平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
第2回は、今津寛春(体育4・旭川東)と大貝龍輝(体育4・西宮東)です。
是非ご覧ください。
皆さんこんにちは。筑波大学硬式野球部4年、桐の葉隊長(筑波大学宣揚歌「桐の葉」を一切の恥じらい・プライドを捨ててバカでかい声で輪の中心で歌う重役)の今津寛春です。
平素より、筑波大学硬式野球部への多大なるご支援、ご声援をいただきありがとうございます。
広報局長として、SNSを介してではありますが支援者の方々からの温かいご声援は身に染みて感じております。
ついこの前までは執筆を依頼する側だったこのブログもとうとう自分が書く側になったかと考えると新鮮な気持ちになります。
ついさっき、寮で夕食を食べながら信じられないくらいデカい声で話す西浦やおそらく自分で前髪を切ったであろうオン眉寮長西尾、物静か(良く言えば)な北爪と寮飯を食べ、三戸と洋画を見ました。
そんな何気ない些細な日常にもカウントダウンが始まっていると考えると少しだけ寂しいですが、素直に今の思いを綴っていきたいと思います。僕なりに、一生懸命、気持ちを込めて書きました。是非ご一読ください。
生まれは北海道旭川市、北の大地で育ちました。
ラーメン、ジンギスカン、海産物をはじめとした食。ペンギンやホッキョクグマのダイナミックな行動展示が魅力の旭山動物園。そして真冬の凍てつくような寒さとは裏腹な心温かい人。是非北海道旅行の際には旭川市へお越しください。
野球は父の影響ではじめ、小中高は主将を務めました。
波乱万丈な小中高の野球人生も振り返りたいところではありますが、短編小説くらいの文量になってしまうので、大学野球人生を中心に振り返ります。
僕の大学野球人生は新人練中、当時のコーチの方に大雨の中お叱りをいただき、自転車のハンドルを握り締めて号泣したあの日から始まりました。
自転車から降りながら挨拶をしてしまったからです。
巻き込んでしまった方々すみませんでした。
2年生になって初めてAチームに上がった日は、バントが下手すぎて練習から出されました。一学年上の濱内主将につきっきりでバントを教えていただきました。ありがとうございました。
3年生以降は長らくBチームで過ごしました。お母さんがJKみたいな生島はじめ同期が次々とリーグ戦デビューをしていく中、情けない気持ちだったと同時に、正直、どこかに野球と向き合うことから逃げていた自分がいることもまた事実でした。
そんな自分ですが、地域貢献や筑波大学スポーツの活性化を目指して、3年秋に4年ぶりに行われた秋リーグホームゲームを統括させていただきました。企画に際して色々と大変なことはありましたが、当日牛久球場一塁側スタンドがフーチャーブルーに染まったあの風景、そして全員で勝利の喜びを分かち合ったあの瞬間を僕は一生忘れません。
スポーツには人を勇気付ける力があると思ったと同時に、応援の力はすごいなと、そして僕を含めた企画班のメンバーが次はこの声援を背にグランドに立ちたい、と思ったことも事実です。
そして今、立教大学さんをお招きして企画した「つくばベースボールフェスティバル」が終わり、帰ってきて追記しているのですが(一井マジでごめんなさい。)、筑波大学硬式野球部の活動、特に地域貢献やホームゲーム等の取り組みには大きな意味があると思います。
野球教室や試合の応援で子供たちが目を輝かせる姿、学生主体で、地域の方々と一緒に作り上げる企画。この取り組みをきっかけに、いつか来てくれた子供達が筑波大学硬式野球部に入部してくれる、そうでなくても、持って帰った「TSUKUBA BASEBALL」のTシャツを着て野球の練習をしている、野球がもっと好きになる。それだけでも大きな意味があるのではないでしょうか。
もちろん勝つことに執着することも非常に大事ではあり、莫大なお金を生む活動ではないですが、少しでも地域や子供たちの未来の可能性、選択肢を少しでも広げられる、そういった使命を持てる活動であるし、これからも規模を大きくして行ってほしいと思います。
そして来てくれた方々の応援は必ず力になり、リーグ戦で、関東大会で、全国大会で、苦しいときに必ず背中を押してくれます。ベンチメンバー、部員だけでなく、応援してくださる方々の応援を背に戦っていこう。山辺お疲れ様でした。
とは言ってもこのブログを書いている4年生の夏、自分はまだBチームです。ベンチには数回入りましたがまだリーグ戦には出ることができていません。
ですが、そんな自分も今、このチームで優勝したいと心から思っています。
同期へ
私生活を削って本気で優勝を目指す仲間、そして辛い時に支え合える仲間、1日に2回二郎系ラーメン(俺の生きる道、是非行ってみてください。)を食べに行ける仲間と出会えて良かったです。心からみんなと優勝がしたいです。優勝しよう。日本一になろう。
後輩へ
4年間、上手くいかないことだらけだと思うけどそんな時ほど矢印を自分に向けてみてください。活路が開けるはずです。もう少し、一緒に頑張ろう。
まずは関甲信、榊原を胴上げしよう。
そしてリーグ優勝して、西浦、森口、鈴こうを胴上げして、人生で一番うまいビールを飲もう。
最後に両親、家族へ。
いつも支えてくれてありがとう。
僕の選択に口出しもせず、温かく見守ってくれたおかげでここまで成長することができました。
野球を通して沢山の失敗をして、沢山のことを学びました。
それも全て挑戦することを許してくれたからだと思います。いつか二人を越えられるようにこれからも頑張ります。
妹、2人の弟、いつも刺激をもらっています。これからも支え合っていきましょう。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
体育専門学群4年 今津寛春
北海道立旭川東高校
こんにちは!
