明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1036)日本人を大量殺りくしながら謝罪しない国、アメリカの戦争に協力してはならない!(下)

2015年02月05日 00時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150205 0:30)

アメリカの暴力を正してこれなかった歴史の捉え返しの続きです。

私たちが今、世界の中で失いつつあるものは、実は私たちが太平洋戦争において、これほどの戦争被害を受けたことへの世界の同情と共感です。とくに西欧キリスト教国に長い間、植民地支配され、たくさんのものを強奪されてきたアラブ、中東の人々、ムスリムの人々のシンパシイです。
アメリカは一度も反省しなかったけれども、中東の人々は日本が原爆の被害を受けたことを本当に深く受け止めてきてくれたのでした。アメリカの空襲被害の絶望から再度立ち上がり、平和産業を発展させてきた国として私たちに好感を持ち続けてきてくれたのです。
実際には私たちの国はもう長い間、アメリカにくっついてアメリカの戦争に協力してきました。たくさんの経済支援をしてきました。だから残念ながらそれは「美しい誤解」でもありましたが、しかしありがたい誤解でもありました。
ところが今、中東の多くの人々が「誤解」に覚醒してしまいつつあります。日本を長らく中東を植民地支配してきた「十字軍」の一員としてみなし始めているのです。

今回の安倍首相の訪問で言えば、極めて決定的だったのは、人質事件に対する声明をイスラエルで出してしまったことでした。しかもイスラエル国旗と日の丸に挟まれる形で安倍首相は発言しました。「テロを許さない」と好戦的に述べました。
しかし中東の地で、もっとも陰惨な軍事攻撃を繰り返しているテロ国家がイスラエルであること、しかも「テロ対策」を口実に、国際法も平然と犯し、国連勧告もたびたび無視して殺りくを繰り返している国がイスラエルであることを、「イスラム国」どころかアラブの人々の誰もが知っています。
イスラエルを全面バックアップしているアメリカも、アラブの怒りを熟知しており、だからこそ湾岸戦争にもイラク戦争にも、イスラエルの軍隊を介入させませんでした。そんなことをすれば怒りの反発がどこまで広がるか分からないからでした。
にも関わらず、安倍首相はイスラエルやアメリカの好戦的な人々がもっとも喜ぶ形であの宣言を出してしまいました。どれほどのアラブの人々、ムスリムの人々が落胆したことでしょうか。落胆し、悲しみを感じ、裏切られたと思って怒りを感じたことでしょうか。

私たちはこのあまりに危険な状態から立ち戻らなくてはなりません。そのために日本民衆ははっきりと"I AM NOT ABE"と叫ぶ必要があります。
しかしそれだけではもう足りないと僕は思います。アメリカの戦争に私たち日本民衆が真っ向から反対している姿をこそ世界に示す必要があります。私たち、かつてアメリカに手酷い被害を受けた国の民が、アメリカの戦争に大反対し、その姿を世界にアピールする必要がある。
そのために、たった今、行われている沖縄の民衆の奮闘をもっと強く支援して世界にも紹介しましょう。それは私たちの安全保障にもつながります。アメリカの基地はもう一つもいらないという声を全国で高めましょう。
同時にアメリカの戦争犯罪を今こそ告発しましょう。イスラエルの戦争犯罪とガザの封鎖をも告発しましょう。私たちの国の若者にもっともっとアメリカの非道性を教育しましょう。パレスチナの現状をもっとみんなで学びましょう。

その上で私たち日本の民衆は、アメリカの戦争犯罪に対して暴力で仕返しする発想などまったく持っていないこと、アメリカを道義的に諫め、今も続く非道な殺人を止めさせようと説得的に行動していることをアピールしましょう。
実際、私たちは原爆投下に対しても一度もアメリカ国民への報復など試みてきませんでした。それは誇るべきことです。しかし批判はもっともっとしなくてはいけない。アメリカが目覚めるまで続けなくてはいけません。
私たちのアメリカに向けた道義的な批判は、アメリカ人をも救うことにつながります。アメリカの中で数々の戦争への捉え返しが進んでこそ、現代の戦争が抑止され、戦場に送りこまれるアメリカ人の数も減らせるからです。
アメリカではベトナム戦争でもイラク戦争でも、戦場での戦死より帰国後の元兵士による自殺の方が多いのです。アメリカ人は自らの戦争の中で人間性を内側から壊されてしまっているのです。そのアメリカ人をも救う必要があります。

そのためにも私たちはアメリカへの批判を全面化させる必要があります。自民党政権に対しても大義など寸分もなかったイラク戦争を全面支援し、自衛隊を送りこんだことへの批判を今こそ徹底して行う必要があります。
同時にアメリカの私たちへの暴力の歴史を日本本土空襲、沖縄戦、原爆投下に立ち戻って捉え返し、深め、批判していく必要があります。
本土空襲批判は、今の「イスラム国」への空襲をはじめ、各地で繰り返されてきた空襲への批判へとつなげなくてはいけない。空襲では軍隊と民間人とを区別することが極めて困難です。だから空襲そのものが戦争犯罪なのです。
沖縄戦への批判は、その後の70年の占領への批判として、辺野古新基地建設を許さない沖縄の心を全国でシェアしていく運動へとつなげ発展させていきましょう。

