goo blog サービス終了のお知らせ 

明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(515)原発事故の影響を受けたがれき等の広域処理に関する提言(ACSIR)

2012年07月25日 12時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120725 12:30)

僕も常任理事の一人として所属する「市民と科学者の内部被曝問題研究会
(ACSIR)」より、「原発事故の影響を受けたがれき等の広域処理に関する
提言」が7月20日付けで発表されました。自画自賛ですが、非常によく書けて
いるのではないかと思います。ぜひみなさんに読んでいただきたいと思い、HP
に掲載されている文章を全文転載をします。

ちなみに少しだけ楽屋裏の話をすると、この提言は、私たちの会の理事会での
討議を経て発信されていますが、細部にわかりかなりの激論を経てきています。
私たちの会には、物理学者・化学者・生物学者など、さまざまなジャンルの方た
ちが参加されていますが、それぞれによって視角が異なり、ときには見解が分か
れたりします。また同じジャンルの方の間でも見解が分かれることがあります。

それらの激しいやりとりを見ていると、それ自身がもの凄い勉強になるので、
提言が練り上げられる過程そのものをおみせできないのが大変残念ですが、同時
に非常に強く実感するのは、放射性物質の挙動について、したがってまたその危
険性の実相について、これまで当然にも社会的に解明されてくるべき多くのこと
どもが放置されてきている現実です。

だからこそ、どうしても推論に頼って考察せざるをえないものも多い。これに対
してどういう立場をとるのか、つまりどれだけ推論の介在を許し、あるいはデー
タ的な実証を必要とするのかということ自身が、科学の中でよって立つジャンル
によって微妙な違いがあったりして、一歩外側にいるものからすると、失礼です
が面白い。というか、こうした学際的な論議の必要性、重要性を痛感します。

放射線はまずは物理的に解き明かされるものですが、それの体への作用は、物理
的に解き明かされる側面と、生物学的な側面に分かれてきます。生物学ジャンル
でも分子生物学的な知見から、医学的な知見までさまざまな知がある部分を重ね
つつ、住み分かれて存在していますが、それらがトータルに重なってみえてくる
のが放射線の実相です。

にもかかわらずあまりにも多くのことが検討されずに、実証もされずに来ている。
なぜでしょうか。このことを詳細に検討すれば原発や原爆の危険性、違法性、
非人道性が明らかになってしまうからです。だからこの構造そのものが、内部被
曝隠しの構造なのです。そのために多くの学問にすでに確立している「前提」の
再措定をしなくてはいけない。あるいはICRP(国際放射線防護委員会)に
よって作られてきたいつわりの前提の、解体・再創造をしなくてはいけない。

だから今は意見が分かれることが多くある。反対に言えば多くの面で新たに見解
を練り上げていかなくてはならないのです。これを国家権力やその関係機関、
またこれに追従ばかりを繰り返している既存の科学機関ではなく、市民サイド
のイニシアチブで行っていくこと、市民サイドにたった科学者の知見を重ね合わ
せ、より合わせて、あらたな知見を作り出していくことが本当に今、問われてい
ます。今回の私たちの会の提言も、目指すべきものとの関係では本当にささやか
ですがしかしそのための確かな一歩だと思います。


さらに震災遺物(がれき)の問題などでは、社会的な問題がたくさん入ってきま
す。その意味では自然科学的領域だけでなく、社会科学的な分野が非常に重要で
すし、あるいは震災遺物をどう捉えるのか、それへの被災者の思いをどう感じて
いくのかなど、文学や芸術が問題にするような領域も大きく含まれてきます。

失礼なことを言わせていただければ、こうした領域については、ともすれば純粋
自然科学の中に折られる方には届かない視角も多い。しかもその中には、問題の
現実的な処理においては欠くことのできない知見も多くあるように思えます。だ
からこそ、この作業にはあらゆる立場の方が必要です。まさに市民と科学者が
寄り集まって、科学を国家や官僚の手から私たちの手に取り戻す必要があるの
です。

その意味で、よりたくさんの方とさらに知見を練り上げたいという思いを書き置
いて、みなさんに、以下の提言をお送りしたいと思います。
どうかじっくりとお読みください!

*****************

原発事故の影響を受けたがれき等の広域処理に関する提言
2012年7月20日

市民と科学者の内部被曝問題研究会
理事長 沢田 昭二


目次

はじめに

1.人工放射性物質には特別な危険が
2.公害の原則
3.放射能汚染がれき処理の原則
(1)放射能に汚染された物は「拡散してはならない、燃やしてはならない」
(2)アスベスト等との一括処理はできない(これは複合汚染です)
(3)(バグフィルターの性能を考えれば)放射性セシウム除去能率は低い
(4)(実際上の問題としての)運搬、汚染管理、法律で定められた管理責任免許者
(5)(望ましいがれき処理として) 住民自治に基づく再建計画を
(6)(子孫や地球に恥じない支援)汚染のない地域を保全することが基本
4.市民のいのちと環境を守る誠実な政治を望みます
(1)(棄民政策の数々で)日本はとても野蛮な国になりました
(2)一人一人が大切にされる国とするために

------------------------------------------------------------------------

はじめに

福島第一原発事故後、放射能汚染が全国的に広がっています。住民の不安が高ま
っているのも当然のことです。そもそも、現行法体系において、「放射性物質及
びこれによって汚染された物」は、「一般廃棄物」でも「産業廃棄物」でもなく、
「放射性廃棄物」として取り扱うべきものです。しかし、被災地におけるがれき
等の除去方針が定まらず施策が遅れることを口実に、国は、がれき処理特別措置
法(東日本大震災により生じた災害廃棄物の処理に関する特別措置法案)に基づい
て、廃棄物の処理について暫定方針を定めました。しかし、がれきの広域処理は、
小規模、大規模を問わず、福島事故を全国的に、人為的に繰り返すに等しい行為
であり、放射線汚染を拡散し、国民・住民全体にさらなる被曝を強要する危険な
ものです。このような方策は、世界で確立された公害の基本原則「閉じ込めて隔
離する」に反しており、国際法の基本原則に真っ向から違反し、根本的に誤って
います。なお、いわゆる「がれき」は、被災された方の遺品類でもあり、現場近
くに「埋葬」する心構えで取り扱うことが必要と考えます。しかし、共通に理解
できる適切な言葉が見つからないため、「がれき」を使用します。


1.人工放射性物質には特別な危険が
原発事故により原子炉から放出された人工の放射性物質セシウム(Cs134,Cs137)
は、自然放射性物質カリウムK40とは同じベクレル数でも生体内での挙動が異なり
ます。人工の放射性物質であるセシウム134,137は心臓、脳、腎臓など重要な臓
器に蓄積し、これらを傷つけ健康を破壊します。そのため、放射性セシウムの方
が少量でもカリウム40よりも危険です。臓器への取り込まれ方が異なるからです。

人体へ影響が出るセシウムの放射能(ベクレル数)がベラルーシのゴメリ医科大
の研究によって明らかになりました。体重1kgあたり20から40ベクレル(Bq)で
心電図などに異常が出ます。これは心臓の障害を表し内部被曝にとって極めて
重要な知見です。実際、心不全から突然死が起きています。日本でも突然死が
心配されます。

このセシウムの蓄積は、子供の体内に半分がとどまる期間(生物学的半減期)を
40日として、毎日20Bq摂取すると200日で1200Bqに達し、体重が20kgの子供であれ
ば60Bq/kg、60kgの大人(生物学的半減期70日)でも約30Bq/kgとなり危険域に入
ります。それほど大きな被曝影響をもたらすものです。その他、ストロンチウム
やプルトニウムなどもがれきに含まれ、内部被曝はいっそう危険です。


2.公害の原則
水俣病はじめ多くの公害の犠牲の歴史の上に得られた公害の原則は「危険な汚染
物質を決して希釈して拡散してはならない、閉じ込めて総量で規制すべきである」
ことです。これは全ての環境問題の原則です。 


3.放射能汚染がれき処理の原則
(1)放射能に汚染された物は「拡散してはならない、燃やしてはならない」
これが人間の命と環境を保護する鉄則です。

①汚染されたがれきを汚染地域外に持ち出すと、生命に危害を及ぼす地域が広が
るからです。
原発では放射性物質を「封じ込める」ことに務めていたはずが、いったん爆発し
て外に出てしまうと、これを「拡散させる」、ではいかにも見識が無く乱暴な行
為です。

②焼却処理すると2次被害を作り出します。焼却という2次被曝の操作は福島事故
の放射能汚染を繰り返すことであり、決して行ってはなりません。

③( 汚染地帯のがれき)宮城、岩手のがれきは汚染されています。政府が宣伝す
る「汚染されていないがれきだけを処理する」というのは事実に反します。海岸
のがれきが波しぶきによってより強く放射能に汚染された可能性もあり、これか
らも汚染が強まる可能性があります。

対象となっている宮城・岩手は高度汚染地域です(文科省汚染マップを見てくだ
さい。また、それぞれの自治体のクリーンセンターなどの残留灰の放射能汚染度
を見れば一目瞭然です。放射汚染地帯にある野積みのがれきには、放射性物質が
必ず入っています。

実際は汚染されているのですが、ある限度以下の汚染は「汚染されていないとみ
なす」というからくりがなされているのです。「汚染されていない」宣伝には空
間線量率が提示されていますが、これにはがれきの放射能汚染はほとんど反映さ
れていません。なぜなら、空間線量や表面線量より、内部の汚染物質とその量が
問題だからです。


(2)アスベスト等との一括処理はできない(これは複合汚染です)
加えて汚染は放射能だけではありません。アスベストやダイオキシンや重金属他
の毒物・劇物が含まれています。それぞれの処理にはそれぞれの専用処理施設が
必要です。客観的にみて、もし受け入れるのならば、放射能汚染、アスベスト汚
染、ダイオキシン等に対応する焼却炉を作らねばなりません。家庭ごみと一緒に
燃やすのは大変危険です。

もしアスベストが含まれていたらどうなのでしょう?
アスベストは溶融処理する必要があり、アスベストの融点は1521℃なので、800℃
程度の燃焼温度では溶融できません。汚染ゴミは通常の家庭ごみに混入して焼却
されることが計画されているので、放射能汚染とアスベスト汚染の二つだけを
とっても、安全な汚染処理はできません。各作業工程で、それぞれ専門の機械を
使ってこそ、安全処理ができます。

(3)(バグフィルターの性能を考えれば)放射性セシウム除去能率は低い
放射性物質の主成分はセシウムです。一般焼却炉では、800~900℃で燃焼させられ
た後、煙は温度を約200℃に下げられてバグフィルターに掛けられます。燃焼後の
セシウムの状態は定かではありませんが、多様な化合物の形態をとると考えられ
ます。私どもが警戒して考慮しなければならないことは、多様な状態にあるセシ
ウムの、バグフィルター通過温度での蒸気圧です。また、200℃というバグフィル
ター通過温度でのセシウム除去率です。それに、微粒子を形成しないでガス状で
いるセシウム化合物がどれほど存在するかという危険です。これらについての実
証的なデータがほとんどありませんが、これらを十分考察し最大限の防護をする
必要があります。

「バグフィルター通過後のガスにはセシウムは存在しなかった」というような実
験結果は、測定のプロセスと精度に重大な疑義があります。飛灰中のセシウムを
計測するのと同じ精度でフィルター通過後のガスを計測しようとするならば、
その飛灰の通過時間中(1日中)の全ての放出ガスを検出器に通して測定しなけれ
ばなりません。発表されたガスの検査は、測定したガス量があまりにも少量で、
短時間すぎます。「実験さえすればそれが本当の姿だ」とは決して言えないので
す。ずさんな非公開の検査は「過小評価あるいは危険無視」の常套手段であるこ
とを恐れます。

煙突から出たセシウムの微粒子は静かな空気中では毎秒0.1mmから1mm程度しか落
下しない性質があります。煙突周囲の風がそよ風であっても風速は毎秒数メート
ルです。ですから放射性セシウムはずいぶん遠くまで運ばれます。危険区域は数
十キロメートル~数百キロになります。処理場から遠いところでも危険です。


(4)(実際上の問題としての)運搬、汚染管理、法律で定められた管理責任免許者
私たちは広域処理に絶対反対ですが、万一実施が強行される場合や、実際に取り扱
う場合には、少なくとも次の点が考慮されなければならないと考えます。

①運搬・分別・焼却等作業員の安全のためにきちんと汚染防護をする。安全処理と
いうことはそれぞれの専門資格を持つ者がいて初めて、作業する人の健康も、作業
上の安全も、市民の健康も防護できます。広域がれき処理は乱暴なやり方だと私た
ちは表現しますが、処理責任者であるがれき受け入れ自治体はそのような人事配置
をし、訓練も行って、市民と作業員の安全に配慮しているのでしょうか?

