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明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(728)チェルノブイリに学ぶために「カマレポ」を観よう!

2013年08月17日 09時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130817 09:00)

子どもたちの保養キャンプ周りを続けています。一昨日は「ごーごわくわくキャンプ」に参加。今日は「びわこ123キャンプ」に再度参加です!都合4か所にすでに5日間参加し、6回お話ししました。あと2回、お話しします。

子どもたちはどこでも好奇心旺盛。主に放射能の問題と健康の問題について話していますが、きちんと話せばかならず食いついてきてくれます。そして質問がどんどん飛躍しだす。
僕はそんな子どもたちの中から、私たちの想像もつかないような新しい世代が育ってくるのではという予想を感じています。
何より子どもたちは、大人たちの真剣な、必死の姿をたくさんみて、感じている。大人がこれほどまでに一生懸命に子どもたちを守ろうとしていることを、敏感にかつ強く感じ取ってくれています。

今、何か、とても大事なことが行われている。その中に自分たちはいる。自分たちを守ろうとする大人たちがこんなにたくさんいる。子どもたちは子どもたちなりにそんな理解をしているのだと思います
そして子どもたちなりの理解は、私たちの理解よりも柔軟で、とくに奔放な飛躍をします。その中から、私たちの手の届かない発想や知恵も生まれてくるのではないかと僕には思えます。
そんな場を作る一助となるために、僕もキャンプでの話をさせていただいています。子どもたちに関われるのはとても楽しい。

しかし一方でそんな子どもたちの上に放射能が降り注いだことを考えると、今更ながら、本当に、胸がかきむしられる思いがします。
今、必要なことは、これ以上の被ばくを最小限にする努力を重ねつつ、子どもたちの健康を守るためのあらゆる手を尽くすことです。
特に注意をしなければいけないのは、健康被害が出てくるのを座して待っていてはだめだ!ということです。免疫力をあげて健康被害を抑え込むこと、かつ被害が出てきた場合はすぐに察知して、病巣が小さいうちに撃退することが大事です。
そのために大切なのは、福島原発事故の「先行事例」に可能な限り学ぶことです。中でも大事なのは最近になってようやく全貌が見えてきつつあるチェルノブイリ原発事故に学びつくすことです。


ではいかにチェルノブイリに学ぶのか。その点で紹介したいものの一つが、映画監督、鎌仲ひとみさんが、2014年秋公開予定の、新作『小さき声のカノン―選択する人々』の完成にさきがけ、最新の取材レポートを届けでくださっている「カマレポ」です。有料動画です。
チェルノブイリ、福島の取材や、鎌仲さんの最新コメントなどを、月に一度届けてくださっていますが、何よりもベラルーシ、ウクライナの今に肉薄してレポートしているので、最新情報が伝わってくるのが大きな魅力です。
またカマレポの購読料は、新作の製作支援金として活用するとのことですので、動画の定期購入は、チェルノブイリの今を伝える鎌仲さんの精力的な活動を支えることにもなります。

すでに無料のお試し版と、第1回、第2回が配信済み。とくに第1回では、甲状腺被ばくの問題に即してベラルーシの今が描かれており、重要な最新情報が盛り込まれているのでぜひご覧になって欲しいです。
第2回で取り上げられたのは写真集『100人の母たち』にまつわる女性たちの動き。子どもとともに歩む母たちの姿は感動的で、ぜひこれもご覧になっていただきたいです。

ご紹介のためにカマレポのHPを掲載しておきます。ここからは無料でお試し版が視聴できますが、鎌仲さんはここでさらっと「放射能汚染とはいったいどういうことなのか」を語っています。
ご本人にお会いしたら「大した内容じゃないわよ」とおっしゃっていましたが、僕は短い時間に必要なエッセンスをぎゅっと詰めたとても分かりやすく、重要な内容に思えました。無料版ですので、簡単な文字起こしも添えておきますのでぜひご覧ください。

繰り返しますが、私たちのこれからにとって、広島・長崎原爆被害、そしてチェルノブイリ原発被害に学び続けることは、決定的と言えるほどに重要です。そのためには取材が必要です。
「カマレポ」の購読は、私たち自身が最新情報に学びつつ、鎌仲監督による貴重な現地取材を資金的にも心の面でも支えることになります。なので、ぜひみなさんに視聴していただきたいと思うのです。
定期的にレポートを受け取る中から、作品完成の際の、上映体制も作り出していけるといいですね。僕もぜひ京都での上映を担わせていただきたいと思っています。

以下、カマレポのページをご紹介します。鎌仲さんを応援し、私たちに一番必要な映画の作成を支えていきましょう!

*****

カマレポ
http://kamanaka.com/mailmagazine/

今、大事なのは、放射性物質がばらまれたことをどう理解するかだ。

放射能汚染とはいったいどういうことなのか。

1つは原発が爆発して出てきた放射性物質は、均質ではなくまだらに汚染が広がった!

原発からコンパスで円を引いたように立ち入り禁止区域や、居住困難地域が設定されているが、距離には関係ない。
距離が近い所よりも、遠いところの方が線量が高いところがある。これをきちんと踏まえる必要がある。

ベラルーシでもウクライナでも非常事態省という新しい政府機関を作り、汚染地図を作った。これがまだ日本ではなされていない。
私たちは、今回の事故によって引き起こされた汚染地図をもたない。早急に作るべきだ。

もう1つの特徴は放射性物質は測りにくいということ!

セシウムは測りやすいが、ほかに測りにくい放射性物質がたくさん出ている。短い放射線しか出さないので、測りにくい放射性物質があるが日本でそれを測っていない。
それは人体に影響がないのかというと、内部被曝をしてしまうと影響がある。それを知っておかなくてはいけない。
セシウムだけ測って、「こんなにないんだ」と思っても、ほかのものが測られていない。その中には寿命の長いものが多かったりする。
ベラルーシではストロンチウムという放射性物質を測っている。日本でも測るべきだ。

もう1つ、放射能汚染を理解するうえですごく大事なのは視覚化すること!

セシウムでもどれぐらいあるのかを知るのはすごく大事。自分立ちが食べる食べ物の中にどれぐらい入っているのかを測らないと安心できない。
測る体制をもっと作っていくことが大事。


私たちは見えにくい放射能からどう体を守ったらいいのかと思っているわけだが、放射性物質とは、放射線とはどういうものか、それが人間にどういう影響を与えるのかを、当たり前の知識として知ることが大事。
それが見えないものを感知したり、察知したり、直感的に「これは危ないのでは」ということを教えてくれる。そのために知識を持つことが大事。

そのために、単に難しい本を読むのではなく、現場からリアリティをもって、「カマレポ」「小さき声のカノン」とともに、みなさんにお伝えしたい。
ぜひ、カマレポにご注目を!


 

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明日に向けて(727)「放射能を怖がるのはかっこ悪い」というのは大間違い!(下)

2013年08月15日 09時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130815 09:00)

昨日の続きです!

なお、今回は最後に放射能からの身の守り方をお話ししましたが、もっとも有効な避難については触れていません。聴き手が自分で避難するか否か、極めて決めにくい小学生であることを考えてのことです。また話の主題が、「放射能を怖がるのはかっこ悪い」という言説を打破することにあったからです。そのため小学生でも確実にできる放射線防護とは何かを考えてお話ししました。

*****

最初に話したように、原発が爆発してたくさんの放射能が出ました。それは日本の中にたくさん降ったのだけど、実はその前からたくさん降っていました。ではいつから降っていたのかというと、アメリカは1950年代に太平洋でたくさんの核実験をしました。
水爆の実験が行われました。水爆は原爆とは威力がけた違いです。広島原爆の1000倍ぐらいの威力のあるような水素爆弾を何度も実験で爆発させました。そのころに地球上にものすごい放射能が降ってしまいました。
僕は1959年の生まれですが、核実験の放射能が一番たくさんあるころでした。だから実は僕の世代の人はそのころの放射能を浴びているのです。だから放射能を浴びる、浴びないで言えば、もう日本の中で浴びてない人はいません。世界の中でも浴びてない人はいません。それくらい核実験はひどかったのです。
そんなことまでして放射能をまき散らしたアメリカにとっても、これに対抗したソ連にとっても、同じく核兵器を作ったイギリスやフランス、中国にとっても、放射能は「そんなに害はない」ものでなければならなかったのです。
それで「放射能を怖がるのはかっこ悪い」と言い続ける必要があったのです。

それが福島の原発事故以降も、「放射能は怖くない」「放射能を怖がるのはかっこ悪い」と言われる理由です。実際には放射能は危ないです。できるだけ浴びるのを避けた方がいい。
でもどれぐらい浴びるとどうなるのかということも、実はあまりよくわかっていません。アメリカが研究させてくれなかったからです。データを全部持ったまま、死蔵させてきたのです。
とくに人間の場合、回復能力を持っています。細胞が何かによって壊されて、自分で回復していく力を動物の中で一番持っているのは実は霊長類です。サルやチンパンジー、ゴリラや人間のことだね。だから人間はもともと免疫力が高くて、自分の体を治す力が強い生き物なのです。
だから、放射線を浴びてしまうと、もうどうしようもないのかというとそんなことはありません。

たとえばショウジョウバエというハエは、放射線を浴びてしまうと、元には戻れません。放射線で壊されたままのものが遺伝していきます。しかし人間の場合は治す力も持っているのです。だから免疫力を上げていく必要がある。
そのことを僕は日本中の人が考えるときにきたと思っています。福島だけではないんだよ。実は日本中にもう放射能は降っていたのだね。チェルノブイリ事故でも降りました。スリーマイル島事故でも降りました。でもその前に核実験でたくさん降りました。
だから実はこれまで世界の中で一番、被ばくしてきたのはアメリカ人や旧ソ連の人たちでした。なぜかというとアメリカの中には核兵器工場がたくさんあります。実はしょっちゅう事故を起こしてきたのだけれど、軍事秘密なので、事故を起こしてもすぐには何も教えてくれない。ひどいところは10年間、秘密になっていました。
そこからプルトニウムという一番、怖くてやっかいなものがたくさん漏れ出してしまって、被ばくした人、亡くなった人がたくさんいます。

実は僕の親友で、昨年亡くなった安藤栄里子さんという女性がいました。その人は40歳を越えて亡くなったのですけれど、高校生のときにアメリカに留学したのですね。そこがアメリカの事故を起こした軍事工場の風下にあたっていました。この工場からプルトニウムが漏れたので、吸ってしまった可能性が高いのですね。
それで日本に帰ってきて、だいぶん経ってから、難しい言葉だけれど「多発性骨髄腫」という血液のがんになってしまいました。それで去年、亡くなってしまったのですけれど、多発性骨髄腫はいろいろな症状が「多発」する病気です。
彼女の場合は、最後は肝臓にがんができたのだけれど、プルトニウムというのは実は肝臓に集まりやすい物質なのです。だからなかなか証明することは難しいのだけれど、核兵器工場の風下に住んでしまったので、それで被ばくした可能性が高いのですよ。
なぜ高いと言えるとかというと、彼女のホストファミリーも、家族みんなが、がんになっているからです。

