昭和29年読売ジャイアンツに入団、41年までの13年間同チーム一筋に在籍し主にショートを守った選手です。広岡達郎と言えばショートというイメージが強いのですが、記録を調べてみると入団の年と翌年はセカンドとサードも守り、特に翌30年はサード98試合、ショート42試合とイニング数までは分からないのですが、この年はサードが本職だったと言えるのかも知れません。31年から引退までは年に1、2回セカンドを守る年はありましたが、イメージ通りショート専門の選手と言えるかと思います。残念ながらサードを守った頃の広岡達郎選手は全く知りませんが、どんな守備だったのか妙に気になってしまいます。一応評価の高い守備に関しては後ほど触れるとして、あの有名なホームスチール事件に関して書きます。翌日のスポーツ紙でかなり大きく扱われていた事は、丁度50年経た今でも非常に良く覚えています。国鉄スワローズが2対0とリードの7回表、投手はエースの金田正一、ワンアウトランナー3塁に長嶋茂雄、カウントツーナッシングからホームスチールを試みて失敗に終わり、打者広岡達郎選手が激怒し、当時の川上哲治監督との確執が生じ、後の退団に繋がったと言われている事件です。
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