたブログを読んでもわかるように、野球部にはすごく熱い思いを持って野球をしている人が多いです。

 

だからみんな勝ちたいという思いはとても強くあると思います。

 

でも僕は、練習中やミーティングなどでその熱い思いをぶつけている人はおそらくいないと思います。熱く語ったり自分の意見を思い切りぶつけると、周りから「あいつきまってるな〜」とか思われるのが嫌だったり、雰囲気を乱したり言い合いになることを恐れてしまっているからではないでしょうか?

 

また、下級生だからと遠慮してしまっている人もいるのではないでしょうか?僕は言いたいことがあるなら本気でぶつかるべきだと思います。

 

たぶんそれで喧嘩になることもあると思うけど、チームが掲げた「一心」というスローガンを実現するためにはそれが1番の近道なのではないかと僕は考えています。

 

それは野球のプレー以外でも同じです。悩んでいることや思っていることを同級生やチームにぶつけて見てください。

 

150人も居たら、もしかしたら自分にしっくりくるような考え方が見つかるかもしれません。

 

そうして皆が同じ方向を向いた時、僕はこのチームが、本当の意味での「一心」になるのではないかと考えています。

 

だから、人に流されずに自分の意志や考えを持って行動してみてください。筑波は絶対に日本一になれるチームです!

体育専門学群3年 成沢巧馬

東邦高校

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#11 ただニヤけている訳ではない(中村真也/体育2・専大松戸)

2022年08月07日 21時09分21秒 | 2022年 俺の話を聞いてくれブログ

皆さんこんにちは。

 

筑波大学硬式野球部2年の中村真也です。

 

 

ブログ執筆の依頼が来てからかなり時間が経ち、催促の連絡が来始めているので、重い腰を上げて頑張って書くので拙い文章ではありますが、最後まで読んで頂けると幸いです。

 

今回のブログテーマのFOR THE 一心ということで、今回は私のパーソナリティについての話をして私のことを知ってもらいたいと思います。

 

 

パーソナリティとは人の個性や人柄、或いは人間の行動の元となる考え方とWikipediaに書いてあったので、今回話したいことにぴったりだと思い、背伸びをして横文字を使ってみました。

 

 

また、文章がまとまらない可能性が非常に高いため、要点をここで挙げておきます。
文質彬彬と素直さです。

 

それでは上の要点ってなんだろーって思いながら本題を読んでみてください。

 

私は2002年に東京都府中市に生まれ、3歳上の兄がいます。小さい頃からお兄ちゃんっ子で、何をするにも兄について行って、野球も兄の真似をして幼稚園の年中から始めました。

 

 

この頃から小学校の頃まで、皆んなの言う事を聞いてついて行っていただけなので自我はなくあんまり記憶がありません(笑)

 

ただのバカなのか、素直でいい子なのかを言及することはやめておきます。

 

その後、小学校卒業の際にシニアに行く事と、中学受験をする決断を自らして、桐朋中に進学しました。桐朋は男子校で、勉強は出来ても頭が悪い変わり者がたくさん居る所で今の自分の土台を形作っていたりするのかなと思ったりします。

 

 

そのため、そんな中学時代をここから語りたいと思います。

そんなむさ苦しい中学校生活の中で、二つ今でも大切にしていることがあります

 

一つ目は、座右の銘とまではいきませんが中二の時の学年目標を今でも大切にしています。
それは

文質彬彬(ぶんしつひんぴん)〜品のある男に〜

みたいな感じだった気がします。

 

文質彬彬とは、外面の美しさと内面の素朴さが見事に調和している様という意味なのですが、要するに勉強とか野球とか見た目とかの外見が優れているだけでなく、それに釣り合うような中身であるという事です。

 

説明下手でごめんなさい。

 

この学年目標を設定した伊藤光一先生、通称IKKOは外見だけでなく内面も磨いて驕り高ぶらない、カッコいい男であってくれみたいなことを言っていた気がします。

 