4年外野手の大貝龍輝です。
平素より筑波大学硬式野球部への多大なるご支援、ご声援をいただき誠にありがとうございます。
とうとう下級生の頃から読んできたこの「ラストシーズンに懸ける思い」を自分が書く時が来たのかと少し感慨深く思っています。
拙い文章ではありますが、どうぞ最後まで読んでいただけると幸いです。
小学4年生から始めた野球人生があと数ヶ月で終わろうとしています。
感想は同郷の先輩である仲井さんと同じく
「マジで嬉しい」です。
しかし、しょうもない三振をしたり消極的なプレーをするとベンチで父親に蹴り飛ばされ、泣きながら野球をしていた小学生時代、死ぬほど走らされた中学野球、一生の仲間と出会うことのできた高校野球、そしてこの大学野球、数えれば13年間と長く見えますが、本当に一瞬だったように感じます。それだけ充実してたってことだと思います。
特に西宮東高校で過ごした3年間は本当にきつかったけど楽しかったです。
なぜか驚かれることがあるのですが、高校時代はキャプテンでした。
ビシバシ厳しいこと言ったりしてました。
だらけた雰囲気が漂えば一丁前に集合させて怒ったりなんかもしてました。
けど中身は全く今と変わらないので、たまにボロが出る時がありました。そんな時に喝を入れてくださった、東監督、藤光部長には本当に頭が上がりません。恩師と言われて真っ先に頭に浮かぶのはこのお二方です。
さて、ここからは大学4年間を少し振り返りたいと思います。
4/1に集められ、数日後にはコロナの影響で活動停止になりました。この2ヶ月ほどの活動停止期間はほぼ毎日公園で西浦、生島、大高と4人で自主練をしてました。この自主練(テニスボール野球)のおかげで活動再開後の実戦で球速や変化のキレに驚くことはなかったです。ありがとう、まさのスライダー。
その後活動再開、そして冬にはOP戦も始まりました。
僕は代打要員としてAチームに帯同し自分でも意味がわからないくらい打ちまくりました。ラストシーズンを控えた今思うとここが僕のピークでした。
初めてのリーグ戦の思い出は緊張で嗚咽しまくっている自分を西浦がケラケラ笑っていたことです。
そんなこんなで結果はトータルすると代打で4打数ノーヒットでした。でもこの時は打てなかったことが悔しいだけでチームの勝敗に何か思いがあったかと言われるとなかったと思います。
その後は、Bチームにいることが多くなり、たまにAチームに呼ばれても結果を残せない日々が続きました。仲の良い同期には何回辞めたいって言ったかわかりません。
そんな中でも腐らずにここまでやってこれたのは先輩のスタッフの方々や同期、そして何より家族の存在が大きかったと思います。
ヘッドだった傳谷さん、各自25分の寺原さんなどBスタッフの方々、1日に2食二郎を食べに行ったり、カラオケに行ったり、スマブラをしたり、チャリ旅をしたり、飲み会をしたりとここには書ききれないようなたくさんの思い出がある同期、そしてほぼ毎日ビデオ通話をかけてきて他愛もない会話をしてくれた両親と可愛い弟のこうちゃん。本当に全ての人に感謝です。
ラストシーズンを控えた今、自分はモチベーター(にぎやかし)の役割を担っています。(一応代打も)
仕事内容は、どんなにチームが苦しい状況、しんどい状況でも明るく前を向いて声を出し、チームを引っ張ることです。
多分昔の自分なら少し斜に構えて「なんやそれ」って言ってたと思います。でも今は違います。
それも立派な役割、レフトやライトと変わらない10人目のレギュラーなんだという監督さんからのお言葉の通り全身全霊をかけてチームをにぎやかしてます。160人の代表としてベンチに入れるならば、どんな役割でもチームに貢献してやろうと思っています。それが同期や後輩たちへの恩返しだと思っています。
そしてあわよくばチャンスがもらえたら自分のバットでチームを勝たせて、声だけじゃなくてバットでもにぎやかしたいです。以上がラストシーズンの意気込みになります。
そして家族へ
お父さん、お母さん、ここまで野球を続けさせてくれてありがとう。
まずは野球で少しでも楽しんでもらえるようにあと少し頑張ります。
そして社会人になったら少しずつ恩返ししていきます。
こうちゃんはこんなに優秀な兄と比べられて色々と大変だと思うけど、野球に限ってはそんなことないと思うから高校に行っても何があっても野球は頑張ってほしいなと思います。応援してるよ。
最後になりましたが、自分の野球人生の集大成をどんな形でもグラウンドで表現したいと思います。
そして同期のみんな、リーグ優勝、日本一絶対に叶えてうまい酒飲もう!!
体育専門学群4年 大貝龍輝
西宮東高等学校