森安敏明投手はシーズン最多与死球22の記録を持ち、永久追放されるまでの僅か4年と少しの間で,通算66個の死球を与えています。昭和43年には当時又その後も最多記録となる22個を数え、翌44年も17個で2年連続の与死球王になっています。これは勿論誉められた記録ではありませんが、この記録にこそ、森安敏明投手の投球の特色が表されているかと思います。つまり単純に言えば、打者にとって最も死球を逃れずらかった投手と言えるのでしょう。森安敏明の場合、決してノーコンという訳ではありませんでしたが、そのあまりにも凄すぎる速さの為、コントロールに関しては非常にアバウトで十分通用したせいか、微妙な制球は持ち併せせてはいませんでした。その為か打者の内角を強気に攻める投球は、時として制球を乱し、又その凄すぎる速さの為打者が逃げ遅れた場合も結構あったかと思います。更に彼の投球フォームは、非常に腕の出が遅く、リリースポイントが見えずらい事も大きく影響していたと思います。この記録でも解る様に、打者特に右打者にとって一番打席に立ちたくない投手の筆頭ではないでしょうか?恐ろしい程のスピードがある上、腰を十分に捻り、腕の出が遅く、制球力にはやや欠けるサイドスロー投手程嫌な存在はなかったかと、容易に想像できるものです。