totoroの小道

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白いぼうし4の場面

2009-06-04 06:30:18 | 4年 国語

初任研の授業で、白いぼうしの4の場面を行います。

ファンタジーいっぱいの、とってもいい場面。私は、この最後の余韻が大好きです。子ども達には、ぜひ最後の一行を味わわせたいと思います。

さて、新採の先生とちょっとだけ教材研究をしました。

先生が子ども達と共に作った問題は
「よかったね。よかったよ。が、どうして松井さんに聞こえたか?」
です。

でも、いっしょに読んでみてもどうして松井さん「には」聞こえたのかの答えがよく分かりません。

しかも、それは
「それは、シャボン玉のはじけるような、小さな小さな声」であり
松井さんの数メートル先の、小さな声です。
本当は聞こえていない大きさの声なのに、なぜ聞こえたのか。

一緒に考えたのですが、よく分かりませんでした。

そこで、

帰ってから、インターネットであちこち、調べてみます。
1の場面の松井さんの気持ちを、それぞれの言葉の関係から解き明かしていく研究はたくさん見つかります。でも、この4の場面は子ども達が自由に想像する研究はたくさん見つかりましたが、言葉を根拠に追求していく実践は見あたりません。

以前、自分が授業をしたときにも、全て状況証拠だけで、チョウチョがお礼を言っているんだねと話し合っただけです。

せっかくだから、何か子どもたちを「おっ。」と思わせる展開の核はないものか探してみたいと思いました。

でも
困ってしまいました。
どこを扱ったらいいか。なにかおかしいところはあるのか。子どもたちが言葉を元に真剣に考えるとろろはどこか・・・見えません。

困ったときはどうするか。
切る
問題を作る
....

そうだ、とりあえず、たくさん問題を作ってみようと考えました。

問1
子どもと(たけのたけお君)お母さんを、どこまで見ていて、どこからは想像なのか?

問2
「お母さんが、虫とりあみをかまえて、あの子がぼうしをそうっと開けたとき――。」と、ハンドルを回しながら、松井さんは思います。「あの子は、どんなに目を丸くしただろう。」すると、ぽかっと口をOの字に開けている男の子の顔が、見えてきます..........
は、全て松井さんの空想なのに、「思う」と「見えてくる」が混在しているのはどうしてか?

問3
4の場面は倒置法がたくさんあります。それを正しく読みかえてみよう。

問4
ひとりでに笑いがこみ上げてきました。
・おかしな場面でないのに、どうして?
・こみあげるって、何がどこから?

問5
でも、次に......、
次と言うことは、その前があるはずだと思うけど、その前は何?

問6
「おや。」
松井さんはあわてました。
あわてたときに、「おや」では、あわてたように見えないけれど......

問6
松井さんは車を止めて、考え考え、まどの外を見ました。
・何を考えたの?
・どんな答えが見つかったの?

問7
そこは、小さな団地の前の小さな野原でした
・そこって、どこ?

問8
ぼんやり見ているうち、
・なぜたんぽぽやクローバーでなく、ちょうを見たの
・ぼんやり見たってどのように見たの?
・どのぐらいの時間だったの?

問9
松井さんには、こんな声が聞こえてきました。
・本当に聞こえたの?
・だれと、だれの会話なの?
・他人同士の会話がなのに、松井さんに聞かせたとどうして言えるの?本当?勝手に聞こえただけじゃないの?

問10
・この会話は、本当にちょうちょ同士のの会話なの。
・松井さんは、どこで蝶の会話だと分かったの?

問11
こんな声が聞こえてきました。
普通、指示語は前をさがすけれど、この指示語は後ろを指しているのはおかしい。

問12
車の中には、まだかすかに、夏みかんのにおいが残っています。の文は、なくても意味が通じるが、なぜ載せられているのか?

この辺りを一つずつ、まず教師が自分の答えを見付けていくことで、教材解釈が進むのだと思います。

このお話は、全てが理詰めで説明できるお話ではありません。メルヘンの、優しい美しい雰囲気を味わってほしいと思います。でも、だからといっても、どう読んでもよいというわけではありません。少なくても教師の解釈はしっかり持ってから授業計画を立てるとよいと思います。

それでないと、ただ「白いちょうの恩返し」としか子どもたちは読み取らないと思います。
蝶の小さな声が、松井さん「には」聞こえます。
には=格助詞「に」に係助詞「は」の付いたもの
動作・作用が、その相手に対して(から)行われることを表わす格助詞「に」に、その叙述内容の成り立つ条件に限定を加えることを表わす係助詞「は」の意味が加えられる。

「聞こえてくる」という作用は、特に松井さんという相手に対して限定的に成り立つのです。
しかし、だからといって、ちょうが松井さんに聞かせているわけではありません。

【聞える】(どこカラだれニ)―/(なにニ)― 音・声が(自然に)耳に感じられる。
ですから、蝶の群れの方向から、「よかったね。」「よかったよ。」という声が、自然に耳に感じられる。
から考えると、そのちょうの会話を理解しようと努める松井さんだから、そう感じたのです。

すると、主題が見えてくるような気がします。

実は、松井さんは相手が本当はそう思っているかどうか分からないのに、勝手に良い方向に解釈する癖があります。
お母さんは、においまで届けたかったかどうかは分からないけれど、勝手に「優しい母親だなあ。」と思います。
帽子が置いてあると、ひかれたらかわいそうと、相手の気持ちを勝手に思いやります。

結果的にちょうが逃げると、勝手に「相手ががっかりする。」と大切な夏みかんをあげます。

そのように見てくると、松井さんは勝手に、助かって良かったねと思うのであって、相手に御礼を言ってもらっているわけではないのに、勝手にいい気持ちになります。

その良い気持ちの余韻が車の中にも残っています。

そう読んでいくと、「白いちょうの恩返し」ではなく、心の温かな松井さんが主題のようにも見えてきます。

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