②放射能に対しては、入口、中間、出口に計測設備を設ける必要があります。たい
ていの処理場は、この放射能処理施設として設けるべき放射能監視装置を持ってい
ません。必要な装備も持たなくて放射能を含む可能性のあるがれきを処理していい
のでしょうか?

③処理を終了した時に施設の内部も清掃処理をする。もしそれをしないと放射能が
含まれていないごみを処理するだけで、残留している放射能が漏れだしてしまい、
内部清掃には莫大な費用が掛ります。

④灰の処理、溶融金属等の処理、最終処理施設等々、安全対策を施す、あるいは今
までの処理方法を変更する必要があります。今まで放射能はないとした前提の処理
施設を、放射能が拡散しないように変更する必要があります。住民の安全を言うの
ならば、そこまで誠意を持ってやらなければなりません。

⑤市民の健康保護、作業員の健康保護、放射能やその他の汚染にそれぞれ対応した
処理責任者免許保持者を配置するのが、自治体等の管理者責任です。法治国家とし
て市民と環境の保護に万全を尽くした方法が必要です。すでに阪神淡路大震災で生
じたがれきの処理でアスベストによる中皮腫被災者が発生していたということが報
じられています。今回も同様にアスベスト被害が発生する心配があります。


(5)(望ましいがれき処理として)住民自治に基づく再建計画を
私たちは被災地のがれきについては、住民が主体になってその地の総合的な再建計
画を作成し、がれきの再利用とその処理を考える必要があると考えます。廃棄物と
しては十分な放射線管理は行われない恐れが強いと思われます。あくまでまずがれ
きを資源として、放射線の汚染度をきちんと測定することです。発生源でその地域
の住民が放射性廃棄物の濃度を測定し、分類し、自分たちの地域の再建計画と共に
その処理、利用を考えるということです。

冒頭に延べましたが、「放射能汚染物は、拡散してはならない、焼却してはならな
い」が原則です。いろいろ知恵を出し合い、理にかなった、方法を採用することが
必要です。がれきと言っていますが、被災された方の遺品類です。現場近くに
「埋葬」するに等しい心が必要です。

①がれきのまま封じ込める。
②がれきを積む底部をコンクリートで遮断して排水処理をする。
③がれきの上から雨水等が浸透しないように遮蔽をする(雨による放射能汚染の滲
出を防ぎ、腐敗によるメタンガスの発生等を防ぐ)。
④植樹による木の根からの放射能物質の吸引を防ぐため、根を深く張る木の植樹は
しない(放射性物質が葉や花粉に濃縮されて再び環境汚染をもたらす)。
⑤ ①から④を基本構造として津波対策として、高い堤防や防波丘陵の造成、など
に応用する必要があります。


(6)(子孫や地球に恥じない支援)汚染のない地域の保全が基本
国民・住民の「被災地の皆さんの力に何としてもなりたい」、という気持ちは尊い
ものです。しかし、「広域がれき処理」への協力はしてはいけません。「放射能汚
染を拡散してしまう協力」は、将来にわたって子や孫に危害を及ぼす危険を導入す
ることです。人類の安全という観点からは愚かな行為です。被災者と非被災者の
両方に、「本当の利益を生み出す人道上に恥じない支援」をすることが大切です。
そのために、次のような視点を持つ必要があります。

①これから何十年も継続する放射能汚染による惨劇を、日本として耐え抜くために
汚染の少ない西日本はそのままに保つことが大切です。

②汚染されていない土地で食糧大増産を行い、逆に、汚染地帯では基本的には食用
作物は当分の間作らないで、土地の除染処理の研究・除染用作物やバイオ燃料の
栽培などによる工夫に徹する必要があります。それを実施して初めて日本の市民の
食の安全が保障されます。遊休農地がすぐ役立ちます。遊休農地を整備して、汚染
地域の農家を招きましょう。そうすることにより生業の継続できる避難を保障する
ことができます。

③新基準の限度値は極めて高すぎます。今の基準の100分の1程度の低い基準を「食
料品」に適用して初めて“人の健康を守る基準”という意味合いが出てきます。
現在、国が採用する基準は市民の健康保護を基本に決めた値ではありません。経済
的社会的要因を考慮して決めているのです。具体的に言えば、人の健康を守るため
に限度値を決めてしまえば、原子力を維持することが出来なくなるので、人の健康
を犠牲にした高い値を設定しているのです。

ドイツの放射能汚染防止令を適用すれば、セシウムで8ベクレル/キログラム(おと
な)、4ベクレル/キログラム(子ども)です。この程度が健康を守る上で意味の
ある値となります。人の命が守れる国にしなければなりません。

④避難者の支援や、保養の機会や場所を提供するなど、非汚染地でなければ実施で
きないこと行うのが、非汚染地の務めです。市民は正道に立つ支援を実行しましょう。

「広域がれき処理」のような国際的ルールを踏みにじる乱暴な、「本質的支援でない
『支援』」は行ってはなりません。


4. 市民のいのちと環境を守る誠実な政治を望みます
(1)(棄民政策の数々で)日本はとても野蛮な国になりました。
これ以上野蛮になってはなりません。政府は原発爆発事故以来、どのようにして市民
を守ってきたのでしょうか。

まず、汚染物処理基準はどうでしょう。
①以前は、原子炉等規制法に基づく基準をIAEA(国際原子力機関、国際的な原子力推
進体)の基準100ベクレル/キログラムとしていました。事故の際に(2011年6月)
突然それを放射性物質汚染特措法により8000ベクレル/キログラムと80倍に引き上げ
ました。さらに管理処理できる場合は10万ベクレル/キログラムまで引き上げました。

②公衆(一般市民)の年間被曝限度(これ以上被曝すると政府の責任で防護しなけれ
ばならない基準)を、1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げました。
「日本人は事故の時は放射線に対する抵抗力が20倍になる」のでしょうか。

③チェルノブイリ周辺国(ロシア、ベラルーシ、ウクライナ)は、住民の保護基準を
年間1ミリシーベルトで「移住権利(住んでいても良いが移住しようと思えば、国が
保障する)」、5ミリシーベルトで「移住義務(危険だから移住しなければならない)」
地域に設定しています。日本のこれに相当する基準は何と20ミリシーベルト(計画的
避難区域)および50ミリシーベルト(避難区域)です。日本の住民はチェルノブイリ
周辺国より20倍も放射線に対する抵抗力が高いのでしょうか。とんでもありません。
ひとえに、東電の賠償責任を軽減することと政府の責任を軽減するためだけなのです。
現在1ミリシーベルト以上の汚染状況は、北は盛岡から、南は東京全域、千葉の半分を
含む広大な面積です。5ミリシーベルト以上の汚染は福島県のほぼ全域を含み、茨城、
栃木や、東京などでもホットスポットが多数含まれる土地です。チェルノブイリ周辺
3カ国では「住民は住んではいけません」と保護されているのを日本は逆に避難から
戻りなさいと言われているのです。

④主食の米の放射能汚染限度値は500ベクレル/キログラムと極端に大きな値が設定
されましたが、ドイツの100倍程の高さを設定しているのです。日本政府は「基準以
下ならば安全」と宣伝していますが、そうではありません。汚染食品を食べることに
より、チェルノブイリ周辺では大量の健康破壊が起きています。チェルノブイリ周辺
では「貧しいために人々は汚染地帯の産物を食べざるを得なかった」のです。現在
日本では、政府の強制によって汚染食品を全日本人が食べさせられています。政府は
チェルノブイリ周辺の健康被害を率直に認め、正確な実態を国民・住民に示さなけれ
ばなりません。

⑤爆発直後、安定ヨウ素剤を政府は蓄えがあるにも拘わらず与えませんでした。
何ということでしょうか! 人の命は切り捨てられ踏みにじられているのです。


(2)一人一人が大切にされる国とするために
子や孫に胸を張れる、主権者を守る品格のある政治を行う必要があります。がれきの
広域処理は、人の命と環境を守るためでしょうか。いや全く逆で、市民の生活の場に
汚染被曝を強制し、人の命と環境を犠牲にして、大企業の東電・原子力産業と政府の
責任を可能な限り少なくし、ゼネコンや流通業者など関連産業の利益を謀ろうとする
ものです。そして、被曝を当然のこととする社会的風潮を強権的に醸成し、今後も
原発事故が起こることを前提として原発を運転し推進する方針を正当化しようとする
ものです。さらには、劣化ウラン弾や核バンカーバスター爆弾の使用など、アメリカ
の核戦略の下に、実際に戦える核戦争の準備を、米日協同で進めようとする一環であ
るとしか考えられません。

憲法の基本精神である「個の尊厳」、とりわけ25条で保障されている健康で文化的な
生活を保障している生存権に対して国は大きな責任があります。がれきの広域処理は
根本的に「人のいのちと環境を守る」ことを破壊する行為です。決して国家がしては
なりません。

国民・住民が自らの命を守るためには、知恵をつけ力を合わせ、このような国のあり
方を変えなければなりません。私たちは半永久的に続く放射線汚染の惨劇を避けるた
めに、「個の尊厳」を基本にする憲法を持ち、国の主人公として大切にされなければ
ならない存在です。自分もお互いも大事に尊重される、理にかなった方法を取って、
がれきも処理しましょう。「明晰に、楽天的に、最大防護を!」が日本の市民が生き
残れるためのスローガンです。

私たちは半永久的に続く「放射能汚染のもたらす惨劇」からの防護を真剣に、大局的
な施策として実施すべきだと考えます。とりわけ、放射能その他に汚染されている
がれきを広域処理することは、基本的人権を守る憲法と地方自治の基本原理に反し、
放射能汚染の処理原則に反することとして、受け入れないよう全国民・住民に訴えます。

http://www.acsir.org/info.php?14

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(514)汚染の少ない山形の可能性・・・山形、米沢訪問を終えて

2012年07月24日 23時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120724 23:30)

東北訪問の旅を終えました。まだ大槌のことで書くべきことが残っている
のですが、今日はその先のことを少し記しておこうと思います。17日夜山形、
18日午前山形、18日夕方・同夜米沢と続いた山形県内での講演会、懇談会な
どで感じたことです。

山形県は福島県、宮城県と県境を共にしています。秋田県、新潟県にも
接していますが、それはともあれ激しい放射能汚染にみまわれた福島県や
宮城県南部と接しているため、さぞや高い汚染があるかと思えるかもしれま
せんが、福島原発からの距離で考えると、汚染は低めだと言えると思います。
とくに県内で原発からもっとも遠くにある日本海側の酒田市、鶴岡市あたり
は、一般廃棄物の焼却場データなどで見てみると、西日本とあまり変わらな
い状況にあることが見て取れます。

ただし汚染がほとんどないのかと言うと、残念ながらそのようなことはなく
山形市東部やその北の天童市、東根市などはそこそこ高い数値が出ています。
一つの大雑把な目安となるのは、これまでも紹介した、昨年夏に行われた
16都県での焼却場の調査です。
http://www.env.go.jp/jishin/attach/waste-radioCs-16pref-result20110829.pdf#search='焼却場放射能測定一覧'

焼却場のある地域に昨年、7月、8月ごろにどれだけのセシウムが降ったの
かの一つの目安になるものですが、これらから山形市をみると、二つの焼却場
で、7月22日に計測された飛灰から、ぞれぞれ1キログラムあたり、
6900、7800ベクレルのセシウム(134と137の合計)が計測さ
れていることが分かります。福島市内の焼却場のざっくり10分の1といっ
たところでしょうか。

