明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(94)福島のお母さんたちの思いを聞かせていただいて

2011年05月04日 17時00分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110504 17:00)

現在、京都精華大学のキャンパスと寮を使って、福島から避難してきた親子
向けのキャンプが行われています。
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/003/440/97/N000/000/000/130379410079516310294_gogocamp2.jpg

すでに関西で新しい生活を始めている親子もいれば、このときだけ、福島を
離れて、キャンプに来た親子もいます。

実はその中に僕の古い友人も参加していました。それで昨日の午後に現場を
訪れてきました。素晴らしい試みだと思いました。
福島から、また宮城から来た子どもたちが、思いっきりはしゃぎまわっていた!
今日は市内近郊の山に登るとの話でした。
京大から福島の調査に赴いた滝澤さんたちも昨日、今日と参加しています。


そんな場で、昨日、子どもたちが山菜採りにでかけている合間を利用して、
4人のお母さんたちからお話を聞くことができましたので、以下、紹介します。

Aさん 
4月20日に、小学校高学年の娘さんを連れて、福島市から大阪のある街に避難。
新たな生活を始めている。

Bさん
福島市内在住。事故後、小学校高学年の男の子と3週間、沖縄に避難。仕事の関係で
福島に戻ったが、できるだけ福島滞在時間を減らすため、週末ごとに県外に
でかけるようにしている。

Cさん
福島市郊外の農村に在住。中学生と小学生の女の子のお子さんとキャンプに参加。

Dさん
福島市内在住。6歳の女の子とキャンプに参加。


-Aさんはどのような経緯で、大阪に移られたのですか?

大阪市内に友人がいて、避難をするなら関西がいいと考えていました。
福島からの避難者を京都府と滋賀県が受け入れていると聞いて、それぞれに
メールで問い合わせを行いましたが、滋賀県からはメールでは詳しい話が
分からないので、直接電話をくれという回答があり、京都府からは回答が
ありませんでした。

そんなとき、大阪府は罹災証明がなくても、受け入れてくれるという情報が
入り、連絡を入れると、確かに証明がなくても大丈夫だといいます。詳しい話は
現地でというので行ってみたら、あっという間に手続きを進めてくれて、
今の街を紹介してくれました。

罹災証明があれば府営住宅に入れますが、ない場合でも雇用促進住宅に
入れます。それで落ち着く先を見つけることが出来ました。


-子どもさんは、避難することをどう受け止められたのですか?

子どもには事故があって以降、外出時に被ばくへのそなえを徹底させていました。
帽子にマスクに手袋にと、厳重なかっこうをさせました。
折に触れて被ばくの怖さも教えました。

当時は寒かったのでまだ良かったのですが、だんだんあたたくなり、そぐわない
格好になってきました。
子どもは女の子なので、こんなの嫌だ。おしゃれがしたいと言いだしました。
それじゃあ、移ろうかという話になりました。

友だちと離れるのは嫌だと言っていましたが、テレビを見ていて
仕方がないとなりました。


-地震のときの様子はどうでしたか

Bさん
福島市では当日は15分に1回、余震が起こり、本当に大変でした。
雪が降り出したのに、大きく揺れるたびに私たちは外に飛びなさなくては
なりませんでした。まったく寝ることができませんでした。

Dさん
断水で10日間、水がでなくて、お風呂にも入れませんでした。
電気は来ていたのでインターネットは使えたので、それで情報を取りまく
りました。あのときネットを使えた人は、みんな必死に情報を集めていたと
思います。


-水はどうしたのですか

Aさん
給水車に並んでもらいました。放射能が降る中、立っていたのだと思います。

Bさん
そうそう。とくに私たちの地域は同じ福島市内でも、電気も止まってしまいました。
それで原発事故のことも何も知りませんでした。3号機の爆発があって、初めて
知ったのです。そのため放射能が来ているときに何時間も水を得るために外で
並んでしまいました。

Dさん
まるで市内は戦時中のような感じでした。
爆発した・・・。でも安心しろ・・・。と断片的な情報がラジオなどで流れていました。

Bさん
新聞は配られていたけれど、とても読む余裕がなかったですね。

Aさん
お米もすぐになくなってしまったし。

Dさん
私も買いにいったけど、翌日にはもうなかったですね。
水は給水に頼るしかなかったのだけれど、福島市内には井戸を使っている
家が多数あり、「この井戸を使ってください」と貼り紙をしてくれるところも
あって、そこに行きました。

このころ放射能対策が新聞などに書かれました。放射性物質が身体についたら
シャワーを浴びればよいと書かれていましたが、水がない私たちはどうしたら
いいのと思いました。