アメリカなどでもそういうことがありました。それで世界の中で、放射能の害をもっときちんと調べて、明らかにしていこうという声がどんどん高まっています。そういう人たちは福島原発事故で被害を受けた私たちを応援してくれています。
今日も、福島のCRMSという測定所に関わっている方も来られていると聞いていますが、CRMSもフランスの人たちがすごく協力してくれました。フランスはチェルノブイリ事故があったから、放射能がもたらす苦しみをよく知っているのです。それで最初に測定器などをカンパしてくれたそうです。
放射能の問題で苦しんでいるのは広島・長崎だけではないのです。たくさんのところで人々が苦しんでいます。日本は唯一の被ばく国と言っているけれど、間違いです。一番最初に原爆の関連で被ばくしたのは、ネバタ砂漠からウランを堀った人たちです。ネイティブ・アメリカン、あるいは「インデアン」の人たちが多い。
その次は、アメリカは広島・長崎に先立って、ニューメキシコというところで初めての核実験をしました。メキシコとの国境の近くです。だからその周辺の人が被ばくしてしまいました。その後は太平洋の島々でもたくさんやりました。だからヒバクシャは世界中にいます。

例えば、子どもたちは知らないだろうけれど、アメリカの古い映画俳優でジョン・ウエインという人がいました。カウボーイの映画などにたくさん出ていました。1950年代、60年代によく映画を撮ったのだけれど、その撮影場所の多くがネバタ砂漠だったのです。
そこで撮影した映画クルーの半分以上ががんで亡くなっています。西部劇で、砂の中を馬や馬車がパカパカパカっと走っていくかっこいいシーンがあるでしょう。そのときに砂をワーッとかぶりながら鞭をバシッとかやっていますが、あれは実はみんな被ばくシーンだったのです。

もう一度、今までの話をまとめます。放射能の問題というのは、広島・長崎原爆から始まっています。「放射能は怖くない」とか、「放射能は身体にたいして害はない」とか言い出したのはアメリカ軍です。一番、放射能を撒いた人たちです。
戦争犯罪である原爆の使用を行ったアメリカ軍が、「放射能は怖くない」と言い続けてきたのですから、やっぱり、それに騙されてはいけないのです。そのために被ばくの害から体を守ることを、みなさん、ぜひ考えてください。

では放射能の害から身を守るために、みなさんはどうしたらいいのか、一番のポイントを言います。放射能はさっきも言ったように、線で飛んでくる放射線よりも、放射線を出すものが飛んでくる方が怖いです。これを体の中に入れないことが大事です。
みなさんが確実にできる、効果があることを言うと、単純ですけれども、手洗いとうがいです。それからマスク。夏はね、マスクはしんどいけどね、風の強いとき、砂が舞っているようなときは夏でもマスクをした方がいいです。
あとはとにかく手洗い、うがいです。これは放射能だけではない。あらゆる汚染物質、インフルエンザウイルスなどもそうですが、そういうものを身体の中で一番運ぶのは手です。手はあちこちを触れるからです。手にいろいろなばい菌や、ウイルスや、放射能がつきます。だから手を洗うのが大事です。
家の中でも、汚染からきれいにしようと思ったら、手が触るところ、ドアノブやスイッチなどをこまめに拭くといいです。だから外から帰ったらまずは手洗い、うがいをすることです。

僕はこのことを誰に習ったのかというと、お医者さんに習いました。お医者さんたちは、放射能だけではなくて、たくさんの患者さんが来ますから、どのような病気に出会うかわかりません。お医者さんたちは一番、感染しやすいところにいるのです。
でもお医者さんたちはそんなに簡単に感染しません。なぜかというと繰り返し手洗いをするからだそうです。一日に20回以上も洗うと言っていました。もちろんマスクもしていますが、手洗いはとても重要ですよと教えてくれました。
今の日本の状況では、東北でも関東でも、放射能がずっと動いているし、関西や西日本は、中国から飛んでくる黄砂の影響がすごい。黄砂もすごく体に悪いです。それに中国や旧ソ連が核実験をした方向から飛んでくるから、その放射能の危険についても心配されています。
だからそういうものを除去するためには、マスク、手洗い、うがいが大事です。これは実行できるでしょう。毎日、行ってください。効果があります。

大人の方たちは、インフルエンザ対策、花粉症対策が、そのまま放射能対策に使えます。ネットなどで引けばいろいろと対策が書いてありますから、それを参考にして、できるだけ放射能が体の中に入らないようにしてください。
放射能の話はこれぐらいにしたいと思います!

終わり

 

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明日に向けて(726)「放射能を怖がるのはかっこ悪い」というのは大間違い!(上)

2013年08月14日 23時30分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130814 23:30)

このところ、関西で行われている保養キャンプにたびたびお邪魔して、子どもたちにお話を繰り返しています。
8月2日に、やんちゃっこイン枚方でお話しし、10日に「元気いっぱいびわこキャンプ」で、12、13日と「びわこ1、2、3キャンプ」でお話ししてきました。
明日の15日は「ごーごーわくわくキャンプ」で、17、18日に再び「びわこ1、2、3キャンプ」でお話しします。

今日はこの中で8月2日に、枚方でお話ししたことの一部を紹介したいと思います。
ここで僕が取り上げたのは、福島の中学生の一部で「放射能を怖がるのかっこ悪い」という言葉が流行っているということについてでした。どれほど流行っているのかわかりませんが、もちろんそんなことはまったく間違っています!
そのことを子どもたちに一生懸命に伝えたのですが、この内容を福島だけではなく、そんな話をしているすべての子どもたち、いや大人たちに届けたいと思って、この内容を記事にしました。
以下、当日の話をテープ起こししました。お読みください!

*****

「放射能を怖がるのはかっこ悪い」というのは大間違い!


今日は体の免疫力をあげるための食べ物の話と放射能の話をしますが、まずは放射能の話をします。

福島原発の事故があって、たくさんの放射能が飛びました。では放射能って何ですか。わかる人いるかな?子どもが手が上がらないから大人の人、どうでしょうか。ではNさんに聞きましょう。

N えー・・・。うーん。いわゆる電離放射線というやつですね。

電離放射線・・・。ブー。それでは子どもたちにはわかりません。

N 物質が違う物質に変わるときに、線と言ってもアルファ線とベータ線とガンマ線とあって、それは物質を伴うものと・・・うーん・・・お任せします。すいません。

一同、笑い

あのね。放射能というのは、漢字で書くと、能力の能がついています。だからもともとは放射する能力という意味です。
放射線の方はもともとはたくさんのものがあります。みなさんが知っているもので言えば、電波もそうです。光線もそうです。放射線というのは放射状に出るものです。
放射能というのはもともとはそれを出す能力のことを言っていたのだけれど、放射線を出すもののこともさします。放射線を出すもともとのもののことです。
放射線にはいろいろなものがあるのだけれど、さっきNさんが言っていたいくつかの放射線が体に悪い。だからその放射線を浴びない方がいいということです。

放射能はものだから、ものとしてあちこちに移動してしまいます。放射線は放射能から出てくるので、届かないところまで離れたり、さえぎるもにがあればあたることはありません。
放射能はものなので、原発から出ると風にのり、雲にくっついて、雲がたどり着くところまで行ってしまいます。
放射線はそれが出てくる放射能から離れれば離れるだけ弱くなる。光と思えばいいです。光は近くにあると明るいけれども、離れればどんどん暗くなるでしょう。それが放射線です。
放射能は光で言えば、ライトそのもので、それが移動するから、どんどん自分に近づいてもきます。だからどちらが怖いのかというと、放射能が身の回りに近づいてくる方が怖いです。そっから放射線が出てくるからです。

放射線が体にあたると私たちの体を作っている細胞が壊されてしまいます。だから放射線はできるだけ浴びない方がいい。
でも人間には免疫力があります。身体の力です。放射線が体の細胞を壊しても、免疫力があると、身体を治すことができます。だから放射能に対しても、体の力を上げることが大事なのです。
今日、みなさんに放射能についてお話しする上で、放射能が細胞を壊すメカニズムのことになると、中学生以上の科学が必要になってしまうので、難しい。それで一番、大事な問題を話したいと思います。

というのはNさんに聞いたのですが、今、福島の中学校の一部で、「放射能を怖がるのはかっこ悪い」ということが言われているということを聞きました。僕はかなりショックを受けました。
なぜショックを受けたのかというと、一番、最初にこういうことを言い出したのはアメリカ軍だからなのです。これが今日、一番、話たいことです。
今日は8月3日ですよね。あと3日経つと8月6日になります。この日は何の日か知っていますか?

子ども 終戦記念日

終戦は8月15日。8月6日は何があったでしょう。

子ども 広島原爆

そうだね。では長崎は何日ですか。

子ども 9日

そうだね。8月6日と9日に広島と長崎に原爆が落とされました。もともと放射線と人間の関係が調べられたのは、この広島と長崎です。
今、私たちが自分で放射能の問題を調べていると、みんな途中で分けがわからなくなってきます。人間が放射線をどれぐらい浴びると危険なのかということについて、ものすごく意見の違いがあるからです。
放射能はそんなに怖くないものだと言っている人がいて、放射能は少しでもとても危ないと言っている人もいて、科学者の間でも意見がバラバラです。
なんで意見がバラバラなのか。その歴史をずっと辿っていくと、一番、最初に放射線をこれぐらい浴びると体がこうなるということがどこで調べられたのかにというと、この原爆なのだということに行きつきます。

調べたのは誰かが問題なのです。答えはアメリカ軍です。落とした人たちが調べたのです。なんで調べたのか、一つはアメリカが開発した原爆の性能を知るためです。もう一つは調べることが目的ではなくて、原爆の人間への影響をできるだけ小さく見せたかったのです。
つまりアメリカが原爆であまりにもひどいことをしてしまったからです。これが話しの元として一番、大事なことなのですよ。8月6日はニュースなどで原爆のことをたくさんやると思うからぜひ見てください。
アメリカ軍は原爆を本当にひどい形で落としたのです。どうひどいのかというと、原爆が落とされる前に、アメリカの飛行機が毎日のように広島にやってきました。広島の上空からいろいろな時間に市内をくまなく写真を撮りました。
なんでそんなにいろいろな時間にたくさんの写真を撮ったのかというと、一体、何時何分に市内の人が一番、建物の外に出ているかを知りたかったのです。それが8時15分だったのです。
なぜか。昔の人は外で朝礼をやっていました。あるいは出勤中だった人もいました。そこに原爆を落としたら熱線と放射線でどれだけの人が死ぬのか。人間がどうなるのかということをアメリカ軍は知りたかったのです。ひどい話でしょう。

子ども サイテー。自分の国でやればいいのに。

そうだね。自分の国で・・・。うーん、それはちょっと。(大人から笑い)
あのね、アメリカは自分の国でもやったの。どうやったのかというと、さすがに人の上には落とさないよ。でもアメリカ軍は原爆を落としたところに向かって、アメリカの兵士に突入させたりしたの。アメリカ軍の兵士たちを使って人体実験をしたんだね。
あるいは原爆のつくるきのこ雲があるよね。あの雲の中にB29という飛行機を突入させたの。そのために使われた人たちをアメリカで、アトミックソルジャーといいます。アトミックは原子力のこと、ソルジャーは兵隊のことです。原子兵士だね。
その人たちも、その後に広島や長崎の人たちと同じように体が悪くなったのです。

今日、僕がこの話をするのは8月6日と9日が近いので、みなさんに原爆のことを知って欲しいからです。
スライドを見てもらいましょう。広島の原爆ドームの写真です。原爆はこの上空に落とされました、落下傘でゆっくり降りてきて、上空数百メートルで炸裂しました。今、このドームから見えるところに平和記念公園が作られていて、毎年8月6日にここで慰霊祭が行われます。
アメリカ軍はこの広島や長崎でABCC、原爆傷害調査委員会という調査機関を作りました。この組織が原爆の被害者をたくさん調査しました。
この調査は広島や長崎の人にすごく恨まれています。なぜかというと、被ばくした人をヒバクシャと言いますが、アメリカ軍はジープで乗り付けてきてヒバクシャを病院まで連れて行って、裸にして、調べて、極めつけは一切、治療をしませんでした。
なんで治療をしなかったのかというと、治療をすると、被害があった証拠が残ってしまうからです。アメリカ軍は、放射線の影響で体がどうなっているのかだけを知りたくて、治療をしなかったのです。
とくにヒバクシャの方が亡くなると、アメリカ軍が遺体を欲しがって、強引にひきとって解剖をしました。だからアメリカは本当は資料をたくさん持っているのです。ぜんぜん表に出しませんが。