原爆への批判は放射線防護の問題へと発展させなくてはなりません。アメリカは核戦略の維持のために被爆者の放射線被害をものすごく小さく扱ったのです。それが現在の放射線学のスタンダードにされたのです。
このもとに、その後の数々の被曝の暴力性が矮小化され、もみ消されてきました。全世界を巻き込んだ核実験、相次ぐ核兵器製造工場からの放射能漏れ、そしてスリーマイル、チェルノブイリ、福島と続く深刻な原発事故による被曝です。
実はこの暴力の被害こそ、もっとも甚大である可能性があります。人々を長い間病に苦しめ、最後的に殺害していくからです。しかも被害者に気付かない形でです。今のところ完全犯罪です。
この流れをひっくり返すために、隠された被曝について学び、内部被曝の危険性を表に出し、被曝を放置してきたアメリカのみならず、原子力を推進してきた各国政府への追及を行う必要があります。

すべては暴力との闘いです。
大事なのは闘う相手に感化されてしまわないこと。私たちが暴力的になってしまわないことです。
だから憎しみからではダメです。人間愛から、平和を愛する心から出発し、最後まで歩みとおさなくてはいけない。
そのために後藤さんが示してくれた優しさ、温かさをしっかりと心にとめおいて、この戦争の流れと対決していきましょう!アメリカの戦争への協力を拒否し、世界平和へと歩みつづけましょう!

終わり

*****

2月7日、2月8日と滋賀と京都でアメリカの暴力の根幹にある放射線被曝の問題に関する講演会を行います。講師は内部被曝問題の第一人者である琉球大学名誉教授の矢ヶ崎克馬さんです。

以下の詳細を貼り付けます。お近くの方、ぜひご参加下さい。

矢ヶ崎克馬先生お話会
内部被曝ってなあに?

日時:2015 年2月7日(土)
午前の部 11:00~12:30 昼食持ち寄り座談会
午後の部 13:00~14:30 矢ヶ崎先生お話会 
     14:30~16:00  矢ヶ崎先生&守田敏也さん対談+質疑応答

会場: 明日都浜大津 5階中会議室
    大津市浜大津四丁目1番1号  Tel  077-527-8351
JR大津駅から徒歩約10分 京阪浜大津駅から陸橋を渡って徒歩 約1分

参加費: 午前の部 ひとり300円(会場費として)
         午後の部 ひとり500円(会場費・資料代として) カンパもよろしくお願いします!

午前の部にご参加の場合は昼食をお持ちください。
午後の部の途中でお茶休憩を入れます。差し入れ大歓迎です!
託児はありませんが、親子スペースを設けますのでお子さんもご一緒に参加していただけます。
人数把握のため、下記ま で事前にお申し込みいただけるとありがたいです。

お問い合わせ・お申し込み 
E-mail:asunowa_kouenkai@yahoo.co.jp   TEL : 077-586-0623(暮らしを考える会)
主催: ネットワークあすのわ

***

矢ヶ崎さん講演会
隠されてきた内部被曝の危険性

日時 2月8日(日)午後1時開場 1時半開始
場所 京都大学吉田南4号館1階 4共11教室

講演 矢ヶ崎克馬(琉球大学名誉教授)
パネルディスカッション パネラー
矢ヶ崎さんほか、加藤あいさん(日本共産党京都市会議員)
広海ロクローさん(ノンベクキッチン ホテヴィラ店主)
コーディネイター 守田敏也さん(フリーライター)

参加費1000円

主催 矢ヶさん講演会実行委員会 
代表:守田敏也(090-5015-5862)morita_sccrc@yahoo.co.jp

予約はいりません。
託児はありませんが子どもと親御さんが一緒に入れるスペースを作ります。
絵本など準備します。泣き声など気にせずに会場内でお話を聞いてください。

以下の記事により詳しい情報があります。

明日に向けて(1031)被曝隠し、被曝強制という暴力について学ぼう(矢ヶ崎さん講演会へのお誘い)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/e2f8ccb78b976872a018b59ac963d2e6

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明日に向けて(1035)日本人を大量殺りくしながら謝罪しない国、アメリカの戦争に協力してはならない!(上)

2015年02月04日 22時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150204 22:30)

後藤さんが殺害されたと報道されて以降、安倍首相は急速に日本を「イスラム国」などの「過激派」との闘いの渦の中に引き込もうとしています。
いつものことですが、政府の責任者として人質の解放に完全に失敗したことに頬かむりをしています。
そればかりか2人が人質になっていることを知りながら、あたかも「イスラム国」攻撃を支援するかのような形で2億ドルもの援助を行うことを公言し、一気に2人の命を危機に陥れたことも何の反省もしない。
「絶対に反省せず、相手の言い分に耳を貸さず、一方的に自論だけを述べ、適切な反論には逆切れする」のが安倍首相のスタイルですが、この対話のできない首相のもとに、私たちの国は本当に危険な状態に追いやられつつあります。

