1965年から1983年迄、東映、日拓フライヤーズ、日本ハムファイターズ、ヤクルトスワローズで大活躍した右投右打の、主にファーストを守っていた選手です。個人的には、私が実際に見た右打者の内では歴代を通じて、その勝負強さ、広角に長打を放てる点等、最も好きな選手でした。それだけに1992年、彼の死亡のニュースを聴いた時は、本当にもの凄くショックでした。あの頑健な体の彼が、引退後10年を経ずに亡くなるとは想像すら出来なかったものです。本当に素晴らしすぎる選手でした。先ずは東映フライヤーズ時代の彼を紹介しましょう。テスト入団の彼は、1965年は僅か1本塁打、13打点の成績に終わるも、翌年8本塁打、28打点と順調に成績を伸ばして来ています。しかし未だこの時点では、当時人気薄のパリーグの選手とあって、全国的にはもう一つ知られていない選手なのでしょう。それにも関わらず、入団3年目からの彼は、その類稀な素質を活かし、パリーグのみならず、日本プロ野球を代表する長距離打者としての道を歩み始めます。
通算成績 2235試合 2228安打 0.287 486本塁打 1507打点
通算成績 2235試合 2228安打 0.287 486本塁打 1507打点
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