アメリカ軍はなぜ原爆の非人道性を隠そうとしたのか。これもあまり知られていないのですが、実は原爆が落とされて、日本が降伏した直後に、イギリスのロンドンやアメリカのニューヨークの新聞記者さんたちが、広島に潜入ルポで入ってくれました。
それで「広島では人々は原爆病としかいいようのない未知の理由によって、未だに不可解かつ悲惨にも亡くなり続けている。」「原子爆弾はいまだに日に100人の割合で殺している」という記事が出ました。
アメリカやイギリスの中からも、「これはあまりにもひどいではないか」「戦争が終わっても人を殺し続けるのはあんまりだ」ということがどんどん新聞にでました。
これに対して、アメリカのマンハッタン計画という原爆を作った計画の副責任者のファーレル准将という人が東京で記者会見をして、「死すべき人は死んでしまい、9月上旬において原爆で苦しんでいる人は皆無だ」という発表をして、9月18日に原爆の報道を一切禁止してしまいました。
以来、1945年から1952年まで、原爆のことは一切報道してはならなくなってしまいました。「原爆のことはアメリカ軍の最高機密である。このことを勝手にしゃべる人間は逮捕する」。こういう理由で、広島・長崎のヒバクシャの人たちは、自分の体がどうなっているかを一切、語ってはいけないと言われたのです。

本当にひどい目にあっている。お医者さんたちも、治療をしてもいいけれども、そのことを他の人に話してはいけない。研究もしてはいけないと言われました。
だけど、お医者さんたちも、そんな放射線の被害などみたことがなかったので、どうやって治療をしたらよいのかわからない。そうすると免疫力をあげようと考えます。どうするかというと味噌を食べさせたりした。味噌は体に良かったのです。
それでお医者が集まって、「どうだった」「味噌を食べさせた」「それで」「体にいいみたい」と話しているとアメリカ軍がやってきて、逮捕するということになってしまいまいた。実際に逮捕されたお医者さんもいました。
それでお医者さんの方もヒバクシャの人たちを見るのが怖くなってしまいました。そんな風に被ばくの実態は隠されてきたのだけれど、実はおんなじことが今になっても続いているのですよ。

原爆の被害をもう少し見えていきます。原爆は広島ドームの上で破裂しました。大きな火の玉ができて、そこから熱線と放射線が出ました。原爆の直下では熱が何千度にもなったので、たくさんの人が一瞬に焼き殺されました。
そのあとにきのこ雲があがり、たくさんの放射能がその中に舞い上がっていきました。きのこ雲はその後に大きく広島の上空に広がっていき、その下にあるところのすべてに放射能を降らしました。本当に広範なところがきのこ雲がから落ちた放射性の汚染物によって汚染されてしまったのね。
ところがアメリカ軍は、この汚染によっては健康被害は生じなかったと言い張りました。そして原爆が落ちて爆発した真下のところから半径2キロ以内の人は、放射線をかぶって傷害が出たけれども、それ以外の人には放射線による傷害はでなかったと今日までいい続けています。
ではその根拠は何かというと、半径2キロ以外の人は調査もしなかったことですす。だから被害がデータにならなかったわけです。

ではなんでアメリカはこんなことを言い張ったのかと言うと、さっき、「だったら自分の国でやれよ」という話がありましたけれど、戦後に実際にどんどんやりだしたのです。
つまりアメリカの中でも核実験をやったし、そこに兵士たちを突入させたりしました。また兵士だけではなくて、きのこ雲が生じるから、周りに住んでいる人の家にまで影響が行ってしまいました。それでアメリカの住人がいっぱい被曝したのです。
アメリカはそれも隠したかった。だから「放射能の害は小さい」「放射能の害はそんなに怖がる必要はない」ということをすごく宣伝したのです。「放射能を怖がるのはかっこ悪い」というのは、アメリカ軍が最初に言ったことだというのはそういう意味です。

続く 


 

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明日に向けて(725)【拡散希望】長崎平和宣言に賛同を!

2013年08月10日 11時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130810 11:00)

繰り返しこの課題について触れていますが、昨日8月9日は、長崎に原爆が投下されてから68年目の日でした。
この日、田上富久長崎市長が、長崎平和宣言を発しましたが、素晴らしい内容でした。ぜひみなさんにご一読願いたいと思います。

また長崎市が、この平和宣言の賛同者数を調査していますので、長崎平和宣言に賛同される方は、下記からサイトに入って賛同の「クリック」ボタンをクリックしてください。
下段に英文サイトもしめしておきます。ぜひ英語圏のご友人にも一読をお勧めください。
http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/appeal/
http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/english/appeal/index.html

以下、宣言をご紹介します。IWJが撮影してくれた動画も張り付けておきます。

*****

平成25年長崎平和宣言

68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。熱線、爆風、放射線の威力は凄まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。人々が暮らしていたまちは一瞬で廃墟となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち7万4千人の方々が命を奪われました。生き残った被爆者は、68年たった今もなお、放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。
このむごい兵器をつくったのは人間です。広島と長崎で、二度までも使ったのも人間です。核実験を繰り返し地球を汚染し続けているのも人間です。人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折にふれ確かめなければなりません。

日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。
今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。
しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。
インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。
NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。
日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。
非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。

核兵器保有国には、NPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。これは世界に対する約束です。
2009年4月、アメリカのオバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。今年6月にはベルリンで、「核兵器が存在する限り、私たちは真に安全ではない」と述べ、さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。
しかし、世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのものです。オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。

核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけにまかせるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります。
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。
若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。
あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。考えてみてください。互いに話し合ってみてください。あなたたちこそが未来なのです。
地域の市民としてできることもあります。わが国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、平和を求める市民の決意を示すものです。宣言をした自治体でつくる日本非核宣言自治体協議会は今月、設立30周年を迎えました。皆さんが宣言を行動に移そうとするときは、協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします。
長崎では、今年11月、「第5回核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」を開催します。市民の力で、核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します。

東京電力福島第一原子力発電所の事故は、未だ収束せず、放射能の被害は拡大しています。多くの方々が平穏な日々を突然奪われたうえ、将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。長崎は、福島の一日も早い復興を願い、応援していきます。
先月、核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた山口仙二さんが亡くなられました。被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。
原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市と協力して核兵器のない世界の実現に努力し続けることをここに宣言します。

2013年(平成25年)8月9日
長崎市長 田上 富久

動画(by IWJ)
http://www.youtube.com/watch?v=kCWu1jkPhiY&feature=youtu.be

*****

この平和宣言、全体が格調高く書かれていて感動的ですが、僕はとくに田上市長が、今年4月、80か国が賛同した「核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明」への署名を日本政府が拒否したことへの正面からの批判を掲げたことに共感しました。
長崎市が求めている賛同署名は、核兵器の非人道性を認めない日本政府に対する抗議への参道の求めでもあると思います。そこでこの共同声明についてもご紹介しておきます。

核兵器の人道的影響に関する共同声明
http://npt2013.files.wordpress.com/2013/04/joint-statement_jp.pdf

核不拡散条約(NPT)をいかにとらえるのかについてもコメントしておきたいと思います。この条約は核兵器廃絶を目的に1963年に国連で採択され、62か国の調印のもと、1970年3月に発効したものですが、アメリカ、旧ソ連、イギリス、フランス、中国を核保有5大国として認め、それ以外への核の拡散を禁止したものです。
5大国にも核軍縮の義務が課せられていますが、核保有国にとってはこの条約を通じて、それ以外の国への核をめぐる軍事的優位性を確保してきた面もあり、差別性がある条約であることを指摘せざるを得ません。
またこの条約は、「核軍縮」、「核不拡散」、「原子力の平和利用」を三本の柱としており、国際原子力機関(IAEA)に大きな位置を与えることなどで、原発を推進していく位置性も持っています。批判すべき点も多い条約です。

しかしそれでも注目すべきことは、2010年5月現在で、世界の190か国がこの条約に参加していることです。拒否しているのは、核開発競争を行っているインド、パキスタンと、密かな核開発が指摘され続けているイスラエルのみです。
さらに参加した5大国をのぞく多くの国が、まがりなりにも核兵器廃絶を掲げたこの条約の枠組みを利用しながら、実際に世界を核の脅威から解き放つための可能性を広げようと努力を重ねてきており、それが繰り返されてきたのが「再検討会議」の場です。
なぜ「再検討」なのかと言えば、この条約は25年の時限付きで発効しました。そのため1995年に「再検討・延長会議」が行われ、無条件、無期限延長が決定されたのでした。そのもとで5年ごとに「再検討会議」が行われてきており、現在は2015年開催の会議の準備が行われています。

このもとで2012年5月2日に「核軍縮の人道的側面に関する16か国共同声明」が出されました。署名国はオーストリア、チリ、コスタリカ、デンマーク、バチカン、エジプト、インドネシア、アイルランド、マレーシア、メキシコ、ニュージーランド、ナイジェリア、ノルウェー、フィリピン、南アフリカ、スイスですが画期的な内容が盛り込まれました。
何が画期的なのかと言うと、「すべての国家は、核兵器を非合法化し、核兵器のない世界を実現するための努力を強めなければなりません」と、核兵器を非合法化せよとの一文を盛り込んだことです。当該箇所を以下にご紹介します。

*****

議長、人道上の深刻な懸念に加え、核兵器の使用は、重要な法的な問題をも提起します。核兵器は、その破壊的な能力のために、また、その制御不能な時間的、空間的な影響のために、独特のものです。国際人道法のすべての規則は、核兵器に対して完全に適用が可能です。
とりわけ、それらの規則には、目標区別、均衡性および予防措置、ならびに過度の障害または無用の苦痛の禁止、また、広範な、長期の、重大な環境への損害の禁止が含まれます。
最近、国際赤十字および赤新月社運動代表者会議は、あらゆる核兵器の使用に起因する計り知れない人間の苦痛を強調するだけでなく、いかなる核兵器の使用であっても、国際人道法の規則といかに両立しうるかを思い描くことは困難であることを強調する決議を採択しました。

議長、もっとも重要なことは、このような兵器が、いかなる状況の下においても二度と使用されないことです。これを保証する唯一の方法は、NPT第 6 条の完全な履行を通じたものを含め、効果的な国際管理の下での、全面的、不可逆かつ検証可能な核兵器の廃絶であります。
すべての国家は、核兵器を非合法化し、核兵器のない世界を実現するための努力を強めなければなりません。市民社会は、核兵器の著しい人道的結果および国際人道法の関与の必要性についての意識を高めるうえで、重要な役割を果たします。

全文は以下より

2015 年核不拡散条約再検討会議第一回準備委員会
核軍縮の人道的側面に関する共同声明
http://www.recna.nagasaki-u.ac.jp/datebase/document/no1/20120502-3/

*****

この宣言は同年10月22日には34か国とオブザーバー国であるバチカンに拡大しました。以下、署名国を記しておきます。
アルジェリア、アルゼンチン、オーストリア、バングラデシュ、ベラルーシ、ブラジル、チリ、コロンビア、コスタリカ、デンマーク、エクアドル、エジプト、アイスランド、インドネシア、アイルランド、カザフスタン、リヒテンシュタイン、マレーシア、マルタ、
マーシャル諸島、メキシコ、ニュージーランド、ナイジェリア、ノルウェー、ペルー、フィリピン、サモア、シェラレオネ、南アフリカ、スワジランド、タイ、ウルグアイ、ザンビア、そしてスイスの34か国ならびにオブザーバー国であるバチカン。