これに対して福島市に最も近い米沢市は汚染がすくない。福島原発からの
距離を考えると信じられない感じすらしますが、ちょうど福島中通りの
西側を走る吾妻連峰がついたてになり、米沢市の多くが大量の放射能の降下
から守られています。ただその米沢でも汚染がまったくないわけではありま
せん。同じく焼却場データをみると、米沢市のゴミを処理している高畠町に
ある「千代田クリーンセンター」の飛灰から7月4日に1キログラムあたり、
660ベクレルのセシウムが検出されています。ざっくり山形市の10分の
1ですが、それでももともとからすれば大きな値です。

この他の山形県内の都市を見てみると、先にも触れましたが、日本海側の
鶴岡市の焼却場では、7月15日に1キログラムあたり22ベクレルという
数字が出ています。これは西日本の京都などで出ている数値とほぼ同じレベル
です。なのでこのデータを目安に考えれば、山形県の日本海側、しかも秋田
県側は、汚染がかなり低いことが分かります。


その山形県に、福島からたくさんの人々が避難してきています。強制避難
区域からの人もいれば、自主避難の人もいるとのことですが、その数は
およそ13000人。全国の都道府県で最も福島からの避難者が多い県です。
その山形が汚染が少ないことにほっとする思いもするのですが、そうはいっ
ても、やはりそれなりの汚染がある地域をさして「ほっとする」思いがして
しまうこの状況全体の異常さを思わずにはおれません。

さてそのようなわけで、山形にはたくさんの福島からの避難者がおられるた
め、講演会や相談会にも母子避難している女性やそのご家族などがたくさん
来てくださいました。中にはスタッフとして活躍している方もいました。
そのため福島で今、何が起きているかの情報もたくさん入ってきます。

そこで得た情報については、また別の記事で発信したいと思いますが、これ
らのことは山形での福島支援の特殊な位置性をあらわしているように思えま
した。というのはここに集っている方たちの多くは、放射能の恐ろしさを
自覚したがゆえに福島県内を離れた方たちであり、それだけに今、福島の
内側で起こっていること、とくに健康被害などに敏感な意識をお持ちです。

また何と言っても距離が近いので、福島との行き来も多い。実際に福島市内
に通勤している方ともお会いしました。そのため福島内で起こっていること
がリアルタイムで伝えられてくるし、それを話し合う環境を作ることができ
る。福島の中に住んでいて、復興キャンペーンの最中にあったり、あるいは
除染に参加しなければならないような状況では、とても放射能の危険性を
おおっぴらには話せないでしょうが、ここでは避難してきたもの同士のつな
がりが可能で、そうした情報の共有もできます。

ただしそのためには山形の側での福島からの避難者たちの方々のバック
アップが不可欠です。今回、僕を講演に招いてくださったのは、まさにそう
した活動を担っている方たちで、精力的に健康被害についての聞き取りも
行っており、心を砕いた活動をされていることを感じましたが、なんという
か、福島からの避難者の多さに対して、山形県内から集まったたちの活動
だけでは、カバーしきれないものが多いように感じました。

これにもっと多くの地域がつながれないものか。つまりもっとも近くで福島
の方たちをケアしている山形の方たちに、もっと広範な地域からのさらなる
バックアップをできないか。それでここでの意義ある活動をより広くシェア
できないものかとそうしたことを考えました。

中でもこうした活動の中心である山形市内で、市民放射線測定所設立の動き
があり、僕自身はぜひこれにつながって支援をしていきたいと思うし、近くの
測定所にもかかわりを持って欲しいと思っています。と思っていたら、実は
仙台の測定室、「小さき花」の石森秀彦さんが、土壌調査に山形に訪れている
ことを知りました。これはとても心強い!そうした連携が広がって欲しいです。
僕自身も媒介となって、西日本の広範な支援をつなげられないものか、今後、
何らかの案をひねり出していきたいです。


さてそんな思いで山形の方たちといろいろと交流を重ねましたが、ある方が
印象的なことを話されました。今回、自分で畑を持ち、味噌を作り、保存食
料を持つことの重要さ、大切さ、そして強さに、つくづく開眼したというの
です。もちろん土地は汚染されていないことが条件になりますが、彼女が
言うにはもともと雪深い東北は、そうした食料備蓄の知恵が幾らでもある。
それを今、もう一度、見直していきたいと言うのです。

その話を山形弁で話されたその言葉通りに再現できないことが何ともかんとも
悔しいのですが、それはともあれ、僕はこんなところにも、原発を見直す契機
があるように思えました。現代の私たちは、商店での食べ物の陳列に頼りすぎ
かつまた冷蔵庫の恩恵にも頼りすぎている。電気、電気、電気の生活で、かつ
てあったいろいろな知恵を後退させてしまっているのです。

そしてひとたび停電になれば大打撃になってしまう。食べ物がすぐに商店の棚
から消えていく。同時に、冷蔵庫の中のものはすぐに解凍しだして長い間は
持たない。実はそのため、多くの被災地で、「大震災後は、ご馳走ばかり食べ
ていたよ!」という話も聞きました。どんどん冷凍庫の中のものが溶け出すの
でもったいないから一番高いものから食べたと言うのです。しかしそれはほん
の数日しか持たない。

これに対して味噌を初めとした発酵食品は、非常に持ちがいいし、しかも今の
ような不純物、化学物質も少ない。その上、栄養価が極めて高く、理想的な
健康食が多いのです。そこには私たちの住む列島の風土にあわせて、先人が重ね
てきた実践的な知恵がある。にもかかわらず私たちはその多くをうっかりと
失いかけていたのではないか。

私たちの国の中で、気候風土が厳しいだけに、その分、その中を耐え忍び、かつ
その中で暮らしの楽しみを作り出してきた知恵が、東北にはいっぱいつまって
いるのだと思います。そうしたことの一つ一つを私たちが拾いなおせるといい。
そのことと、放射線の害に対抗して、免疫力をあげて立ち向かっていくべきこと
をどこかでつなげていけるように思えました。

そしてそう考えたときに、まさに東北の地で、全体としては山形県の汚染が少
ないことには大きな救いと展望があります。ぜひこれを読んでいる他地域の方た
ちが、積極的に山形とつながってくださるといいなと思います。僕自身、その
ための道を模索していきたいと思います。

山形訪問についてとりあえずの感想を終えます・・・。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(513)京都市東山区でお話します!(7月22日)

2012年07月21日 23時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120721 23:00)

昨日の夜、東京での会議を経て、ようやく京都の自宅に戻ってきました。
7月13日から一週間あまりの旅でしたが、非常に密度の濃い旅でした。
岩手県大槌町での放射線計測に始まり、地元のFMラジオへの出演、講演
2回と相談会2回、漁民の方からの聞き取りを経て、山形県に移り、講演
3回と懇談会1回を経て、福島県会津若松市に移動、講演1回の後に会津
の歴史に精通している方からの聞き取り、会津若松市でのフィールド調査
などを経てきました。東京でもある会議に参加しました・・・。

いつものことではあるのですが、あまりに膨大なものをインプットして
きてしまったので、アウトプットにどこまでまわせるか頭がクラクラする
面があります。しかしどれも非常に大切なことなので、頑張って、記事を
書き綴っていきたいと思いますが、同時にそれらを講演でも積極的にお話
していきたいと思います。

実は今日も京都市の西陣和楽園という保育園で午後にお話をしてきました。
オープンな企画ではなかったため、ここには載せませんでしたが、それで
も会場満杯の方が来てくださりました。そこでみなさんに大槌の現状を写
真入りでみていただき、また今回の旅で聞いてきた東北での健康被害の実
情などをお話しました。

明日も、京都市東山区の「やすらぎふれあい館」で午後1時30分からお話
させていただくことになっているので、そこでも今回見てきたことに触れた
いと思っています。今日の明日で恐縮ですが、お近くの方、ぜひお越し
ください。

以下、案内を貼り付けます。

***********

しんふじん学習講演会

関西電力大飯原発再稼動強行で、「原発NO!!」と発信・行動する人々が
全国に広がっています。子どもたちの未来のためにも、私たち大人がしっか
り学び声をあげましょう!

内部被曝とは?
どうして内部被曝になるんですか?
外部被曝との違いは?
人体への影響は?
被災地に行かれた様子もお話しいただきます。

おはなし
守田敏也氏

とき  7月22日(日)13:30~15:00
ところ やすらぎふれあい館
(東山五条そば http://www.mediawars.ne.jp/fukusi07/query.html
資料代 300円

お問い合わせ
新日本婦人の会東山支部
TEL FAX 075-531-6576

体験会・作品展示もあります。
10:00~12:00 材料代実費
絵手紙・布ぞうり・編み物・しんぶんちぎり絵・小物づくり
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(512)海は大震災以前から危機に瀕していた!・・・大槌訪問を終えて3

2012年07月19日 08時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120719 08:00)

福島県喜多方市の旅館からです。一昨日、山形に赴き、夕方から市内で講演会
を行い、昨日は朝10時から講演会、そのあとみなさんとおいしいお蕎麦を食べて
車で米沢市に向かい、午後4時半から6時まで放射能をめぐる懇談会、午後7時
から講演会を行いました。

山形・米沢でも素晴らしい出会いに恵まれ、たくさんの得がたい情報を得る
ことができたのですが、本当に残念ながら、いまはそれを文字に落とす余裕が
ありません。頭の中のメモリーが消えてしまわないか心配ですが、その前に
大槌で頭に書き込んだことの続きを記しておきます。

今回の大槌訪問で大きかったのは、三陸沖で長年にわたって漁を行ってきた
漁師さんともお話することができたことでした。かりにAさんとしておきますが、
この方から三陸の海の状態をお聞きしました。そこで実は放射能の問題
以前から、海が本当に大変なことになっていることを教えてくださいました。

この方の行っているのはイルカ、カジキ漁です。「つちんぼう」と言って、モリを
かかえて海にのぞみ、浮上してきたイルカやカジキをこれでついて漁を行います。
三陸はもともと鯨漁も行ってきたところですが、この方たちの漁はすでに100年の
歴史があるそうです。

大津波が押し寄せてきたとき、Aさんはたまたま三陸海岸の他の港に船を
係留していて、そこから離れていました。「そのため、助けにいけなかった」と
悔しそうに語られました。いつものように大槌に船があったら、すぐに乗って
沖に出せたそうです。「助けにいけなかった」という言い方に船への愛着を
感じました。

そのAさんはいろいろと悩んだ末に漁の再開を決意されました。すでに新しい
船の準備が進んでいます。新たな船は8トン。値段を聞くとなんと5000万円
するそうです。ただし政府から補助が出る。自己負担は9分の1、450万円になり
ます。「でもそれだけじゃねえんだ」とAさん。道具も何も流されてしまった
ため、それらを買い揃えなければなりません。機材も必要です。それで結局、
1500万円ぐらいはかかるのだそうです。
「この年でこれを返すのは大変だ。でも俺は海でしか生きられないのよ」と
Aさん。
(ちなみにAさんは大槌の方言で語られます。僕は聞き取りはほぼできたの
ですが、その言葉を今、再現できません。それがとても残念です)

さてAさんの行う漁は先にも述べたように、「つちんぼう」というイルカやカジキ
を対象としたいっぽんづき漁です。イルカを獲っていると聞いて、「残酷な」と思わ
れる方もいるかもしれません。僕も野生生物の保護についていろいろと思うところは
あります。でもAさんのお話を聞いて、海を思う気持ちに次第にうたれていきました。
なのでイルカを愛する方にもぜひこの先を読んで欲しいと思います。


三陸沖は日本列島周辺を通るふたつの海流の黒潮と親潮が南北からやって
きて交わるところで、そのためにたくさんの魚が集まる最高の漁場です。
なんと世界三大漁場と言われていることをはじめて知りました。この方が目当てに
しているイルカもカジキも、ここに集まる魚を目当てにやってくるのです。
小魚を漁にくるわけですが、それをまた人間が漁をしてきたのです。

ところが近年、その三陸沖で魚が物凄い勢いで激減しているのだそうです。漁獲量も
どんどん減っていて、そのため大津波以前から、この漁民の方たちの生活は悪く
なる一方だったそうです。Aさんが追いかけるカジキも集まらなくなってしまってい
る。このカジキを目的とした「つちんぼう」ちういっぽんづき漁には、遠く愛媛県や
大分県から、毎年数十隻の船がやってきたそうですが、今は三陸まで来る船が
どんどん減ってしまい、なんと今は最後の1隻がやってきているだけなのだそう
です。漁が壊滅しているのです。

