2日(火)。昨日の朝日朝刊第1面コラム「天声人語」は節分について書いていました
「今年の節分はおなじみの3日でなく、2日。1年が365日ぴったりではなく6時間ほど長いため、立春の前日である節分もずれる年がある 前回、2日になったのは明治30年。実に124年ぶりのことだ」
そして、秋田県の ある町の節分の日の豆まきのかけ声を紹介していました 「鬼は外 福は内 天に花咲け 地に実なれ」というものです これ、いいと思いませんか
ということで、わが家に来てから今日で2315日目を迎え、ミャンマー国軍は政府トップで国民民主党党首のアウン・サン・スーチー国家顧問兼外相とウィン・ミン大統領を拘束し、1日 クーデターを実行したが、米ホワイトハウスはスーチー氏らの解放を求め「選挙結果の変更や、民主化移行を妨害するいかなる試みにも反対する。これらの措置が取り消されなければ、責任者に行動を起こす」という声明を発表、一方、国連のグテレス事務総長は「スーチー氏らの拘束を強く非難する」と表明した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
クーデターをやっても 世界が認めなければ 国は孤立し 国民は路頭に迷うだけだ
昨日の夕食は「みそ鍋」にしました どうやら月曜日は鍋料理が定着した感があります 長ネギを入れましたが、娘は食べません
昨日、新文芸坐でリューボ・ステファノフ&タマラ・コテフスカ監督による2019年製作北マケドニア映画「ハニーランド 永遠の谷」(86分)を観ました
この映画は北マケドニアに暮らす自然養蜂家の女性を追ったドキュメンタリーです
北マケドニアの首都スコピエから20キロほど離れた、電気も水道もない谷で、目が不自由で寝たきりの85歳の老母と暮らす自然養蜂家の女性は、持続可能な生活と自然を守るため「半分は自分に、半分は蜂に」を信条として養蜂を続けていた ある日、何十頭もの牛を飼う子だくさん夫婦が隣にやってきて交流が始まる 生計を立てるため その夫婦も養蜂を始める。女性は「蜂蜜を収穫するときは半分は残しておくように。そうしないと蜂が怒るから」とアドヴァイスをする しかし、高値で買うという業者に説得されすべてを収穫してしまう 行き場を失った蜂たちは女性の家で大切に育てていた蜂の巣に攻撃をしかけてきて全滅してしまう 老婆は「いつか彼らには罰が当たる」という。すると、夫婦の飼育していた牛が(たぶん疫病で)50頭も死んでしまう そして彼らは土地を去っていく やがて母親が死に、彼女は一人取り残される
この映画を観て、最初に思ったのは「世界にはこんな辺鄙な所で生活し、それでも自分の哲学を実践しながら生きている人がいるんだな」ということです 養蜂は生きている蜂が相手なので、野菜や果物を収穫するのとはわけが違います。そこに、「半分は自分に、半分は蜂に」という哲学が生まれます そうすることによって、自然との共存を図ろうとするわけです
女性の真似をして養蜂を始めた隣家の夫婦と子どもたちは、フェイスネットも着けずに蜂の巣を取り出したりするので、顔や頭を蜂に刺されて悲鳴をあげますが、ずいぶん杜撰な養蜂業だな、と思います また、隣家の牛の出産シーンでは、子どもが一人で、親牛から子牛を引っ張り出して、「なんだオスか」と言ってがっかりするところは、ずいぶんワイルドだな、と思います
とても印象的だったのは、死んだ母親を土に埋めて、祈りを捧げていると上空から「ゴー」という音が聴こえてきて、女性が空を見上げるシーンです それはジェット旅客機の飛行の音なのですが、この時に感じたのは「文明の落差」です
この映画の良いところは、余計なBGMを流さず、音楽は最小限にとどめ、自然の音を大切にしているところです
3年の歳月をかけて撮影したこの映画は、第92回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞と国際映画賞に同時にノミネートされた初の作品となったとのことですが、よく分かります 静かな感動を呼ぶ映画です
帰りがけにポストカードを買ってきました
Half for me , Half for you.
と書かれています
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