移動は車を使うようにと書かれていましたが、ガソリンがありませんでした。
カッパを着るようにと書いてありましたが、どこにも売っていません。
頭が爆発しそうでした。


-農村にいたCさんの場合はどうでしたか

放射能汚染がどれほどか分からなかったのですが、友人がガイガーカウンター
を持ってやってきてくれて、周辺を測ってみたら針が振れて、汚染を実感
しました。

それで役場に連絡をしてみましたが、国が100ミリシーベルトまで安心と言っている
ので、独自の対応はできないし、考えてないと言われてしまいました。
それでも風が強くなってきていて不安なので、学校に、風の強い日は外で
子どもを遊ばせないでと申し入れをしました。子どもに聞いたら、実際に
強い風の日は外にでてはいけないと言われたそうで、先生たちが対応してくれた
ことに少しホッとしました。

でも私の周りはいたって平和で、誰もが何事もなかったかのように暮しています。
土壌の汚染も誰も気にしていません。実際には針が振れるのに。

私は内部被ばくも気にしていますが、農村では、「これはうちのばあちゃんが作った
ホウレンソウだ」と言われていただいたりすると、断るわけにはいきません。
おすそ分けしていただく山菜なども気を使います。

後で子どもが、家で食べたかどうかと聞かれたりするのです。
子どもにどう答えればいいかと聞かれて、「大人だけで食べたと答えておいて」
と言いました。

私の場合、夫と意見があうので、まだいいのですが、小さい子を抱えたお嫁さん
が、1人だけで心配している場合が多いのではないかと胸を痛めています。

とにかく放射能に対しては、人による温度差が激しいです。
子どもも学校で大きな声で言えないと言っています。


-福島市に話をもどしますが、それ以後はどのような感じですか。

Dさん
長崎大学の山下俊一という教授が、福島県の「放射線健康リスク管理アド
バイザー」になり、講演など行ったのですが、放射線の影響はない、大丈夫だ、
マスクもする必要はない。布団を外に干して大丈夫と語り、多くの人が
大丈夫だと思ってしまって、何の対処もしてない人が多いのです。駅前でも
高い放射線が測定されているのに。

-京大の滝澤さんたちが新幹線で向かったときは、栃木県北部の那須塩原
あたりから数値があがったそうです。福島駅では毎時2.5マイクロシーベルトが
計測されたとか。

Bさん
それでも福島市は、政府が100ミリまでは大丈夫だと言っているからと何の
対応も取っていません。学校での対応も教育委員会に丸投げされ、教育
委員会は、学校長に丸投げしている感じで、そのため学校ごとに対応が
違っています。

とにかく放射能については、周りとの温度差が激しいです。私が周りに安全な水を
飲むことを進めると、まるであやしい宗教への勧誘を行っているかのように
受け取られてしまいます。
地域がバラバラになっていっていることを感じます。

私自身は当初、息子と一緒に沖縄に避難しました。でもお金が続きませんでした。
今回のことは突然の出費で、たくさん使ってしまいました。
子どもも福島で卒業したいといいます。スポーツや習い事もしていて、
やりたいことがたくさんあるのですね。

それで学校が始まる時に、福島に戻りました。そうしたら周りから、「鬱はもう
治ったのか」と言われてしまいました。
今は週末などを利用して、なるべく福島から離れる時間を稼ぐようにしています。
それで今回もキャンプに来ました。

Dさん
私たちが望むのは、今、起こっていることは、福島だけのことではないことに
他の地域の方たちが気づいてくださることです。

とくに周りから子どもたちが危ないという声をあげてくれると、悩んでいる
親たちはその分だけ楽です。福島の中ではとても声があげにくい状態に
なっています。

ぜひ20ミリシーベルトが許容値になっていることは、福島の子どもだけの
ことではない。日本全体の問題だと考えて、周りからも声をあげてください。
私たちもできる限りのことをします。

********************

聞き取りを終えて。

お母さんたちから話を聞いた後、宿舎に一緒に向かいました。京都精華
大学が留学生用の寮を提供してくれています。そこに子どもたちが9人
集まっていました。子どもだけを他のお母さんに託された方もいるとの
ことでした。

お世話をしているのは、このプロジェクトを立ち上げた若者たち。
おいしそうなハンバーグが、子どもたちと一緒になって焼かれ、やがてテーブルに
並べられ、賑やかな食事が始まりました。子どもたちの笑顔が印象的でした。


お母さんたちが口々に語っていたのは、山下俊一教授の話や、それに
基づいた福島市の広報などで、「安全」が繰り返し強調され、多くの人が
放射線被ばくへの身構えをしていない福島の現状の異様さでした。

