18日(木)。昨日は午前中に池袋の豊島税務署に行って確定申告をしてきました 9時半頃税務署に着いたのですが、待ち時間を含めて約2時間かかってしまいました。毎年のことですが、ウィークデーなのに税務署はいつも混んでいますね
ということで、わが家に来てから508日目を迎え、税務申告の心配のいらないモコタロです
ぼくの場合は おやつがもらえないのが 確定深刻だよ
閑話休題
昨日は、夕食に「鶏肉のソテー 香味じょうゆ」、「ホウレン草のお浸し」、「生野菜サラダ」を作りました 鶏肉のソテーはフランパンを使いたかったのですが、焦げ付くのがいやだったので魚用グリルで焼きました
も一度、閑話休題
昨日の日経夕刊・社会面に「モーツアルトとサリエリ 共作曲、尊敬の証し」という記事が載っていました。超訳すると
「チェコ国立博物館で16日、モーツアルトとサリエリらが1785年に共作した曲が披露された この曲は共作であることが最近になって確認された。公の場での演奏は約200年ぶりとされる。サリエリを巡っては、モーツアルトの才能に嫉妬して毒殺したとの説があり、映画『アマデウス』でも取り上げられたが、音楽研究家の間では否定されている
イタリアの詩人ダ・ポンテの歌詞にモーツアルト、サリエリらが曲をつけたとみられている
楽譜は印刷年が不明だが、1950年代に旧チェコスロバキアの社会主義化に伴う貴族財産の国有化で、国立博物館の所蔵品になった
」
共作されたとされる1785年は、モーツアルトが29歳、サリエリが35歳でした。1785年といえば弦楽四重奏曲「ハイドン・セット」を作曲した年で、翌86年にはオペラ「フィガロの結婚」や「ドン・ジョバンニ」を作曲しています 言わばモーツアルトの絶頂期だった頃です
記事にある「モーツアルトの毒殺説」については、サリエリではなく、モーツアルトの妻コンスタンツェが彼女の母親と共謀して毒を盛ったというのが最新のモーツアルト研究の結論のようです 新日本フィルのヴァイオリニスト篠原英和さんが室内楽シリーズのプレトークで語っていました
最後の、閑話休題
今年に入ってから「コンサート」と「映画」ばかりだったので、本の紹介は久しぶりです
村上春樹著「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(文春文庫)を読み終わりました 言うまでもなく、村上春樹は1949年、京都生まれで、早稲田大学文学部演劇科を卒業。多くの作品を書いていますが、「芥川賞」と「直木賞」以外の多くの賞を受賞しています
翻訳を通じて世界でも広く読まれ、毎年のようにノーベル文学賞の候補だと騒がれています。この作品は2013年4月に文芸春秋社から単行本として発売されましたが、当時 神保町の三省堂に山積みになっていたのを覚えています
多崎つくるは鉄道の駅をつくる仕事に就いている。名古屋での高校時代に4人の男女と完璧な親友関係を築いていたが、大学2年の夏休みのある日、突然4人から何の説明もなく絶縁を申し渡される つくるには思い当たる節はない。いつ死のうかと悩みながら毎日を生きて来たが、30代半ばに達したつくるは新しい恋人・沙羅と出逢い、彼女に促されて4人に会って過去に何があったのかを追及することを決心する
なぜ「色彩のない」多崎つくるなのかというと、4人の親友の名前が赤松慶、青海悦男、白根柚木、黒埜恵里と、全員の名前に「色」が含まれているのに、つくるだけが名前に「色」が含まれていないからです もう一つは、つくるの次のような自己分析です
「自分の中には根本的に、何かしら人をがっかりさせるものがあるに違いない。色彩を欠いた多崎つくる 結局のところ、人に向けて差し出されるものを、おれは何一つ持ち合わせていないのだろう。いや、そんなことを言えば、自分自身に向けて差し出せるものだって持ち合わせていないかもしれない