ではなぜそんなことが起こっているのか。「俺はもういいたくねえ」としばらく
言葉をにごしていたAさんでしたが、話が進むうちに教えてくださいました。
原因は船で網をひく漁のためだなのだそうです。船が二艘一緒になって大きな
網をひく。なんと数キロの網をひくこともあるそうです。これが魚類を乱獲
してしまっている。それが三陸沖で、いや日本近海のいたるところで行われて
いて、そのために魚たちの数が回復できず、どんどん減っているのだそうです。

網をひく漁には、海の底を引くものや、浅い層から中層をひくものなど、種類の
差があるそうですが、この後者にあたる「流し網」がもっとも打撃力が大きい
そうです。「海は本当に大変なことになっている。このままでは死滅する」と
おっしゃるAさん。

Aさんはイルカ漁を題材とした映画「コーブ」や、捕鯨やイルカ漁に反対して
アグレッシブな行動を続けているシーシェパードにも批判を向けました。
自分たちの行っているイルカ漁は、イルカと一対一で向き合うもので、乱獲に
などなりはしない。ちゃんと頭数保護も行ってきた。だから100年の歴史を
持っている。

ところが網をひく漁では、イルカなど目指してないのに、そこにイルカをまきこん
でたくさん殺している。イルカだけではない。実は魚をとりに集まる海鳥もたくさん
ミズナギドリ、アホウドリなど、保護の対象になっている鳥たちもたくさん殺されて
いる場を見てきた。海ガメなどもそうだ。

そのためたとえば昔は、水族館で人気者のマンタなどもこの海域でいくつもみる
こができた。たくさんマンタが泳いでいた。でももう何年もマンタをみなくなった。
マンタも網でやられてしまったはずだ。本当にたくさんの海の生き物がいっぺんに
獲られ、あるいは巻き添えをくって殺されている。貴重生物といわれているものも
たくさん獲られていて、実際には法律違反だらけだ。

ところがこの海を一番だめにしている日本の漁のあり方が問題にされずに、
自分たちのイルカ漁だけに批判がされている。そもそも自分がとっているのは
陸前イルカやイシイルカで、水族館で芸をしているバンドウイルカやカワイルカ
とは違うということすら理解されていない。しかもそうしたイルカたちが
ただ魚を獲るために殺されているのにそれには知らん顔だ。

本当に海はこのままではだめになる。自分ももうこの漁を息子たちには伝え
られない。そのためもう一度船を買ってやるかどうかとても悩んだ。その末に
自分は船をもう一度買うことにした。それで自分なりに精一杯やってみる
つもりだけれど、このままでは海の未来は本当に暗い。

自分は思うのだけれど、北方領土は日本に返還されないほうがいいと思う。
あそこはとてもいい漁場だからだ。そこに日本のやり方が持ち込まれたどうなる
か。1年で海はめちゃくちゃになる。まだロシアの方が海を大事にしてくれる。
自分は北方の海がだめになるのをみたくない・・・。


実は本当に奇遇なことにというか、今回の旅に出る前に、京都で僕の講演を
聞きにきてくださったある女性から次の本をいただきました。『ワールド・イズ・
ブルー 乱獲、汚染、絶滅――母なる海に迫る危機』というタイトルの本です。
シルビア・アール著、古賀祥子訳です。

これを半分ほど読んで大槌に向かったのですが、まさにそこにはAさんが語って
くださったのとおなじ観点のことが書いてありました。日本だけでなく世界中の
海で乱獲が起こり、魚たち、海の生き物たちが激減しているのです。この海を
守らなければ私たちの未来はないとこの本は警告しています。

とくに印象的だったのは「ブルー」という言葉です。私たちが環境問題を考える
とき、合言葉になるのは「グリーン」です。日本の中でも「緑の党」をたち
あげようとの動きもあり、僕も期待しているのですが、この場合、グリーンという
言葉からイメージされるのは、木々であり、森であり、草原です。

しかし私たちの地球を表面をしめているのは圧倒的に海=ブルーなのです。
このブルーを守ること、この意識に私たちはまだまだ覚醒していないのではないか。
少なくとも僕はそうであることを気づかされました。そうした思いを胸に
三陸海岸を訪れた僕には、放射能の問題にとどまらずに海の問題を考察したい
との思いがありました。そんなときにAさんと出会えたことはまさに天恵で
あると僕には思えました。


人間の乱獲によって、海は本当に深い傷を受けてしまっている。悲しいことに
そこに私たちの国は膨大な放射能を流してしまった。数少なくなってしまった
魚たち、海の生き物たちを、いま、猛烈な勢いで放射能が襲っているはずです。
胸がいたい。悲しい。もどかしい。なんとも言えない気がします。

海は生命の源です。私たちが生まれてくるとき、お母さんの胎内で羊水にくるま
れて私たちは育つわけですが、実はこの羊水の成分は海水とほとんど同じなのだ
そうです。まさに私たちは海の中から生まれてきたのです。その私たちが
海を殺そうとしている。それは私たち自身を殺してしまうことです。

ブルーを守ること、海に謝り、海を慈しみ、海を復活させていくこと。
そのためにも私たちは努力を傾けていかなくてはならない。
そのことを僕は大槌の漁民の方から教わりました・・・。


そろそろ今日の講演地である会津若松市に向かいます!

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(511)大槌で放射線の簡易計測を行いました・・・大槌訪問を終えてその2

2012年07月18日 09時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120718 09:00)

山形のホテルからです。
今回は大槌での放射線測定について書いておきます。
・・・山形での情報がすでに僕の頭の中に入ってきていて、いつもながら
インプットが圧倒的に過剰で、アウトプットしきれできないもどかしさを
感じているのですが。

さて、今回の大槌訪問の受け入れ先になってくださったのは、地元のNPO
「ぐるっとおおつち」さんでした。大震災前からあったNPOで、10人の
理事のうち、4人が津波で亡くなられています。ぐるっとおおつちは、
京都OHANAプロジェクトの自転車届けに協力してくださり、その後は
復興してきた地元の自転車屋さんとプロジェクトのつなぎ役なども
なさってくださっています。

さて今回、僕は新幹線で新花巻まで行き、そこから釜石線にのって
釜石まで行きました。朝6時27分京都発、13時33分釜石着の予定でしたが、
電車が釜石直前で鹿をはねたため、到着が10分遅れました。
はねられた鹿はかわいそうですが、こうして鹿が人間の生活圏内に下りて
きてしまうことは全国で頻発している現象です。温暖化が原因で、越冬が
容易になり、山のえさを食べつくしてしまうためです。このため全国、
いたるところで鹿の食害が増えており、それはそれで問題なのですが、
今の僕には向き合う余裕がありません。

釜石について、友人のアビスさんと合流しました。車で来てくれていて、
今回の大槌訪問に同行していただきました。釜石から大槌までは車で15分ほど。
まずは宿泊拠点になる「大槌きらベース」について、チェックインしました。
チェックインといっても、1階が津波で使えなくなった小学校の大教室に
雑魚寝で、事前の申請に基づき、到着を報告するだけです。

ここで「ぐるっとおおつち」スタッフの方に迎えていただき、事務所を経て、
早速、放射線計測に向かいました。僕がお話しする講演会場と、相談会を
ひらく仮設住宅、また合同になっている小中学校で測りましたが、人々が出入り
する場所ではそれほど高い値は出ませんでした。いずれも0.1μS/h台ですが、
計測器がロシア製のRADEX1503と1706で、低線量ではそれほど正確では
ないので、問題は感じませんでした。

しかし近くの民家の、樋から雨が落ちてくるようなところはやはり数値が
あがります。もっとも高い値で0.27μS/hでした。学校でも、フェンス脇
で泥がたまっているところや、周辺の側溝ではこれに近いような数字が
出てきます。

最も高かったのは吉里吉里の吉祥寺さんの境内でした。大きな屋根から水が
落ちてくるところがマイクロホットスポットになっており、一番高いところで
0.50μS/hの値が出ていました。その地点だけ泥をよけた方がよいと和尚さん
に進言しました。

実は大槌町は、山の一部が入山禁止になっています。このことではじめて
町の人々が放射能の存在を知った感が強いのですが、僕が大槌の人々と一緒に
行った計測でも、このようにはっきりと放射能の存在が感じられました。
原発から230キロの大槌の町にも確実に放射能が降っているのです。

訪問の前に水産物のチェックも行いました。水産庁のHPから拾ったデーター
で計測が甘い可能性がありますが、それでも参考になります。
岩手県内はもっとも多く放射能が降ったのは一関市界隈で、それに続いて
奥州市が線量が高いのですが、このため水産物ではウグイ、ヤマメなどの
川魚から高い値のセシウムが計測されています。
現在の「限度値」の1kgあたり100ベクレル以下という規制を超える
魚も非常に多い。要注意です。

海のものではやはり底ものが危ない。最も高い値を出していたのは、釜石沖
のクロソイで同400ベクレルが出ている。6月1日の測定値です。
ただしすべてのクロソイがあぶないというわけではなく、中には検出限界未満の
ものもあります。ここには海の中にもマイクロホットスポットがあることを
疑わせます。

このほかに数値が高いのはやはり底の方にいるマダラ。大船渡市沖で5月11日に
98ベクレルが計測されています。注目すべきは、三陸海岸で最も青森よりの
久慈市沖でとれたマダラからも83ベクレルが検出されていることです。6月1日
のデータです。
他には釜石市沖のヒラメから7月6日に36ベクレルが、岩手県沖と表示された
もので6月29日に39ベクレルが検出されています。

一方で検出限界未満を示している魚も非常にたくさんあります。この中には
上述のクロソイやマダラやヒラメも入ります。そのため川魚であるウグイなどは
岩手県内では危ないものが多いといえますが、海の魚はかなりばらつきが
ある。汚染がまだらなためだと思います。このため三陸海岸の魚はいちように
危ないということはないです。測れば食べられる魚もまだ多数あります。
その点でも精度の高い測定を行い、食べられるものをどんどん公表していくことに
意義があるとも思います。  

なおこれらのデータは以下からみることができます。
放射線値の測り方など、どこまできちんとされているか確かめる必要があるとは
思っていますが、目安として参考になると思います。岩手県に限らず、多くの県の
データが出ています。ぜひ分析を進めたいと思っています。
水産物の放射性物質調査の結果について~7月17日更新~
http://www.jfa.maff.go.jp/j/sigen/housyaseibussitutyousakekka/index.html  

これらから分かるのは、三陸海岸にも確実に汚染が迫ってきているという事実です。
しかしにわかに避難しなければならないほどではない。放射性物質の存在を
しっかりと浮き立たせ、対策をとることが大事だと思います。そのためには
市民の意識喚起と測定を同時に進めていくことが大切です。 
僕自身、これにどう関われるか、模索を続けたいと思います。

大槌の放射線値に関する報告をひとまず閉じます。      
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(510)復興が遅れる被災地 大槌訪問を終えて

2012年07月17日 12時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120717 12:00)

先週の首相官邸前行動、そして16日の18万人集会、素晴らしいかったですね。
金曜日には全国で10数箇所、同様の行動も行われました。まさに「再稼動
反対」の声が全国にこだましています。願わくばこれが東北全体に広がって
欲しい。そのためにも、この声が、低線量被ばくの危険性、これまで
隠されてきた内部被曝の危険性とこそたたかうものへとさらに発展して
いって欲しいと思います。

そんなことを考えながら、僕は7月13日に岩手県大槌町に赴き、14日、15日
と講演会、相談会を行ってきました。いろいろな方との出会いがありました。
漁師さんから三陸の海に関する非常に貴重な情報も聞けました。
それやこれやを一刻もやはく文字に落としたいと思っているのですが、実は
あまりに興奮したためか、16日より著しく体調を崩してしまいました。今、
僕は岩手県一ノ関市室根山の友人のアビスさん宅にいるのですが、昨夜は
持病の悪化のため、救急外来を訪ねて処置をしてもらわねばなりませんでした。
アビスさんがいてくれたために助かりました。
いまは元気を回復していて、これから山形に向かいます。そのためいまは走り
がきで大槌のことを書いておきます。