私はそんなカッコよく生きられてはいないが
そういうものに私はなりたい

 

 

二つ目は素直さです。

 

中学から色んな人と関われる環境にいる事が出来ていると考えた当時の私は、皆んなのいい所は真似する、教えてもらった事は素直に聞いてみる、そんな事を考えました。

 

周りの真似をした例として、笑っている方が印象良いなと思ったことから、ニヤニヤするようになりました。ずっと無愛想でしたが、にやけ顔はこの頃からです。

 

最近では、論理的思考が大好きだった僕ですが、ロマン、人情、面白さで行動する大塚のように、確率とかの前に自分がどうしたいのかを考えるようにしています。

 

これが良いのかは分かりませんが、せっかくなら大きな事を成し遂げたい。そんな感じです。

 

こんな感じで私が考えている事を書いてみました。

まとめると私は素直でカッコいい男になりたいという事でした。

 

 

最後に野球の事を書いて終わろうと思います。

 

この場で秋リーグに向けて目標を一つ掲げたいと思います。

 

それは、4年生からの僕の印象を変えること。

 

今まで入学してから伸び伸び野球をさせてもらって、4年生にはヘラヘラ、ニヤニヤしてる馬鹿としか思われていない気がします。

 

それでは不服なので、ヘラヘラ、ニヤニヤしてるけど役に立つ馬鹿であると、秋リーグの優勝に貢献して4年生を送り出したいと思います。

 

こんな感じで頑張りますので、秋リーグチーム一心で戦い抜きましょう。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

今後とも筑波大学硬式野球部へのご声援よろしくお願いします。

体育専門学群2年 中村真也

専大松戸高校

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#10 未来を想像「創造」する(大高正寛/体育3・星稜)

2022年08月06日 18時32分15秒 | 2022年 俺の話を聞いてくれブログ

みなさん、こんにちは!

 

筑波大学硬式野球部3年の大高正寛です。

 

私の生い立ちや大事にしていることについて書いていこうかなと思います。多少くさいことを書くかもしれませんが、少しでも目を通していただけると幸いです。

 

私のこれまでの人生はほとんど野球と共に過ごしてきました。

 

物心ついた頃にはバットとボールを持ち始め、お父さんと一緒に練習をした日々を今でも覚えています。

 

 

私は、すぐに小学校の野球チームに入ったわけではありません。5年生になった時にチームに入れとお父さんに言われ、すごく駄々をこねていたのを覚えています。

 

 

ですが、小学校3年生の時に、チームに入れることになりました。理由は太りすぎです。
そんな理由で始めた野球でしたが、小学校時代が一番楽しかったなと今でも思います。

 

中学校は、声をかけていただいて、星稜中学校という私立の学校に進学しました。この中学に入って、私は初めて野球を辞めたいと思うほど苦しく、厳しい日々を過ごしました。

 

グラウンドにいることが拒絶反応なのか、毎日のように咳を繰り返し、みんなにバレないようにしていたのを覚えています。

 

中学校では、野球だけではなく、人としてどのように生きて行くか、という人間性も学びました。

 

厳しい練習に耐え抜き、最後は日本一を獲ることができた時は本当に嬉しかったです。

 

高校はそのまま星稜高校に進学し、ここでも野球の厳しさを痛感します。

 

私は高校2年までベンチに入ることすら出来ず、腐りかけていました。

 

しかし、この2年間で私は裏方の気持ちや、かげの支えを学びました。
最後の年はベンチに入らせていただき、スタメンでも使っていただき、甲子園で準優勝。本当に貴重な経験をさせていただきました。

 

私は高校最後の夏大が始まる前までは、高校で野球を辞めようと考えていました。ですが、いろいろな出来事やご縁があって、野球を続けようと決心がつき、筑波大学硬式野球部の皆さんと出会うことができました。

 

私の生い立ちはこの辺にして、皆さんは予祝という言葉をご存知でしょうか。

 

意味はそのままです。あらかじめ祝う。詳しく書くと未来の姿を先に喜んで祝うということです。

 

