昭和44年のキャンプでの投球フォームです。この投手に関してはサイドスローだとか、変化球投手という評価が書かれていたりするのですが、実際は腰の入りの十分なオーバースローからの投球フォームで、球の速さは素晴らしいものがありました。同僚の田中勉投手の重く凄みを感じさせる投球と異なり、糸を引く様な綺麗なストレートを投げていました。昭和40年代初頭のパリーグでの右腕投手の球の速さでは、衰えを見せ始めていた米田哲也や尾崎行雄を田中勉と共に凌いでいたかと思います。しかし武器となる変化球と制球に欠け、球の速さのみに頼った投球だったかと思います。その為、安定した成績は挙げられず、又奪三振率も球速の割には高いものではありませんでした。与田という名前で速球投手と言えば、多くの人は中日ドラゴンズで一時活躍した与田剛を思い浮かべるのでしょうが、私には二人の名前が同時に浮かんでくる位、昔の事とはいえ彼の印象はもの凄く強いものであります。黒い霧、八百長行為の実行により、45年のシーズン前半に永久追放されていますが、彼の低めに決まるストレートの素晴らしさは未だに忘れられません。
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