とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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ヤンゴンの記憶(1)

2005年09月07日 21時19分36秒 | ミャンマー旅行記・集
3回シリーズ・その第1回

先週チベット関連のニュースを聞いて、ふと昨年のミャンマー旅行を思い出した。

ミャンマーへの旅行を決めたとき、首都ヤンゴンを訪れたら私にはどうしても行きたい場所があった。
下世話で不真面目な私だからといって、そこは決して妙竹林ないかがわしい場所ではなかった。
つまり新宿歌舞伎町や吉原のような場所(ミャンマーにはそんなところはない)ではないし、神戸の福原(ミャンマーにそんなところはない、と思う)でもないし、バンコクのタニヤ(くどいようだがミャンマーにはそんなところはない)でもなかったのだ。
そんなフーゾク系の所とはまったく違った場所へ行きたかったのだ。
実はそこは「墓場」だったのだ。
墓場といっても先の大戦で祖国日本とアジアの礎となって散っていった17万英霊のみなさんの墓所ではない。
当然そこへも慰霊のお参りに行きたかったのだが、私が訪れたかったのはインド・ムガール帝国最後の王バハトール・シャー2世の墓所なのであった。

「明日はどこへ行きますか?」
滞在三日目の夕食時、ガイドのティンさんが私に訊いた。
「インドの王様の墓を訪れてみたいんですけれど」
「インドの.......ですか」
「そうです。インドの最後の王様、いや皇帝のお墓がヤンゴンにあると聞いていますので」

インドの王の墓を訪れたい、という私の希望を聞いたガイドさんは首を傾げた。
地方出身である彼女は大学進学を機会に上京してから九年間このヤンゴンに住んでいた。だからほとんど地元市民といってもいいくらいなのだ。
ところがその彼女が「インドの王様の墓」など知らないという。
その夜、彼女は事務所に戻って会社のスタッフに墓のありかを確認してくれたのだが全員初耳で誰も知らないといった。
そしてインドの王様の墓はミャンマー唯一のガイドブックともいえる私の持っていた「地球の歩き方」にも載っていなかったのだ。

翌日、私たちはヤンゴン市内にあるモスクを訪ねた。
ムガール帝国はイスラム国家だったので、イスラム寺院で王様の墓の場所を知るものがいないかどうか訊いてまわることにしたのだ。
一つ目のモスクでは誰も知らなかった。
「そんなものあるの?」
とも言われたようだ。
二つ目のに訪れた大きなモスクでも、知るものは誰もいなかった。
そして三つ目の小さなモスクで、礼拝に来ていた初老のおじさんが「私が知っている。案内してあげよう」と言って、親切にも私たちを墓のあるモスクまで連れて行ってくれることになった。

そこでガイドさんを伴いおじさんの後について歩いていくことにした。
随分と長い距離を歩いた。
あまり歩き続けるので「妙なところへ連れて行くのではあるまいな」と、いらぬ心配も浮びはじめたのだ。
ミャンマーのお隣タイでは観光客に親切を装い、偽宝石店に連れて行ったり、強盗、追い剥ぎに金品のみならず命までかすめ取ってしまうという悪党がいるという話をよく聞くのだ。
外務省の「海外危険情報」にもそんな話がごまんと載っている。
かくいう私も見知らぬ人の親切に乗せられて、危うくイカサマカード賭博に巻き込まれそうになった経験がある。
だからここミャンマーでも、そういう笑えないトラブルに見舞われる可能性がないでもない。
ともかくガイドさんが一緒なので、とりあえず安心していても良いだろう、と思い込むことに決めた。

つづく