これは私が高校生の時に大嶋啓介さんという方が2回講演会をしてくださり、その時に言っていた言葉です。

 

 

私はこの講演を通じて大きく心を動かされました。高校二年の冬、講演の中で、予祝日記というものを書きました。

 

日付を甲子園の決勝戦の日に設定して、引退した時にどのような結果を残しているか明確に記し、想い、喜び、感謝の気持ちを入れて書きました。具体的には

「春夏連覇達成!」

「スタメンを勝ち取る!」

「甲子園でホームラン!」

 

などと書いていました。当時の自分はベンチに入れるか入れないかの瀬戸際で、書いた当初は良かったものの、時間が経つにつれて恥ずかしさが増し、私は家に帰ってゴミ袋に捨てました。

 

 

ですが母親が気づいたのか翌朝、冷蔵庫の扉に予祝日記が貼られていました。この時母が見つけずに捨てていたら、ネガティブなままの自分で終わっていたかもしれません。その日から毎日予祝日記を見るようになり、書いた当初は恥ずかしいと思っていたことが終わってみるとほとんどが達成できていました。

 

 

この講演を機会に家族の中での挨拶も「おはよう、今日もおめでとう」という会話から1日が始まるようになりました。

 

この予祝が、私の結果に繋がったかと言われると正直わかりません。でも私自身の物事の考え方や心の持ち方という面で大きく変わるきっかけになりました。

 

 

私が筑波大学に入学してから、リーグでの優勝争いはもちろん上位にも入ることができていない苦しい結果が続いています。皆さんのメンバー紹介を時々見るとリーグ優勝・日本一と書かれていることが多いです。ですがどこまでそれが想像できているでしょうか。

 

 

きっと曖昧になっている人も多いのではないかと思います。強いチームの定義はいくらでもあると思いますが、私はチーム全員が一つの目標を明確に想像できていることが第一歩であり、不思議な力や奇跡を起こせるチームなのではないかと思います。

 

 

そこで、このブログを開いてくださった皆さんにはぜひリーグ優勝をした場面を、神宮で日本一を取った瞬間を、毎日想像してみてほしいと思います。

 

ただ、想像するだけではなく、そこに想いや喜び、感謝の気持ちを入れてみてください。毎日続けることで、自ずと自分の心情に変化が出てくると思います。

 

そしてもっと興味が湧いた人はぜひ予祝日記書いてみて下さい!

 

さて、秋リーグももう目の前まで迫ってきています。今の四年生には本当によくしていただきました。必ずプレーで恩返しします。今年は神宮に行って長い秋を過ごしましょう!

体育専門学群3年 大高正寛

星稜高校

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#08 松尾の野球(松尾悠生/体育2・西南学院)

2022年08月05日 18時48分42秒 | 2022年 俺の話を聞いてくれブログ

皆さまお疲れ様です。筑波大学硬式野球部2年の松尾悠生です。

 

この度ブログを書かせていただくにあたり、私は自分の野球に対する向き合い方を執筆しようと思います。

みなさん!野球はどのようなスポーツだと思いますか?「間のスポーツ」「考えるスポーツ」などが思い浮かぶのではないでしょうか。

 

これに正解はありませんが、私は「すべてのチームに勝つチャンスがあるスポーツ」だと思っています。まぁ、どのスポーツにも勝つチャンスはあるんですけど野球は顕著だと思います。

 

 

これを語るにあたり野球と他のスポーツの大きな違いを明らかにしておきます。それは、「野球は守備側に主導権がある」ということです。

 

 

例えば、サッカーやバスケは攻める側がボールを握り攻撃側に主導権が握られています。実はサッカーやバスケは試合前に勝負が決まっているとよく言われているんです。野球は?野球は守備側である投手からボールが動き始めます。

守備側に主導権があるからこそすべてのチームに勝つチャンスがあるのです。野球がロングティー対決や遠投対決であれば勝負は試合前に決まっていることでしょう。

 

