totoroの小道

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お手紙

2012-12-07 00:44:35 | 2年 国語

10月、11月の授業研究の会では、川村先生のお手紙の研究授業について学びました。

10月は、正さんと、川村さんと三人で教材解釈をしました。
何度も読んでいて、知っているつもりでしたが
改めて詳しく読んでみると多くの発見があり、楽しかったです。

それを受けて、川村さんが授業をされ、
11月は、その授業のビデオを見ながら学び合いました。

川村さんが行った授業は次の部分です。

がまくんと、かえるくんの、
二人とも悲しい気分で、げんかんの前にこしを下ろしていました。
を、課題として学習を進めていました。

がまくんが悲しいのは、分かります。
でも、二人ともとかいてあります。
【とも=取り上げたもの全部がそうであることを表わす。】
だから、かえるくんも同じように悲しい気分なのです。

「かえるくんが 悲しいのはなぜだろう」
が、本日のめあてです。

その理由を本文中から探していく授業です。

川村さんのクラスは、1.2年の複式クラスです。
たった、3人で話し合います。

がま君が悲しい気持ちなのは分かります。

「だれも、ぼくに お手紙なんか くれたことがないんだ。
 毎日、ぼくのゆうびんうけは、空っぽさ。
 お手紙を まっているときが かなしいのは、そのためなのさ。」
と言う言葉があります。
【待つ:何かがそこに来るものと予期してそれまでの時間を過ごす。】
【空っぽ:その中にあるべきものが何もない様子】
 毎日、手紙が来ると信じて待っているがま君。ところが、毎日、郵便受けには手紙が届かない。それが、がま君は悲しいのです。

しかし、それならばかえる君まで悲しいのはおかしな事です。

 『だれも』とは一体だれのことなのか?
【だれも:自分以外の人を指す言葉】
 この場合の『だれも』とは、がま君が手紙を欲しいと思う相手であるから、ある程度限定はされるであろう。
 もちろん、その中にかえる君も入っている。
  このとき、かえる君は 自分ががま君に手紙を出していないことに気がつきました。
 そして、そのことで、毎日毎日がま君に悲しい思いをさせていたのです。

そんな授業の流れです。

 

途中までは、たった3人なのに、40人いるクラスのように
子どもたちが活発に話し合い、
文中からそうしたキーになる言葉を見つけ問題を解決していきます。

が、途中でバタリと議論が止まります。
それまで、時々話し合いの交通整理程度に話し合いに参加していた川村さんの声が多くなります。

「かえるくんが 悲しいのはなぜだろう」
という問いです。
1 同情から悲しくなった
2 自分が手紙を出していないせいでがまくんが悲しいから
の二通りの意見がでます。

が、子どもたちは1の意見です。
川村さんは2に気づいてほしいと思っています。

そこで
これを解決するために
悲しいを辞書で引き、それを根拠に話し合おうとしています。
悲しいを新明解で調べると
【取り返しのつかない事どもを思い続けて泣きたくなる気持(絶望的な感じ)だ。】
と載っています。

取り返しのつかないことって何?
と川村さんが訪ねます。
が、子どもたちは?????
川村さんはおかしいなと思います。
かえるくんが取り返しのつかないことをしたから、がまくんが悲しいのです。
それは、具体的にいうと、かえるくんも、あんなに手紙をたのしみにしているがまくんに、手紙をだしてなかったのです。
悲しいを調べれば、それが分かるはずだと、計画していたのです。

それが、なかなか子どもたちが納得しません。
手紙をださなかったことが ,取り返しのつかないこと?
それは、そうかもしれないけど・・・
といった反応です。

 

どんなに幼い考えでも、子どもたち自身で見つけた答えは宝物です。
どんなに、正しい答えでも、示されたものは実感がわかないもののようです。

 

そこまで見ていて考えました。
悲しい=取り返しのつかない事どもを思い続けて泣きたくなる気持
なのかな?と

ためしに、広辞苑を引くと
【泣きたくなるほどつらい。心がいたんでたえられない。いたましい。】と載っています。
明鏡辞典では
【心がひどく痛んで泣きたくなるような思いがする。】となっています。

つまり、新明解で調べると
【取り返しのつかない事どもを思い続けて泣きたくなる気持(絶望的な感じ)だ。】
と載っているけれど、ここでは子どもたちは新明解の解釈より、広辞苑や明鏡のようなとらえ方をしているので、川村さんの投げかけに心から納得できていないようにも感じました。

また、さすがによく訓練されているとはいえ2年生。
辞書の意味だけで納得させるのは、すこし無理があるようにも思えました。

そこで、それらを本文から、子どもたち自身で答えを見つけられないかと提案してみました。

1 だれもぼくにお手紙なんてくれたことがないんだ。
2 毎日ぼくの郵便受けはからっぽさ。
3 お手紙を待っているときがかなしいのは、そのためなのさ。
この3文の中に答えがありそうです。
だって、この言葉を聞く前は、かえるくんは悲しい気分ではありません。
この、がまくんの話を聞いて悲しい気分になるのからです。

がまくんの悲しい理由は、すぐに見つかります。
指示語があるからです。
悲しいのは、そのため。【ため=理由】
その=郵便受けが空っぽ
ですから、がまくんは郵便受けが毎日空っぽだから悲しいのです。

では、かえるくんを悲しい気分にさせた言葉はなんだろう?
そう問えば、子どもたち自身の力で
「だれも=自分も」に行き着くのではないのかな....

次回以降の「浜松授業研究の会」の予定です。 

第28回 2012年12月8日 9:00 12:00 天竜壬生ホール 第2会議室
第29回 2013年1月19日 9:00 12:00 天竜壬生ホール 第2会議室

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