1955年から1971年まで、大映スターズ、ユニオンズ、大毎オリオンズ、東京オリオンズ、阪急ブレーブスで活躍した右投左打の最初は遊撃手その後二塁手として活躍した選手です。阪急ブレーブスでは殆ど代打要員であり、彼のイメージとして最初に浮かぶのは大毎オリオンズ時代です。大毎オリオンズがそれなりに強かった昭和30年代中頃、彼は主に一番打者として活躍していた記憶があります。やや低く構えた姿勢からミートする技術は素晴らしく、長打力、派手さとは無縁でしたが、非常にいぶし銀的な働きをするチームにとっては、本当に貴重な選手だったと思います。しかし投球にバットを合わせる技術は優れていても、当時の多くの打者に見られる様にスイングスピードには、かなり欠けていたかと思います。その為か、規定打席到達でも最高打率は0.278と今一つ物足りないものでした。しかし堅実な守備と俊足は、チームにとって貴重であり、何故かその残した数字とは別に非常に記憶に残る選手でした。
通算成績 1549試合 1148安打 0.263 56本塁打 360打点
通算成績 1549試合 1148安打 0.263 56本塁打 360打点
猫背のようにかがんだ打撃フォームが印象的