獏図目貫 (鍔の歴史)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/4a/915ef17b11fc5115e8d316410e413980.jpg)
獏図目貫 無銘後藤光乗
霊獣の一、獏を題に得た作。赤銅地容彫金色絵。金地と赤銅地の芋継表現になる作品と色合いの違いを比較されたい。一般的な金工作品は赤銅地容彫、あるいは高彫に金銀の色絵が多い。だが、色絵とは言え現代の鍍金のような極薄の金の皮膜ではなく、薄い金の板を溶着させ、その表面を仕上げる手法であり、鍍金に比較して金の層はかなり厚い。時に表面観察では色絵も象嵌もうっとりも芋継も判らない場合がある。
四代光乗は享禄二(1529)年に生まれ、元和六(1620)年に92歳で没している。活躍期はまさに桃山文化の最中。奇抜な具足を身に着け、豪壮で華麗な陣羽織という風体の武士が用いた拵もまた華やか。その金具もまた金を効果的に用いた華やかな作風であった。
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獏図目貫 無銘後藤光乗
霊獣の一、獏を題に得た作。赤銅地容彫金色絵。金地と赤銅地の芋継表現になる作品と色合いの違いを比較されたい。一般的な金工作品は赤銅地容彫、あるいは高彫に金銀の色絵が多い。だが、色絵とは言え現代の鍍金のような極薄の金の皮膜ではなく、薄い金の板を溶着させ、その表面を仕上げる手法であり、鍍金に比較して金の層はかなり厚い。時に表面観察では色絵も象嵌もうっとりも芋継も判らない場合がある。
四代光乗は享禄二(1529)年に生まれ、元和六(1620)年に92歳で没している。活躍期はまさに桃山文化の最中。奇抜な具足を身に着け、豪壮で華麗な陣羽織という風体の武士が用いた拵もまた華やか。その金具もまた金を効果的に用いた華やかな作風であった。