」
さて、この作品は、タイトルにある「巡礼の年」が示すように、フランツ・リストのピアノ曲集「巡礼の年」の中の「第1年:スイス」の第8曲「ル・マル・デュ・ペイ」が重要なモチーフとして何度も登場します 作中のつくるの言葉を借りれば「Le Mal du Pays フランス語です。一般的にはホームシックとかメランコリーといった意味で使われますが、もっと詳しく言えば、『田園風景が人の心に呼び起こす、理由のない哀しみ』。正確に翻訳するのはむずしい言葉です」というものです
いま私の手元にこの作品に出てくるラザール・ベルマンによる「ル・マル・デュ・ペイ」のCDがあります(輸入盤。4枚組の1枚目)。実際にこの曲を聴いてみると、この作品の重要なモチーフとして使用する曲としては何か物足りなさを感じます 何かピンと来ないのです。どちらかと言えば、同じ「スイス」の中でも第2曲の「ワレンシュタートの湖にて」の方が、人の郷愁を誘う音楽のように思えるのです
同じ「巡礼の年」でも「第2年:イタリア」もあるし、「第3年」もあるのに、なぜ「第1年:スイス」の「ル・マル・デュ・ペイ」なのか?と疑問に思いました
疑問を持ちながら読み進めていくと、つくるがフィンランドに住むクロ(黒埜恵理=エリ・クロノ・ハアタイネン)に会いに行くための旅行支度を終えた、次のような場面に突き当たりました
「旅行の支度を終えたあと、久しぶりにリストの『巡礼の年』のレコードを取り出した。ラザール・ベルマンの演奏する3枚組のLP・・・・1枚目の盤をターンテーブルに載せ、二面に針を落とした。第1年の『スイス』。彼はソファに腰を下ろし、目を閉じて、音楽に耳を傾けた 『ル・マル・デュ・ペイ』はその曲集の8番目の曲だが、レコードでは二面の冒頭になっている。彼は多くの場合その曲から聴き始め、第2年『イタリア』の4曲目『ペトラルカのソネット第47番』まで聴く
」
この文章を読んだとき、「ああ、これか」と合点しました。なぜ著者が同じ「巡礼の年」でも、他の曲ではなく「ル・マル・デュ・ペイ」をモチーフに選んだかという理由です
CDしか知らない世代の人には分かりにくいかも知れませんが、LPレコードは表裏両面に音楽情報が刻まれているので、一面(表面)の再生が終わったら、盤をひっくり返して二面(裏面)を聴くことになります この小説では、1枚目の盤の二面(裏面)の『冒頭』に第1年「スイス」の第8曲「ル・マル・デュ・ペイ」が入っていることになります
LPレコードを聴きなれた人なら分かってもらえると思いますが、一面にしても二面にしても、盤の冒頭の曲というのは強く印象に残るものなのです。同じ盤を繰り返し聴く場合はなおさらです
その意味で、著者はLPレコードの二面の『冒頭』に刻まれたこの曲が、「ル・マル・デュ・ペイ」という標題の意味も含めて強く印象に残っていたのだと思います。さらに言えば、それに加えて、著者にはこの曲をめぐる大事な思い出があったのかも知れません。もちろん、これは私がそう思っただけの話です
この小説を読んでから、リストをよく聴くようになりました この作品が単行本で発売された時にはラザール・ベルマンの演奏によるCDが爆発的に売れて品切れの店が相次いだそうですが、私はベルマンに対してはあまり良い印象は持っていなかったので、あえて買おうとは思いませんでした
その昔、リストの「超絶技巧練習曲集」のLPを持っていましたが、あまりにも「バリバリ」弾くので、反って反発を覚え、敬遠していました
今、CD4枚組で聴くリストの曲は1977年と1980年の録音による演奏ですが、「バリバリ」という感じはまったくありません。夜、本を読みながら静かに聴いています
村上春樹の作品の多くは、一定のリズムで音楽が静かに流れているようで好きです