春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

節三を・・・その前に一服、吉川英治

2016-03-31 01:02:19 | 魅せられた!







書斎の中

書斎入口


居間・10畳4部屋と・・




明治25年横浜で生まれ、10歳で小学校中退。奉公に出される。
以後、家計を助けるために多くの職を転々する。
大正3年「江の島物語」で講談倶楽部一等当選。
70年の生涯おおよそ30回の引越しの中で、
昭和16年、青梅市の当時吉野村(現在も地名はあります)に
土地を購入。昭和19年3月赤坂から移り住む。
引越し最長不倒、9年5か月を過ごす。
欅の下で奥様とよくお茶を飲んだといいます。
20年終戦で創作の筆を立ち、その後の2年間、
晴耕雨読
の生活を送る。
以上、パンフレットから抜粋です。

ここから私、
晴耕雨読。これを「セイタガアマヨミ」
と茶化した御仁がいる。
もちろん、御仁は読み方を知らないわけではない。
そう読んで、不正解を口にし話題を作り、
周りを楽しませる心優しい、性格の持ち主である。
わたしはそこが好きで、「うまいなあ」といつも一人ほくそ笑んでいる。

これは!!!
文学者の中でも、かなりの知恵ものに違いない。



指南番




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2 コメント

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おはようございます (tempo1078)
2016-03-30 06:45:14
初コメントさせて頂きます。

読者登録をして頂き、
誠に有難うございます。

私は事情により、
コメント欄は設けておりません。
ご了承願います。

写真は吉川英治の書斎でしょうか。
実は、私の名前も英治なのです。
昭和27年生まれですが、亡父が当時の流行作家だった吉川英治に因んで、私に英治と命名したと常々話しておりました。
私も高校時代には、吉川英治の小説を読み漁りしたものです。大衆文学作家だったのですね。苦労人でもあったようですね。吉川英治に対する私の知識はまだまだのように感じました。

拙ブログは、
気儘に勝手に自己中心的にテキトーな部分も多くて見辛いところもあるかと思いますが、どうぞ宜しくお願い致します。

私も喜んで読者登録させて頂きます。
有難うございました。
返信する
ありがとうございます (とよ)
2016-03-30 17:55:10
こんばんは、
と言える時刻になってきました。
ありがとうございます。

temp1078様はコメントで読ませていただいていましたが、わたくし、「仙北駅」のタイトルを見開き、記事の御主人が、あなた様とはつゆ知らず・・・とほほ、大変失礼をいたしました。

秋田、仙北は盛岡と2キロ位の距離でしょうか。
始祖南部藩は、甲斐の出身、室町時代から、岩手、青森、秋田の一部を支配するまでになった一大勢力と記憶しています。紫波町の穀物蔵を守る為に、盛岡藩が、強制移民させたのではないでしょうか

新政府と闘った、会津藩、盛岡藩は、戊辰の戦いで敗れた最後の藩であれば、
両藩は、明治政府の過酷な禄高、取り上げにも堪え、仙北の移民は、盛岡藩に仕えた、誇りが、
新政府軍、佐竹の領地では生きていけない、
戻らなかった。

そう思うのは、私だけでしょうか。

吉川英治の書斎。
そうです「宮本武蔵」の吉川英治がペンネーム十個近くを持ち、一冊の本に五本も書いていた、頃の書斎です。

お父様は、昭和の初めごろのお生まれでしょうか?
昭和十年ごろから、「宮本武蔵」「忠臣蔵」「太閤記」など、世間を楽しませたよう・・・。
きっと、あなた様の、お父さんは・・・本の虫・・・
十分、青春の最中、夢見て、楽しんでいたのかもしれませんね。

今後ともよろしくお願いいたします。
返信する

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