人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

尾高忠明+新日本フィルでエルガー,V.ウィリアムズ,ブリテン,ディーリアスを聴く

2015年05月23日 08時11分06秒 | 日記

23日(土).わが家に来てから226日目を迎え,ご近所の奥様とお話しするモコタロです 

 

          

            お野菜が高くなって生活も大変ですわねぇ 奥さま!

 

  閑話休題  

 

昨夕,すみだトりフォニーホールで新日本フィル第541回定期演奏会を聴きました 本来はトりフォニー・シリーズ第2日目の会員なので今日聴くはずだったのですが,東響オペラシティ・シリーズ公演と重なってしまったため,振り替えサービスのある新日本フィルの方を前日に振り替えてもらったのです プログラムは①ヴォーン・ウィリアムズ「タリスの主題による幻想曲」,②ディーリアス「楽園への道」,③ブリテン「歌劇”ピーター=グライムズ”より”4つの海の間奏曲”」,④エルガー「交響曲第1番変イ長調」です 指揮は英国音楽のスペシャリスト尾高忠明です

 

          

 

自席はいつもの定期会員席と反対側の右ブロック18列24番,会場は9割方埋まっている感じです 1曲目のヴォーン・ウィリアムズの「タリスの主題による幻想曲」は,16世紀に活躍した作曲家トマス・タリスの詩編を1906年に校訂編纂した「イングランドの讃美歌」で取り上げたものを使っています

オケの配置を見て「おやっ?」と思いました 弦楽奏者のみの態勢ですが,新日本フィルの通常の編成=左から第1ヴァイオリン,第2ヴァイオリン,チェロ,ヴィオラ,その後ろにコントラバスに加え,後方右の壁に沿って,ヴァイオリン6本,ヴィオラ2本,チェロ2本,コントラバス1本が横並びにスタンバイしているのです あらためてプログラムの解説を見ると,これは作曲者の指示によるもので,前の編成が第1群,後方の編成が第2群として配置されていることが分かりました コンマスはチェ・ムンスです

尾高忠明はいつも通りタクトを持たずに登場,さっそく演奏に入りますが,曲の冒頭から弦楽器の厚みのある音が心地よく響いてきます 後半で首席奏者のチェ・ムンス,須山暢大(客演),木越洋,篠崎友美の弦楽四重奏が聴かれますが,素晴らしいアンサンブルでした この曲のメロディーを聴いていると,英国人と日本人とは相通じる感性の持ち主なのではないか,と感じます どこか懐かしい感じに包まれます

それは次のディーリアスの「楽園への道」でも同じです.この曲はディーリアスの歌劇「村のロミオとジュリエット」の終盤に演奏される間奏曲です.前曲で後方に居た弦楽奏者が本来の定位置に着き,管楽器が入ってきます 美しい弦楽器にオーボエの古部賢一,クラリネットの重松希巳江,フルートの白尾彰の演奏が彩りを添えます

この曲で思い出すのは,今からン十年前の独身時代のことです.軽井沢でテニス・サークルの合宿があり,テニス・コートに着いて車から降りた時,カー・ラジオからこの「楽園への道」のメロディーが流れてきたのです しばしその場に立ちすくんで聴き入っていました.その頃は,ディーリアスを聴いているリスナーはそれほど多くない時代でしたが,私はLPレコードでよく聴いていました ちなみに,そのサークルは男女各6人位のグループで,今で言う「合コン」でしたが,一組もゴールインしませんでした.懐かしくも情けない恥ずかしきことこの上ない思い出です フォーティLoveまで行かず,ダブル・フォールトばかりでした

3曲目はベンジャミン・ブリテンの歌劇「ピーター・グライムズ」から「4つの海の間奏曲」です.この歌劇はプロローグと3幕から成りますが,この曲は独立した形で出版され,「夜明け」「日曜日の朝」「月光」「嵐」という標題が付いています この曲では,鋭い弦楽器と分厚い管楽器が見事にマッチしオペラの心象風景を表現します いつか観た新国立オペラの「ピーター・グライムズ」を思い出していました

 

          

 

休憩後はエドワード・エルガーの「交響曲第1番」です.この曲はエルガーが51歳の時に作曲したもので,演奏に1時間近くかかる大曲です.この曲の大きな特徴は第1楽章冒頭の序奏で現われる英雄的な旋律が循環主題として全曲を支配することです エルガーは名曲「威風堂々」の作曲者ですが,この曲にタイトルと付けるとしたら「威風堂々」でよいのではないかとさえ思うほど堂々たる音楽です 彼は英国のチェールズ・ゴードン将軍の雄姿に感銘を受けて作曲したのですが,本人は標題音楽ではないと主張していたようです

第2楽章などは,まるで映画「スターウォーズ」に出てくるジェダイの戦士が行進する時の音楽のようです 第4楽章のフィナーレを迎え,この曲のテーマが蘇ると,聴いているわれわれは,長い旅から戻ったなあ,という感覚に捉われます

この日のプログラムは英国音楽の第一人者・尾高忠明の指揮による「英国音楽」ツィクルスでした.何の脈絡もないカップリングでプログラムを組むコンサートが”普通”になってしまった今日ですが,本来はこのような首尾一貫したコンサートこそ望ましいと思います

尾高忠明は新日本フィルの,特に弦楽器の持ちうる力を最大限引き出すことに成功していました 彼が常任指揮者でもいいんじゃないでしょうか.次の人は決まってますけど

 

コメント
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