明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1251)被曝隠しをこれ以上許さないために(4月23日京都被爆2世3世の会オープン企画へのお誘い)

2016年04月22日 11時00分00秒 | 明日に向けて(1201~1300)

守田です。(20160422 11:00)

前回の「明日に向けて(1250)なぜ原発の危険性は隠されるのか(『放射線を浴びたX年後』について)」の続きです。
今回は僕のストーリーを書かせていただきます。実は本当に奇遇に僕も映画『放射線を浴びたX年後』につながっているのです。

あの福島原発事故の時、僕はそれまで「原発事故が起きたら絶対にこの国は人を逃がしてはくれない。だから大事故が近くで起こったらとっとと逃げる。遠くで起こったら逃げろと連呼する」と決めていました。
それでこの「明日に向けて」に連なる情報発信を3月11日の夜から始めました。以来、今日まで「明日に向けて」の前の「地震情報」をあわせてほぼ1300本の記事を書いてきました。

そんな僕は実は福島原発事故前まで放射能のことはそれほどよく分かっていませんでした。それまで被ばく被害とほとんど向き合ったことがなかったのでした。恥ずかしながら被爆者運動にもほとんど関わりを持てていませんでした。
僕は懸命になって原発の危険性、福島の現状を伝えていれば、そのうち膨大な数の放射線の専門家が出てきて、次々と被曝の危険性と防護の知識を伝えてくれると思っていました。
ところが待っていても全然出てこない。それどころかテレビではとんでもない安全論ばかりが吹聴されている。愕然としました。「えっ、放射線被曝のことまで僕がやらなくてはならないのか」と深い谷に落とされるような感を味わいました。

しかしやるしかない。これが原発大国日本の本当の姿なのだと考え直し、腹をくくり、猛然と放射能に関する勉強を開始しました。その時に真っ先にネットで動画をみたり本を読んだ対象が、肥田舜太郎さんと矢ヶ崎克馬さんでした。
いわずとしてた被爆医師と、内部被曝の解き明かしを続けている数少ない専門家でした。
そんなとき、岩波書店の『世界』誌から突如として肥田舜太郎さんのインタビューをしてもらえないかという仕事が舞い込みました。驚きました。同時にとても光栄でありがたいことだと思いました。
この準備をしている間に、さらに京都に矢ヶ崎さんがやってくることを知りました。それが何とこの『放射線を浴びたX年後』の関係者による集会の発言者の一人としてでした。

そのとき、僕は矢ケ崎さんの著書『隠された被曝』を熟読し、この内容を広めることが最も被曝の実相と危険性を世に伝えることになると確信していました。その裏付けとなるものが同時期に読み込んだ肥田先生の本で与えられていました。
肥田先生の凄さと貴重さは、本に書かれた「放射線防護学」からではなく、自らが直接に診察された被爆者の姿から被曝の実相を捉えていたことでした。肥田先生は「放射線防護学」と被爆者の現実はぜんぜん違うと語られました。
またアメリカの側からこのことを暴いたアーネスト・スターングラスなどの優れた研究書を自費で翻訳出版までされていました。その内容がまたすべて矢ヶ崎さんの本につながっていました。

「この内容をもっと分かりやすく解き明かして世に送り出すのだ」と決意した僕は、『放射線を浴びたX年後』の関係者が集った京都の集会に赴き、初めて矢ヶ崎さんとお会いして失礼になることも失念したままやおらこう切り出しました。
「矢ヶ崎さん。この本を僕に翻訳させてください。分かりやすくリライトさせてください。」
すると矢ヶ崎さんはこう言われました。「そう言ってくれる人が出てくるのをずっと待っていたのです」。
かくして矢ヶ崎さんに教えを受けながら編み出したのが、岩波ブックレットから出版していただいた『内部被曝』でした。

その後、僕は矢ケ崎さんを通じて、より多くの内部被曝問題の解き明かしにチャレンジしている研究者とお会いすることができました。その一人が原爆研究の第一人者の沢田昭二さんでした。
その沢田さんに僕は、広島に原爆が投下されたときに、陸軍船舶隊にいた父が、広島の被災者の救助命令を受けて四国の善通寺の基地から呉までやってきたことをお話しました。
父の部隊の到着によって、もとからそこにいた海軍部隊が押し出されるように広島市内に向かっていきました。しかし父はそこから動かなかった。だから父は被曝寸前でとどまったと話したのでした。

ところが沢田さんから帰ってきた答えは衝撃的でした。「守田さん。広島原爆の原子雲は呉まで届いていましたよ。だからお父さんがそこにいたら被ばくしています。だから守田さんは被爆2世ですよ」と言うのです。
因みに父は59歳のとき、終戦から35年後に脳溢血であっという間に亡くなったのですが、僕はそれを被曝と結びつけたことは一度もなかった。
そうです。僕もまた50歳を超えてから、父の死が放射線被曝によってもたらされたのではないか、自分もまた被爆2世ではないかと初めて気が付いた一人なのです。