私たちが一番に整理しておくべきことは、安倍首相が日本の自衛隊や、私たちの命を差し出そうとしているアメリカという国が日本に対して何をした国なのかということです。
表題に掲げたように、アメリカは最もたくさんの日本人を殺した国です。しかも軍隊だけでなくたくさんの民間人をです。
そもそも軍隊と軍隊の戦闘としての日米戦争は1944年末までにはほぼ決着がついていました。日本は連合艦隊の主力艦船のほとんどを沈められてしまい、陸軍も相次いで占領地で全滅に追い込まれて「玉砕」ばかり行っていました。
戦争の行く末は見えており、民間人を殺傷せずに大日本帝国政府を降伏に追い込むことは十分に可能でした。

しかしアメリカはそうはしませんでした。1945年3月10日未明に行った東京大空襲で、一晩で10万人以上の人々を焼き殺しました。そのほとんどは民間人でした。老若男女を問わない大虐殺でした。
アメリカはその後に全土に空襲を拡大し、どこでもかしこでも大量の民間人殺害を犯しました。東京空襲は合計106回、名古屋空襲は63回、大阪空襲は33回、神戸空襲は128回も続けられました。
全国200以上の都市が空襲され、「内地」(植民地支配していた朝鮮半島、台湾などをのぞいた当時の日本の呼び方)のなんと2割の家々が焼失させられました。通常の空襲による死者合計数は東京新聞の推計で558,863人にも及びます。
戦闘ではなくて一方的な殺戮、虐殺でした。完全なる戦争犯罪でした。

アメリカが日本人に対して行った戦争犯罪はこれにとどまりません。4月からは沖縄への上陸戦が行われ、日本軍との闘いの中で、軍隊と民間人を区別しない無差別攻撃が行われました。
沖縄県生活福祉部援護課の1976年3月発表によると、日本側の死者・行方不明者は188,136人で、沖縄出身者が122,228人、そのうち94,000人が民間人であるとされてます。
戦域以外の餓死者、病没者等々を入れれば犠牲者総数はもっと多く24万人にも上るとも言われています。この甚大な被害は民間人を戦争に巻き込んだ日本軍にも重大な責任がありますが、民間人を保護せずに殺害した米軍の責任も甚大です。
さらに許しがたいのは、アメリカがその後70年経った今も、沖縄の一部を軍事占領し、土地を返還しないことです。それどころか辺野古に新しい基地を作らせようとしていることです。70年も軍事占領が続いているのです。

日本中の都市への無差別空襲、沖縄での住民を全面的に巻き込んだ戦闘、これだけでも許すことのできない戦争犯罪の連続ですが、さらにアメリカは広島、長崎へ原爆投下を行いました。
原爆では熱戦で一瞬のうちに多数の人々が溶かされて殺されてしまい、関係記録も焼失していて被害実態を把握することは困難ですが、放射線影響研究所は被ばくから2~4か月の間の死亡者数として広島9万~16万6千、長崎6万~8万という数を公表しています。
しかしこれらはアメリカ軍とアメリカ政府が行った排他的独占的被害調査に基づいた被害を極端に軽く見積もった数値でしかありません。放射線影響研究所は米日の合同機関であり、アメリカの原爆傷害調査委員会(ABCC)を引き継いだものです。
ここにはあとから市内に入って被曝し亡くなった方など、たくさんの被曝被害が除外されています。総数を推定するのはあまりに困難ですが、もっと膨大な人々が被曝させられ、しかも何年、何十年もの間に殺され続けてきたのです。

もっとも大事な点は、これらの戦争犯罪、日本人や当時日本に住んでいた人々に対する大虐殺を、アメリカはただの一度も謝罪していないし、反省もしていないことです。まったく頬かむりし続けています。
私たちは何よりもこのことに立ち戻らなければなりません。私たち日本民衆はもっと強くアメリカに謝罪を求めるべきでした。アメリカの戦争犯罪を告発し、処罰を求めるべきでした。アメリカを訴える裁判を起こすべきでした。学校で徹底して教育すべきでした。
何故でしょうか。それがアメリカの人々と世界のためだったからです。第二次世界大戦における大虐殺を反省しなかったばかりに、アメリカは同じことを全世界でし続けてきてしまいました。その歴史こそ私たちは反省的に捉え返さなくてはなりません。
私たち日本民衆は、戦前の軍部への批判は懸命に行いました。日本の侵略の罪をずいぶん捉え返し、反省も深めてきました。しかしアメリカに対する批判は、被爆者の必死の訴えなどをのぞいて、決定的に弱かったと僕には思えます。

アメリカがその後に行ったことを見てみましょう。まず朝鮮戦争で大空襲を行いました。さらにベトナム戦争でも北爆などB52を使った「絨毯爆撃」を行いました。枯葉剤などの毒薬もたくさん投下しました。すべて戦争犯罪でした。
このとき日本本土への空襲の経験がフルに生かされました。日本ではアメリカの石油会社が開発した焼夷弾(しょういだん)がたくさん使われました。油を筒にいれて束ねて落し、バラバラに地上に到達して火を燃え広がらせ、火炎地獄を作る恐ろしい兵器でした。
焼夷弾は朝鮮戦争でも使われ、ベトナム戦争時にはより火力性の強い油脂を詰め込んだ「ナパーム弾」へとバージョンアップされました。アフガン戦争、イラク戦争での空襲では、子爆弾をたくさん詰め込んだ「クラスター爆弾」へとバージョンアップされました。
しかも日本本土空襲と朝鮮半島への空襲、ベトナムの北爆は同じ司令官が指揮しました。アメリカ戦略空軍のカーチス・ルメイ将軍でした。これが数々の虐殺作戦を考案した首謀者でした。