野球は全てのチームに勝つチャンスがあるスポーツだと述べたところで、だからこそ私にも試合で活躍できるチャンスがあるということを述べていきます。先ほども述べたように野球がロングティー対決や遠投対決であれば私が試合に出ることはノーチャンでしょう。

 

 

私は入部して1番最初のチーム分けでCチームからスタートしました。この時、自分の野球の実力はこのチームの中では高い方ではないなと確信しました。

 

それでもリーグ戦に出るチャンスが必ずあると信じ、まずは筑波大学がどんなチームかを分析をしました。筑波大学でベンチに入る人はやっぱり能力がとても高いです。

 

でもそれ以上にチームの作戦に応えることができる人がベンチに入っているのだなと思いました。

 

例えば、バントや進塁打、1.2塁間バッティングなどです。決してホームランバッターが並んでいる打線ではありません。私は、「安定した守備+チーム打撃」をテーマに練習を始めました。

 

ハウスなんかでは、2ストを想定してファール打ちを練習しまくりました。(大聖はキレのある変化球を投げてくれるのでいつも誘っていました。これからもよろしく)

 

これまで全てがうまくいっているわけではありませんが少しずつ上達していると実感できています。

 

自分なりの野球の考え方を通してこれからも筑波大学の力になれるよう頑張っていきます!最後まで読んでいただきありがとうございました。

体育専門学群2年 松尾悠生

西南学院高校

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#07 挑戦(長曽我部健太郎/体育2・北野)

2022年08月04日 11時46分29秒 | 2022年 俺の話を聞いてくれブログ

皆さんこんにちは。

 

四国の戦国武将長宗我部元親の末裔、長曽我部健太郎です。本当に末裔かどうかは全然知りません。

なのでこの19年間、
「長曽我部って長宗我部元親の子孫なん?」
「まぁ繋がってはいるんじゃね?知らんけど」

 

という会話をし続けてきました。おじいちゃんの家にも何もないらしいのでたぶんかなり遠いです。

 

 

これだけ名前が長かったらあだ名もたくさんあります。

 

高校まではほぼほぼ『ちょうけん』で統一されていましたが、大学に入り『ちょうそ』『そかべ』『かべけん』『かべ』『けんたろう』などとりあえず短くしとけ感があります。まぁなんと呼ばれてもいいので、呼びやすいように呼んでもらえたら嬉しいです。

 

この長い名前のインパクトと私が通ってた高校の偏差値などから、高校時代は実力以上にマスコミなどから注目されていました。

 

そんな中コロナ禍で甲子園が開催されなかったので、合同練習会というものが開催されるということを知り、プロを狙ってる人たちと勝負してみたいという気持ちがありその練習会に参加しました。

正直自分の実力ではプロなんて夢のまた夢だし、参加しても恥をかくだけじゃないか?という気持ちも大きくなかなか決断できませんでした。しかし、父親から「何か行動しないと何も始まらない」と言われ行ってみようと思いました。

 

 

その練習会ではキャッチボールの時点で自分とは投げてる球の伸びが違いました。キャッチボールをした人の中からプロに行った人もいて、すごく刺激をもらい自分も頑張らなければという思いを得られました。

 

私はあの練習会に挑戦する決断をしたことはとても良かったと思っています。行かなければ知ることができなかった世界を知り、経験できなかったことを経験することができました。

 

私は本当に挑戦することの大事さを身をもって知ることができたと思います。

 

これからも多くの決断をする時があるでしょう。迷っている時こそ挑戦するという決断を皆さんにもして欲しいなと思います。

 

このような拙い文章を待ち焦がれた帰省の夜行バスで書いていましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。秋リーグはスローガンである一心とこの挑戦をモットーに個人としてもチームとしても飛躍して行きたいと思います。

 

これからもどうか筑波大学硬式野球部の応援をよろしくお願いします。

体育専門学群2年 長曽我部健太郎

大阪府立北野高校

 

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#06 譲れないもの(永戸涼世/体育2・八千代松蔭)