これに疑問を挟むことができないような雰囲気が作られており、そのことで
あちこちで共同性が壊されているとのことでした。女性たちの1人は、
放射能は地域をズタズタにしてしまう。それが一番、残酷だと語っていました。

またその点では小佐古さんのような「権威」のある方が、子どもたちが危ないと
言ってくれたことで、少しは流れが変わっていいかもとも。残念ながら周りの
人たちは権威に弱いのだと話されていました。


ちなみにその山下教授のことを少し調べてみました。
彼は4月6日に、「日経メディカル」で次のように断言しています。

「福島第一原発の原子炉が今回の地震で損傷なく生き延び、日本の科学の粋
をもって緊急炉心停止が行われたのは不幸中の幸い。今後大爆発は起こら
ないだろうし、炉心の中のくすぶりを抑えるため、いま懸命な努力がなされている。
ただ、チェルノブイリの100分の1程度の放射性物質が環境中に放出されたと
推測されるため、今後長期的なモニタリングと健康影響調査が必要だろう。
今回は、過敏と思われるほど情報が公開されており、また、農産物の出荷
停止などの対策も講じられている。いまの日本人に放射性降下物の影響は
皆無に近く、起こり得ないことだ」。
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/hotnews/int/201104/519274.html

原子炉が損傷なく生き延びた?現実に続く放射能漏れのことを一体どう
考えておられるのでしょうか。

さらに政府はこの5日後の11日に、今回の事故がレベル7に相当することを
告白し、とくに原子力安全委員会は、大気中への放射性物質の放出だけで、
67万テラベクレルにあたることを明らかにしました。チェルノブイリ事故の
1割以上の放射能が出たというのです。

・・・安全委員会が、SPEEDIの情報を握りつぶし続けていたことなどを
考える時、これとてまだまだ疑わしい数値とみなさざるをえませんが、それでも
山下教授が、放射能汚染量を かなり低く見つもっていたこと、放射線の
「専門家」としては、あまりにずさんな状況把握をしていたことが、はからずも
明らかになってしまいました。

ただしこれは「放射能は怖くないキャンペーン」というよりは、「放射能は
ほとんど漏れてないキャンペーン」であり、その論拠が、政府の発表によって
大きく崩れてしまったわけです。この点について、山下教授は何か県民に
対して釈明をしたのでしょうか。

・・・福島県はこのことを、アドバイザーの山下教授に、ぜひ問いただして
欲しいものです。県の側にも、これほど大きな誤りをおかして平然としている
人物を、そもまま採用していることに責任があります。


私たちが考えなければならないのは、国がこのようにとても科学的な誠実さを
持いあわせているとは言えない人物を、アドバイザーとして福島に送り込み、
マスクもする必要はない、放射性降下物の影響は皆無に近いと、最低限の
放射線被ばくへのそなえさせ、やめさせてしまっている現実です。これでは
被ばくを促進しているようなものです。

原発に近い人々が、それでもさまざまな事情の中で避難できないのなら、
せめて可能な限りの被ばく対策をするべきなのに、それに逆行することを
この国は行っている。あまりに酷いです。


私たちは、子どもたちだけでなく、福島県民全体を救うことも、考えなければ
ならないと思います。そのために、「これを福島だけの問題と考えないで欲しい」
という、あるお母さんの声を、みなさんとシェアしていきたいです。










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10 コメント

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福島の現状をどう支援? (右近ゆみ)
2011-05-04 23:45:19
こんばんは、守田さん。
日頃の情報発信、ありがとうございます。
私も上記の支援に「お母さん係」として携わり、Bさんと何時間もお話ししました。
正直、できることはなんでもしたい気持ちですが、何をどうすればいいのか考えてしまいます。

私の周りのお母さん達の間では、自民党・河野太郎さんノブログにあるように、「とにかく国会議員に会いに行こう」という計画があります。
その時に「20mシーベルト」という基準を見直してほしい!と意見し、資料も出したいと思うのです。

来週の火曜日、出町柳での守田さんの講演会に参加しますので、是非アドバイスをお願いします。
返信する
ありがとうございます。 (守田敏也)
2011-05-04 23:52:37
そうですか。お母さん係、どうもご苦労さまでした。ありがとうございました。現場でも会っていたのかもしれませんね。

アドバイスとはおこがましいですが、僕にできることは何でもしますよ。

ただ出町柳のその講演会は17日なので、来々週になります。他に8日午後7時から、おなじく出町柳の「かぜのね」というところでも、お話します。この情報もまたあとで流します。
返信する
ありがとうございました。 (福島の母B)
2011-05-05 05:09:27
おとといは、守田さん、右近さんに話を聞いていただきましてありがとうございました。