ところが日本は1964年にカーチス・ルメイになんと日本国天皇裕仁の名で勲一等旭日大勲章を授与しているのです。理由は日本の航空自衛隊の育成に貢献したからだそうです。
昭和天皇は当初、日本人虐殺の責任者であるこの将軍への勲章授与を拒んだそうです。そのとき説得したのが小泉純也自民党議員でした。小泉純一郎元首相の父親です。その「功績」で日本人を虐殺したカーチス・ルメイは日本国天皇から大勲章をもらったのです。
私たちの国はなんと自虐的な国でしょうか。アメリカの戦争犯罪、自国民の大量虐殺に一度も抗議できていないばかりか、日本人大量虐殺の首謀者を賞賛し、勲章を与え、褒めちぎったのです。
こうしたことがアメリカ社会に本当に悪い影響を与えたのではないか。どんなにひどい虐殺を行おうとも徹底して殺して殺して殺しまくり、最後にひれ伏せさせることができれば完全に服従させることができるという経験を与えてしまったのではないでしょうか。

カーチス・ルメイに勲章を送ることに功績をあげた小泉純也議員の息子の小泉純一郎議員が、その後、首相となり、アメリカのイラク戦争を全面的に支援したことは何か非常に悪い暴力の連鎖を感じさせます。
小泉元首相はそれだけではなくて、日本の人々の生活の安定を支えていた郵政制度をアメリカ資本の自由参入のために壊してしまいました。イラク戦争全面支援とアメリカ資本への日本市場の開放はセットで進行していました。
にもかかわらず私たちの国はこのときもマスコミが操作されてしまい、小泉人気が造成され、アメリカのイラク戦争への批判が十分にできませんでした。もちろん必死で反対した人々もいましたが、国論を二分するような反戦運動は起こせませんでした。
私たちの国はそうして長くアメリカの暴力に組み伏せられてきました。ときには「朝鮮特需」「ベトナム特需」など、アメリカの戦争によって潤おいさえしながらです。こうした本当に自虐的な歴史こそをあらためる必要があります。

続く

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明日に向けて(1034)KENJIに(後藤健二さんに感謝を捧げます)

2015年02月03日 14時00分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です(20150203 14:00)

後藤さんを忘れない。その思いを表現したくて認めた詩です。

*****

KENJIに

あなたの歩んだ道は
険しい道だった
あなたはあなたの道のりを
優しい笑みをたたえながら
歩みとおした

道にはたくさんの悲しみが
転がっていて
あなたはそれを
ひとつひとつ
慈しむように手にとり
ほらここに
見過ごしてはならない
事実があるのだと
人々に伝え続けた

あなたはその時
あなたの心の中が
怒りで充ちそうになると
語っていた
充ちそうになるけれども
充ちさせてはいけない
溢れさせてはいけない
手放すのだと語っていた

「目を閉じてじっと我慢する」
「怒ったら、どなったら終わり」
「裁きは神の領域」
「そう教えてくれたのは
 アラブの兄弟たちだった」

何度も
叫びそうになったのだろう
どうしてなのだと
なぜこんなことが起こるのだと
なぜ許されるのだと
悲劇と惨劇が
あまりに続き
かけがえのないたくさんの命が
次々と奪われていく

「つらいものはつらい」
「声に出して
 自分に言い聞かせないと
 やってられない」
あなたはそう呟きながら
なおも歩みとおした

アラブ、アフリカ、アフガン
多くの国々と地域
寒風吹きすさぶ
大地の上を
慟哭のこだまする
街の中を
タル爆弾の破裂直後の
油の匂いがまんえんする
建物の前で
銃を持たされてた
子どもの住まう
村の中で
ああ、救わねば
助けねば
守らねばと
己に問いかけながら


忘れまい
あなたの歩みを
凛々しく歩む姿を
たたえていた笑顔を

あなたは負けなかった
恐ろしさや困難さに
怒りに
心の一番深いところで
暴力に負けず
柔らかいもの
優しいもの
愛しいものを
守り抜きつつ歩みとおした

あなたの努力を
あなたの愛を
人間的な力と平和力を
心の内にとどめおこう

尊い歩みを
私たちの前に
見せてくれたあなたに
私たちに備わる
こんなにも豊かな
可能性を教えてくれたあなたに
心の底からの
感謝を捧げたい

ご苦労さまでした
本当にご苦労さまでした

私たちはあなたに続きます
いつまでもともにあってください

2015年2月3日
守田敏也

*****

2月1日。後藤健二さんが殺害されたというニュースが流れました。
真偽を確かめる術はありませんが、今私たちがなすべきことは彼の歩みを心にとどめることなのだと思います。

彼が心から願っていたのは平和です。すべての命が守られることです。
そのために私たちは戦乱をこの世から無くすための努力を続けましょう。

暴力では現下の問題を解決できません。武器の使用は新たな憎しみの連鎖を生むだけです。
戦乱が拡大し、武器商人が潤うだけです。

戦争を放棄した国に住まうものとして、後藤さんに続き、誇りを持って平和に向けて歩みつづけましょう。
このことを表現したくて詩を認めました。
なおかっこの中に後藤さんがツイッターで綴られた言葉を引用させていただきました。