2022年08月03日 12時45分50秒 | 2022年 俺の話を聞いてくれブログ

このブログを開いてくれてありがとうございます。

 

八千代松陰高校出身、2 年内野手の永戸涼世です。リーグ戦などで主につけている背番号 は 2 番です。

 

特にこだわりはないのですが監督からいただいたので結構気に入っています。

 

このブログを読む前にインスタグラムのフォローよろしくお願いします。nagato_ryosei で検索してもらえれば出てくると思います。フォローしていただけたでしょうか。それでは本文に移りましょう。

このブログの執筆依頼は僕の母の誕生日であり高校の監督の誕生日でもあり浪人酒豪キャッチャーの藤代君の誕生日である 5/11 に来たのですが、受験を終えて高校の友人とスノボ旅行に行っているときに先輩方が書いたブログを読んだ時の事を思い出します。

 

帰省大好き仲井さんのブログに書いてあった酒豪生島さんとも仲良くさせていただいている自分を顧みたとき、あの時見ていたチームの一員になったのだとしみじみと感じています。

 

確か野澤さんのブログのタイトルは「ちはやふる、野球の神様は来る」みたいな感じだと思います。

 

その中にはちーくんって呼んでくださいって書いてあったと思うので、今度からちーくんって呼ぼうと思います。

話がそれてしまいました。それでは本文に移りたいと思います。

 

僕は 2002 年の7月に愛知県常滑市にて生まれました。しかし3か月後には千葉県に移住します。小学校の頃の僕は生活している県以外で生まれたことがかっこいいと思っていたのでよく他人には「俺、生まれは愛知なんだ」と得意げに言っていたことを思い出します。

 

今考えると恥ずかしいです。しかし今は心を入れ替え全力で千葉県の魅力を発信しているつもりです。僕の同期には西日本出身の選手が多いのでぜひ千葉県船橋市の魅力について知っていたきたいと思っています。そして薬円台小学校に入学し同年の9月に薬円台リトルスターに入団しました。ここでは勝つことの楽しさを存分に味わいました。ちなみに東海大の諸隈とはライバルチームでしたのでこの頃からの付き合いになります。春リー グで対戦した時には薬円台5丁目が大いに沸いたことでしょう。秋も滅多打ちにしたいと 思っています。

 

そしてその後船橋市立二宮中学校に入学します。20年生きてきた中で間違いなく一番きつい3年間でした。ここで現東京ヤクルトスワローズの正遊撃手である長岡秀樹選手の父親である、長岡尚恭先生に出会い野球の基礎すべてを学んだといっても過言ではありません。

 

その後八千代松陰高校に進学し兼屋辰吾監督と出会ったことで筑波大学進学が自分にとって現実的なものとなりました。

生い立ちについての話はここまでにして、ここからは僕の譲ることが出来ないものについて話していきたいと思います。まず僕が生きていく中で譲れないものは「甘いもの」です。 僕は生粋の甘党です。このブログを執筆している現在も甘党仲間の中村真也君とデニーズにてパンケーキを食していたところです。そんな甘党の僕が一番好きなスイーツはコメダ珈琲の「シロノワール」です。シロノワールについても僕は譲れないところがあるのです。

 

コメダ珈琲は愛知県発祥のため僕が中学生になるころくらいまでは東海地方にしかないはずでした。前述のとおり僕の母親の実家は愛知県常滑市であるため、幼稚園の頃から僕はコメダ珈琲のシロノワールを食べてきています。

それがコメダ珈琲の全国展開が進んだため 気軽に関東地方においてもシロノワールが食べられるようになったのです。瞬く間にコメダ珈琲は広がり、高校時代に同級生がインスタグラムにて「コメダ珈琲のシロノワールがおすすめです!ぜひみんなも食べてね!!」のように我が物顔で投稿しているのを見たときの僕の感情は今もっている語彙では表すことはできないものでした。

 