大槌町は津波で町の主要部がなくなってしまった町です。僕がこの町を
訪れたのは昨年8月末のこと。中古自転車120台をお届けしました。
そのときに町の中を車で走って、津波の猛威を実感しましたが、今回、
おなじところを車で通って、第一に感じたのは「ぜんぜん復興してない!」
ということでした。大変、胸が痛くなりました。

ただし、町の人々が復興に向けた努力をしてないというのではありません。
例えば今回、宿泊に使わせていただいた旧大槌小学校跡地で、いまは
「きらり」と言われるスペースには、仮設店舗の商店街が誕生していました。
しかも嬉しいことにその一角には「七福」という焼き鳥屋さんが店を出して
いる。

これは小川かつこさんという方が出されたお店です。この方はとても親しくして
いた妹さんを津波でなくされていました。その妹さんが経営していた焼き鳥屋さん
が「七福」で、「七福のママ」はとても有名だったそうです。
その愛しい妹さんの秘伝のたれを覚えていたかつこさんは、なんとしても
店を復活させるのだと昨年の夏にがんばっていました。そのことを聞きつけて
全国から支援が寄せられ、かつこさんは感激して、店を必ず始めるのだと
いきごんでいた。京都OHANAプロジェクトはそのかつこさんにも自転車を
お渡しすることができたのですが、今回、たずねてみると彼女は、その
自転車で元気に仮設から通ってきてくれていました。店は昼も夜も超満員。
僕もなんとかスペースをみつけてもぐりこませていただいて、秘伝のたれを
味わいましたが、おいしいのなんの。そんな風に地元の方たちによる町の
復興への熱意は高いのです。

ところが海岸際を走ってみると、津波で壊された防波堤がまだそのままゴロゴロ
と転がっている。広範な地域が、家の土台だけ残されていて、まだそれが
解体されていない。いや1階がむざんに壊れて骨組みだらけになった建物が
まだそこいらじゅうに解体もされずに残っているのです。
その町の一角に震災遺物(がれき)が積んでありましたが、その周りには
広大な土地がなにもなく広がっている。いや土台を残したままに広がって
いるのです。

これをみて直感したのは震災遺物(がれき)広域処理の目的の一つが、
町の復興がぜんぜん進まないことへの口実づくりではないかということで
した。何せ膨大な土地がさらちになってしまっているのだから、置き場に
困るはずなどない。またすでに手をつけられるところなどいくらでもある。
ところがそこに予算をまわそうとしない。壊れた堤防の修復ところか、
除去すらしてない。当然、町の人々は政府は何をしているのだと思うわけ
です。(実際、そうした声をそこかしこで聞きました)それに対して、
「がれきがあるから復興にとりかかれません」というのが口実なのでは
ないか。現場に立ってみて、強く感じたのはそのことでした。

ちなみに大槌町の人々は、震災遺物を堤防に使いたいのだそうです。
そしてそこを「鎮魂の森」にしたいのだとか。計算してみると、そのため
には大槌の震災遺物だけでは足りない。だから他の地域のものを受け入れては
という声すらあるのだそうです。
放射能の問題で、鎮魂の森が可能かどうか、僕には即断できませんが、ともあれ
震災遺物をそのように地元で使いたいという声は他にもいろいろあります。
その意味でも広域処理などまったく間違っていることは明らかです。

ちなみに立ち寄った釜石市でも復興の様子はさんたんたるもので、わずかに
地元の人々が商店を復活させている程度でした。しかしそこで放射能の
話を聞いて、こんな声を聞きました。「ここいらの人は一番かわいそうなのは
福島の人たちだといってるよ。だっていつまでたっても帰れない人がいるんだ
もの。この町は帰れないことはない。いつか復興できる。でも福島には
いつまでも復興でいない人たちがいる。あれは本当にかわいそうだよ」

そんな三陸海岸の大槌町にも、福島市渡利地区から母子避難してきている
女性がいるそうです。その方は、町の姿をみて呆然とし、「こんなにたくさんの
人が亡くなったところに避難してきて申し訳ありません」と泣いたそうです。
それを聞いた女性がおなじように「かわいそうなのは放射能の苦しみで帰れ
ないこと。あなたたちの方が苦しいのだからそんな風にいわなくていいですよ」
と語ったとか。

人々が痛みをたがいにいたわりあっています。その人々に対して、たいした
予算を使わずに、原発再稼動にひた走っているのが今の政府です。
本当になんとかしなくてはいけないと思います。

・・・されそろそろ時間です。山形に向けて出発します。続きはまた。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(509)大飯原発再稼動反対、現場はかく行動した!(下)

2012年07月12日 23時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120712 23:00)

毎日いろいろなことが起こり、いろいろな出会いがあり、いろいろと論じ
るべきことが増えて、なかなか追いつかないのですが、再び、7月1日を
軸とする大飯原発再稼動反対現地行動に戻ってみたいと思います。僕は
ここで実現されたことは、今後の運動の雛形になると思っています。だ
からこそ何度でも振り返り、論じ、その意義を深めていきたい。

今日は、やはり山水人のMLから、現場からの発信を続けていた
「いっぽんの心」さんの連続メールを紹介します。
またその後に、現場をきちんと記録しようと、ビデオをまわし続けてく
れたヒデヨビッチ・上杉さんの同じMLへの投稿と、ビデオを紹介
します。まずはご覧ください。(ヒデヨビッチさん、事後承諾をお許し
ください。)

*****

いっぽんの心さんの連続投稿

6月30日午後8時41分
最前線 大飯原電前は 強制撤去に向け 警察隊がどんどん投入され せめぎ
合いの中 緊迫しています 逮捕覚悟で原電前に車で封鎖している連中など
冷たい雨の中 まじな状況です 皆の再稼働反対の声が 響いています

7月1日午前9時13分
大飯原電 敷地内 真っ只中にいます 続々と集まって来た 人々 三百人以上
の感じでしょうか 冷たい雨に打たれ 車で休憩をとりつつの 動きです
多数決の国に生まれ いまはマイノリティでも このムーブメントが大多数
に向かって欲しい いま機動隊に動きがあったようです 逮捕者 怪我人が
ないように

7月1日午前9時28分
いま 大飯原電所長宛の申し入れ書が読み上げられています いまは若干
落ち着いています ここにいる 皆は 同じ 思いを共有する人と共にあり
ます

7月1日午後6時28分
警察隊による 座り込みの人 一人一人を 抱え込みによる 撤去が始まりま
した 我々の叫びは 暴力反対

7月4日午後6時26分
リスペクト びんさん 戦争も命を奪い 放射能もじわじわ 長年に渡り命
を奪う 大多数の人々が 原発反対を表明すれば 当然 止まります 恐ろしい
事故が起こらぬよう 祈りながら 原発反対の連鎖反応を加速して行きま
しょう 青い鳥

******

ヒデヨビッチ・上杉さんの投稿

ヒデヨヴィッチ上杉(ジェロニモレーベルの)です。
現地へ、ともかく現地へ…!再稼働を本気で止めようと、全国各地の人が
ゲート前に駆けつけた6/30~7/1の2日間を、超コンパクトに動画化しました。
見てもらえると嬉しいです。(この人あの人…の姿も見れます!)

★俺が見た大飯原発オキュパイ
http://youtu.be/RPAR_adQEzo

あの二日間、僕は注意深く「いつでも逃げられる」ポジションに居ながら、
できるだけ記録を残そうと思ってビデオ回してました。
あと、祖牛さんにジュースの差し入れもらったりクルマの中で雨宿りし
ながら、ツィッターで拡散しまくってました。

再稼働は止められなかったけども、強制排除が始まった後にもどんどん
応援の人が駆けつけてくるのを見て、俺はものすごく希望を感じた。
ヤラれたけども、決して負けてないと思います。「奴らの終わり」は確実
に始まっている。

がんばっていきましょう!

投稿の引用は以上
********

さて、僕なりにこの大飯の現場の行動の意義をまとめてみたいと思います。
すでに(中)で紹介したnonukesdirectactionさんの考察にもあることなの
ですが、僕は何よりもこの行動が、非暴力不服従の精神で行われたこと、
それを見事に体現するものとしてあったことが素晴らしいと思います。

そしてそれが可能だったのは、ここに集まったほとんどの人々が、理不尽な
政策に抵抗はするけれども、けして暴力は使わないという考えを、それまで
の生活、行動の中で培っていたことだと思います。現場でにわかに考えられ
たのではない。そうではないくて、そうした思想性で生きてきた、踊ってき
た、音楽を奏でてきた、だからそれが自然に発露したのだと思えます。

同時にきれぎれにやってくる報告、写真、動画を見ていて本当に感心したの
は、現場がナチュラルリーダーはいたけれども、軍隊のような指揮官がいた
わけではなく、それぞれが個別に判断して動きながら、一つの見事な動きを
作り出していたことです。やはりこれはここに集まった方たちが、これまで
祭りやコンサート、そしてまた市民集会を自主的に作り出してきた方たちで
占められていたことが大きいと思います。だからみんな自然に動いていて、
まるで一つの有機体のような調和があった。これもまた素晴らしい。

もちろん同じことが数千、数万でできるとは思いません。これほど見事に
考え方やセンスが一致することはないだろうからです。それでもこの現場が
今後の雛形につながると僕が思うのは、その底流に流れているのが、暴力に
関するそれぞれの考察の一致だと思います。いや「考察」というと硬いかも
しれない。生活感覚となった非暴力、生活実感まで降りた、人や生き物を
慈しむ心、そうした思いが、あの行動には共通のものとして貫かれていた
ように思えるのです。だから参加した誰もがすごい解放感を味わった。自分
たちの思いをみんなで体現しえた興奮があの場にはあった。


ここでぜひとも論じておきたいのは暴力の問題です。あるいは暴力と正義の
問題です。なぜか。私たちの生きている社会は、実は暴力がかなり正当化さ
れている社会だからです。例えば警察官の存在。彼ら、彼女らはピストルを
持っている。手錠を持っていて相手を拘束もできるし、いざとなれば監獄と
いう暴力装置も持っていて、そこに人を暴力的に押し込めることもできる。
まさに警察は暴力装置です。

さらにもっとものすごい暴力が私たちの国にはある。自衛隊です。最新鋭の
武器をもち、常に人殺しの訓練を行っている。それを税金を使ってどうどう
と行っているのです。しかもその背後には米軍がいる。米軍は世界中で、
実際に繰り返し人を殺し、町を破壊し、劣化ウラン弾で大地を汚染しまくっ
ています。その米軍に私たちの国は基地を貸与し、莫大なお金を与え、人殺
し活動をバックアップしているのです。まさに私たちの国は暴力にまみれて
います。


ここまで来ると、ちょっと待ったという声が出てくるかもしれません。市民
運動を警察が抑圧するのは反対だけれども、例えば強盗を捕まえるのは正義
ではないだろうか。悪人を監獄に入れるのも必要なことではないだろうか。
そうしないとそれはそれで市民の生活が守られないのではないか。・・・
みなさんはどう思われるでしょうか。

非暴力論はこの問いに答えなくてはならない。そうでないと足元をすくわれ
てしまいます。同時に、「暴力反対」という人の中でも、警察官の「悪人」に
向けられる暴力には、概して疑問を持たない人が多いことも見ておかなければ
なりません。だから非暴力論は思想的に高められなくてはならない。

ちなみに正義の暴力はあるのかどうか。僕はそれはありうるし、多くの人が、
実は当然のものと認めているものだすら言えると思います。前述したように、
犯罪者の身柄を拘束することなど明確な暴力の行使ですが、これに反対する人
はほとんどいません。

では民衆の抵抗ではどうかと言うと、歴史を振り返っても、やむにやまれる
抵抗はたくさんありました。日本軍に侵略されたアジアでの抵抗、アメリカ軍
に侵略されたベトナムでの抵抗など、どれも銃器を使った暴力の行使でしたが、
これに多くの人たちが共感し、支援したのが歴史の事実です。

それらをつきつめていくと、前述の暴力の行使も含めて、多くの場合、社会が
容認するのは「正当防衛」としての暴力の発動だと思われます。目の前で赤
ちゃんが暴漢に襲われようとしていたら殴り返してはいけないのか・・・と問
われて、反論できる人は少ないと思います。(無論、しっかりと反論できる思
想を持った人たちはいるのですが、今はそれを横においておきます)