コメント (2)
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明日に向けて(1033)血の通った言葉を!(後藤健二さんの思いを引き継ぎ中東の真実を広げよう)

2015年02月02日 22時30分00秒 | 詩作

守田です(20150202 22:30)

後藤さんが亡くなったことへの悲しみが続いています。多くの人が同じ思いだと思います。
今、大切なことは何でしょうか。後藤さんを忘れないことです。後藤さんの思いを引き継ぐことです。そのためにひたすら平和を願い、平和の創造のための努力を重ねていきましょう。戦争を止めるためにできることを行いましょう。

とくに中東での戦乱を止めるために私たちがなさなければならないことは、イラク戦争以来の10数年の流れの枠組みを押さえることです。
そう考えて思考を巡らせているときに素晴らしい文章、血の通った言葉にゆきあたったのでご紹介します。1月31日、後藤さんが亡くなる直前に発信されているものです。

 イスラム国による日本人人質事件 今私たちができること、考えるべきこと 
 2015年1月31日 15時4分  伊藤和子 弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長
 http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20150131-00042568/

ぜひ全文をお読みいただきたいのですが、著者の伊藤さんは2004年4月の日本人人質事件で拘束された高遠菜穂子さん、今井紀明さん、郡山総一郎さんの代理人弁護士を務められた方です。
解放までのすべてのプロセスに立ち会われたそうで、その時の経験と今回の事態の大きな違いを書かれています。
一番大事なポイントはイラク戦争後の10年余り、イラクの人々、とくにスンニ派に対してあまりにひどい攻撃や虐殺が繰り返されたにもかかわらず、超大国や国連を含み、世界中が無視を決め込んできたことです。
その中で犠牲者サイドにおかれていたイラクのスンニ派の中から、「イスラム国」というモンスターが出てきてしまったのです。

にもかかわらず、今もなおこの10年余りのイラクの流れとこれへの日本の関わり、責任に対する社会的捉え返しがなされていません。マスコミの多くも主体的に触れようとしていません。
歴史的いきさつを無視したままに「テロに屈するな」という言葉が連呼され、他方では「自己責任論」などシリアやイラクの人々に寄り添おうとした後藤さんへのバッシングがずいぶん前からなされています。
この構造はイラク戦争直後から作られてきたものです。虚偽の言葉の羅列によって、真実を覆い隠すこと。自らの罪に頬かむりし、他者をあべこべに攻撃することです。
今もこの国の中で、10年前とまったく同じことが続けられている。この虚構こそが覆されなくてはなりません。

2004年の人質事件のときも、僕は京都のムスリムの友人と共に、3人の解放に向けたメッセージを発し続けました。拘束したグループへのアラビア語の手紙を書いて、ありとあらゆる手段で流しました。
手紙はヨルダンに滞在していた日本人女性に届き、彼女がイラクに向かうタクシードライバーの詰所にもっていってくれ、そこから現場へと運ばれたらしいことが確認されています。
タクシードライバーたちはそのとき、その女性に対して「誤爆だと言いいながら俺たちの家族がどれだけ殺されたと思っているんだ」「それに比べれば誘拐なんてもっとも人道的な手段じゃないか」と詰め寄ったと言う。
彼女はそれから3日間、詰所に通い詰め、黙って彼らの怒りを受け止め続けてくれました。そうするとドライバーたちの態度が和らいでいき、最後に「分かった。手紙を届けてやるよ」という方が現れたのだそうです。

このことはずいぶん後になって彼女から直接聞いたのですが、僕は手紙が渡っていた可能性が高いと知り、手紙をメールを介して次から次へとまわしてくれた人々や彼女の努力、受け取ってくれたドライバーたちの寛容さに深く感謝しつつも、一方でとても辛くも感じました。
あの時、拘束グループは自衛隊撤退を求めていました。僕たちは「あなたがたが捕らえた3名の日本人は、アメリカの占領と日本の軍隊の派遣に反対していた人々です」と書きました。
同時に「私たちも日本軍を引かせるために最大限の努力をします。アメリカ軍をひかせるためにも最大限の努力をします。どうか、3名の日本人を解放してください」とも書き添えました。
僕は実際にそのために行動しました。何度も平和を訴えてデモをしました。

でもイラクの人々への攻撃はちっとも止められなかった。アメリカ軍も自衛隊も長い間引き戻せなかった。努力したとはいえ、無念ながら約束は果たせませんでした。今でもそのことがとても辛いです。
小泉元首相らあやまった戦争を全面支持した首謀者が何らの責任も問われないこと、取らせることができないことに憤慨、悔しさ、責任を感じ続けています。
自らに再度、突きつけるために、当時、発信した手紙を掲載します。2004年4月のものです。

 ***
 
 「日本人を誘拐したサラーヤ・アル=ムジャヒディーンのみなさんへ」

 アッサラーム・アライクム・ワ・ラフマトゥッラーヒ・ワ・バラカートゥ
 (あなたがたに平安と神様の慈悲、そして平安がありますように)