今回、4月に打ち出された80か国による共同声明は、こうした2012年に重ねらてきた合意に基づくものでありながら、被爆国日本をぜひとも参加させたいとの思いから、画期的であった「核兵器の非合法化を求める」という内容を削除したものでした。
内容的には一歩後退ですが、世界の多くの国々は、原爆を投下された日本こそが核兵器の非人道性を告発するこの共同声明に参加することが重要だと考え、アメリカにこびへつらう日本政府の立場を考慮して、「非合法化」を落としての日本の参加の道を開いてくれたのでした。
ただ一方的に内容を後退させたわけではありません。この声明は冒頭で、核兵器の非人道性への批判がNPTの存在理由そのものでありながら、長い間、黙殺されてきたことを告発し、核兵器の非人道性と対決していくことがNPTの課題であると高らかに宣言するものにもなっているのです。

ところがそうまでして、核兵器の非人道性を訴えようとする世界の流れを日本政府は完全に裏切ってしまったのです。何ということでしょうか。日本政府が述べた理由は日本の安全保障上の利害に反するからとのこと、とくに次の文言が合意できないのだそうです。
「核兵器が二度とふたたび、いかなる状況下においても、使用されないことに人類の生存がかかっています」・・・。日本政府は「いかなる状況下においても」という文言は、日本の安全保障上の利害に合致しないという。状況次第では核兵器の使用は善だという立場に私たちの国の政府は立ち、非人道性の告発の前に立ち塞がったのです。
こんなことでどうして原爆で犠牲になった被爆者を追悼することができるでしょうか。田上市長の宣言は、列席していた安倍首長に対する渾身の批判でした。

そればかりではありません。田上市長が正しくも指摘したように、日本政府の行っているインドへの原発輸出=核技術の提供は、NPTに世界で3国だけ背を向けている国の一つのインドに味方することであり、結果的にはインドとパキスタンの核開発競争に拍車をかけるものにほかなりません。
NPTが形骸化すれば、NPTからの脱退の寸前でとどまっている北朝鮮の核開発にも口実を与えてしまいます。しかもインドと対立しているパキスタンにミサイル技術を提供しているのも北朝鮮です。インドが核技術を向上させれば、当然にもミサイル技術提供者の北朝鮮のパキスタンにとっての位置は増すでしょう。アジアの核をめぐる緊張は高まるばかりです。
安倍首相は式典において、核廃絶の努力を口にしましたが、この方は本当に平気で嘘を繰り返す方です。どうしてそんな嘘が平気でつけるのでしょうか。あまりにもひどいです。

みなさま。ぜひ長崎平和宣言への賛同をお願いします。同時にできるだけたくさんの方に、この宣言のことをお伝えください。賛同をお願いしてください。
日本語、英語、中国語、韓国語、フランス語、ロシア語、スペイン語、アラビア語、ポルトガル語、オランダ語、以上、10の言語で出されているので、それぞれの言語を使われる地域の方へもお伝えください。
核兵器の非人道性の告発に背を向ける日本政府に市民的な圧力をかけていきましょう。よろしくお願いします。

 

 

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明日に向けて(723)ゲルニカから広島・長崎、そして福島へ・・・空襲と原爆投下を問う(下)

2013年08月08日 09時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

明日に向けて(723)ゲルニカから広島・長崎、そして福島へ・・・空襲と原爆投下を問う(下)

守田です。(20130808 09:00) 

昨日の続きを書きたいと思います。私たちが空襲の戦争犯罪を告発していくためには、もちろん、旧日本軍の行った様々な戦争犯罪を、日本人の側から正していかなくてはなりません。僕が関わっている性奴隷制問題もその一つであり、南京虐殺をはじめとしたアジア各地での蛮行もそうであり、捕虜の虐待などなど、枚挙のいとまがありません。さらに付け加えるべきは、日本軍の兵士たちに対する構造的虐待の捉え返しでしょう。
同時に空襲の問題でいえば、一番、初めに「戦略爆撃」という名の、連続的な都市空襲を行ったのが日本軍であることも、正しい歴史認識として踏まえておく必要があります。
そもそも空襲の始まりは、ドイツ軍とフランコ軍のユンカース急降下爆撃機などを使ったゲルニカ襲撃でした。スペイン内戦のさなかの1937年4月26日のこと。200トンの爆弾が使われ、市民を中心に1600人の死者が出ました。
このとき世界は、一般の人々を巻き込んだナチスドイツとフランコの仕打ちに激怒しました。画家のパブロ・ピカソがありったけの怒りを込めて、『ゲルニカ』と名付けられた抗議の絵を発表したことが有名です。

一方で人権感覚が希薄だった日本軍は、世界の激怒に耳を貸さず、空からの攻撃の「軍事的効果」に着目し、戦争戦略に大きく取り入れました。日本軍は1938年12月4日より1943年8月23日にかけて、中国蒋介石政府のあった重慶市に大型の爆撃機を使った断続的な空襲を敢行、なんと218回もの爆撃を行いました。この攻撃で殺害された人々の数は1万人におよんだとされています。
ドイツ軍とフランコのゲルニカ空襲に怒りの声をあげた各国は、しかし日本軍の「戦略爆撃」の「効果」に着目し始め、それぞれに爆撃機を開発して空襲の準備を始めていきます。そしてドイツ・イギリス間での空襲の応酬がはじまります。この空襲は主に互いの軍事工場を狙ったものでしたが、あるときからタガが外れて、都市空襲に転換していきました。
この「バトルオブブリテン」にアメリカ軍が参戦し、空襲の規模はますます拡大していきました。ゲルニカに怒った世界は、ゲルニカをはるかに上回る空襲を相互に繰り返すようになり、こうした空襲の「効果」を最大級に高めるものとして、アメリカ軍が原爆開発を急いだのでした。

しかし原爆が完成する前に、日本軍はアメリカを中心とした連合国軍の猛攻によって敗戦を重ね、急速に瓦解していきました。1944年、フィリピン海域で行われた「レイテ決戦」において、日本軍は主力の軍艦のほとんどをアメリカ軍によって沈められてしまいました。航空機とパイロットの被害も甚大でした。フィリピンの島々に投入された日本陸軍も、アメリカの猛攻によって壊滅的な打撃を受けました。
軍と軍との衝突としての戦争は、ほとんど1944年末には決着がついていました。しかしアメリカ軍は、硫黄島をはじめ、次々と日本が占領していた太平洋の島々を奪取し、爆撃機の発進できる大規模滑走路を有した航空基地を作り、何度かの空襲が組織されました。

この頃、まだアメリカ軍は、「空襲の犯罪性」への最後の歯止めを失ってはいませんでした。空襲の対象を軍事基地や軍事工場に限定していたのです。いわんや都市部を襲い、人々を無差別に殺戮することは戒められていました。
これを痛烈に批判して登場したのが、アメリカ戦略空軍の将軍、カーチス・ルメイでした。彼は「日本はファシズム国家であり、全員が戦闘員である。東京の町はすべて軍事工場だ」といいなし、東京大空襲の敢行を主張しました。戦術としても、従来の高高度からの爆撃に変えて、低高度からの爆撃を主張し、東京をターゲットに準備を重ねました。
かくしてカーチス・ルメイの主張を取り入れて前将軍を更迭したアメリカ戦略空軍は、最後の「歯止め」をはずしてしまい、都市への大規模空襲に踏み込みます。こうして行われたのが1945年3月10日の東京大空襲でした。
このときアメリカ軍は東京の地形や気候条件を調べ上げ、北からの空っ風の吹く条件を攻撃に利用しました。また木製の日本家屋を効率よく焼き尽くすために、石油会社に「焼夷弾」を開発させました。火薬ではなく油脂を詰め、町の延焼を狙ったものでした。

周到な準備のもとに行われた東京大空襲は、計画された大量殺人でした。まずアメリカ軍は、燃焼力の高いマグネシウムを含有した焼夷弾を意図的に落とし、消防車を終結させてから集中攻撃を行い、都市の防火体制を破壊しました。そののちにB29の大編隊が、高度1000メートルを切る超低空飛行で東京の空に侵入しました。
アメリカ軍は焼夷弾を東京の下町にいくつかのラインを引くように連続的に落としていきました。このため町の中に猛烈な火の壁があらわれ、この壁と壁に挟まれた地域に火炎地獄が立ち現われました。高温化したこの地域では、火は延焼というよりも、飛び跳ねるように次々と広がっていきました。
ちなみにその中を逃げ惑った少女の一人が、深川生まれの僕の母でした。母は「火が機関車のように転がっていった」という表現をしました。火炎が町の中をいくつも駆け抜けて、人々を飲み込んでいったのです。そんなものを見て、彼女が生き残ったこと自体が奇跡と思われる炎の地獄の発生でした。
この計画的な大量殺りくによって、東京は一晩に10万人の死者を出しました。一晩での被害では、人類史上最悪でした。

その後、アメリカは日本全土への空襲に踏み切ります。4月には沖縄上陸戦も開始しました。この過程で原爆製造が急がれたわけですが、注目すべきことはアメリカは原爆使用を間に合わせるために、意図的に日本を降伏させない戦略を取り続けたことです。日本をよく研究していたアメリカは、天皇制の護持が保障されない「無条件降伏」は、当時、軍事力をほとんど失って和平交渉を渇望していたにも関わらず、日本が飲みこまない条件であることを熟知していたのです。
こうしてアメリカは原爆開発を急ぎます。そのため原爆は2つのタイプが作られました。ウラン235を濃縮させて爆縮させるタイプと、燃えないウラン238に中性子を当ててプルトニウム239を製造し、それを爆縮させるタイプです。なぜ2つのタイプが選ばれたのかと言えば、当時はどちらが早くできるか分からなかったからでした。
アメリカは7月に3つの原爆を完成させました。ウランタイプが1つとプルトニウムタイプが2つでした。このうち爆縮技術がより難しかったプルトニウム型で7月に核実験を行い、爆発に成功させています。かくしてアメリカは2つのタイプの原爆を太平洋の島々の空軍基地に運び込みました。

原爆投下のターゲットとなった広島に、アメリカ軍は繰り返し偵察機を飛ばして、たくさんの写真を撮りました。何が知りたかったのか。1日のうちで一番人が外に出ている時間帯でした。こうして原爆投下時間に8時15分が選ばれました。当時の人々は外で朝礼を行っていました。また出勤途上の人々も多くいた。この時間帯、もっともたくさんの人々が家の外に出ていたのです。
その時間を狙ったのは、明らかなる人体実験でした。アメリカ軍は原爆の熱線と放射線が人々にどのような影響を与えるのかを知りたかったのです。かくして68年前の昨日の朝、原子爆弾が広島上空に投じられました・・・。


