人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

「新交響楽団」維持会継続手続きをする / 五木寛之著「こころの散歩」を読む ~ 「風呂が趣味とはなさけない」「トゥゲザー・アンド・アローン」ほか:人生の大先輩によるエッセイ集

2024年06月26日 00時01分50秒 | 日記

26日(水)。昨日は、あまりの暑さに今年初めてリビングのクーラーを点けました 自分だけならよいのですが、モコタロがいるので熱中症になったら大変なので英断しました

新交響楽団の回数券が無くなったので、郵便振替で維持会費10,000円を送金しました 維持会員になると2年間有効の5枚綴りの回数券(1度に何枚でも使用可:S席優先確保)が送られてきます 取りあえず7月28日(日)14時から東京芸術劇場で開かれる「第266回演奏会」を聴く予定です プログラムは下のチラシの通りですが、アマチュアオーケストラにしてはチャレンジングなプログラムです

     

ということで、わが家に来てから今日で3452日目を迎え、韓国軍合同参謀本部は24日、北朝鮮が風船と推定される物体を再び飛ばしたと発表したが、履きつぶされた靴下や、人糞由来とみられる寄生虫が検出されるなど、北朝鮮の劣悪な経済状況を示すゴミが多く含まれていた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     核ミサイルを飛ばすよりはマシだけど 貧しい物品類を見ると 逆効果なんじゃね?

         

昨日、夕食に「タンドリーチキン」「生野菜サラダ」「野菜とエノキダケの中華スープ」「冷奴」を作りました タンドリーチキンで使ったヨーグルトが大量に余ったので、朝食時のキウイにかけて食べることにします

     

         

 五木寛之著「こころの散歩」(新潮文庫)を読み終わりました 五木寛之は1932年 福岡市生まれ。1947年に北朝鮮から引き揚げ、早稲田大学文学部ロシア文学科に学ぶ 66年「さらばモスクワ愚連隊」で小説現代新人賞、67年「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞、76年「青春の門」で吉川英治文学賞を受賞 「朱鷺の墓」「戒厳令の夜」「風に吹かれて」「大河の一滴」ほか著書多数

     

本書は「週刊新潮」に連載したエッセイを2021年3月に新潮社から単行本として刊行したものを、2024年1月に文庫化したエッセイ集です

著者は「昼と夜のあいだに ー まえがきに代えて」の中で、次のように書いています

「新型コロナの世界的流行は、私個人の生活にも大きな変化をもたらした これまで50年以上も夜型人間として生きてきた私が、なんと突然、昼型人間に変貌してしまったのだ 原稿は夜中に書き、深夜に食事をし、明けがた風呂に入って寝る。そういう規則正しい生活を半世紀以上も続けてきたのである それが新型コロナの蔓延が騒がれるようになった頃から、突然、思いがけない変化がおきた。去年の暮ごろから、どういうわけか夜の11時過ぎになると自然にあくびがでるようになったのである ある日、ちょっと仮眠するつもりで横になったら、そのまま眠り込んでしまって、目を覚ましたら朝だった。その日以来、ずっとそんな思いがけない日が続き、いまなお続いている

確かに新型コロナは人々の生活様式を大きく変えましたね 私にとって一番辛かったのはコンサートの相次ぐ中止、映画館の封鎖、大型書店の時短・一時閉店でした 当時のブログを振り返ってみると、「〇〇楽団から、〇月〇日開催の定期演奏会は、新型コロナウイルス拡大防止のため中止とする旨のメールが届いた」という話題ばかりが続いていました

本書には全43篇のエッセイが収録されていますが、便宜的に次の3章に分けられています

第1章「夜に口笛を吹く」

第2章「ノスタルジーの力」

第3章「こころの深呼吸」

第1章の中の「風呂が趣味とはなさけない」というエッセイには次のようなことが書かれています

「1日に何回となく湯につかる 目を覚ましては、風呂にはいる。ひと仕事終えると風呂。外出して帰ってくると風呂。寝る前にも風呂。夜中に目が覚めては風呂。というわけで、一日のうちどれだけの時間、湯につかっているかわからない。まるで水棲、いや湯棲動物だ

これを読んで、「あれっ」と思いました。と言うのは、一昔読んだ彼のエッセイには、たしか「風呂に入って頭を洗ったことがない」と書かれていて、きったねー小説家だなー  と思った記憶があるからです しかし、それは第2章の「長髪の季節」というエッセイを読んで氷解しました そこには次のように書かれています

「思えば当時は長髪の季節だった。フォーク・ソングのグループをはじめ、俳優も、編集者も、みな肩まである長髪を揺らして議論しあっていたものである 当時の写真を見ると、私もむさ苦しい長髪だ。しかもほとんど洗うことがなかったから、臭気芬々たる新人作家であったにちがいない

さすがの直木賞作家も、歳をとるにつれて洗髪するようになったようですが、そりゃそうだろうと思います エッセイ「長髪の季節」には続きがあります

「晩年の石坂洋次郎さんは、かなりおつむがソフトになっておられた 私の顔さえ見れば、『やあ、五木ひろしくん』と言われる 『五木ヒロユキです』と訂正すると、『やあ、失敬、失敬』と苦笑なさるのだが、またしばらくすると『五木ひろしくん』と声をかけてこられる

「青い山脈」は「青春の門」を「横浜たそがれ」と間違えてはいけませんよね

第2章「ノスタルジーの力」の中の「トゥゲザー・アンド・アローン」というエッセイには概要次のようなことが書かれています

「最近インタビューで訊かれるのは『老いについて』が多い 東京オリンピックが終わって数年すれば、団塊の世代600数十万人が75歳超えの後期高齢者と化す たぶん、その頃は『老い』などという主題は時代遅れで、次の目標は『死』が、その後は『死後』が時代の話題の中心になるだろう 「老い・死・死後」の3点セットは人生後半の最大テーマと言ってよい。政治も経済も、この3つを避けては成立しないのだから。この3点セットに一貫して流れる主題が『孤独』である 私の考える『孤独』とは、ただ一人で『孤立』することではない。いつもインタビューされるときに強調するのは、そのことである 故・西部邁さんがある文章に中で『トゥゲザー・アンド・アローン』というオルテガの言葉を引用していた 西部さんは『人は一緒に一人でいるしかない』と書いている。『トゥゲザー・アンド・アローン』・・いい言葉だ 『和して同ぜず』というよりも、さらにわかりやすい

たとえ群衆の中にいても「一人一人は孤独である」というのはその通りです しかし、孤立しているわけではない

有名人の学歴詐称が話題になっていますが、「卒業・中退・抹籍・除籍」など、自身の経験を基にした面白いエピソードが満載です

90歳を超えた人生の大ベテランが日常思ったことを率直に綴ったエッセイ集です 気軽に読める本としてお薦めします

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