牧童図目貫 (鍔の歴史)
牧童図目貫 無銘後藤徳乗
後藤家は、元来は小柄、笄、目貫、その三所物の製作を専らとしていたと述べた。時代が下っては、要求があったのであろう、桃山時代、後藤徳乗の頃から鐔も製作されるようになったと考えられている。考えられているというのは、この頃の後藤の鐔には銘がなく、時代観は桃山ながら作者を証明できる要素がないため、研究者によっては極めの代が異なる場合があるから。とは言え近接した時代であり、同系でしかも親子であるため、作風が大きく違っているとは言えない。しかも先代などの写しもやることから無銘物の極めは難しい。
この目貫は金無垢地と赤銅地の芋継になる作。牛はまさに後藤の風格。人物の顔付きなどは、後に後藤風の定型化された顔に至る前の自然な描法が窺え、優しさの溢れた表情とされている。
牧童図目貫 無銘後藤徳乗
後藤家は、元来は小柄、笄、目貫、その三所物の製作を専らとしていたと述べた。時代が下っては、要求があったのであろう、桃山時代、後藤徳乗の頃から鐔も製作されるようになったと考えられている。考えられているというのは、この頃の後藤の鐔には銘がなく、時代観は桃山ながら作者を証明できる要素がないため、研究者によっては極めの代が異なる場合があるから。とは言え近接した時代であり、同系でしかも親子であるため、作風が大きく違っているとは言えない。しかも先代などの写しもやることから無銘物の極めは難しい。
この目貫は金無垢地と赤銅地の芋継になる作。牛はまさに後藤の風格。人物の顔付きなどは、後に後藤風の定型化された顔に至る前の自然な描法が窺え、優しさの溢れた表情とされている。