初めに述べたように、オリバー・ストーン氏は「原爆が必要だったのは幻想」と指摘しました。その通り。原爆が戦争を終結させるために必要だったというのは嘘です。日本軍は壊滅していてとても戦争を継続する力を持っていませんでした。いやそもそも1945年過程に行われた都市空襲も、沖縄上陸戦も必要などありませんでした。
にもかかわらず、アメリカ軍は猛攻撃を繰り返し、都市住民の虐殺を繰り返しました。この過程がまたアメリカ軍に大量虐殺への「戒め」を次々と破らせ、原爆投下までも可能にしていく道でした。アメリカは今なお、この大量虐殺をとらえ返していません。謝罪も反省もしていません。そのことが私たちの世界に、構造的暴力をはびこらせ続けています。
事実、アメリカは第二次世界大戦後、空襲戦略をどこまでも強化していきました。1950年から始まった朝鮮半島を戦場とした戦争において、アメリカは戦略爆撃を繰り返しました。さらにベトナム戦争において空襲はよりエスカレートし、沖縄から飛び立ったB52が、繰り返し北ベトナムの諸都市を襲いました。2000年代になってもアフガニスタンで、イラクで、アメリカ軍は空襲を繰り返してきました。
アメリカ軍の空襲戦略を飛躍的に「高めた」のは先にも述べたように、カーチス・ルメイという将軍でした。日本全土への空襲と、原爆投下の空軍の最高責任者でしたが、なんと私たちの国は、この虐殺の首謀者に1964年12月7日、朝勲一等旭日大綬章を送っています。航空自衛隊の育成に対する功績に対してだそうです。僕はこういうことを・・・あまり好きな言葉ではないですが・・・「国辱」というのだと思います。

歴史はいまだまったく正されていない。正義は踏みにじられたままであり、批判の声、嘆き、苦しみ、悲しみの声は、無視されたままです。こんなことが続いていいはずがない。絶対に正さなければいけない。
そのためにも私たちは、日本軍の戦争犯罪にも厳しい目を向けて、反省を深めていく必要があります。日本軍の犯罪も、アメリカ軍の犯罪も「戦争だったから仕方がない」とあいまいにしてきたこの国の歴史認識を大きく問い直す必要があります。

同時にここで強く主張しておきたいのは、アメリカ軍による広島・長崎への原爆投下の正当化が、いまなお私たちを直接に苦しめているのだということです。何によってか。放射線の人体への危険性への評価においてです。戦後、占領者であるアメリカは、広島・長崎の被爆者調査を独占しました。そして原爆投下国であるアメリカにとって都合の悪いこと一切合財を伏せてしまいました。その最たるものが原爆の放射能による人体への深刻な被害でした。
なんのためにアメリカはそれを行ったのか。一つには原爆投下という戦争犯罪への批判、訴追を免れるためでした。二つに、戦後、急速に拡大した核戦略への批判をかわすためでした。この戦略上の必要性から、アメリカは放射線の人体への影響を非常に小さく見積もる必要があったのです。
そしてそのことが、核実験によって全世界に生じた被害者、アメリカの核兵器製造工場の事故などの被害者、そしてスリーマイル島、チェルノブイリ、福島と続く原発災害の被害者を直接的に苦しめ続ける根拠となってきました。その意味で広島・長崎と、福島は直接につながっているのです。

この負のつながりの歴史を断ち切りたい。断ち切って、人類の「野蛮」の時代を終わらせ、新しい時代を切り開きたい。切に思います。またそのことをこそ、戦争と放射能で失われたすべての命に対して誓いたいと思います。
平和へとともに歩んでいきましょう。

終わり

 

 


 

 


 

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明日に向けて(722)「原爆が必要だったというのは幻想…ストーン監督」・・・空襲と原爆投下を問う(上)

2013年08月07日 11時30分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130807 11:30)

今日は広島に原爆が投下されてから68年目の日です。
今宵、僕は京都の三条大橋で追悼のキャンドルビジルに参加してきました。友人たちと、また呼び掛けに応えてくださった方たちと、キャンドルとメッセージボードを持って、静かに橋の上に立ちました。

FACEBOOKに写真を載せたので、よければご覧ください。
https://www.facebook.com/toshiya.morita.90/posts/10200946251876856

ちなみに、8月1日に僕は「今こそ広島・長崎原爆を問いなおそう!」という記事を配信しました。そして冒頭で以下のように述べました。

***

8月になりました。私たちは今月6日と9日に、広島・長崎に原爆が投下されてから68年目の日を迎えます。
原爆投下は一般市民を無差別に殺戮し、戦争が終わっても長きにわたって人々を苦し続けてきている許しがたい戦争犯罪です。アメリカはただの一度もこの戦争犯罪を謝罪したことはありません。そればかりかアメリカは朝鮮、ベトナム、アフガン、イラクと無差別殺戮である空襲を繰り返してきました。
にもかかわらず、戦前に「鬼畜米英を倒せ」と国民・住民を戦争に追い立てた日本政府は、戦後、ただの一度も無差別殺戮であった原爆投下にも、沖縄戦にも、都市空襲にも抗議したこともありません。「右翼」を自称する人々など、私たちの国を蹂躙したアメリカの核の力を賞賛し続けてきました。そのどこが「愛国」なのでしょう?
僕はそういうありかたこそ「自虐史観」に浸りきったものだと考え続けてきました。もちろん戦前の日本帝国主義のアジア侵略もまた許しがたき行為であり徹底した反省と賠償が今なお必要です。しかしアメリカの度重なる虐殺もまったくもって許されない行為です。いつか必ずアメリカに謝罪をさせなくてはいけない。それはアメリカの民衆のためでもあります。

明日に向けて(719)今こそ広島・長崎原爆を問いなおそう!・・・講演会とキャンドルビジルに参加します
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/443e742a1bfc100275de05e6d0a43505

***

これに対して・・・というわけではないですが、5日の読売新聞に素晴らしい記事が載りました。映画『プラトーン』の監督、オリバー・ストーン氏が「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だったというのは幻想だ。(米国人として)被爆者に謝罪したい」と、読売新聞のインタビューに応えて語ったというものです。
ブログ記事のタイトルにもこの読売新聞の見出しをそのまま使わせていただいたのですが、ストーン氏の言葉にとても胸を打たれました。記事を紹介しておきます。

***

原爆が必要だったというのは幻想…ストーン監督
 読売新聞2013年8月5日08時53分
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130804-OYT1T00618.htm

「プラトーン」「JFK」などで知られる米国の映画監督オリバー・ストーン氏(66)が4日、広島市内で読売新聞のインタビューに応じ、「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だったというのは幻想だ。(米国人として)被爆者に謝罪したい」と語った。
ストーン監督は昨年、第2次大戦前夜の1930年代からオバマ大統領登場までの米国の現代史について、独自の視点で描くテレビドキュメンタリーシリーズ「もうひとつのアメリカ史」を制作。その中で、原爆投下はソ連(当時)へのけん制が目的で軍事的に不要だったと主張している。今回は原爆忌に合わせ広島、長崎を初めて訪問、被爆者との対話などを予定している。
インタビューで、ストーン監督は、原爆を投下した米国は英雄であると教わってきたと説明したうえで、「80年代までそうした幻想に疑問を差しはさむことはなかったが、歴史をもっと深く見るようになった。私は歴史に対して建設的でありたい。日本の人々も、米国の神話を受け入れず、なぜ原爆が落とされたのかを学んでほしい」と話した。

***

ストーン氏は6日の広島における追悼式典にも参加されたそうですが、実は過去にもこうしたアメリカ人はいました。僕の師である宇沢弘文先生のさらに師であるシカゴ学派のフランク・ナイト先生などその典型です。彼は米国による広島・長崎への原爆投下に米国人としての責任を感じ、広島の被爆孤児を引き取って育てられたと宇沢先生に聞きました。
ちなみに「シカゴ学派」は、その後に市場原理主義の強固な推進者ミルトン・フルードマンが、後継者を自認したため、あたかも弱肉強食の経済学の拠点のような言い方がされていますが、実はナイト先生はフリードマンに怒りを抱き、破門を通告したのでした。広島・長崎の痛みに心を寄せたナイト先生は、市場原理主義にもきわめて批判的だったのでした。
アメリカの哲学者のジョン・ロールズも、原爆投下に胸を痛めた一人でした。第二次世界大戦に兵士として従軍し、対日占領にもかかわったロールズは、アメリカ軍のすさまじい空襲のもたらしたものに胸を痛めました。そして後年(1995年)にスミソニアン博物館が、原爆の展示を行おうとしながら社会的圧力によって中止に追い込まれたときに、「原子爆弾投下はなぜ不正なのか」との論文を発表したのでした。

ちなみにこのとき、もともと原爆投下や戦略空襲にかかわった立場にいながら、スミソニアン博物館での原爆展示などにかかわろうとした人々が、展示の中止に抗議して分厚い書物を発刊しました。ロールズもその一人。合計で62人が名を連ねましたが、そこに参加した3人の日本人の一人が肥田舜太郎先生でした。
この話は先生のお宅を訪問した時に初めてお聞きしました。実際に出された本を手にとって、そこにロールズの名があることを知りました。残念ながら邦訳されていない本です。岩波書店あたりが出してくれれば・・・と肥田先生はおっしゃっていましたが。


空襲はなぜ戦争犯罪なのか。ロールズは「そもそも倫理的に許される戦争とは何か」という問いから始めます。許される戦争とは、ヒットラーのナチスのようなファシズムの脅威から世界を守るための戦争のみである。その場合、正義の戦争をする側は、独裁者の支配する国の民をも守らなければならない。空襲は無差別殺戮であり、独裁下にある人々に危害を加えるので論外であり、戦争犯罪だというのです。
ロールズは次のように結論づけます。「ヒロシマへの原子爆弾も日本の各都市への焼夷弾攻撃も、すさまじい道徳的な悪行(great evil)であって、危機に基づく免責事由が当てはまらない場合、そうした悪を避けることが政治家たる者の義務として求められる。」

引用は以下の論文、「あるアメリカ人哲学者の原子爆弾投下批判」寺田俊郎著から
http://www.meijigakuin.ac.jp/~prime/pdf/prime31/01_terada.pdf

「許される戦争」の想定については、同意しかねる面がありますが、それでもロールズが「空襲は悪だ」と言わんとしたことに僕はこのとき、強く共感しました。ただしロールズのような論理を用いなくても、ただ非戦闘員を無差別に殺戮するものであるから、空襲は戦争犯罪だと言えばそれで僕は十分だと思っています。そうです。アメリカの行った1945年以降の日本全土への都市空襲や沖縄戦、原爆投下は、すべて戦争犯罪なのです。
なかでも原子爆弾の投下は、空襲一般の犯罪性を上回ります。なぜか。放射線を使うことで、後々にまで、世代をまたいでまで、無差別な殺戮や健康被害をもたらし続けるからです。このことを何としても歴史に刻まなくてはいけない。そうしないと、人類はいつまでたっても「野蛮」の時代を越えられません。

続く

 

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明日に向けて(721)福島3号機・・・再び「湯気」が出たり消えたり

2013年08月05日 20時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130805 20:00)

福島3号機については、その後、情報が出てこず、こちらも同時に深刻に進行している汚染水問題の分析を進めていましたが、昨日(4日)から本日(5日)にかけて、東電の報道関係宛の一斉メールによる3号機の「湯気」に関しての3回のリリースが行われましたので、その点を分析したいと思います。

まず8月4日に発信されたメールでは、「7月24日午前4時15分ごろ、再確認された湯気がその後も継続的に確認されていたものの、8月4日午前8時00分ごろ、湯気が確認されなくなった」という発表がなされました。
ところが5日になって、「8月5日午前7時30分ごろ、再度、3号機原子炉建屋5階中央部近傍(機器貯蔵プール側)より湯気を確認」との報告がなされ、さらに「8月5日午後0時05分ごろ、湯気が確認されなくなった」と説明されました。

