守田です。(20160421 23:30)
このところ熊本―九州地震に際しての川内原発の危険性の解き明かしを続けています。みなさんとともに運転停止を実現し、九州のみなさんや私たち自身の安全を守りたいと思ってのことです。
原発から命の守るための行動にみなさんのさらなるご協力をお願いします。
今宵は九州の現場を少し離れ、この間の論に深みをもたせるためにも、なぜ原発の危険性がこれほどまでに軽視されるのかについて論じたいと思います。
原発の危険性の軽視は、実は被曝被害の軽視と強くつながっています。つまり川内原発の危険性を無視する姿勢は、福島原発事故で飛び出した放射能による害をあまりに軽く見積もっていることとつながっているのです。
この点でぜひ注目していただきたい映画があります。
『放射線を浴びたX年後』と『放射線を浴びたX年後2』という連作です。
公式ホームページを示しておきます。
http://x311.info/blog/theater/
この映画はアメリカの核実験の際に、ビキニ環礁などで被ばくしたマグロ漁船を扱ったものです。
こう書くと、多くの方が「第五福竜丸」という名を思い浮かべるのではないかと思うのですが、実は被曝したのはこの1隻だけではありませんでした。
現在記録で確認できるだけでも、のべで997隻の船が被曝していたのです。船員の数では1~2万人にも及びます。
しかし被曝した方たちは誰も被爆者手帳ももらえず、補償もされませんでした。マスコミに大きく取り上げられた第五福竜丸の乗組員こそ、多少の医療は受けられましたが、しかし久保山愛吉さんが半年後に亡くなり、みなさん病に苦しんできました。
映画はこのような被害が1万人を超える規模で起こっていたことを追いかけて作られました。当時の被曝した船を探し、やっと見つけた乗組員から他の方たちを辿っていくと、早ければ20代で、多くは50~60代の働き盛りで亡くなった方たちがいました。
最も多く記録されている病はガンでしたが、亡くなるまで身体が辛くて思いに任せず、苦しみ抜いた方が多かったことも浮かび上がってきました。
さらに映画はアメリカの公文書から衝撃的な事実を浮かび上がらせていきます。太平洋での核実験の際、アメリカは太平洋の島々のみならず、米本土や日本各地(占領地の沖縄、広島・長崎、横須賀・三沢の米軍基地)などでも観測を行っていました。
その情報を辿ると、太平洋で成層圏にまで吹きあげられた放射能が風に取って洋上を渡っていき、米本土を激しく被曝させていたことをがき彫りになりました。さらに日本本土も放射能によってすっぽりと覆われてしまっていました。
もちろん広範な海域にたくさんの放射能が降り、第五福竜丸の被曝から暫くは、マグロの検査がなされ、大量に廃棄されましたが、しかしそれ以外の魚はまったく対象になりませんでした。それどころかこの調査も中途半端に打ち切られてしまいました。
ここから分かることは何か。一つにものすごくたくさんの船員たちが、何も知らずに放射能の降る中で操業し、被曝させらえてしまったのだということです。
それぞれの「X年後」に病があらわれ、塗炭の苦しみが襲ってきて、亡くなっていったのでした。
被曝被害を受けたのは海の男たちだけではありませんでした。大気から降ってくる放射能や、魚などによって運ばれてくる放射能に、アメリカや日本に住まう人々が、いや世界の人々が、繰り返し被曝させられたのです。
これを犯罪と言わずして何を犯罪と言うのでしょうか。ものすごい規模での被曝がこれまで隠されてきたのです。
なお『放射線を浴びたX年後』の公開に即しての、監督の伊東英朗さんを中心に行われたトークショーの記録を見つけたので紹介しておきます。
<~ビキニ事件、第五福竜丸以外の被災船と被災漁民について考える~>トークショー
2012年8月22日 夢の島公園内にある都立第五福竜丸展示館にて
http://www.cinemajournal.net/special/2012/bikini/
さてこの映画の公開後、ある劇的なことが起こりました。
室戸出身でマグロ漁師の娘さんである川口美砂さんが、ある日、妹さんに誘われて、何の予備知識もなしにこの映画を観て深い感銘を受けられました。
「自分だったら室戸のおんちゃん(おじさん)から聴き取りができる。この調査に協力できる」と考えた川口さんは、すぐに監督に連絡をとり、以降、東京から郷里の室戸に通い始めました。
その中で前編の時にはまだ出あってなかった新たな漁師さんたちとのつながりが生まれていきました。
劇的だったのは調査を深める中で、川口さん自身が、若くして亡くなったお父さんが被曝していたのだという確信を持ったことでした。その証左を探すと、なんと見つからないと思っていた航海日誌に奇跡のようにたどり着いたのでした。
そこで川口さんは、お父さんの乗った船もまた、核実験で放射能が降った地域で操業していたことを事実としてつかみました。
写真でみるお父さんは屈強でとてもハンサムな方ですが、わずか36歳で亡くなってしまわれました。しかも周りから「酒の飲み過ぎのせいだ」と言われ、美砂さんは妹さんとお母さんと3人で二重に苦しまれたそうです。
しかも当時12才だった美砂さんは、小中学校に通いながら春、夏、冬の休みに家計を支えるために働かなくてはなりませんでした。
その美砂さんが、おんちゃんたちの間を訪ね歩くうちに、伊東監督が、2本目は美砂さんを主人公に撮りたいと決意を固めていきます。かくしてできたのが『放射線を浴びたX年後2』なのです。
それはまた50代になって初めて、父の死が放射線被ばくのせいではないかと目覚めた女性が、核実験による被曝の真実、隠された被曝の実態を暴くために室戸の町を歩き続けた圧巻の記録です。
ぜひ、みなさんにこの二つの映画を観ていただきたい。この被曝強要と、被害隠しこそが、現在の原発の危険性の軽視や、福島原発事故被害の軽視にストレートにつながっているからです。
続く
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