1日(月)。早いもので今日から2月です。昔から「二月は逃げる」と言いますから、今月もあっという間に過ぎていくでしょうね ということで、わが家に来てから491日目を迎え、白ウサちゃんと内緒話に花が咲くモコタロです
モコタロ「耳寄りな話があるんだ」 白ウサ「目が寄るね」
閑話休題
1月はコンサートが11回だったのに対し、映画が32本とほぼ3倍でした もちろんこれは1か月間での自己新記録ですが、無理がたたって途中で風邪を引いてしまいました その反面、読書はほとんど進んでいません。我ながら偏ってますね
ということで、「浜離宮ランチタイムコンサート」の4~6月のセット券を購入しました プログラムは4月が「上杉春雄ピアノ・リサイタル」で、ショパンのマズルカなどが演奏されますが、ソプラノの森麻季が共演するのでそちらが楽しみです 5月は新日本フィルのコンマス・豊嶋泰嗣、チェロの富岡廉太郎、ピアノの菊池洋子によりチャイコフスキー「偉大な芸術家の思い出に」とモーツアルト「ピアノ三重奏曲第7番」が演奏されます 6月は「高木綾子フルート・リサイタル」で、モーツアルト「フルート四重奏曲第1番」他がピアノ:坂野伊都子との共演で演奏されます
先日電話で申込んだ時には、1階席で残っているのは最後列・端の1席のみで、あとは2階のバルコニー席になるというので、仕方なく1階席の最後の1枚にしました 会場に関わらず2階バルコニー席は出来るだけ避けるようにしています。1列しかない場合は良いのですが、2列以上ある場合は、1列目の人がステージを見ようと身体を前に傾けてトラブルになることが多いからです 残念ながら、どの会場にもマナーの悪い人は必ずいます
さらに、閑話休題
1週間くらい前だったでしょうか。朝 FM放送を聴いていたら、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のメロディーが流れてきました かなり癖のある演奏で、「何だこれは」と思いました。ひょっとして ひと昔前の巨匠ヴァイオリニストの演奏か と思うほど唯我独尊の超個性的な演奏です。現代では、いかに美しくヴァイオリンを響かせるかに重きを置いて演奏するのが一般的ですが、この時 聴いたのは、”美しさ”とは対極にある”なりふり構わない、崩れた”演奏でした 興味を持ったので演奏後の”演奏者”のアナウンスを待ちました。すると「コパチンスカヤの演奏でした」という解説がありました
その数日後、新聞の「ディスク・レビュー」欄に「チャイコフスキー『ヴァイオリン協奏曲』、ストラヴィンスキー『結婚』」のディスク(ソニーレコード)が紹介されており、演奏者として「ギリシャ出身のテオドール・クルレンツィス指揮ムジカエテルナ、ヴァイオリン=パトリシア・コパチンスカヤ」という記述がありました
「ああ、この演奏だったのか」と思いました。解説には「濃厚で奔放なヴァイオリンに、ピリオド楽器を用いたオーケストラの小気味よい演奏がマッチして、圧倒的なエネルギーを放つ」とありました。まさにそういう演奏でした。私はこの演奏に対して悪い印象は持っていません。むしろ、没個性の時代にはこういう演奏こそ望まれているのではないかとさえ思います 今度CDショップに行ったとき 手に取ってみようと思います
最後の、閑話休題
一昨日、池袋の新文芸坐で原節子主演「麦秋」を観ました この日は「追悼 原節子」シリーズの最終日でした。「晩春」との2本立てでしたが、コバケン+東京フィルのコンサートとの関係で、残念ながら「麦秋」だけ観ることになりました 「原節子も今日で見納めか」というファンで映画館は文字通り満席です
この映画は巨匠・小津安二郎監督が1951年に制作した124分のモノクロ映画です
北鎌倉の間宮家では、結婚にあまり積極的でない28歳の紀子(原節子)に、父の周吉(菅井一郎)、母のしげ(東山千栄子)、兄の康一(笠智衆)、その嫁・史子(三宅邦子)らは早く結婚してほしいと気をもんでいる 紀子は大手の会社で秘書として働いており、上司から見合いを進められたりする。しかし、当人は乗り気でない さて紀子はどうしたいのか・・・・
そんな どこにでもあるような日常的な生活を淡々と描いた作品です
映画の冒頭は父の周吉が小鳥の餌をすりつぶしているシーンですが、バックに「庭の千草」のメロディーがオルゴールの音で流れています この曲は間宮家の中でのいくつかのシーンで流れますが、「小さな幸せ」の象徴のような音楽として使われています この映画の最後の方で周吉としげがこれまでの人生を振り返るシーンがあります
「贅沢をいったらきりがないよ。うちなんか良い方だよ」
「そうですねえ」
敗戦後6年の1951年の作品ですが、その当時の庶民の生活感「足るを知る」を代弁しているような気がします
映画の中では、紀子と田村アヤ(淡島千景)の独身グループ対既婚の2人の女性による口合戦や、紀子とアヤの秋田弁のやり取りなど、思わず吹き出してしまうシーンも多く、ユーモアに溢れた作品です 「男はつらいよ」の寺の住職役でお馴染みの笠智衆の若いこと 最初は彼だと分かりませんでした
原節子は1920年の生まれですから、その当時は31歳でした。画面で観る彼女は一番輝いているように感じます この人は、そこに居るだけで周囲が明るくなる稀有な存在です
今回の新文芸坐の「追悼 原節子」シリーズで観たのは「河内山宗俊」「新しき土」「路傍の石」「智恵子抄」「女であること」「女ごころ」「麦秋」の7作品のみでした どうしても観たかった「東京物語」や「秋日和」や「晩春」が観られなかったのは非常に残念です。新文芸坐でアンコール上映してくれないかなあ。投書しちゃおっと