 あなたがたが行った今回の日本人拘束事件により、イラクの人々の日本への怒りはとてもよく伝わりました。日本でも軍隊を戻せという運動が起こっています。
 あなたがたが捕らえた3名の日本人は、アメリカの占領と日本の軍隊の派遣に反対していた人々です。彼らを解放するほうが、あなたがたへの日本での共感が高まります。
 そして、それは軍隊を撤退させようという日本の世論の高まりにつながります。ですから3名を解放してください。

 私たちも日本軍を引かせるために最大限の努力をします。
 アメリカ軍をひかせるためにも最大限の努力をします。

 どうか、3名の日本人を解放してください。

 イラクの人々に神様の祝福がありますように。
 平和を愛する私たちの願いです。

 *** 

あのとき私たちが、日本の民衆が、世界の民衆が、イラクの人々への暴力を止められなかったこと、暴力への関与を止められなかったことが、今、大変な形で世界に、日本に、私たちに跳ね返ってきつつあります。
「イスラム国」というモンスターの出現が意味するのはそのことです。彼ら、彼女らが行っていることは「報復」なのだろうと思います。残虐な暴力への残虐な暴力を持っての仕返しです。
私たちは今こそ、この暴力の構造と連鎖をしっかりとつかみ、暴力の根を断つための努力を積み上げなくてはなりません。
10年後にもっと辛い思いで振り返りたくはない。いや10年後などと悠長なことは言っていられません。今、最大限の努力を積まなければ、僕自身の命をも含むもっとたくさんの命が無意味な殺し合いの中で失われることになるかもしれない。

そう思いつつ、2004年4月18日、前日17日に3人が解放された直後、同時に3人に「自己責任論」のバッシングが浴びせられていたときに僕が発信した詩をご紹介します。集会やデモの時などに配ったものです。
自分で読み返してみて、11年後の今にもあまりに直接に該当してしまうことがなんとも悔しいです。もうこんな悔恨を繰り返さないために、みんなで「血の通った言葉」を発していきましょう。ここに紹介した伊藤さんの文章のような真実を主体的に綴る文章です。
中東の真実を広げ、戦乱と苦難の中で平和と繁栄を取り戻そうとしている中東の人々と連帯しましょう。
正義と愛のため、人間への信頼を失わずに前に進みましょう。


*****

血の通った言葉を


言葉のまやかしが横行している
誰がくらしを壊したのかを問わない
「復興支援」
誰が一番人を殺したのかを問わない
「テロ対策」
戦争に加担している責任も
それをみすごしている責任も問わない
「自己責任」

思えばついこの間もそうだったのだ
「先制攻撃」の名の下に
侵略戦争が堂々と行われ
「大量破壊兵器摘発」の名の下に
大量の破壊が公然と行なわれた
「通常兵器」と銘打って
劣化ウラン=放射能さえ
大量にばら撒かれた

卑怯・卑劣というイメージを持った
「テロ」という言葉は
絶対にアメリカには使われず
イスラエルが行うテロだけは
「暗殺」に変えられてしまう
それでいて
アラブの人々の悲しく絶望的な抗いが
「自爆テロ」と騒ぎ立てられるのだ

これまでイラクの人々のことなど
真剣に考えてこなかった人たちが
「イラクのために汗を流す」と語り出し
本当にイラクの人々のために
勇気を示した人たちに対しては
悪罵が投げつけられる

そうしていわく
「テロに屈するな」
「今、引けばイラクは混乱する」
「国民に迷惑をかけるな」
 
全てがさかさまではないか!
国家的規模で
テロを行っているのはアメリカだ
イラクの占領が混乱をもたらし
だから人々が抗っているのだ
そして日本が米英に加担することが
わたしたちを傷つけているのだ
イラクのために献身的に働く人々に
多大な迷惑をかけているのだ

―――真実は
一時的に虚偽の言葉で覆い隠せても
けして書き換えることは出来ない
だからいつわりの言葉は
血の通った言葉の前には無力だ
そのことに確信を持ち
ひとりひとりが
本当のことを語り続けよう

誇りと尊厳をかけて
新たな歩みをはじめている
アラブの人々とともに

2004年4月18日
守田敏也 

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明日に向けて(1032)後藤健二さん殺害か。責任はISと共に安倍自民党政権にある。平和の心で立ち向かおう!

2015年02月01日 12時00分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150201 12:00)

後藤さん殺害のビデオが「イスラム国」より流されました。何らかの間違いであって欲しいですが「イスラム国」のロゴが入っているなど事実である可能性が高いです。
悲しいです。あまりに悲しい。ああ、本当に悲しい。心が散り散りになりそうです。身体がブルブルと震えます。
一方でまだ事実として受け入れたくない気持ち、まだ事実と認定してはいけないのではないかという気持ちもあります。いろいろな意味で心が乱れています。
ただ今すぐこの事態を論じなければいけない責務も強く感じています。なのでここからは後藤さん殺害、そして湯川さん殺害が事実であった場合を想定して論じていきたいと思います。

