山内一弘はあの有名な小山正明との世紀のトレードで、昭和39年に阪神タイガースに移籍します。当時は一流選手同士のトレードは殆ど無く、本当に驚かされたものでした。直線的な造りで右中間、左中間に膨らみの感じられない本拠地の東京球場から、もの凄く広い甲子園球場を本拠地とする阪神への移籍により、彼の大幅な本塁打減がマスコミの間ではかなり予想されました。しかし移籍の年には意地もあったのでしょうか?前年の33本から31本と殆ど変らない数字を残しました。しかし打率はかなり落とした数字に終わっています。4年間を過ごした阪神時代には、2割5分から2割6分の低い打率に終始し、更に本塁打数も20本前後に、その後落ちてきています。これは決してセリーグの投手のレベルがパリーグより高い訳ではなく、山内一弘自身の衰えのせいかと思います。かっての彼にしか出来ない様な、職人的な内角のシュート打ちも、腰の切れが悪くなり、スイングスピードが落ちた為、ボテボテの内野ゴロが多く見られたものです。その後移籍した広島カープの初年度には、自身9回目の3割を達成するものの衰えは隠せず、45年に引退を余儀なくされました。それにしても本当に素晴らしい打者であり、その後彼以上に巧く、内角シュートを打てる選手を私は知りません。出来ればその技術のほんの一部だけでも、昨シーズン引退した清原和博に伝授されていれば、清原和博の数字はかなり違ったものになっていたかと思います。