以下は、東電による一斉メール一覧ページです。マスコミ各紙が報じる前の東電からの第一次情報が見れますので、ぜひ多くの方にウォッチして欲しいと思います。

「報道関係各位一斉メール 2013年」
http://www.tepco.co.jp/cc/press/index_ho-j.html

一斉メールの内容から分かることは、一つには「湯気」は7月24日から8月4日午前8時まで継続的に出ていたこと。7月18日から始まった何らかの異変が長く継続中だということです。
二つに8月4日午前8時にいったん止まり、翌日5日午前7時30分に再び湯気を確認したものの、同日午後0時5分に再び止まっていることが確認されたこと。これらから少なくとも状態が一気に悪化するような急激な変化が起こっているのではなさそうだということです。
三つに、かといって、湯気がこのまま完全に止まる保障はまったくなく、この何らかの異常状態がさらに継続する可能性があるということです。

さらに本日(5日)のFNNのテレビニュースでは、午前10時に行った東電の記者会見で、東電が注目すべきことを述べていたことが放映されました。
何かというと、「湯気」を東電が「気温20℃前後、湿度90%以上になると確認されやすくなるのではないかと分析」しているというのです。

福島第1原発3号機建屋で、再び湯気のようなものを確認(13/08/05)
http://www.youtube.com/watch?v=Oy96hL883Uw

となると中から気体が出てきていても、気温や湿度がこの条件にあってなければ「湯気」としては確認できないことになり、湯気が出ているか出ていないかを、格納容器内部のものが漏れているかいないかの判断に直結させることはできないことになります。
確かに考えてみればそれも十分にありうることですが、となると気体の出ている状態は、7月18日の「湯気」の発生以前からあったのかもしれません。しかしそれが常態化していたのかといえば、長らく「湯気」が観測されることはなかったのですから、やはりこのころから何らかの異変が起こっていると考えるのが蓋然性が高いと思われます。
その意味で、ここ2日間ぐらい確認されなくなったり、また確認されたりを繰り返しているけれども、これまで10日以上も湯気が出続けていたわけで、にわかに湯気が見えない状態が続いても、それだけではただちに状態が収まったと判断できない・・・とまとめられると思います。
なんとも厄介ですが、いずれにせよ3号機の不安定な状態が続いていることを踏まえた警戒が必要です。


こうしたことが恒常化してしまっている中で、私たちの側が取るべきことは、いざという場合に備えて避難の準備を整えておくことだということをこの間、繰り返し述べてきました。ぜひそれぞれの地域で、職場で、ご家庭で、対策を話し合って欲しいです。
しかし当時に、汚染水問題も含めて、この事態を東京電力という私企業に任せていることの限界がいよいよ、耐え難い状態であらわになってきたことも私たちは見ておくべきです。

この湯気の問題一つとってもみても、非常に重要なポイントは、東電自身が何が起こっているのかよく分かっていないこと・・・3号機のコントロールが明らかに手に余っていることです。プレスリリースや記者会見の端々にそれが見えています。
しかも東電は初めから誠実さをまったく欠いています。汚染水など2年間も毎日400トンも海に流しておきながら、しらをきっていたわけで、そんなことがあまりにもひどく続くため、東電の情報はまったく信用できません。
私たちが、あるいは多くの人々が3号機の状態に、言いようのない不安を感じる原因の一つは、こうした東電が繰り返してきたあまりに不誠実な態度、虚偽的な体質によるものでもあります。何せまったく信用できない。東電が「大丈夫だ」と言えば言うだけ、得体の知れない不安が募ると言ってもよいほどです。

こんな状態が続くことで、世の中の大多数の人々は疲れ切ってしまい、もはや緊張感が間延びして「危機慣れ」してしまっているのが現実ではないでしょうか。僕は「それではいけない。最大級の警戒と備えを」と繰り返し述べるものですが、しかし社会的な緊張感の維持のためにも、こんな自己保身的な嘘を繰り返す東電には、もう後ろに退いてもらわないとどうしようもない。
僕が恐れるのは、このような社会的な危機感の摩耗とも呼ぶべき事態、あるいは東電の虚偽報告の重なりのもとでの正常性バイアスの広がりこそが、日本を、いや世界を破滅から救うために日夜格闘している現場の緊張感や士気を下げ、止められるかもしれない危機が止められなくなってしまうことです。

今、問われているのは、事態への対応能力も、社会的ないし企業的倫理観も著しく欠如した東電に代わって政府が前面に立ち、国内の、いや世界の優秀な技術者を集めて、破局を防ぐための対処を行うことです。その場合、現場のやりとりを公開すれば、より広範な科学者の力を結集させられるし、市民・住民にも緊張感を伝えることができる。原子力災害への対処をみんなで高めていけます。
そのために私たちは、自らが避難の準備をし、各級の避難訓練を行いつつ、一方で政府による現場への責任の東電への丸投げ状態をやめ、政府がきちんと責任主体となることを進めさせていかなくてはいけません。
政府に現場の責任を取るように、あの手この手で声を上げていきましょう。これもまた私たち自身の手で、安全を手繰り寄せていく大事な道の一つです。

 

 


 

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明日に向けて(720)自民党の「圧勝」?てやんでぃ!(麻生ナチス発言から自民党を支配を見る)

2013年08月02日 15時30分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130802 15:30)

福島原発から目を離せない毎日ですが、今回は7月21日に投票が行われた参院選について論じたいと思います。言わんとすることは、私たちの国の選挙はあまりに歪んでおり、民意などまったく反映されていない、ほとんど違法選挙だということ、だからこんなことで落ち込む必要などまったくないということです。民衆の側が負けたなどと思う必要もまったくありません。また選挙に「勝てない」からといって変革の展望がないわけでも全然ない。そんな幻想に騙されてはだめです!その根拠をまとめておこうと思います。                              

まずは、選挙直後、「明日に向けて」(713)に出した僕の簡単な選挙総括を紹介しておきます。

***

参院選が終わりました。自民党の「圧勝」と報道されています。てやんでい!と僕は思います。この国の選挙制度は相当に歪んでいる。その上、事前からマスコミで自公圧勝の大合唱(東京新聞は別ですが)。そんなことで民衆の側の「負け」を感じる必要などありません。
それにこれで「ねじれ」の解消だとか言われていますが、国会ではともあれ、自公政府と民衆の間のねじれは何ら解消されていません。なんたって自民党が背を向ける脱原発と改憲反対が多数派なのですから。「ねじれ」はむしろより強烈になりました。

このことは比例区の得票を見るとはっきりと分かります。原発推進を掲げたのは自民党と幸福実現党のみ。その得票は幸福実現党の191,643票を加えて18,652,047票です。これに対して他の党はすべて脱原発の道を掲げましたが、得票の合計は28,156,561票です。割合にして35対65。議席数は18対30です。
にもかかわらず、選挙区は1人区が多く、大政党に圧倒的に有利なため、民主党が崩れて自民党が一人勝ち。そのことで議席総数としては自民党の「圧勝」になってしまいました。一票の重みが5倍近くも違っている地域があることを含めて、どう考えたってこんな選挙の仕組みはおかしいです。

この矛盾故に強まるばかりの「ねじれ」にはエネルギーがあります。だからそれを解き放つために努力すればよい。実際、このねじ曲がった選挙制度の中でも、山本太郎さんの勝利や、原発即時ゼロを鮮明にした共産党の比例区での伸びと東京、京都、大阪選挙区での勝利など、「ねじれ」のエネルギーが解放に向かった現実もありました。東京は脱原発派が議員数も多数派です!
若者の多い緑の党は、「組織票」で彩られたこの選挙の世界に、市民スタイルのままに登場して頑張っただけでも大きな意義があったのでないでしょうか。得票は457,862票。よく見てください。自民党とは40対1です。あの巨大資本と「組織力」をバックにつけた自民党に対し、自力では選挙区ではポスターも十分にはりきれないような力しかない党が40対1の奮闘です。
よく考えましょう。実際はそんなにものすごい差があるわけではないのです。資金力や社会的権力の差だったら40対1どころじゃないですよ!!4万対1でもおいつかないのでは?にもかかわらず票はこれだけ取れているのです。

その緑の党をも応援しながら一人で立った山本太郎さんは、頭に大きな円形脱毛症を作りながら頑張ってくれました。もちろんサポーターの奮闘があっての勝利です。素晴らしいですね。こうした奮闘にみんなで続きましょう。諦めず、へこたれず、前に向かって歩みましょう!なあに、人の心をつかんでいない政権なんてそのうち倒れます!いや倒しましょう!

***

みなさま。僕がこの分析を出したのは7月23日でしたが、安部政権が「人の心をつかんでいない政権」であることを自己暴露する事態がさっそく発生しました。麻生副総理のナチス発言です!この発言はきわめて重要です。

この発言が行われたのは29日に東京都内で行われたシンポジウムの席上のこと。麻生副総理はこう述べたのです。「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」・・・。

この発言は何重もの意味で重要です。何よりも批判しなければならないのは、麻生氏はユダヤ人数百万人をガス室で処刑したヒトラーのナチスを「手口に学ぶ」対象としてみているということ。ナチスの行った大量虐殺を批判する何らの観点も持ち合わせてないことです。

この発言は完全な言葉の暴力です。どういい逃れようとしたって、これではヒトラーのユダヤ人虐殺の肯定にしかならないことは明白です。それはナチスによって本当にひどい人間的苦しみを受けた人々、その遺族、縁者の心を深くえぐる行為です。いやナチスドイツや大日本帝国のようなファシズム国家を二度と登場させまいとして、民主主義の発展に尽力してきた人々すべてに対する冒涜です。

こんな人物が私たちの国の副総理であることが本当に恥ずかしい。橋下維新の会共同代表の「慰安婦は必要だった」発言があったばかりで、さらに世紀の大虐殺をした「ナチスの手口に学べ」などという発言すら政権党の副総理から飛び出してくる。世界中の人々が、「いったい日本とはどういう国なんだ」と驚きを抱いていることでしょう。それは大多数の、誠実で勤勉なこの国の人々が、世界の各地で地道に作り上げてきた信頼を、激しく損なう行為でもあります。

もちろんこれに対して、ユダヤ人団体をはじめ、世界の各地から一斉に猛烈な批判の声が上がっています。麻生氏は即刻、全面謝罪し、副総裁の辞任のみならず、政治家を辞めるべきです。安部政権も、麻生氏を処罰し、厳正な態度を取るべきです。何よりそれがわたしたちの地に落ちかけている世界への信頼をつなぎとめる道です。責任を持って、処罰を行うべきです。

しかし第二に、なぜ麻生副総理がナチスにあこがれるのか。その点をつかんでおくことも非常に重要です。端的に言えば、麻生副総理自身が、前回の衆議院選挙や今回の参議院選挙が、自民党の本当の勝利、多数の国民による自民党路線の承認とはとても言えないことを十分に気づいているがゆえにこの発言が飛び出してきたといういことです。

麻生氏は憲法9条をはじめ「改憲」の道に人びとの十分な合意などないことをそれなれりに把握しているのです。また正々堂々と、改憲について論じ合ったとき、自民党の主張がたちまち「民主主義に反している」という正論で破られてしまうことも肌身で感じている。明らかに民主主義に驚異を感じているのです。だから、選挙民に何が重大問題であるかを気づかせないままに、徹底した嘘と暴力の発動によって、「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった」ナチスの民主主義破壊の手口に強烈に魅力を感じ、ついその本音を出してしまったのです。

この点は非常に重要です。自民党の副総理自身が、自民党が民主主義的な多数派になれていないことを強く実感しているのです。だからこそ、「自民党が「圧勝」した。民衆が負けた」・・・などと考える必要などないのです。自民党の副総理自身がそうは思ってないのです。ナチスにあこがれ、憲法をめぐる論議を避け、選挙民をうまく騙し、「誰も知らないままに」憲法を変えてしまえる道を欲しているのです。

あれだけ議席をとっていながら、麻生氏は人々が真実に気づき、目覚め、立ち上がることを恐れている。とても正面から憲法を変え、自衛隊を国防軍に変え、戦前のような国に日本を持っていくことなどできないと実感しているのです。麻生氏は私たちの国の民主主義、民衆のラディカルな力を恐れている。