「正当防衛」とは何か。それをしなければ自らが危機に陥るときの緊急回避
行動です。これをどう捉えるか、歴史が進むにしたがって考えが変わっていく
だろうし、僕は変わっていくことをのぞんでいるのですが、少なくとも今は
基本的人権そのものとして認められていることだと思うし、それが社会の合意
だと思います。

だとすれば私たちにも、「正当防衛」としての暴力を使う権利があることに
なる。実際に私たちにも現場で悪漢をおさえる逮捕権があります。悪者に対し
ては暴力を振るっても少なくとも法的には許されるのです。そしてそうである
限り、その暴力を行使しようという人たちも出て来うると思います。その場合、
それがこれまで社会的に語られてきた正義の範疇に入りうることを私たちは
知っておかなくてはいけません。暴力を使うことを主張する人たちを、すぐに
「運動の破壊者」だとかなんとか言う人たちがいますが、それは「正当防衛」
論の範疇からは正しくありません。

では「正当防衛」ならば何でも認められるのか。言葉を正しく使うと、「正当
防衛」ならば、何でも認めているのが今の社会です。僕自身はそこを越えたい
と思ってこの文章も綴っていますが、少なくともそれが人々の権利であること
が合意されているのです。

ところがここが非常に重要なのですが、ではある暴力の行使が「正当防衛」で
あるとは誰がどのように認めるのでしょうか。実はここが非常に難しい。現実
には、つまりある暴力行為が正当防衛であったかどうかは、現場の細かいシチュ
エーションの把握、ふるわれた暴力の種類、それが本当に不可避の道だったの
かなどが細かく検証されて判断されます。つまり「正当防衛」とは即断できる
ようなものではないというのも、今の私たちの社会の合意でもあります。

にもかかわらず、世界大に問題をずらしてみると、この「正当防衛」と言える
線が現実には常にあいまいで、そこに大きな問題があります。確かにやむをえ
ざる緊急回避としての暴力が容認されざるをえない場合はあるにせよ、多くの
場合、「正当防衛」の名の下にすぐに暴力が容認され、過剰防衛と言えるよう
な事態が頻発しているのが私たちの世界の現実です。

そもそも戦争がそうです。これまで起こった世界の多くの戦争において、しばし
ば戦争当事者が掲げたのが「正当防衛」でした。ただの一つとして、「われわれ
は自らの利益のために侵略を行う」といって行った戦争は(少なくとも近現代に
おいては)ないと思います。つまり「正当防衛」という名の下に、もの凄い暴力
が繰り返し肯定されてきてしまったのです。

その中でも最大の暴力が、僕は原爆の投下だと思います。重要なのはアメリカは
今もこれを、戦争を終結に導き、何十万のアメリカ兵の命を救った正義の行い
だったと言っていることです。これもまた「正当防衛」論の延長です。それに対
して日本政府は抗議を行ったことすらない。そのために「正当防衛」のためなら
原爆を投下することまですらが、私たちの世の中で肯定されているのです。

これは日本軍が行った南京虐殺との大きな違いです。僕は南京虐殺も、原爆投
下もともに許すことのできない戦争犯罪だと思っていますが、南京虐殺に関し
ては誰もそれが犯罪であることを否定していません。論議はその南京虐殺が
あったかなかったのかという点で行われているのです。なかったなどというの
は歴史を著しく歪曲する主張ですが、少なくとも「あれは正義だった」と公言
する人物は存在しません。

ところが原爆は、投下の事実が争われることなどない。その意味では、南京虐
殺はそのものを正しいという人物がいないことに対して、原爆は今も正義だと
言われ続けているのです。そしてアメリカ大統領は、いまだに核ミサイルの
発射権限を持ち続けています。


ここから僕は、正義の暴力論、正当防衛論は再考されなければならないのだと
思うのです。だから私たちはあらゆる暴力を問い直していかなくてはいけない。
そしてその中には社会に構造化された暴力も含みます。自らが手を下さなくと
も、私たちはしばしば、むごい暴力の発動に協力させられてしまっている。
あるいは物理的暴力は発しなくとも、言葉を通じた暴力、支配関係の創出、
他者の排除など、さまざまな暴力の発動の場に、しばしば私たちは巻き込まれ、
ときにその当事者になってしまっています。

もうそんなことは嫌だ、そんな世の中はごめんだ、あらゆる暴力を私たちはみた
くない、あらゆる暴力に参加したくない、だから人を愛すること、自然を愛する
こと、慈しむことに徹したい・・・。今、私たちの社会の中にはそんな思いが
非常に強く沸き起こってきているのではないでしょうか。その思いが、あの福島
原発事故以来、強く私たちの胸のうちを突き動かしているのではないでしょうか。

なぜか。この原発事故そのものが、暴力の象徴であるからです。心ある人が繰り
返し危険を叫んできたのに、学者やマスコミがそれを押さえ込んできた暴力構造、
周辺の人々が本当は怖いとも思っているのに、たくさんのお金でそれを押さえ込
んできた暴力構造、そうして事故が起こるや否や、命を守るための情報が隠され、
人々があたら被曝を強制された暴力構造、今もその暴力は、高線量地帯が「安全」
だと繰り返し宣伝され、財政的な措置もまったくとられずに、多くの人が被曝を
続ける生活のままにおかれていることにも如実にあらわれています。


ところがこうした社会の暴力化に対して、私たちはもう随分前から、違う道を行
き始めていたように思えます。経済戦争とかもしたくない。出世競争で人を蹴落
とすような暴力も嫌だ。もっと違う、心の豊かな暮らしをしたい。そんな思いか
ら、最近、私たちの中には、高度経済成長期の反対をいくように、農村に回帰し
ていく人々が増えてきました。

とくに若い人たちは、出世をめざしてぎらぎらしていた数十年前とは随分様相が
変わってきた。何よりもあまり消費をしなくなった。生産力をあげ、お金を稼ぎ、
ものをいっぱい買って、財産を増やすのが幸せの道・・・とは考えなくなった。
そうして私たちの中に、オルタナティブな暮らし方を求めるムーブメントが、
ゆっくりと、しかし確かに広がってきていたように思います。

そしてあの原発事故があったとき、そうした考えを深めていた人たちほど、すみ
やかに動き出した。ある人は我先にと原発から逃げ出した。命を大事にするため
に逃げ出さなくてはいけないと考えた。またある人は逃げてくる人を受け入れた。
痛みをわかちあわなくてはいけないと考えた。そうしてそこで合流した人たちは
ともに脱原発の声を上げ始めた。それが今、多くの人々の間に、浸透しつつある
のだと思います。

僕はあの大飯原発再稼動反対の現場には、そんな気持ちが充満していたように
思えます。だから僕はそこにいなかったけれども、心を一つにすることができた。
僕にも解放感がありました。それが首都圏20万人のデモの中でも広がっていく
ことを切にのぞみたいです。

そのために暴力は確かに「正当防衛」に限って肯定されうるけれども、もうその
論理、暴力の時代を卒業することを僕は訴えたいです。たとえ正当防衛であろう
とも、暴力の行使はより過剰な暴力に道を開きやすい。始めは悪に対して向けら
れた暴力がいつの間にか味方に、あるいは正義に向けられるようになってしまっ
た歴史も私たちはたくさん見ました。もうそんな暴力の連鎖はみたくない。
だからもう正義の暴力論も私たちは越えましょう。

そのためには言葉の暴力も慎む必要があります。罵倒ではなく、心からの説得を。
もちろん怒りは述べていいのです。でも相手の人格を落としこめるのではなく
相手の心に訴えたい。それを誰に対しても貫きたい。運動内部での意見の違いに
対しても、互いに心広く接していきたい。そうしてこれまで、たくさんの正義が
角を突き合わせ、激突し、傷つけあってきた構造を越えたい。

そうした民衆の間での傷つけあいもまた、私たちの置かれている社会の暴力構造
のもとで生まれていることに自覚的になり、だから私たちの内側のあらゆるとこ
ろから暴力を追い出していきましょう。暴力の時代を卒業しましょう。

大飯の現場から僕はそうしたことを学びました。僕自身、理不尽なことには
不服従を貫き続けるけれども、非暴力をより体現して歩んでいきたいと思います。
感動的な場を作り出してくれたすべての参加者に感謝して、この考察を閉じます!


コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(508)会津若松市でお話します!(7月19日)

2012年07月11日 23時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120711 23:30)

すでにお知らせしたように、7月13日から岩手県・山形県を訪問する旅に出ること
になりました。14,15日に大槌町を訪ね、17日に山形市を、18日に米沢市を訪ね
ます。その次に、福島県内に入り、会津若松市におじゃまさせていただくことに
なりました。

会津地方は、深刻な放射能汚染を被っている福島県の中でも比較的線量の低い
ところです。しかし最近のNHKの「ネットワークで作る放射能汚染地図」と
いう番組の中で、猪苗代湖から日本海に流れている阿賀野川で放射能の自然濃縮
が起こり、会津坂下町などの河川敷で、高濃度の汚染が見つかったことが報道さ
れるなど、深刻な現実も見えてきています。

こうした中で今回は、会津放射能情報センターのみなさんに迎えていただき、
お話をする機会を得ることができました。会津のみなさんと、放射線防護を
以下に進めるか、じっくりと話し合ってきたいと思っています。

さらに今回の訪問では、ぜひとも会津藩のこと、なかんずく僕が幕末の人士の中で
最も尊敬する山本覚馬のことなど、濃厚な取材も行ってきたいと思っています。
その意味で、岩手県大槌町から山形をめぐる旅の最後に、会津によらせていただけ
ることには感慨深いものがあります。

これまでもたびたび僕は会津のこと、さらには明治維新とそれ以降に、この国が
東北に対してどのようなことを行ってきたのかを問う論考を発信してきました。
その中でも自分にとっても忘れられないのが、河北新報の社説に寄せて書いた
以下の文章です。

明日に向けて(150)東北の位置づけ変え自立を(河北新報社説より)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/b1c44d586228246fd43be99ddd561d52

この中にも書いたように、福島原発は私たちの国が東北に非常に大きな負担を
押し付けながら、明治以降の近代化を実現し、さらに戦後の高度経済成長を
なしとげてきたことを象徴するものだと僕には思えます。東京を始めとする
首都圏に電気を供給しながら、自らは東電管内に立地しておらず、東北電力の
電気で動いていることにその矛盾は象徴的に現れています。

僕は今、私たちが担っている脱原発の運動は、こうした私たちの国の歪んだ
成長の病からの決別にまで発展させることがとても大事だと思っています。
そのことでこそ、私たちは、未来の展望を、・・・深刻な汚染の中からでも
・・・切り開きうる。私たちは原発と一緒に、差別、抑圧の構造と決別して
いかなくてはならないとそう思うのです。

その意味で、僕には、会津は、私たちの国の歴史の問い直しのヒントがたくさん
存在している場に思えるのです。ぜひその場で多くを学び、吸収し、それをまた
みなさんに発信していきたいと思います。

以下、会津放射能情報センター「放射能から子どものいのちを守る会・会津」
公式ブログに載せていただいた「学習会の案内」を貼り付けておきます。


*******

学習会のご案内
http://ameblo.jp/mamorukai-aizu/

7月19日(木)10:00~12:00 会津放射能情報センターにて(無料)
講師 守田敏也さん

<プロフィール>
1959年生まれ。京都市在住。同志社大学社会的共通資本研センター客員フェロー
などを経て、現在フリーライターとして取材活動を続けながら、社会的共通資本
に関する研究を進めている 。ナラ枯れ問題に深く関わり京都大文字山での害虫
防除なども実施。原子力政策に関しても独自の研究と批判活動を続け、東日本
大震災以降は被災地も度々訪問。ボランティアや放射能除染プロジェクトなどに
携わっている。2012年4月より、「市民と科学者の内部被曝問題研究会」常任理事
に就任。同会の広報委員長も務めている。

著作として被爆医師・肥田舜太郎さんインタビュー「放射能との共存時代を前向
きに生きる」岩波書店『世界』2011年9月号、市民放射線測定室と内部被曝
問題研究会結成をルポした「市民と科学者が放射線防護に立ち上がった」岩波書店
『世界』2012年4月号、物理学者・琉球大学名誉教授矢ヶ克馬氏との共著、
『内部被曝』(岩波ブックレット)がある。

******************

守田さんは、7月14日、15日と岩手県大槌町で、17日夜と18日午前中は山形市、
18日夕方は米沢市で講演をなさいます。
そしてその帰り道、会津若松にお立ち寄りくださることになり、守田さんを囲んで
学習会を開くことにしました。
「内部被曝」「瓦礫焼却問題」「川や土壌の汚染」等々、身近にある深刻な問題に
ついて、取材をもとにお話を伺い、自由に意見交換できればと思っています。
どなたでも、どうぞお気軽にご参加ください。

山形、米沢での講演会の詳細は、守田さんのブログ「明日に向けて」をご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/d/20120707

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(507)日本の核武装?とんでもない!格搭載可能のF35戦闘機購入も反対!

