読んでいて、思わず「そうだよな~」と同意したり、「なるほど、今までそういうふうに感じていたけれど、言葉で表すとはっきりするな」というような、目からウロコがたっぷり詰まったエッセイ集だ。
それもそのはず、著者は日本財団の前会長、曾野綾子さんなのだ。
一編を除き見開きの2ページが一つの作品になっているので大変読みやすい構成になっている。そして、その一編一編の文章が「あ、そうか」という美味しいスパイスを使って味付けされているのが心憎い。
その心憎さも半端ではない。
今の日本人が公の場ではなぜか言えなくなっている微妙なことを整理してきっちりと指摘しているところが心憎いのだ。
それにしても近年の日本は言論の自由を失っている。
こと教育界の問題や、対中韓関係、子供や老人、障害者問題に対する発言は迂闊なことが言えない状態になっている。
だからかどうかはわからないが、政治家やマスコミは、たとえそれが正論であったとしても、一部の人々(市民団体や政治政党など)からの批判をかわすために、声に出して公にすることを避けようとするのだ。
従軍慰安婦問題にしても商売のための売春はあったが、いわゆる国家が主導したなどという性奴隷などなかったという結論は出ているのに、事実をねじ曲げる中韓の主張を報道して、自国の正論は主張しないし報道もしない。
大阪教育大学付属小学校の被害児童の教室を「凶悪事件の記憶がトラウマになるから」という理由で建替える、などという、どう考えても妙な理屈を正当化し、反論を許さない。
海外へ修学旅行に行った中高生が単なる物見遊山のグループツアーになっているために、外国を知るという勉学にまったくつながっていないことや、婦女子の海外留学といえばインドやアフリカ、中南米、アジアではなくカナダ、アメリカ、豪州、西欧に偏るのもおかしな話だが、すべて反論することは許されないのだ。
つまり、現代日本は「なんだかおかしい、でも言えない」という「自己規制の呪縛」に拘束されていると言えるだろう。
本書はそういう不自然な風潮に対する違和感について、自然でユーモアに富んだ巧みな口調で語られており、読んでいるとある種の安心感に包まれてくるのだ。
いや、痒いところに手が届いている、と言えばいいだろうか。
マスコミの偏向報道や政治家、官僚の色眼鏡に影響されずに普通の日本人の価値観を再確認することのできる安心の良書である。
~「社長の顔が見たい」曾野綾子著 河出書房新社刊~
お断り:「社長の顔が見たい」と言っても総帥の顔が見たいという意味ではありません。念のため。(内輪ネタ)
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