だからこそみなさん。もう打ちひしがれているのはやめましょう。この国を戦前のようなひどい国家に仕向けようとしている権力者が、私たちを恐れています。恐れられている私たちがなんで下を向いている必要があるでしょうか。ただ恐れられるとおりのことをすればいいではありませんか。憲法改悪反対!民主主義を守れ!という声を堂々とあげましょう。

今回の選挙が民意の反映とはとても言えない根拠は他にもたくさんあげられます。例えば、投票時間の繰り上げという「足きり行為」が多数の投票所で行われたことです。投票締め切り時間を規定の午後8時から1時間、2時間と切り上げてしまったところがなんと全国の3分の1にもおよびました。これもどう考えたっておかしい。

事前にインターネットなどで告知しているということですが、世の中にはネットを見ない人もたくさんいます。いや投票時間のことなど過半の人々がいちいちチェックなどしてないはず。組織票を投じる人々は、「組織」されるときに、きちんと知らされるのでしょうが、浮動票を投じる人々には情報がいきわたりにくい。結果的に浮動票が減ることにつながったはずです。
このように、マスコミの事前の「自公圧勝」キャンペーンに、投票時間の繰上げなどが加わり、選挙の投票率は大きく下がりました。それが自民党に一方的に有利に働きました。しかしだからこまた、権力者にとっては、議席をとってもとっても不安がぬぐえないのです。

みなさん。私たちはここいらで大きく覚醒しましょう。自分たちの力に目覚めましょう。たとえ私たちの意を体現する議席の数が少なくとも、私たちの声が大きければ十分それを国の政策の中に通していくことができます。
例えば選挙後、電力会社が次々と原発の再稼動を申請しましたが、新潟県知事が原子力規制庁のあり方に激怒し、東京電力の柏崎・刈場原発は再稼動が非常に困難な状態にあります。
その原子力規制庁は、関西電力のずさんなあり方への批判を強め、早期の実現が狙われていた高浜原発の再稼動が困難になっています。原発再稼動を鮮明にした自民党が圧勝したにも関わらずです。なぜか。原発再稼動反対の民衆的な声が圧倒的だからです。ほとんど不正の選挙で多数派となった自民党にはあまりに自信がないのです。歪んだからくりで議席はとれても、人の心をつかめない。誰にだってそんなことは分かるからです。

だから今、私たちに必要なことは、ありったけの力で、原発再稼動や輸出、憲法9条改悪反対の叫びをあげることです。地域、職場など、できる限りのところで決議をあげましょう。積極的に街頭に飛び出して、デモンストレーションをしましょう。私たちの力が私たちが思っているよりも、何倍も、何十倍も強いことを知りましょう。知って、その力を行使しましょう。
この夏から秋、安部政権の政策との対決に立ち上がりましょう。

*****

同様の観点から書いた、昨年末の衆院選の記事も紹介しておきます。
明日に向けて(599)自民党は民意など得ていない!憲法を、人権を守ろう!
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/6ff95b41bbf58fecd671bbdd7cb2869c                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        

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明日に向けて(719)今こそ広島・長崎原爆を問いなおそう!・・・講演会とキャンドルビジルに参加します。

2013年08月01日 07時57分51秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130801 08:00)

8月になりました。私たちは今月6日と9日に、広島・長崎に原爆が投下されてから68年目の日を迎えます。
原爆投下は一般市民を無差別に殺戮し、戦争が終わっても長きにわたって人々を苦し続けてきている許しがたい戦争犯罪です。アメリカはただの一度もこの戦争犯罪を謝罪したことはありません。そればかりかアメリカは朝鮮、ベトナム、アフガン、イラクと無差別殺戮である空襲を繰り返してきました。
にもかかわらず、戦前に「鬼畜米英を倒せ」と国民・住民を戦争に追い立てた日本政府は、戦後、ただの一度も無差別殺戮であった原爆投下にも、沖縄戦にも、都市空襲にも抗議したこともありません。「右翼」を自称する人々など、私たちの国を蹂躙したアメリカの核の力を賞賛し続けてきました。そのどこが「愛国」なのでしょう?
僕はそういうありかたこそ「自虐史観」に浸りきったものだと考え続けてきました。もちろん戦前の日本帝国主義のアジア侵略もまた許しがたき行為であり徹底した反省と賠償が今なお必要です。しかしアメリカの度重なる虐殺もまったくもって許されない行為です。いつか必ずアメリカに謝罪をさせなくてはいけない。それはアメリカの民衆のためでもあります。

にもかかわらず、私たちの国はアメリカに対し、本当に自虐的で、情けなくなるような媚びへつらいを続けてきました。今も沖縄の多くの土地を米軍に占領されたままで、差別的な地位協定も残されたままです。
その中でも最も深刻なものが、原爆の被害の実装を、日本政府が、核戦略を維持するアメリカ政府のいいなりになって隠そうとし続けてきたことでした。日本政府はアメリカの強い意図のもとに、原爆によって汚染された大地からの内部被曝による被害隠しに長年にわたって手を貸してきたのです。
とくにアメリカと日本政府の行いの中でも悪辣だったのは、放射線の影響を大変、過小に評価し、次々と現れてくる健康被害のほとんどを認めないことでした。そのことで誰よりもヒバクシャの方たちが塗炭の苦しみを経なければなりませんでした。ヒバクシャは長い間、何らの援助も受けられない状態が続き、今なお、十全な扱いを受けていません。
そればかりか、政府の歪んだ施策のもとで、ヒバクシャ差別が横行し、多くのヒバクシャが自らの被害を隠して生きざるを得ないような状態も生まれました。

このことは世界のヒバクシャにも影響していきました。原爆投下に先立って、ウラン鉱山で働かされたネイティブ・アメリカン(インディアン)の人たち、原爆実験に動員されたアメリカの「アトミック・ソルジャー」たち。ビキニをはじめ核実験場にされた太平洋の島々の人びと。旧ソ連、中国、イギリス、フランスの核実験場にされた地域の人びと。
劣化ウラン弾の被害にさらされた人びと。核保有国でしばしばおこった核兵器製造工場の事故で被害にあった人びと。そしてスリーマイル島、チェルノブイリ、フクシマをはじめとした原発災害で被曝した人びと。その全てが、広島・長崎での被害が非常に小さく見積もられたことの影響を受け、被害を認定されず、悶絶の苦しみを味わわなければなりませんでした。
それだけではありません。度重なる核実験は、地球上に膨大な放射能を降らしてしまいました。日本のどこでも、いや世界のどこでも、精度の高い機器で測れば必ず核実験由来の放射能が観測されます。それが私たちの身体を長年にわたって蝕んできたのです。
例えばみなさんの周りにはガンで苦しんでいる方、亡くなった方はおられないでしょうか。ほとんど、自分の周りを含めてガンに無関係な方はいないでしょう。そのガンの原因の幾ばくかが核実験由来であることは間違いありません。その意味で私たちは誰もがすでにヒバクしてきているのです。

アメリカと日本の政府は、こんなにも人々に苦しみを強制してきた核戦略を維持するために、広島・長崎の内部被曝を隠したのでした。今、言われている放射線の許容値も、広島・長崎での被害を隠した上で作らたものにほかなりません。しかも私たちの国ではそのでたらめな基準すらが守られていない。放射線管理区域に今なお人が住んでいるのです!
こんな状況が許されて良いはずがない。こんなにもひどく、酷く、残酷な仕打ちが続けられて良いはずがありません。私たちはこの負の歴史の連鎖を断ち切らなくてはいけない!そのためにまさに今こそ、広島・長崎に立ち返らなくてはいけません。広島・長崎からこそ、ヒバク被害を見つめ直し、捉え直し、真の放射線防護を進めなくてはなりません。
そのために今、放射能で失われたすべての命を再度、思い、弔い、哀悼の意を捧げることから新たな歩みをはじめようではありませんか。福島3号機が不安定化し、いつまた原子力災害に襲いかかられるかも分からない、この状況の中にあってこそ、すべてのヒバクシャの苦しみ、嘆き、痛みを我がものとしようではありませんか。
8月6日、9日、みなさんが、それぞれの地域で、厳粛な思いでこの日を迎えられ、一緒になって手を合わせられることを訴えます。

そもそも原子力発電は、原爆の製造のために作られた装置です。しかも原爆製造のためにはウランの濃縮という技術が必要であり、そのための工場の運用が膨大なコストがかかるために、軍事部門だけではまかないきれないがために商業用に転嫁されて作られたきたものにほかなりません。
しかも1950年代、世界中で高まった核実験反対、核武装反対の声に対抗するための、「原子力の平和利用」の切り札として原発開発が急がれたのであり、アメリカはそれを世界に浸透させる最大の突破口として日本をターゲットにしたのでした。なぜか。ヒバク国日本が原発を始めることが、「平和キャンペーン」の格好の材料になったからです。
このとき日本の中で、原発推進の旗振り役になったのが、戦前に各地に慰安所を設立した中曽根康弘元首相でした。これと組んだのが読売新聞でした。ああ、もうこんな歴史のつながりを本当に断たなくてはいけない。こんな理不尽な連鎖を許してはおけません。
みなさん。この夏、本当にもう一度、原爆とはなんであったのかを問い直しましょう。そしてそこから原発再稼働や輸出、そして憲法9条改悪へと進みつつある安倍政権との対決に立ち上がりましょう。すべてのヒバクシャの思いを背負って、ともに歩まれることを訴えます。

以下、僕が参加する2つの企画をご紹介します。

*******

8月3日京都市

京都「被爆2世・3世の会」学習企画
原発・内部被曝問題を考える
~ 守田敏也さんを囲んで ~

■日時  2013年8月3日(土)13:30~16:00(予定)
■会場   ラボール京都(京都労働者総合会館)6階北会議室
(中京区四条御前)
■お話し 守田敏也さん
フリーライター
市民と科学者の内部被曝問題研究会理事

いよいよ梅雨本番の時期を迎えましたがいかがお過ごしでしょうか。
 
福島の被災地と福島の人々は今、どうなっているのか?
どうしなければならないのか?
福島の人々のためにも、私たち被爆2世・3世は何をしなければならないのか、何ができるのか?
核被害を根絶する社会実現に向け、私たちは何をどうとりくんでいくか?
内部被曝問題について今、多くの発信をし、多方面で活躍されているフリーライター・守田敏也さんを迎えてお話しをいただき、学習し、一緒に考えていきましょう。
守田さんは原発による内部被曝問題だけでなく、広島市にある放射線影響研究所の訪問や被爆者の実態調査なども行われ、広島・長崎の原爆による内部被曝の影響についても見識を深めておられます。
幅広い視野からのお話をしていただけるものと期待しています。
学習会終了後、懇親会も予定したいと思います。ご都合の良い方、ぜひご参加下さい。

会員以外の参加も可能です!