それくらい僕は甘いものが好きでシロノワールへの愛は深いです。しかし山中トレーナーの指示によって除脂肪体重の増加を迫られているため、体脂肪率を低下させ筋肉量を増加させるためにリーグ期間中はアイス、お菓子、スイーツなどは禁止していました。

来る秋リーグ期間中も行う予定であるため今のうちに食い溜めしておきます。

 

次に僕が譲れないものは「ドラマ」です。小さいころからゲームよりテレビ。YouTube よりテレビのテレビっ子だった僕は、気が付けば小学校 1 年生の頃より立派なドラマオタクになっていました。一番好きなドラマを聞かれた際には 2018 年放送の「アンナチュラル」と答えています。

 

米津玄師の Lemon が大ヒットしたあのドラマです。石原さとみの美しさが際立っているのはもちろんのこと、井浦新の狂気じみた役の中にある亡くなった恋人への愛情は何とも言い表せない感情に襲われます。

 

見たことがない人はぜひ見てください。また 2016 年ごろのドラマは多くが僕の好みに刺さります。そこらへんについて語れる人は地元にはいるのですが筑波にはいないので、誰かいませんでしょうか。

 

最近のドラマについては、大高さんや野澤さんと語っています。ぜひ皆さん僕とドラマについて語りましょう。いくらでも語れると思います。2022 年夏のドラマも名作の予感がします。

 

これら 2 つは趣味娯楽の面で私の人生において譲れないものです。

 

野球に対しての思いも少しは書いたほうが良さそうなので少しばかりですが書きます。 僕はこのチームでリーグ優勝をして日本一になるのが夢であり目標です。「リーグ優勝」を掲げ挑んだ春季リーグは 7 連敗からのスタートで、あと 1 敗していれば 2 季連続の入れ替え戦が濃厚でした。

 

しかし最後は不戦勝を含め 4 連勝でリーグを終えました。その 4 連勝 に僕はすごく手応えを感じ、筑波大学の今後の可能性を感じざるを得ませんでした。その後のオープン戦においても他リーグの強豪大学との試合を通しても何ら遜色のない戦いがで きています。

 

夏季練習を通してさらにレベルアップが出来れば間違いなく優勝争いに食い込めるはずです。僕は入学してから、5 位→6 位→4 位と優勝争いをしたことがなく、常に見ていたのは入れ替え戦回避です。もうそんな思いはしたくないと思っています。今年の筑波はやれる。上を目指せる。そう思っています。今こそ「一心」のスローガンのもと、リー グ優勝をつかみ取りましょう!

拙い文章にはなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。これからも筑波大学硬式野球部へのより一層の応援よろしくお願いいたします。

体育専門学群2年 永戸涼世

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#05 為せば成る(榊原慎太郎/体育3 ・島田)

2022年08月02日 17時05分16秒 | 2022年 俺の話を聞いてくれブログ

こんにちは。

 

筑波大学硬式野球部3年榊原慎太郎です。

 

私は、現在野球部で野手コーチというポジションで活動しています。大学2年の秋までは選手として活動していました。なぜ選手をやめてコーチという立場になったのかお話ししようと思います。

 

私が筑波大学に入学してからの2年間、硬式野球部は、リーグ戦で全く結果を残せていない状態でした。強くなるにはという視点で考えたときに競争ということが必要だと感じました。

 

競争をするためには、下位チームの選手の成長が絶対条件になります。ここで自分に何ができるかを考えたときに選手として続けてレギュラー争いに食い込むこととコーチになって選手を育てて成長させるという2つが思い浮かびました。

自分と同等なレベルの選手はたくさんいてその中でやるよりもそのような選手をもっと上のレベルまで押し上げる方が自分にはできるのではないかと考えました。だから、コーチになりました。

 

 

しかし、現在、このような選手を育てることはできていません。残り1年と半年もありませんが勉強して1人でも多くの選手を上のチームで競争できるように育てます。

 

私は、「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」という言葉が好きです。この言葉を信じています。

