前回紹介の7人の投手も含めて、この時代の殆ど全ての投手達の奪三振率は低いものでした。現代のプロ野球とは全く違い、エースクラスの投球イニング数は非常に多い為、彼らの奪三振数自体は少ない訳ではないのですが、率自体は決して高いものではありませんでした。その理由としては登板数が非常に多い為、省エネに徹し三振を狙わず打たせて取る投球をしていたとか、現代と比較して変化球の種類が少ない為とか、パワーに優れない打者が多く、彼らはコツコツと当てにくる打法をしていたとかが挙げられています。しかし前出の7人の投手より少し後に登場して来た金田正一や梶本隆夫、特に梶本隆夫は、入団後数年間今一つ奪三振率の伸びない金田正一と異なり入団時から高い奪三振率を披露してくれました。前出の7人に関して、全く見ていないか晩年しか見ていないので、あくまでも推測になりますが、三振を奪うのに大きな力となり得る球速が不足していたのではないかと思ってしまいます。色々な文献或は本人の言葉では速かったとされている投手が多いですが、実際はそれ程の球速は出ていなかったと想定すると、彼らの奪三振率の低さに妙に納得がいってしまうものです。
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