*****

8月6日京都市

放射能で失われたすべての命のために
8月6日(火) キャンドルビジル
 
みなさま。8月6日は広島原爆投下の日です。
 
私たちはこの日の夕刻に、三条大橋の上に集って、すべてのヒバクシャを追悼するキャンドルビジルを行います。同時に安倍政権の進める原発再稼働や輸出、憲法9条改悪の道にNOの声をあげたいと思います。どうかご参加ください。
 
参院選挙が終わりました。自民党の「圧勝」だそうです。本当にそうでしょうか。
そんなことはないと私たちは思います。この国の選挙制度は歪んでいる。その上、事前からマスコミで自公圧勝の大合唱。そんなことで私たちが「負け」を感じる必要などありません。
これで「ねじれ」の解消だとか言われていますが、国会ではともあれ、自公政府と民衆の間のねじれは何ら解消されていません。自民党が背を向ける脱原発と改憲反対が多数派なのです。「ねじれ」はむしろより強烈になりました。
にもかかわらず、安倍政権は、多くの人々が反対してる原発再稼働と、憲法9条改悪の道を進もうとしています。このことにNOの声を上げましょう。
 
戦前、日本は軍国主義の道を走り、無謀な侵略戦争に人々が駆り出されました。その最後に、アメリカが原爆を広島と長崎に投下しました。この後、私たちの国には戦争の道を戒める憲法9条が生まれました。
 
しかしアメリカべったりの歴代の自民党政府は、アメリカの非人道的な原爆投下に抗議をせず、核軍拡戦略を支持し、沖縄をはじめ日本中で米軍に基地を貸し続けました。
また原爆製造の副産物である原子力発電をアメリカの示唆のもとに導入し、国中を危険にさらしました。福島原発もアメリカで欠陥が指摘されていたGE社のマーク1型原発を使い、2011年3月11日の大地震で崩壊し、大変な量の放射能汚染を生み出してしまいました。
 
被爆国日本で、原発事故が止められなかったのは痛恨です。しかし私たちはこれを期に覚醒しました。国会には一時期20万人もの人が再稼働反対の声をあげて押し寄せ、毎週金曜日には日本中で150箇所にも及ぶ電力会社包囲デモが行われています。
もちろんこれらの人々は核兵器と戦争にも反対しています。ここにこそ本当の民衆の意志があります。
 
8月6日、今一度、広島・長崎の苦しみに思いを馳せましょう。それだけでなく、ウラン鉱の採掘や、劣化ウラン弾、原発事故の影響などで苦しんできたすべてのヒバクシャの痛みに思いを馳せましょう。
そして原発いやだ!憲法9条を守ろうの声を一緒にあげましょう!ビジルにご参加ください!
 
*****
 
キャンドルビジル
【日時】 2013年8月6日(火)19:00~20:00
【場所】 京都・三条大橋周辺
【主催】 ピースウォーク京都 http://pwkyoto.com
【問合】 090-3704-3640
 
ビジル【vigil】とは
 ・・・「寝ずの番」「夜伽(よとぎ)」「お通夜」などの意。
キャンドルを灯し、亡くなった方たちに思いをはせる集い。
 街に立って、意志表示することにも使います。
 
☆ヒバクシャ追悼、原発再稼働や憲法9条改悪反対など思い思いのメッセージボードとキャンドルをお持ちください。
☆もちろんこちらでも用意します。準備できない方は手ぶらでもどうぞ!
☆雨天の場合は中止です!
 

コメント (1)
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明日に向けて(718)福島3号機は未だ不安定。この現実にいかに向き合うのか・・・。

2013年07月31日 17時30分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130731 17:30)

29日に深夜に京都に戻りました。この一週間ぐらい、福島3号機の状態に危機感を覚え、状況の分析と配信に力を入れてきましたが、それを通じて見えてきたことをまとめたいと思います。
まず3号機の現状ですが、その後の情報がほとんど出てきていません。僕が唯一見つけたのは福島民報の7月30日付の記事です。短いので全文を引用します。

*****

3号機建屋で湯気 第一原発放射線量変化なし
福島民報 2013年7月30日 09:50
http://www.minpo.jp/news/detail/201307309960

東京電力は29日、福島第一原発3号機の原子炉建屋5階部分で出ていた湯気のようなものが確認されたと発表した。23日以降、断続的に出続けているとみられ、詳しい原因を調べている。
午前7時ごろと午後4時ごろに確認された。東電は原因について、5階床の隙間から入り込んだ雨水が原子炉格納容器のふたで温められたことや、水素爆発を防ぐために格納容器内に封入している窒素ガスが漏れ出し外気との温度差で湯気となった可能性があるとみている。
周辺のモニタリングポストで計測される放射線量に目立った変化はないという。

*****

ちなみにこの福島民報の記事の出所を僕はつかめませんでした。東電による発表をくまなく点検してもこの29日の発表が見あたりません。そのため福島民報の記事を信頼して先に話を進めることをお断りしておきます。
ご覧のように29日も再び湯気が確認されたそうです。さらに「23日に以降、断続的に出続けているとみられ、詳しい原因を調べている」とあります。湯気が相変わらず続いていることと、東電自身が未だ原因をはっきりとつかめていないことがここから分かります。
それ以上は、推論はできても確からしいことは分かりません。あまりに情報がない。ましてや避難すべきか否か、何ら判断根拠になるものはありません。もちろん安全だと断定することもできません。

僕自身、7月25日から29日まで関東にいたわけですが、つくづくこの福島原発の現状に向かい合いながら、原発に近い関東・東北の町で暮らしていくことのしんどさを感じざるを得ませんした。
そこにお住まいの方に、こう書くのは申し訳ないのですが、しかしこんなこと・・・「原発が極めて危険なのでは、すぐにも崩壊するのでは」という状態がもう2年数ヶ月も続いているのです。こんなときに大きな地震が来たら、まずはお住まいのみなさんの胸が潰れてしまうのではないか。
いや実際に、これまでも何度も、揺れの強い地震があるたびに、「原発は大丈夫か!?」と、心臓がドキドキした経験を持つ方がたくさんおられるはずです。
こうした恐怖の連続に対して、人は一般的に、危機感を麻痺させ、危険を感じなくなることによって己を守ろうとする傾向を持っています。それが正常性バイアスですが、ある意味ではそれは生活の知恵であるとも言えます。しかしその重なりが、危機の察知能力を低下させ、危機そのものを深めてしまいます。

しかも同時に今回、考えざるを得なかったことは、福島原発の現状は、時間が経つに連れて安全度が増しているとはとても言えず、むしろ危機が少しずつ堆積していると言えるのではないかというとです。
何よりもあらためて実感したのは、放射能を閉じ込めることを任務とする格納容器が壊れてしまっていることの恐ろしさです。しかも壊れている度合いもはっきり分からない。だから湯気が出てきても、にわかになんであるか判断もできない。
そもそも福島原発は老朽化した原発でした。その炉がそれぞれ水素爆発や、核爆発をも含むと思われる爆発にさらされました。その後、非常に強い余震が何度もプラントを襲いました。
しかも内部のどこかに溶け落ちた燃料から、今も非常に高い放射線が出ています。放射線は生命体だけでなく、あらゆる構造物をも分子切断し、弱くしていくのであり、それがいかに構造物を弱めたかなど、計量などとてもできない形で格納容器や周辺の構造物に当たり続けています。燃料の発する熱も壊れた格納容器にとってのマイナス因子です。

こんな格納容器が、この先、どれほど持つのでしょうか。はっきりしていることは誰にも分からないという現実ではないでしょうか。明日、崩壊してしまうのかもしれない。少なくとも「そんなことはない。安全だ」というだけの科学的保障が全くないのです。放射能を閉じ込める最後の砦の「格納容器」が壊れているのはそれほどに深刻なのです。
ある原発に近い地域の方から、自分の周りで「3号機が崩壊する可能性は小さいらしいよ」という声が聞こえていると伝えてくださいました。しかし問題は崩壊の可能性があることそのものにあります。小さいか、大きいかではない。いや小さくとも危険性があることそのものが大問題なのです。しかも危険性の大小の問題も、判断する根拠がありません。
それが「福島原発の今」だと言わざるを得ません。だからこそ、ぜひともいざというときに備えて、避難の準備を怠らないで欲しいというのが、今、言えることですが、これを個人の努力だけで続けていくことも非常に苦しいものがあります。
例えば、今回、都心を走る電車の中で、マスクを着用しているのはほとんど僕だけでした。暑い最中です。マスクをし続けるのはしんどい。こうした中で一人、格闘することはなかなかに辛いことだと思います。

ではどうしたらいいのか。やはり可能であれば、原発の近くからできるだけ遠くに移住することをお勧めしたいと思います。現在の線量の問題だけでなく、今後の事故の拡大の可能性を考えてのことです。何せ格納容器の内部のものが漏れ出ているのです。
それが把握のできないうちに広がり、吸引してしまう可能性は十分にあります。いや格納容器からの漏れがなくとも、すでにそうしたことはたびたび起こっています。なぜなら各地で除染したあとに線量がもとに戻ってしまっているからです。
このことでしばしば「除染の無意味さ」が指摘されています。確かに「無意味」ですが、しかしそれ以上に、線量が再び上がるということは、放射性物質が対流していることの証左です。そこにいれば吸引してしまう。吸引による内部被曝が起こっているのです。
それに加えて、格納容器の密閉性が失われている。当然にもそこからの漏れ出しが続いており、いつ急激に拡大しないとも限りません。もちろん破滅的な事態の進行の可能性もあり続ける。そうした状況下で暮らしていることが極めてリスキーであることを説かざるを得ません。

しかしそうは言っても多くの方が、移転するのには大変な困難があること、これまで営々と築いてきた人間関係が失われるなど、手放してしまうことがあまりに多いこともよく分かります。移転後の生活の保障も大問題です。
ではどうするか。避難の代わりに、地域で、友人間で、あるいは可能であれば行政を巻き込んで、できるだけ多くの人と一緒に避難訓練を行うように努力してください。まずは図上訓練でいい。それを進めて欲しいのです。なぜか。直接には避難訓練を絶対に行わなければいけない危機が目の前に有り続けているからです。
そして第二に、避難訓練を行うことで、放射能との向き合い方が、個人の努力に依拠するものから、集団で行うものへと少しずつ移行することが可能になるからです。その方が個人の放射線防護のモチベーションも強め、高いレベルで維持することができます。
この点については、原子力規制庁ですら、国民・住民に、避難の準備を行うことを求めているのです。僕はその内容の不十分さを批判するものですが、しかしどんなものであれ、原発災害を想定した訓練を行うことには積極的な位置があります。原発事故と放射線被害を意識することになるからです。

またこのようにリアリティをもって取り組むと、原発の近くに子どもたちがいることの危険性が鮮明に見えてきます。近ければ近いだけ、どう想定しても全体をすんなり逃がすことなどできないことが見えてくるはずです。そこから町全体が移転できなくても、可能な転出を進める必要性も多くの人に見えてくると思います。
具体的には学校の疎開です。小学校、中学校など、放射線に弱い子どもたちを組織的に先んじて逃がしておく。もちろんこれは今ある放射能からの防護としてもとても有効です。
こうした意識をみんなで育むためにも、原発災害をリアルに想定した避難訓練を地域で進めることが重要です。ぜひ全国で、とくに金曜行動などを担っているみなさんが、避難訓練を始めることの重要性に刮目して欲しいと思います。
僕を呼んでいただければ、もちろんどこにでも趣いて、「原発災害についての心得」などをお話しし、まずは第一歩である図上での原発災害避難訓練を手ほどきさせていただきます。是非ともこうした活動を広めて欲しいです。

私たちの前には、今なお、もの凄く大きな危機があり続けています。しかし打つ手はあります。次善の策もあります。大事なことは、危機を忘れることによって、仮想の「安全」の中に逃げ込むのではなく、できるだけ多くの人と一緒に、「原発の今」としっかりと向かい合い、災害対策を進めることです。
私たち自身の手で、安全をたぐり寄せていきましょう!

*****

これまでも紹介してきていますが、原発災害対策の講演内容を7分ほどにまとめたビデオをご紹介しておきます。

原発災害に備えよう
守田敏也
http://www.youtube.com/watch?v=2RxGAXsgWlQ

なお最近、ツイッターでも情報発信しています。@toshikyotoをご覧下さい。

 


 

 


 

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