3回シリーズ・その第2回
前回までのあらすじ..........昨日のブログを読んでください。
30分ぐらい歩いただろうか、名刹シエダゴンパゴダを臨める大通りから少し公園のようなところに入ると、緑生い茂る熱帯の森の中に平屋の小さなモスクが建っていた。
「ここだよ」
おじさんはモスクを指し示し、そこが王様の墓のある場所であることを教えてくれた。
心配は危惧に終った。
やっぱり親切なおじさんだったのだ。
観光客らしきものは私の他に誰一人としていない。
お参りに来ている人の姿もない。
入り口で玄関の大理石を修理する職人の作業をする工具の音だけが院内に鳴り響いていた。
モスクに入るとイスラム僧なのだろうか、白い衣をまとった背の高い中年の男が私たちを出迎えてくれた。
「ここにムガール帝国の王様のお墓があると教えてもらったのですが」
「ようこそ。こちらです」
イスラム教というのは戒律が非常に厳しく異教徒に対して排他的であるというイメージが私にはあった。
モスクの中へ入ったのは、これが生まれて初めてのことであったし、日本人である私はミャンマー人と同じ仏教徒ということになるので、かなり緊張していた。
しかし私のイメージは間違いだった。
イスラム僧は暖かく私を迎え入れ奥まった王の墓室へ案内してくれた。
「この二つが王と王妃の墓です」
そこにはベッドのような大きな棺が安置されており、上には美しい織物がかけられ多くの花が手向けられていた。
この墓のうち、王の墓は仮の墓で、遺体が安置された本物の墓がどこにあるのか長い間わからなかったのだという。
僧は、部屋を出て奥に進み、床が深く掘られた場所へ私たちを案内した。
手すりで囲まれた深い穴の下は、白いタイルで囲まれた部屋になっている。そしてそこにはさっき墓室で見たものと同じ棺が一つだけ安置されていた。
この棺こそ1970年代に改修工事の際、地面を掘っていると発見された王の真の石棺だったのだ。
残酷にも王の墓だけは、誰にも発見されることのないように地下数メートルの深い場所に埋められていたというわけだ。
私はイスラムの祈り方を知らないので、失礼とは思ったが日本人としての礼のとりかたでお参りした。
「あなたはどこから来られたのですか」
帰り際、僧が私に訊ねてきた。
「日本から来ました」
「遠いところを来てくれてありがとう」
僧は私の手をがっちりと握った。
あまりに僧が真剣に私を見つめて握手するので、すこしこそばゆい気持ちになったが、
「また来ます。案内してくれて、ありがとうございました」
と、僧とここまで連れてきてくれたおじさんに礼を述べモスクを離れた。
日本が尊王攘夷だとか、大政奉還だとか、ご維新だとか「チェストー!」だとか「えじゃないか、えじゃないか、えじゃないか」と赤福餅のCMソングを歌って騒いでいた頃、ここミャンマーとお隣のインドは、その歴史上最大の危機を迎えていた。
つづく
前回までのあらすじ..........昨日のブログを読んでください。
30分ぐらい歩いただろうか、名刹シエダゴンパゴダを臨める大通りから少し公園のようなところに入ると、緑生い茂る熱帯の森の中に平屋の小さなモスクが建っていた。
「ここだよ」
おじさんはモスクを指し示し、そこが王様の墓のある場所であることを教えてくれた。
心配は危惧に終った。
やっぱり親切なおじさんだったのだ。
観光客らしきものは私の他に誰一人としていない。
お参りに来ている人の姿もない。
入り口で玄関の大理石を修理する職人の作業をする工具の音だけが院内に鳴り響いていた。
モスクに入るとイスラム僧なのだろうか、白い衣をまとった背の高い中年の男が私たちを出迎えてくれた。
「ここにムガール帝国の王様のお墓があると教えてもらったのですが」
「ようこそ。こちらです」
イスラム教というのは戒律が非常に厳しく異教徒に対して排他的であるというイメージが私にはあった。
モスクの中へ入ったのは、これが生まれて初めてのことであったし、日本人である私はミャンマー人と同じ仏教徒ということになるので、かなり緊張していた。
しかし私のイメージは間違いだった。
イスラム僧は暖かく私を迎え入れ奥まった王の墓室へ案内してくれた。
「この二つが王と王妃の墓です」
そこにはベッドのような大きな棺が安置されており、上には美しい織物がかけられ多くの花が手向けられていた。
この墓のうち、王の墓は仮の墓で、遺体が安置された本物の墓がどこにあるのか長い間わからなかったのだという。
僧は、部屋を出て奥に進み、床が深く掘られた場所へ私たちを案内した。
手すりで囲まれた深い穴の下は、白いタイルで囲まれた部屋になっている。そしてそこにはさっき墓室で見たものと同じ棺が一つだけ安置されていた。
この棺こそ1970年代に改修工事の際、地面を掘っていると発見された王の真の石棺だったのだ。
残酷にも王の墓だけは、誰にも発見されることのないように地下数メートルの深い場所に埋められていたというわけだ。
私はイスラムの祈り方を知らないので、失礼とは思ったが日本人としての礼のとりかたでお参りした。
「あなたはどこから来られたのですか」
帰り際、僧が私に訊ねてきた。
「日本から来ました」
「遠いところを来てくれてありがとう」
僧は私の手をがっちりと握った。
あまりに僧が真剣に私を見つめて握手するので、すこしこそばゆい気持ちになったが、
「また来ます。案内してくれて、ありがとうございました」
と、僧とここまで連れてきてくれたおじさんに礼を述べモスクを離れた。
日本が尊王攘夷だとか、大政奉還だとか、ご維新だとか「チェストー!」だとか「えじゃないか、えじゃないか、えじゃないか」と赤福餅のCMソングを歌って騒いでいた頃、ここミャンマーとお隣のインドは、その歴史上最大の危機を迎えていた。
つづく