思っていることを口に出せない現実が続いていたので、共感していただける方々に気持ちを吐露できてどれだけ救われたことか…

また、こんなに遠くの方々が…大勢の方々が…福島の事を心配して下さっていることをただただ有難く有難く思いました。

この連休中で風が変わり始めています。

文科省VS原子力安全委員会…なんてものも見えてきました。
また、福島大の先生方も動き始め外に発信しだしました。

市民団体もリスクアドバイザーの解任を求め動き始めます。

私達は中から風を大きくすべくでき得る限りのことをしていくつもりです。
どうぞ、外からも大きな団扇で扇いでください。

出会うはずのないご縁をいただいた事…たくさんの方々に感謝します。
返信する
ヒバクシャ (郡山在住)
2011-05-05 06:41:15
http://www.med.nagasaki-u.ac.jp/adi-pphy/prof/201104.html

我々県民は彼によってヒバクシャに認定されたようです。

大丈夫だと言い続け、今後どのような病気が出てくるか観察していくつもりかもしれません。

早く追い出して欲しいです。
返信する
福島の母B様 (守田敏也)
2011-05-05 07:53:31
当日は大切なお話を聞かせていただき、本当にありがとうございました。また直接コメントをいただきありがとうございました。あとで個人メールもさせてください。

みなさんのお話はとても胸を打つもので、たくさんの方から、これを友人に伝えたいというメッセージをいただいています。

そうした方々に、再度、「外からも大きな団扇で扇いでください」というBさんのメッセージを伝えます。

ぜひ、今後も一緒に歩んでいきましょう!
返信する
本当にひどい・・・ (守田敏也)
2011-05-05 07:58:44
ヒバクシャ(郡山在住)様

山下教授の言葉を確認しました。これですね。

「『原研医療』では大学病院国際ヒバクシャ医療センターと準備してきた緊急被ばく医療対応に加え、グローバルCOEプログラムの根幹である放射線リスク健康管理を、福島県ならびに福島県立医科大学の要請を受けて、いち早く現場で実践しています。本領域における20年間の海外での活動実績は、広島・長崎に次ぐ国内3番目のヒバクシャを生み出した福島県にこそ生かされるべきだと考えると、新生『原研医療』も直ぐに正念場を迎えることになりました。」

福島県民には、放射性降下物の影響は皆無、マスクもしなくていいといいながら、「広島・長崎に次ぐ国内3番目のヒバクシャを生み出した福島県」と語っているのは本当に許しがたいです。

しかもここにはグローバルCOEプログラムという、巨額の予算のつくプログラムを走らすために、福島県民の苦しみを使っていることがあけすけに見えています。

今、友人が、山下教授の福島講演の内容を精査して批判を書いてくれています。こうしたものなどを活用して、みなさんで一緒に、山下センセイを追い出しましょう!
返信する
Unknown (Unknown)
2011-05-05 16:17:07
我が家も原発のおかげで真っぷたつです
それに避難したくても、現役高校生と、高校受験の結果発表と入学手続きの日程変更通知待ちの子供もいて、とてもじゃないけど仙台を離れられない状態でした

小学生以下だったら実家に帰ってただろうと思います

返信する
Unknown ()
2011-05-06 10:23:17
福島のお母様たちの生々しい証言に食い入るように記事を読みました。貴重な発信をありがとうございました。九州の私の友達にもこれを知らせたいと思います。お母様たち、こどもさんたち、心挫けそうになると思いますが理解者がいることを信じて生きていかれますよう願います。
返信する
胸が痛いです。 (守田敏也)
2011-05-06 11:28:24
Unkown様

「我が家も原発のおかげで真っぷたつです」・・・。胸が痛いです。多くの家庭で温度差から非常に苦しい対立が生じてしまっていることを耳にしています。僕はこれ自身も、放射能漏れ事故の深刻な被害の一つだと思います。
今はそんなコメントしか出せずにごめんなさい。また考察したことをブログに書きます。
返信する
ありがとうございます。 (守田敏也)
2011-05-06 11:31:56
Kさん
いつもコメントをいただいて、ありがとうございます。ぜひお友達にお伝えください。そこから福島や、仙台をはじめ原発近隣の地域の人々を包む温かい輪が生まれるといい、苦しい気持ちが吸い取られ、事態の打開の何かが生まれるといいと僕は思うのです。そのためにも、今は少しでもこの痛みを、たくさんの人でシェアすることが大切だと思います。
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