僕にとってそれは何とも言えないことでした。なぜなら僕は若い時から戦争反対の活動を長く続けてきたからです。日本の侵略を問い、軍隊「慰安婦」問題の被害者のおばあさんたちをサポートし、アフガン・イラク戦争にも反対してきた。
そんな僕ですら、父が、そして自らも被曝をしているのではという自覚を持てずにきた。そうなのです。隠された被曝を強制されてきたことに気付けずに来たのです。それは言いようのない悔しさでした。

しかし何か強く合点するものもありました。福島原発事故後に僕がものすごいペースで被爆者や2世の方、3世の方と会い続けたことです。さらにさまざまな縁が向こうからやってきました。
科学的根拠のないことで恐縮ですが、僕には被爆者の霊が背後から僕を押してくれているように思えました。「お前がわれらの悔しさを代弁するのだ」「人知れず苦しみ死んでいったこの嘆きを世に出すのだ」と言われ続けているように感じたのです。
そしてその挙句に、僕自身もまた被爆2世なのではと思うところまで来たのでした。

そのことをある講演会で発言したら、「京都被爆2世3世の会」の方から、「ぜひ会に参加して欲しい」という依頼が舞い込みました。
初めは戸惑いました。僕には自分が被爆2世である確たる証拠などありません。またこれまで抱いてきた「被爆者」のイメージを考えるときに、僕がそのセカンドゼネレーションの一員であると名乗るのはおこがましいという気持ちもありました。
しかしそれでは僕のような立場の者が被害者の一員として声をあげられなくなる。すぐにそう思い直して参加させていただいたのですが、そのことで僕はさらに深く被ばく被害の痛み、悲しみの中に沈殿して訴えを作ってくることが出来たように思います。

さてそんな風に歩いてきた僕のもとに『放射線を浴びたX年後2』が作られたという話が流れてきました。
情報をもたらしてくれたのは僕の親友であり、主治医として気功治療を施してくださっている方でもありました。またまた奇遇なことに、彼女が川口美砂さんの何十年来の友人だったのです。
それで映画が京都で封切られるので一緒に観に行こう、川口さんが舞台挨拶をするので会って欲しいと誘われました。3月のことでした。

映画館について川口さんと挨拶して、すぐに映画を鑑賞しました。素晴らしい映画でした。冒頭の15分を見ただけで僕の頭の中に強いひらめきが沸き起こりました。
「川口美砂さんを京都にお招きしよう。そして講演していただこう。」・・・実は僕はこの時、この4月23日に行われる京都被爆2世3世の会の年次総会の記念トークの講演者を探す役目を仰せつかっていたのです。

映画が終わって僕が美砂さんに発した一声はこうでした。「美砂さん。お父さんたちの仇を取りましょうよ!」
美砂さんは笑ってこう言われました。「監督の伊東さんも同じことをおっしゃるんですよ」。
そののち、場所を変えて講演を申し込みました。すると川口さん、人前で話したことなどないから飛んでもないと当初は断られていましたが、次第に考えを変えられて、僕との対談の形ならということでOKしてくださいました。

かくして来る4月23日に京都市中京区で記念トーク「父の死が放射線のためだと知った時」を川口美砂さんと僕とで行います!主に『放射線を浴びたX年後2』を主題とし、僕がインタビューする形で進めます。
会の方が素敵なタイトルを付けて下さったのですが、実は美砂さんも僕も少しだけ戸惑うものがあります。私たちの父の死が放射線由来であったことは、状況的にしか説明できないからです。
あるいは他の病の影響であったかもしれない。違う可能性も考えられます。
でも私たちがこの題でのトークに臨むのは、私たちの父が被曝を受けていたこと自身は間違いないと思うからです。さらに父たちの向こうに、膨大な数の隠された被爆者が存在していることを強く実感するからです。

九州の人々が地震災害で苦しんでいる中で、川内原発の危険性があまりに軽視され、運転が強行されているこの強烈な緊張関係の中で行われる、隠された被曝をメインテーマとするこのトークに、僕も深い思いを込めて参加したいと思っています。
ぜひお近くの方、お越しください。そしてあなたとあなたにつながる愛する人々の、隠された被曝に思いを馳せて下さい。
共有したいのは、「もうこんなことが続くのは御免だ」という意識です。広島・長崎から今日まで続てきた被曝の歴史と流れを、今こそ大転換させたい。
共にそのための一時を持てればと思います。

以下、企画案内を簡略化して貼り付けます。詳しくはFacebookのイベントページをご覧下さい。

*****

4月23日 京都市中京区

京都「被爆2世・3世の会」 2016年度総会オープン 企画
記念ト―ク「父の死が放射線のためだと知った時」川口美砂さん&守田敏也さん
https://www.facebook.com/events/261061190896416/

川口さん・・・『放射線を浴びたX年後2』出演。太平洋 核実験で被爆した漁船員を尋ね聞き取りをしていく。
守田さん・・・フリーライター 京都「被爆2世・3世の 会 」会員
二人の共通項は父の死が放射線の影響だと50代にして気 が付いたこと!

4月23日(土)午後2時30分~4時30分
「ラボール京都」大会議室(中京区・四条通り御前)
参加費無料

お問い合わせ
京都被爆2世3世の会 075‐811‐8203

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