後藤さんを本当に「イスラム国」が殺害したのであれば、まず何よりも後藤さんのお連れ合い、お母様をはじめ、近親者の方々、ご友人の方々に心の底からのお悔やみを申し上げたいです。
また湯川さんもまた殺害されたのであれば、湯川さんのご家族、近親者の方々にも、心からのお悔やみを申し上げたいです。おそらく今は心が定まらず、言葉も出ない状態だと思います。何とかお二人をお救いしたいと思いましたが力がおよびませんでした。申し訳ありません。
本当にお辛いと思いますが、そんなみなさまに、お二人の死を心から悼むとともに、後藤さんが示された平和への思いを分け持って歩む決意をお伝えしたいです。
後藤さんの思いは、戦火のもと、抗争のもとに苦しむすべての人々に寄り添って平和を模索することでした。戦争による死を防ぐことでした。心に溢れているのはいつも強い愛でした。何よりそれを受け継がせていただきます。

「イスラム国」に対しては、心の底からの、腹の底からの、抗議を行いたいと思います。
後藤さんは中東の多くの民衆そばに寄り添い、米英や各国の空襲の惨禍に喘ぐ人々、武装勢力の抗争の中で信じがたい苦しみの中にいる人々に最も心を寄せてきた方でした。
後藤さんは「イスラム国」を含めて、ただの一度もイラクの人々にもシリアの人々にも危害を加えたことなどありませんでした。それどころか命をかけて、人々の悲しみを世界に伝えようとしてきたのでした。同じく湯川さんもイラクの人もシリアの人も傷つけたことはありませんでした。
その湯川さんと後藤さんを殺害したことには何らの正義もありません。まったの過ちです。あなたたちには正義と愛が決定的に欠けている。暴力では何も解決しないのだということをあらためて強く主張します。

日本政府に対しては、湯川さんと後藤さん救出のための適切な行為を行わなかったこと、救出に完全に失敗したこと、自国民を守り切れなかったこと、誠実に守ろうともしなかったことを強く抗議します。説明のため時系列に沿って政府の誤りを指摘します。
後藤さんのお連れ合いへの身代金の要求が届いたのは12月2日でした。しかしそれ以前に湯川遥菜さんが拘束されていることが明らかになっていました。湯川さん救出のためにジャーナリストの常岡浩介さんらが懸命に動いていましたが警察が10月に強制捜査で潰してしまいました。
安倍政権はその中で戦後最低の投票率となった選挙をやにわに強行しました。湯川さん救出の窓口を自ら壊してしまった後にでした。今となってはこの問題が大きくなる前に選挙を強行したのではないかと疑われてもやむを得ないと思います。
湯川さん救出の可能性がついえてしまう中で、後藤さんは自ら湯川さんを守るために危険地帯に赴かなければならなくなりました。この経緯そのものに日本政府の重大な過失責任がありました。

年が明けてフランスで新聞社襲撃事件が起こりました。同時にイスラム教寺院への攻撃なども起こりました。襲撃されたシャルリ・エブドはイスラム教の預言者ムハマンドを侮辱する漫画で対抗するというあやまった対応をしました。
世界が騒然とする中で、争いを諫めること、人々の怒りを鎮めることこそが問われていました。また湯川さん後藤さんを拘束されているのですから、私たちの国にはより慎重な態度が求められていました。
ところが安倍首相はこのような時に行った中東歴訪で、「イスラム国」への軍事攻撃に参加している国への経済援助を表明し、好戦的な言辞を何度も吐きました。極めて挑発的でした。
安倍首相はもともと今年前半から日本政府がとってきたパレスチナとイスラエルへの等距離外交を止め、イスラエル寄りの立場を鮮明にしつつありましたが、この訪問でも親イスラエル色をより強く打ち出しました。

「イスラム国」側からすれば、湯川さんをめぐる日本のジャーナリストとの交渉を、日本の警察が介入して潰したこと。日本政府が交渉に敵対的に振る舞ったことが突きつけられた形になりました。
その上にシャルリ・エブド事件の中でヨーロッパにイスラム排斥の動きも強まる中で、日本国の首長が中東に乗り込んできて、自分たちを攻撃している国への経済援助をしてまわることが続きました。
これに対して日本の「イスラム国」攻撃への加担に対する警告、反撃として、湯川さん後藤さんの殺害警告が出されました。
安倍首相は「イスラム国」に対してイスラエルで、イスラエル国旗と日の丸に挟まる形で「テロを許さない」と回答しました。パレスチナへの国家テロを続けるイスラエルと肩を並べて、「イスラム国」ばかりか中東の多数の人々を敵に回す最悪の形での「対テロ宣言」でした。

その後も安倍首相は「テロに屈しない」と強硬姿勢を見せるだけで、何らかの有効な手を打とうともしませんでした。
安倍首相は後藤さんらの命をめぐる交渉の最中に、「邦人救出のために自衛隊を投入できるようにする」ことすら口に出しはじめました。対話ではなく武力での解決をめざすことの表明でした。
結局、安倍首相はアメリカにばかり目を向け、アメリカが主導する「有志国連合」に加担する中東政府とのみ対話し、最後まで「イスラム国」にとどまらず、米英の暴力に怒れる中東の人々に向かって発言することはありませんでした。中東の人々との対話的姿勢も示しませんでした。
こうした流れの中で、湯川さんの救出にも後藤さんの救出にも完全に失敗してしまいました。ここにあらわれたのは安倍首相が、国民の救出をまったく行う意志のないことでした。対話で紛争を解決する意志も能力もないことでした。

このように湯川さんと後藤さんの死の直接的責任者は「イスラム国」であっても、自国民を守らず、命を危機にさらし、かけがえのない二人が殺害されるにいたった大きな責任が日本政府にあります。
何よりもこのことをしっかりと見据える必要があります。マスコミのみなさんは安倍首相を恐れることなく全面的な批判を行って下さい。
さらに一歩、大きな視点から見れば、私たちの命が危機にされされる事態は、イラク戦争への日本政府の加担より続いてる流れによって作られてきたことです
イラク戦争への全面的支援を表明し、自衛隊をサマワに出撃させたのは小泉元首相でした。このとき内閣副官房長官であり自民党幹事長として小泉元首相をサポートしたのが当時の安倍晋三議員でした。そこからの10年で私たちの国の中東における安全性は根底的に崩されてしまいました。

私たちが今、しっかりと心にとめおかなければならないことは、この日本政府が作りだしている私たちの危機、戦争への加担にますます流れるこの状態に私たちがいかに立ち向かうかです。
何よりも大事なのは今こそ平和の心を世界に向けてアピールすることです。そのために後藤さんの思いを私たちが広く受け継ぐことだが大切だと思います。
繰り返しますが、中東の混乱を作り出してきたのは大国による軍事介入の繰り返しです。湾岸戦争、イラク戦争などでアメリカを中心とする欧米連合軍が、大量の殺人を犯し、社会的秩序を目茶目茶にする中で、現下の大混乱が起こっているのです。
そこにさらなる軍事攻撃を繰り返しても、より一層、憎しみを駆り立て、戦乱を拡大することにしかなりません。攻撃を激化させる中で世界各国から若者が「イスラム国」に参戦する事態も生み出されてきたのであって、暴力では戦乱が拡大するばかりです。喜ぶのは武器商人のみです。

この悲惨な事態の中で、私たちの国は幸いにもまだ自国軍隊が一人も中東の人を殺していません。すでにサマワへの駐屯という形で出兵はしてしまっていますが、まだ正しい道に戻ることはできます。
そのために必要なのは、私たちの国の中で「中東での戦争を止めよう」「アメリカの空襲反対」「イスラエルのパレスチナ侵攻、ガザ封鎖反対」「暴力ではなくて対話で解決しよう」との声を強くすることです。いわゆる「過激派」にも「暴力を止めよう」と呼びかけることです。
戦争と抗争の中でたくさんの命が日々、奪われている事態にもっともっと注目し、事実を明らかにし、この惨劇に私たちが心を痛めていること、解決のために行動していることを世界にアピールすることです。
そのために日本政府に対するきちんとした批判を行うことはとても大事です。今こそ、イラク戦争への加担以来の自民党のアメリカの戦争政策への加担の総体への批判を強める必要があります。

とくに私たちが警戒しなければならないのは、安倍首相の「逆切れ」体質です。安倍首相はいつも自分が不利になると逆切れする。失敗を指摘されるとしらんぷりを決め込んで回答をはぐらかすか、それができなくなると猛然と相手を責めます。
このために湯川さん後藤さん殺害の責任をほっかむりするばかりか、「イスラム国」への敵愾心を煽り立て、ますますアメリカを中心とする有志連合の側に私たちの国をひっぱっていって、この国を危険な戦争に近づけてしまう大きな可能性があります。
安倍首相のこの動き方を喜ぶのはアメリカであり、さまざまな戦争推進勢力です。武器商人たちです。その道を絶対に避けなくてはいけません。
私たちは今までもよりもさらに強い決意で平和を掲げましょう。もっとも平和を愛した後藤さんの死を利用して、戦争への道が切り開かれるなどということはあってはなりません。


湯川さん。遥菜さん。あなたがどのような思いで中東に赴かれたのかよくは分かりません。
しかし多くの人があなたを救出しようとする中であなたもきっとたくさん苦しまれたのだと思います。
とくにあなたを救うために後藤さんもが拘束されてしまったことはどんなに辛かったでしょうか。
苦しかったですね。辛かったですね。あなたが感じ続けた生きることの苦しさの総体を受け止めたいと思います。

後藤さん。健二さん。これまでたくさんの取材をしてくださってありがとうございました。
日々、失われゆく命に寄り添ってくれてありがとうござました。真実を伝え続けてくださってありがとうございました。
あたなは述べました。「何があってもシリアの人々のせいにしないでください!」。あなたは「戦乱にあえぐ中東の人々に罪はない」と伝えたかったのだ思います。その言葉を受け止めます。あなたの愛を受け止めます。
憎しみの心、報復の心にけして絡めとられず、暴力的な立場からではなく、道義的にアメリカの戦争政策やそれに加担する日本政府をただし、平和の方向に歩んでいきます。

ただお二人に「どうか安らかにお眠りください」とはまだ言わないことをお許しください。
何よりもお二人にまだ生きていて欲しいからです。その可能性をなお考えたいからです。どうかそうであって欲しい。殺人は見せかけであったと今なお信じたいのです。
そのことを踏まえて、あなたたたちの苦しみを受け止め、その中から平和の心、平和の流れを紡ぎ出したいと思います。
どうか私たちと一緒にあってください。すべての人々を戦乱から解放するために、これからもともにあってください。

 

 

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