体育専門学群3年 榊原慎太郎

静岡県立島田高校

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#04 2浪侍(水口耕平/体育2・宮崎大宮)

2022年08月01日 16時55分10秒 | 2022年 俺の話を聞いてくれブログ

筑波大学硬式野球部をいつも応援してくださる皆様初めまして、硬式野球部2年の水口耕平と申します。

 

浪人時代に通った予備校の現代文講師に日本語が終わっていると小論文を酷評されてきた私の拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。
 

上でも少しふれましたが、私は2年の浪人生活を経て筑波大学に入学しました。高校時代は野球だけやってれば良いと考えて全く勉強せず現役の入試は惨敗。高校卒業後は気持ちを入れ替えて、九州で監獄や地獄などの名で恐れられる北九州予備校に入学し朝の8時から夜の21時40分の最終限まで自習をし、その後予備校の近くのジムで23時までトレーニングをしてようやく帰宅といった毎日を送っていました。

1年目は死ぬ気で勉強して成績も爆上がりしましたが、入試は失敗に終わりさすがの私もかなり落ち込みました。

 

私は滑り止めで受かっていた防衛大への進学かもう一年浪人をするという選択肢しか残っておらず,どちらにするか決めるのがとてもきつかったのを覚えています。

 

この時に防衛大に進学していたら全く別の人生になっていたと考えるととても感慨深いなと思います。2浪という決断を許してくれた両親には本当に感謝しています。
 
「俺の話をきいてくれ」というタイトルで2浪を絡めた話をしようとすると、合格体験記か受験生に向けての話みたいになってしまい、チームに還元しにくいので浪人中に救われていた言葉を紹介します。

 

それは漫画「左ききのエレン」に出てくる言葉で「クソみたいな日にいいもんをつくるのがプロだ」というものです。これは大手広告代理店で働く主人公の光一が上司から「体調最悪でも、2日寝ていなくても、友達に裏切られても、女にフラれても、その中で歯くいしばってひねり出した仕事がお前の実力の全てだ」と言われる台詞に続く言葉です。

 

 

浪人中に心が折れそうな時にこの言葉を思い出すと、努力をやめたらなんだか負けてしまう気がして、もうちょっと頑張れました。この地道なもうちょっとが今に繋がっているなと感じます。野球に取り組む中で、毎日ハードな練習やトレーニングを積みつつコンディションが良い状態を作ることができれば最高ですが、疲労困憊のときや休みたいときも多いです。

 

そういった時に踏ん張れる力は浪人時代にかなり培われたと思います。

 

当たり前ですが浪人は絶対にするべきものではないと思います。自分は一発で決めなければいけない勝負に二度も負けてしまいました。これは決して褒められることではないし、戻れるなら全く勉強していなかった高校時代に戻って自分をぶん殴ってやりたいです。

 

ですが、決して無駄な二年間ではなかったと思っています。浪人したからこそ自分の人生について見直せたし、浪人しなければ、知ることのなかった挫折や経験があるし、出会うことのなかった人がいます。

 

一度決めた目標を決してぶらすことなくこだわりを持ってやれたことはとても自信に繋がりました。そして、筑波大学に入学し硬式野球部に入って本当に良かったと思っています。筑波大野球部は志が高い人が多く普段からいい刺激をもらえています。

 

また同期にも恵まれており歳の差全く関係なしに絡んでくれ、恵まれた環境の中で野球がやれています。春リーグでは東海大戦に出させていただいて、2本のヒットを打つことができ、本当にあの時諦めずに筑波を目指して良かったなと思いました。
 

 

秋リーグまであと2ヶ月、暑さ厳しい夏のシーズンに入って行きますが、チームで掲げた「一心」というスローガンのもとリーグ優勝という最高の景色が見られるように、自分自身のスケールアップとレベルアップをして行きたいと思います。
 

最後まで読んでいただきありがとうございました。これからも筑波大学硬式野球部をよろしくお願いします。


 
体育専門学群2年 水口耕平

宮崎県立大宮高校

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