榎本喜八と張本勲の率の争いで、僅かの差で勝利を収めたのは逆に、昭和36年の張本勲と言っていいかと思います。弱冠曖昧な記憶ですが、この年終盤まで、張本勲、榎本喜八、田宮謙次郎、杉山光平の4人の左打者が0.330から0.340辺りの打率で争っており、前年初の3割を記録したとは言え、入団3年目、21歳の張本勲が首位打者のタイトルに輝くと予想した人は、シーズン終わり近くになった時点でも、少なかったかと思います。結果的に張本勲0.336、榎本喜八0.331、田宮謙次郎0.328、杉山公平0.321と稀に見る争いになり、榎本喜八との一騎打ちとは必ずしも言えないまでも、並み居るパの強打者に競り勝ち、当時かなりの自信になったかと推測します。度々奇天烈な発言をする張本勲ですが、今回の榎本喜八死去の際のコメントに関しては、偉大なる打者、榎本喜八を尊厳する気持ちが溢れていた様にも感じてしまいます。しかし少しケチをつけときます。張本勲、一騎打ちと言えるかも知れない争いで計3回敗れています。昭和47年、途中までリードしながら加藤秀司に1分3厘差、昭和51年、あの有名な谷沢健一の大逆転、そして翌年若松勉に1分の差で敗れています。次回、球史に残る二人の打者も比較をして見たく思います。
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