春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

四季の耕作図、鹿沼の彫刻師。二柱神社。

2019-12-13 22:44:06 | 関口文治郎/神社仏閣
 
栃木県の南に位置する人口11万5千人が住む佐野市。
1684年に創建された神社。
二柱神社。
日光東照宮が創建されてから67年後。
もともと、
仏教・歓喜天を祀っていた神社。
明治の神仏稀釈で、歓喜天を安楽寺に移して、
国土、人物、万物を創造したという二柱、
神皇産霊神(かみむすひのかみ)と、
高皇産霊神(たかみむすびのみこと)を祀って、
1873年に、名を変えた。


1600年代神社の彫刻は、
ほとんど地紋の彫りだつたのが、
1700年代に入り、軒下の彫刻が見られ、
中頃になると、壁面に彫刻をはめ込むようになる。
彩色となると、1700年代後半、
彫り物が多い割には、色付けの彫刻は少なくなり、
もっぱら、欅材を使用した素木の彫刻が目立ちます。
 
1783年再建された、彩色した二柱神社は、
神社の素木彫刻と、彩色彫刻のハザマかもしれません。
 
彫ったのは、東照宮に通じる例幣使街道の、富田宿に住む、
磯部儀左衛門(3代目)秀重さん。1760年生まれ。
実弟に、一回り年下の、
1818年一度焼けた日光東照宮五重の塔を、
再建した大工棟梁がいます。
後藤家を名乗った、後藤周二正秀さん。
儀左衛門さんの初代はもともと、群馬県沼田の出身。
真田昌幸の家臣、彫刻家になった、
花輪彫刻集団、高松又八さんの流れを持つ。

幣殿から本殿の胴羽目に彫られた、
色落ち、塗料の剥落した彫刻・・・、
寺社の彫刻は素木がいいと思う私には、
佐野市郊外の平地に鎮座する二柱神社、
「しめた」の喜びです。

 
 
 
 
 
👇社殿中に、二股大根の絵馬があるのですが、
写真に収められなかった。
 
 

 
 
 
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
👇幣殿の農耕図
 
 
👇本殿の向拝の胴羽目の彫刻は、周の慶王にまつわる説話は、
後からはめ込まれた、と、云われ、
じっと見れば、
そうだ・・・とうなずいたデザイン。

 
 
 
 
 
1783年天明の大飢饉が襲った日本、
7月6日、群馬県の浅間山が噴火し、ますます関東は、
生活に疲弊する住民が生死をさまよう。
 
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2 コメント

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素晴らしい社殿 (越後美人)
2019-12-15 10:24:49
素晴らしい彫刻の数々、小さなお社ですからこのままガラスケースに入れたいようですね。
どこを切り取っても美術品としての価値も大きいですね(^_-)-☆
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こんばんは、越後美人さん (とよ)
2019-12-15 18:33:19
硝子ケースに入れたいの、発想は目からうろこでした。
私も、飽きもせず自社の彫刻を撮っていて、
みんな同じように見えるのですが、
一つ一つ、どこか違い作品に甲乙つけられない、
美術品です。

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