2012年07月10日 23時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120710 23:30)

大飯原発再稼動反対の声が大きく高まり、首相官邸をとりまく10万人、
20万人のデモが繰り返し起こっています。関西でも大阪の関西電力本社
前や、京都支店前での抗議行動が繰り返されています。多くの人々が福島
原発から漏れ出した膨大な放射能から自らを、また人々を守るために奔走
するとともに、原子力政策の抱えてきた根本的な問題に気づき、原子力か
ら離れた世の中のあり方を模索し始めています。今、私たちの国には、
悲劇を通して、新しい何かを創造しようとする機運が高まりつつあります。

ところが、こんなときに、私たちの政府は、なんと核武装や集団自衛権の
行使など、核兵器を軸にした暴力的な国家作りのためのさまざまな施策を
打ち出し始めました。一体、なぜこの時期にそんなことをするのでしょう
か。その分析をふくめつつ、ここで、現在ひっそりと進められているこれ
らの政策への批判的検討を行っておきたいと思います。


①原子力基本法に「安全保障に資する」という文言が入れられた!

問題の第一は、私たちの国の原子力政策に関する「憲法」の位置を持った
「原子力基本法」の改訂が6月20日に行われ、原子力政策の目的として
「安全保障に資する」という文言が加えられたことです。東京新聞は6月
21日朝刊で次のように伝えています。

***

二十日に成立した原子力規制委員会設置法の付則で、「原子力の憲法」と
もいわれる原子力基本法の基本方針が変更された。基本方針の変更は三十
四年ぶり。法案は衆院を通過するまで国会のホームページに掲載されてお
らず、国民の目に触れない形で、ほとんど議論もなく重大な変更が行われ
ていた。 

設置法案は、民主党と自民、公明両党の修正協議を経て今月十五日、衆院
環境委員長名で提出された。

基本法の変更は、末尾にある付則の一二条に盛り込まれた。原子力の研究
や利用を「平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下
に」とした基本法二条に一項を追加。原子力利用の「安全確保」は「国民
の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資す
ることを目的として」行うとした。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012062102000113.html

引用はここまで
***

ここでいう「安全保障に資する」こととは何を意味するのか、明確な定義が
ないのですが、明らかにこの文言は、軍事使用に資することとも解釈できる
ものです。それが基本法に加えられたのですから、その意図はどうあれ、核
武装の可能性を大きく開くものである点が批判される必要があります。

しかもその決め方にも、人々の目に触れることなく、付則の改定で、基本法
を変えてしまうという大きな問題があります。どさくさにまぎれて、核武装
の道を開こうとするものと言われて、反論のしようがない進め方です。


②宇宙航空研究開発機構の活動目的から「平和利用」の限定を削除

この6月20日には、もう一つ重要な法律の改訂が行われています。「宇宙
航空研究開発機構」(JAXA)を「平和利用」に限定するとしていた文言を削
除することで、軍事利用への見道を切り開いたことです。JAXAは「宇宙航空
分野の基礎研究から開発・利用に至るまで一貫して行うことのできる機関」
(同機構HPより)ですが、この改訂でこの機構は、軍事ミサイルや偵察衛星の
開発・利用ができることになってしまいました。これを報じた西日本新聞は
次の点を指摘しています。

***

1969年の国会決議以来「非軍事」が原則だったが、2008年に成立し
た宇宙基本法が「安全保障に資するよう行わなければならない」と、防衛利
用容認に転換していた。

文部科学省と総務省の所管省庁に、内閣府と経済産業省を追加し、防衛省が
所管することもできるようにした。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/308710

引用はここまで
***

③首相が議長を務める「国家戦略会議」が、集団的自衛権の行使を主張

さらに7月6日には、野田首相が議長を務める「国家戦略会議」の下にある
「フロンティア分科会」が、集団的自衛権を「保有しているが行使できない」
としている政府の憲法解釈を変えて、集団自衛権の行使を可能とすべきだとい
う主張を行いました。集団的自衛権とは、同盟国が攻撃された場合、自らへの
攻撃として反撃することを容認する考えで、具体的には世界のあちこちで戦争
をしかけているアメリカへの攻撃がなされた場合、自衛隊が反撃に打って出る
ことを可能とするものです。これが認められると日本の戦争参加の可能性が一
気に拡大します。これについては読売新聞が次のように要点をまとめています。

***

政府の国家戦略会議(議長・野田佳彦首相)の下で安全保障や経済財政など中
長期的な国家ビジョンを検討してきた「フロンティア分科会」(座長・大西隆
東大教授)は6日、集団的自衛権について「保有しているが行使できない」と
している政府の憲法解釈を見直すよう求める報告書を首相に提出した。

分科会は首相肝煎りで2月にスタート。今回の報告書は「2050年の日本の
あるべき姿」を提示。そのうち2025年までに取り組む重点政策の一つとし
て、「集団的自衛権に関する解釈など旧来の制度慣行の見直しを通じ、安保協
力手段の拡充を図るべきだ」と明記した。

さらに、「米国や価値観を共有する諸国と安保協力を深化し、ネットワーク化
を目指す」と提言。沖縄・尖閣諸島周辺などへの中国の海洋進出を踏まえ、
「離島や海洋資源をめぐる紛争や各種の侵犯活動に、自ら対処する能力を高め
ていく必要がある」と指摘した。

このほか、日本版国家安全保障会議(NSC)の設置も提言。国連平和維持活
動(PKO)五原則にある自衛隊の武器使用基準についても見直しの必要性に
言及した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120707-00000090-san-pol

引用はここまで
***


④格兵器搭載可能なF35戦闘機を40機以上購入しようとしている

同時にこれと連動した位置にあるのが、アメリカからのF35戦闘機の40機
以上の購入です。そもそも東日本で大変な放射能漏れが起こっており、被曝か
ら国民・住民を守ることが最優先されるべきこの時期に、必要もない高性能
ジェット戦闘機を買うこと自体が間違っていますが、これと原子力基本法改訂
や、JAXAの軍事利用化、集団自衛権行使への踏み込みなどを並べてみたときに
浮かび上がってくる重大な事実が、この戦闘機が核兵器搭載可能として開発
されていることです。
 
F35が核兵器搭載のものとして開発されているのは、アメリカの政策にもとづく
ものです。というのはアメリカは核兵器の小型化を図っています。それで戦闘
機にも搭載可能になることを目指しているのです。戦闘機は空母に載せてあら
ゆる地域に展開することが可能で、洋上に移動する核攻撃基地を登場させるこ
とができます。潜水艦からの核ミサイルの発射と違い、パイロットが攻撃目標
の直近までいって核爆弾を投下するわけですから命中精度もはるかに高くなり、
それだけ軍事的脅威が増します。


⑤暴力は暴力しか生まない

こうした暴力による国際政治の進展は何を生むでしょうか。必ず起こってくる
のが対抗的な軍事開発です。ロシアや中国など、他の核保有国でも戦闘機に搭
載可能な核兵器の開発をめざすでしょう。かって核ミサイル開発競争で行われ
たのと同じことが、今度は、格を搭載したジェット戦闘機の開発競争として繰
り広げられるでしょう。そうなると実は軍事産業にとっては願ったりかなった
りなのです。また対抗的な開発が可能になるからです。

しかし恐ろしいことに、そうして新しい兵器が増えると、各国の側に使いたい
衝動が生まれると共に、実際にも兵器を使用することで、さらにスクラップ
アンドビルドを試みる必要性が生じてくることです。

1990年代初頭に、ソ連が崩壊したとき、アメリカ軍は、もっとも優秀で刺激
を与えてくれる競争相手を失い、同時に自分たちの存在意義も失ってしまったと
呆然となったといいます。そのためにイラクのフセインを挑発して湾岸戦争が
仕掛けられました。そのときそれまで開発してきた巡航ミサイル・トマホークな
どがふんだんに使われました。劣化ウラン弾も大量に使用され、湾岸諸国は爆弾
投下による破壊と、と劣化ウラン弾によるめちゃくちゃな汚染を被りました。

さらに2001年に911事件が起こると、アメリカは何の証拠開示もなしに
オサマビン・ラディンを犯人と名指し、彼の引渡しに応じないというだけの理由
で、全面的にアフガニスタンに侵攻を始めました。アフガンの人々が、アメリカ
になんの攻撃をしかけたわけでもなかったのにもかかわらずです。そうして「兵
器の見本市」と言われるような戦闘行為が行われました。今度も大量の劣化ウラ
ン弾が使われると共に、バンカーバスターと呼ばれる硬い岩盤をも貫いていく爆
弾や、デイジーカッターと言われる広範囲を一瞬のうちに火の海にしてしまう兵
器が使われました。使っていない兵器は核兵器だけと言われるような戦闘でした。

さらにそれに続く2003年からのイラク戦争では、フセイン政権が「大量破壊
兵器」など、まったく持っていなかったにもかかわらず、それを理由とした大規
模戦闘が行われました。逮捕で言えばまったくの誤認逮捕ですが、アメリカはあ
とから戦争目的を独裁者フセイン打倒に修正、日本政府がこれを承認してしまい
ました。このときも大量の兵器が見本市のように使われました。それがこの20
年間にアメリカ軍が繰り返してきたことでした。
 
これらの流れをみるとき、アメリカが核兵器の小型化をはじめ、戦闘機の軍事的
脅威をはるかに高めようとしている体系の中に日本を組み込むことを目指してい
るのではないかということがみてとれます。また日本の側も、こうしたアメリカ
の意図に連動しつつ、独自に核武装の可能性を開きつつ、軍事ミサイルの開発や
集団自衛権の行使に踏み込み、さらに核搭載可能な戦闘機の配備をも進めようと
しているのではないか。そうした疑惑が沸いてきます。
 

⑥崩壊しつつある核戦略維持のための核軍拡?

