先月29日、昭和を代表する大打者、榎本喜八氏の死去が報道されました。ご冥福をお祈りします。しかし、実際に亡くなったのは約半月前の3月14日という事に、何かもの寂しさを感じてしまいます。氏の死去に際して、現役時代打率面でのライバルと言っていいかと思われる張本勲氏が、スポニチ紙上やサンデーモーニングで(7回首位打者を獲得しているが、首位打者争いの一騎打ちで完全に負けたのは榎本喜八しかいない)と発言し、榎本喜八の偉大さを充分に認めていました。しかし張本勲曰く、一騎打ちで張本勲が敗れた事があったでしょうか、私の記憶の内にはありませんでした。少し記録を調べて見ました。榎本喜八、初の首位打者は昭和35年です。この年入団6年目の彼は0.344の高打率をマークしています。新人王を獲得しながらもその後前年まで、今一つ物足りない成績に甘んじて来た彼が本格的にクローズアップされた年と言っていいのでしょう。一方張本勲は、入団2年目初の3割0.302をマークし、打率ベスト4に食い込み将来を物凄く期待された年でありました。しかし率の差は大きく、首位打者を争った年では決してないと言えるかと思います。昭和41年、榎本喜八は2回目の首位打者に0.351という高率で輝いております。張本勲はこの年、0.330で打率2位になっています。数字上から追っていくと、多分この年の事を張本勲は言っているのかと思いますが、かなり昔の事で曖昧ですが、両者が激しく争ったという記憶はありません。いつも張本勲の発言に関して否定的な私ですが、今回の発言に関しては珍しく違った面が見えた様な気がしました。次回もう少し触れたく思います。
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