ではなぜよりによってこの時期にアメリカは核兵器の小型化を目指し、戦闘機へ
の配備による核軍事力のアップを目指そうとしているのか。またなぜ日本政府も
また、この時期に核武装の可能性を広げ、軍事ミサイルの開発すら視野に入れ、
集団的自衛権行使や、格搭載可能な戦闘機の配備を実現しようとしているのか。

実はそこにこそ、アメリカと日本が直面している核戦略体系の危機があるのでは
ないでしょうか。なぜか。福島第一原発事故がチェルノブイリに続いて、放射能
の危険性を世界の人々に痛感させるものとなっているからです。とくに急速な覚
醒を示しているのが日本に住まう市民です。今、日本の中では、放射能に対する
学習熱が、おそらくは戦後最大と言える規模で高まっています。アメリカが何よ
りも恐れているのはこれが世界に波及し、さらにはアメリカに飛び火してくるこ
とです。

なぜか。福島原発事故ではアメリカ西海岸もまた大きく被曝してしまっているか
らです。汚染度は西日本の各地域を上回るほど深刻です。そしてそのことにアメ
リカの国民・住民が気がつきつつある。お隣の国、カナダでも同じです。そうな
るとどうなるのか。アメリカの中で放射能に対する危機意識が高まると、これま
で封印してきたいくつもの事実が浮上してきてしまう。例えば、アメリカで実は
たびたび起こっていた核軍事工場の事故による放射能汚染などです。

このことは「核抑止力」という考え方を根底から崩すものです。「核兵器は使用
するためにではなく、相手に使用させないために持っているのだ。だから核を
持っている方が安全なのだ」というのが、核抑止力の考え方ですが、ここには核
兵器製造過程で繰り返されてきた事故による深刻な放射能汚染の事実が封印され
ています。戦後に繰り返し行った核実験による汚染もきわめて過小評価されてき
ました。しかしアメリカは、まさに核武装することにより、たびたび放射能汚染
に襲われてきたのです。

そうした歴史の総体に人々の目が向き始めると、広島・長崎原爆の投下以降、ア
メリカが必死で封印してきたあらゆることが明らかになりかねません。まさにこ
の福島原発事故を通じて、アメリカの被曝隠しの歴史的政策がひっくりかえって
しまい、真実が暴露されかねない。何よりそのことで、世界の民衆が、そうして
アメリカの民衆が、暴力による世界支配の虚構性に覚醒し、核のない世の中を目
指して立ち上るでしょう。だからこそ、放射線被曝の危険性の封印を徹底して
継続することが、アメリカのもっとも重要な世界戦略になっているのです。

野田政権による昨年末の冷温停止宣言もこのようにして行われたと推察されます。
事故はまったく終わってなどいないのに終わったことにする。そうして日本の市
民からもアメリカの市民からも、事故を遠ざける。そのことで核戦略を生き延び
させようとしているのでしょう。今日のきわめて強引な原発の再稼動の動きも、
こうしたアメリカ政府による核戦略の生き延びのための強い示唆を受けてのこと
だと思われます。その意味で日本政府のさまざまな核軍拡の動きは、脱原発の動
きを押しとどめることとリンクしているのです。

私たちは今こそこの流れと立ち向かいましょう。世界を暴力で支配しようとして、
核爆弾を投下し、その後も核兵器を作り続けてきたアメリカを中心とした暴力の
世界に終わりを告げること、世界中の市民の力で、平和と相互理解を広げるべき
こと、その展望が今、開かれています。そのためにも日本の中から、核軍拡反対、
格搭載可能な戦闘機導入反対の声を上げましょう。暴力の世界をおわらせるため
に、一緒に歩みを強めましょう!
 
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(506)山形市、米沢市でお話します!(7月17日、18日)

2012年07月07日 22時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120707 22:30)

今月の14日、15日に岩手県大槌町でお話することになりましたが、その後に山形
県を訪問することになりました。17日夜と18日午前中に山形市で、18日夕方に
米沢市でお話します。

きっかけは米沢の方が、5月23日に福島大学で行われたシンポジウムに参加されて
いたことです。そのときに山形にも来られないかとのお話を受けて、今回の講演を
設定していただくはこびになりました。

これにあわせる形で、今、米沢での土壌調査も進めているそうです、仙台市太白区
の市民放射線測定室「小さき花」の石森さんが関わっているとのこと。僕もこの分
析などに関わらせていただこうと思います。


すでにお伝えしてきたように、5月20日には仙台市を訪れて、矢ヶ崎さんとのジョイ
ント講演をさせていただきましたが、岩手県、宮城県、山形県など、福島以外の
東北各県での放射能汚染の実態を市民がつかみ、放射線防護活動を進めていくこと
はきわめて重要です。

とくに政府が、これらの地域に対してはしらんぷりを決め込んで、そればかりか、
何か震災遺物が「復興」を阻んでいるかのようにだけ立ち回り、生活を困難にして
いる放射能汚染による漁業や農業への大変な打撃などを隠していることに対し、
現地の方々と一緒にその実態をひとつひとつ明らかにしていきたいと思います。

大槌訪問のお知らせでも、こうした観点を書きましたが、これに対してすぐさま、
茨城県の漁業関係者の方からメールが寄せられました。何とも胸が痛くなる内容で
した。みなさんにシェアしていただくためにここに転載します。

*****

漁業について

茨城県北部漁業関係者の妻です。3・11のあの日、小型船の漁師たちは、大地震の
中、船に飛び乗り、沖へと船を出しました。そして、一晩を明かし港に戻って来
ました。港は空爆された如くに変わり果てましたが、沖へと逃れた船は無事でした。
命がけで守ったにもかかわらず、いまだに出漁していません。自粛です。放射能
汚染された魚に値がつかないからです。漁協がベルトコンベアー式の測定器を導入
し試験的に測り始めました。国、東電がすべきことを、何の罪もない、被害だけ
被っている漁師たちにさせている。本当に復興するとは、私には思えません。
いまだに高濃度の放射能は陸も海も汚し続けています。豊かな海をかえしてほしい。
豊かな食卓を返して欲しい。活気あふれる市場、サイレンの音。新鮮で美味し
かった数々の魚介。夢のような食卓でした。放射能さえなければ、母子避難など
せずに、復興に力を注ぎたかった。くやしい。逃げてごめんなさい。でも、子孫を
守りたい。ごめんなさい。

引用ここまで
*****

津波がきたときどうするのか、漁師さんたちは「沖に逃げろ」と言われてきたと
大槌で聞いたことがあります。沖に命と同じほどに大事な船と一緒に逃げるので
す。でも沖に出る前に津波が来たらどうするのか。波に正面から、まっすぐに
ぶつかっていくのだそうです。そうすると舳先が天を向く。そして船が波の壁を
登っていく。そうして津波の頂点を乗り越し、今度は向こう側に落ちていく。
そんな芸当を、5回も6回も繰り返して沖に出た漁師さんもおられました。

それやこれや、本当に命がけの操舵を繰り返して、多くの漁師さんたちが船を
守った。船を守ることで、漁を守ろうとした。しかしそこに放射能が襲ってきた。
津波は乗り越えたのに、船と漁を守ったはずだったのに、漁ができなくなって
しまった。その悲しみはいかばかりのことでしょう。

さらに特筆すべきことは、茨城県沖というと、早い時期に「コウナゴ」から高い
値の放射能が出たところですが、これは漁師さんたちが自主的に測ることで発見
された汚染だったのでした。あのとき自ら測ることをしなければ、それらの魚は
市場に流れていた。しかし茨城県の漁民の方たちはそれをしなかった。自ら魚が
危険であることを世に問うたのです。僕はこのとき、漁師さんたちの心意気を
感じました。

しかしこれに応えた政治家が一人でもいたでしょうか。政治家としての心意気を
私たちは本当にたったの一度も見ることがなかった。まるで「正直者がバカをみる」
と言われたままのような仕組みが横行した。そんなことが、いまもなお、放置され
たままになっています。


この投稿は「避難者」という名をつけた方から行っていただいたのですが、僕は
この方に、けして「ごめんなさいと言う必要はないですよ!子どもさんを守って
くださってありがとうございます」と伝えたいです。同時に、少しでも痛みが和ら
いでいくことをのぞみたい。でもこのままで痛みを和らげることはできるので
しょうか。

「国、東電がすべきことを、何の罪もない、被害だけ被っている漁師たちにさせ
ている」・・・まさにその通り。この状態が変わらない限り、海の豊かな幸を、
これまで私たちに供給してきてくれたこの方たちの明るい未来は見えてきません。
だから私たちは今、何かをしなくてはいけない。その何かを探しにいくためにも、
僕は大槌に赴きたいと思います。同時に、海岸線とは立場がまたぜんぜん違うけれ
ども、山形の大地に赴き、そこで見つめるべきものを見つめ、聞くべき声を聞き、
そうして東北の明日のために私たちがなすべきことを考えてきたいと思います。

それを再び、今後のレポートに載せていきますが、今、みなさんに訴えたいのは、
これらの地域への支援の継続です。とくに放射線防護活動の進展に向けて、全国の
みなさんのお力添えをいただければと思います。

実はすでに岩手県大槌町には、先日、講演のために訪問した兵庫県篠山市の「木の
おもちゃと雑貨・沖縄やむちんのお店 Natural Backyard」さんから、子どもたち
のために、木のおもちゃを、送っていただきました。講演の受け入れ団体である、
「ぐるっとおおつち」に届いていて、仮設住宅近くの集会所で相談会をするとき、
篠山からのおみやげとして、寄贈させていただくつもりです。どんなおもちゃが届く
かは、下記のHPからご覧になれます。
http://naturalbackyard.jp/
http://backyard.shop-pro.jp/

また、京都のママさんたちが作っている「ほっこり通信」編集部からも、大槌や
山形に、放射能に関するいろいろな情報を載せたこの通信を送りたいとの申し出を
いただいています。ほっこり通信については、京都新聞などに案内が出ていますの
で、以下をご覧ください。
http://kyoto-np.co.jp/politics/article/20111031000031
http://tamaky.com/kibou/2012/06/20/%E3%81%BB%E3%81%A3%E3%81%93%E3%82%8A%E9%80%9A%E4%BF%A1-3%E5%8F%B7/


大津波で被害を受けた地域への支援と、山形への支援はもちろん大きな違いがあり
ますが、まずは全国のみなさんが、それらの地域のそれぞれの痛みに関心を寄せて
いること、痛みをシェアしたいと思っていることが伝わればと思います。
そうしてそこから一緒にできること、とくに放射能被曝の危険性、放射能にとり
囲まれた苦しみと悲しみを脱する何か、少しでも軽減する何かをともに積み上げて
いきたいと思います。そのためにみなさんも、それぞれに、できることを探して
いただけたらと思います。僕はそれを訪問先のそれぞれの地域につなげたいと
思います。

こうしたことを強く意識しつつ、岩手県大槌町、山形県山形市、米沢市をお訪ねし
てきます。なお米沢の次には、福島県会津若松市にも訪問してくる予定です。
19日午前中です。こちらも会場など決まり次第、お知らせします。

以下、山形市と米沢市での講演予定などを貼り付けておきます。

*****************

守田敏也さん山形講演会
『放射能』と向きあう


シーベルト、ベクレル、セシウム、ヨウ素、ストロンチウム…、昨年3 月の福島
第一原発事故後、今まで私たちの身近にはなかった言葉が飛び交っています。
「ただちに影響はありません」という言葉は本当でしょうか?子どもへの影響が
大きいといわれる放射能。「外部被ばく」と「内部被ばく」の違いとメカニズム、
食べ物の安全性、震災廃棄物の広域処理、子どもたちを守るための防護策など、
3.11 震災後、何度も東北に足を運んで取材やボランティアを続けて下さっている、
京都市在住のフリーライター守田敏也さんに実際の現場から見えてきたことを
おうかがいします。チェルノブイリでの悲しみが、またこの日本で引き起こされ
ようとしています。放射能からいのちを守るためにみんなで考えましょう。
ぜひご参加ください!

<講師プロフィール>守田 敏也(もりた としや)  
1959年生まれ。京都市在住。同志社大学社会的共通資本研センター客員フェロー
などを経て、現在フリーライターとして取材活動を続けながら、社会的共通資本
に関する研究を進めている。原子力政策についても独自の研究を続けている。
震災後のデータ収集と鋭い分析力により、精力的に講演活動を行い、多忙な毎日
を送っている。優しく丁寧な語り口が評判のブログ発信中!
『明日に向けて』: http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011

<山形会場>
お仕事帰りのお父さん、夜は出掛けられないお母さんのために、
2日間にわたり、夜と昼の2回講演を行います。ぜひお越しください!

<昼の部>
2012年7月18日(水)
10時30分~12時30分(開場10:00)
<夜の部>
2012年7月17日(火)
18時30分~20時30分(開場18:00)

[遊学館]山形県生涯学習センター3階 第一研修室(山形市緑町1丁目2番36号)
■参加費:600円  ■託児はありませんが、キッズルーム利用可

<米沢会場>
2012年7月18日(水)19時~21時(開場18:30)

伝国の杜置賜文化ホール 大会議室(米沢市丸の内一丁目2番1号)
■参加費:600円 (託児はございません)
■お問合せ:kumi-37.8.4-chan@docomo.ne.jp / 090-3362-8064(さいとう)

主催
7代先のこどもたちのために行動する会

共催
ガイアネットワークやまがた
NPOりとる福島避難者ネットワーク
NPO毎週末山形 子どもの未来を守る会やまがた
5 年後10 年後こどもたちが健やかに育つ会山形上山
http://plaza.rakuten.co.jp/azuazuki3/diary/201207060000/

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする