goo blog サービス終了のお知らせ 

明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(526)「黒い雨 活かされなかった被爆者調査」(NHKスペシャルより)

2012年08月11日 07時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20120811 07:00)

8月6日にNHKスペシャルで「黒い雨 活かされなかった被爆者調査」という番組が放映されました。戦後、広島・長崎で、被爆者調査を独占的に行ったABCC(原爆傷害調査委員会)が、黒い雨に関する93000人からの聞き取り調査を行いながら、そのデータがまったく活かされてこなかったことを告発した迫真の番組でした。

非常に重要な内容が含まれていたので、番組全体を文字起こししました。長いですが番組を見る余裕の無い方はぜひお読みください。
なお番組は、今なら以下のアドレスから観ることができます。

2012.8.6NHKスペシャル「黒い雨」完全版
http://www.at-douga.com/?p=5774

再放送も、14日午前0時50分よりNHK総合で行われます。見逃された方はぜひキャッチしてください。

この番組内容について、いろいろコメントしたいところですが、起こした内容が長いので、今回はまず文字起こし分だけ掲載し、次回にコメントを掲載することにさせていただきます。

以下、番組を紹介します。

***********

「黒い雨 活かされなかった被爆者調査」
2012.8.6NHKスペシャル

広島に住む女性が大切に保管しているものがあります。無数の黒いシミが残るブラウスです。

「染み込んどるの洗っても洗ってもとれんかった、これ。」

原爆投下直後、広島に降った黒い雨。67年前の確かな痕跡です。

アメリカが広島・長崎に投下した原子爆弾。きのこ雲には、爆発で巻き上げられた地チリや埃とともに大量の放射性物質が含まれていました。それが上
空で急速に冷やされ、雨となって降りました。いわゆる黒い雨です。

原爆資料館に保管されている雨だれのあと、原爆の材料となったウランなどの放射性物質が検出されています。しかしこれまで雨がどこに降り、どれだ
けの被曝をもたらしたのか詳細なデータがないため、わからないままになっていました。

ところが去年12月、国が所管する被爆者の調査をする研究所に大量のデータが存在していたことが明らかになりました。

公開されたのは広島・長崎10000人を超える被爆者がどこで雨にあったのかのを示す分布図です。丸の大きさが雨にあった人数を表しています。データは戦後、被曝の影響を調べる大規模な調査の中で集められたものでした。
突然あかされた新事実。黒い雨を浴びてガンなどの病気になっても、その影響を認められなかった人たちに衝撃が広がっています。

「どうしてだしてくれんかったんかね。こういうものがあったのに」
「これはもう、憤り以外の何者でもないですよね」

このデータをもとに、黒い雨の実態解明を進める動きも起きています。最新の研究で、雨が多く降ったところで、被爆者ががんで死亡するリスクが高まっている可能性が浮かびあがってきたのです。

「まったく驚きですね。リスクが高くなっている地域が黒い雨の影響を受けているんだろう」

黒い雨のデータはなぜ生かされてこなかったのか。それは今の時代に何を語るのか。被曝から67年、はじめて明らかになる真実です。


今回公開された黒い雨のデータ、その存在があきらかになったのは長崎のある医師が抱いたある疑問でした。長崎市内で開業している本田孝也医師です。
黒い雨を浴び、体調不良を訴える患者を長年診てきました。

「アメの色は黒かった?」
「はいもう黒かったですよ、汚れて」
「髪の毛が抜けたとは」
「私は髪の毛が抜けたなという感じはしましたもんね。」(患者との対話)

患者の中にはガンや白血病などの病気になった人も少なくありませんでした。しかし詳しいデータはなく、どうすることもできませんでした。
何か資料はないのか。さまざまな文献に当たる中で、去年、気になる報告書を見つけました。広島と長崎で、被爆者の調査をしてきたアメリカの調査機関ABCCの調査員が内部向けに書いたものでした。そこには黒い雨を浴びた人に、被曝特有の出血斑や脱毛などの急性症状が出たことが集計された数字と共に記されていました。元になったデータがあるのかもしれないと本田さんは思いました。

「そんなことは聞いたことがなかったので、それほどのデータがあったのかなと、ずっと昔から研究されている研究者の中で話題にならなかったのかというのが、最初は不思議だなと思ったところですね。」

本田さんは当時、報告書を書いた研究員がいた研究所に問い合わせました。
アメリカのABCCを引き継いだ放射線影響研究所、放影研。国から補助金を受けて、被爆者の調査を行い、そのデータは被曝の国際的な安全基準の元になってきました。本田さんに対する放影研の答えは、確かに黒い雨に対する調査は行ったが、詳細は個人情報であり、公開はできないというものでした。そのとき渡されたのは調査につかったからの質問表でした。どこで被曝したか、どんな急性症状を起こしたか、数重もの質問が並んでいました。
1950年代、ABCCが放射線の人体への影響を調べるため、広島と長崎の被爆者93000人に行った聞き取り調査でした。

「原爆はどちらでおあいになりましたか?脱毛はありましたですか?」
「すっかり毛が抜けてしまったんです」

原爆直後、雨にあいましたか?黒い雨に関する聞き取り項目もありました。
放影研は本田さんとの数回におよぶやりとりの末、13000人がイエスと答えていたことを初めて明かしたのです。

「ほんとかなという実感がわかなくて。なんかありそうじゃないじゃないですか、そんな膨大なデータをいまどき、そのままにしているなんて。
そこからは何かがでるはずだろうし、何で今まで出さなかったのかという、ちょっと険しいやりとりになったのですけれど。」

マスコミから問い合わせが殺到し、2ヵ月後、放影研は分布図だけを公開しました。これまで公開しなかった理由について、隠してきたわけではなく、
データの重要度が低いと判断したからだとしています。その根拠は何か。
放影研が重視してきたのは、原爆炸裂の瞬間に放出される初期放射線です。その被曝線量は爆心地から1キロ以内では、大半が死に至るほど高い値ですが、2キロ付近で100mSvを下回ります。100mSvは健康に影響をもたらす基準とされている値とされていて、放影研はそれより遠くでは影響は見られないとしているのです。

しかし被曝はそれだけではありません。黒い雨や地上に残された放射性物質による残留放射線です。原爆投下後の1ヶ月あまりの後の測定から、被曝線量は高いとことでも10から30mSvと推測されています。

放影研の大久保利晃理事長。残留放射線の被曝線量は、研究の中で無視してよい程度だったとしています。

「集団としてみた場合には黒い雨の影響はそんなに大きなものではなかったと思います。影響はないとは言ってませんよ。もちろん放射線の被曝の原因になっているということは間違いない事実だと思いますけれど。それが相対的に直接被曝の被曝線量と比べて、それを凌駕する、あるいは全体的に結論を変えなければいけないようなものであったかという質問であっととすれは、それはそんなに大きなものではなかったと。」

公開された分布図を見ると、黒い雨にあった人は、爆心地から2キロの外にも多くいたことが分かります。それなのになぜ黒い雨の影響を調べなかったのか。多くの人が、放影研の説明に納得できずにいます。

爆心地からおよそ2.5キロ。広島市の西部、己斐(こい)地区です。黒い雨が激しく振りました。しかしひとりひとりが黒い雨を浴びた確かな証拠はありません。

佐久間邦彦さん。67歳です。当時、生後9ヶ月だった佐久間さんにとっても、黒い雨を浴びたことを示すものは自分をおぶっていた母の話だけでした。

「聞いているのは最初、パラパラっときて、それからザーッときたというふうには聞いてますけどね。頭と背中と、当然、もろに濡れたんじゃないかなと思っています。」

佐久間さんは幼いころから白血球の数が異常に少なく、小学生のときには、腎臓と肝臓の大病を患いました。母親の静子さんは乳がんを発症。しかし黒い雨を浴びた確かな証拠はなく、その影響を強く訴えることはできませんでした。佐久間さんは放影研のデータの存在を知り、自分のデータはあるのか問い合わせました。二週間後、送られてきた封筒には、調査記録のコピーが入っていました。

「イエスというふうにこれ(原爆直後、雨ニ逢イマシタカ?)にチェックしてあります。まさかですね、私がこの中の人になるとは思っていなかった。」

調査に答えていたのは母、静子さんでした。母が答えた調査記録があるのに、なぜ国は病気のことを調べてくれなかったのか。病気と黒い雨との関係を明らかにできなかったのか。疑念が沸いてきました。

「そのままにしておかれたのかという、私たち被爆者の立場から考えたら、もう何の調査もされていないということは、これはもう憤り以外、なにものでもないですよね。」

今、放影研から調査記録を取り寄せる被爆者が相次いでいます。私たちは今回、被爆者の承諾を得て、53人分の調査記録を集めました。被爆者自身、初めて眼にする黒い雨の確かな記録です。中には、発熱や下痢など、複数の急性症状が爆心地から5キロの場所にいたにもかかわらず、強く出ていたという記録もありました。

調査を行ったABCCは、黒い雨のデータを集めていながら、なぜ詳しく調べることなく眠らせていたのか。私たちは調査を主導していたアメリカを取材することにしました。

(アメリカ・ワシントン)

ABCCに資金を提供し、大きな影響力を持っていたのが、原子力委員会(現エネルギー省)です。戦時中、原爆を開発したマンハッタン計画を引き継ぎ、核兵器の開発と、原子力の平和利用を、同時に進めていました。

被爆者の調査がはじまったのは1950年代。

「核分裂物質が人類の平和のために使われるだろう」(アイゼンハワー大統領)

アイゼンハワー大統領の演説を受け、原子力の平和利用に乗り出したアメリカ。しかし核実験を繰り返した結果、国内で被曝への不安が高まり、対処する必要に迫られていました。

原子力委員会の意向を受け、ABCCは被曝の安全基準を作る研究にとりかかります。被爆者93000人について、被曝した状況と健康被害を調べて、データ化する作業がいっせいに始まりました。

当時の原子力委員会の内情を知る人物が、取材に応じました。セオドア・ロックウェル氏、90歳です。戦時中、広島原爆の開発に参加したロックウェル氏は、原子力委員会で、原子炉の実用化を進めていました。安全基準を一日も早く作ることが求められる中で、黒い雨など、残留放射線について調べる気は初めからなかったといいます。

「被爆者のデータは絶対的な被ばくの安全基準を作るためのものだと最初から決まっていました。残留放射線について詳しく調査するなんてなんの役にも立ちません。」

さらに私たちは残留放射線の問題に対する原子力委員会の強い姿勢を示す資料にいきあたりました。

「これは原子力委員会からの手紙です。1955年のものです。」

手紙を書いたのは、原子力委員会の幹部だったチャールズ・ダナム氏。調査を始めるにあたって、学術機関のトップにこう説明していました。

「広島と長崎の被害について、誤解を招く恐れのある、根拠の希薄な報告を抑え込まなければならない。」

ダナム氏が抑え込もうとしていた報告とは何か。ちょうどそのころ、広島のABCCで残留放射線の影響を指摘する報告書が出されていました。

「広島における残留放射線とその症状」。報告書を書いたのは、ローウェル・ウッドベリー博士。広島のABCCで統計部長を務めていました。報告書の中で博士はまず、黒い雨など残留放射線の影響は低いとした当時の測定結果に疑問を投げかけています。原爆投下の1ヵ月後、巨大な台風が広島を直撃。ほとんどの調査はそのあとに行われ、測定値が正確でなかった可能性があると指摘しています。

「台風による激しい雨と、それに伴う洪水によって、放射性物質の多くは洗い流されたのかもしれない。」

ウッドベリー博士は、実際の被曝線量は、健康被害が出るほど高いレベルではなかったかと考えたのです。

その根拠として、ある女性の調査記録を示しています。下痢や発熱そして脱毛など、九つもの急性症状が出たことをあげ、黒い雨など、残留放射線の影響ではないかと指摘しています。

「女性が被曝した4900メートルの距離では、初期放射線をほとんど受けていないはずだ。女性は市内をさまよっている間、黒い雨が降った地域を数回通っている。この領域の放射線量が高ければ、症状が出るほどの被曝をしていたかもしれない。」

女性の名前は栗原明子(くりはらめいこ)。取材を進めると、この女性が今も広島にいることが分かりました。

栗原明子さん。86歳です。当時、ABCCに事務員として務めていたため、ウッドベリー博士の調査の対象にもなっていました。原爆が投下されたとき、爆心地から5キロの場所にいた栗原さん。その後、市の中心部にあった自宅に戻り、激しい急性症状が出たのです。

「髪をといたら、櫛にいっぱい髪の毛がついてくるから、これはおかしいね思って、髪の毛が大分抜けましたね。」

しかし残留放射線の影響をうたがっていたのは、ウッドベリー博士だけで、ほかの研究者に急性症状のことを話しても、まったく相手にされなかったといいます。

「怒ったように言われましたね。絶対にありえないいうて。二次被曝というようなことは絶対にありえないからって断言されました。矛盾しているなあ思ったんですけれど、本当に私も体験して、他にも体験した人をたくさん知ってましたからね。なぜそれは違うんかなあと思って、不思議でしかたがなかったんですけれども」。

ウッドベリー博士が報告書を書いた直前、アメリカは太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行っていました。日本のマグロ漁船、第五福竜丸が、放射性物質を含んだいわゆる死の灰を浴び、乗組員が被曝。死の灰の一部は日本にも達し、人々に不安が広がっていました。

「一方、青果市場には、おなじみのガイガーカウンターが出動しました。青物をしらみつぶしに検査しましたが、ここでも心配顔が増えるばかりです。」
(当時のテレビニュースより)

「最近、日本の漁師が、水爆実験による死の灰で被曝するという不幸な事件が起きた。今、広島・長崎の残留放射線に対する関心が、再び高まっている。この問題は、より詳細な調査を必要としているのだ。」(ウッドベリー博士)

原子力委員会のダナム氏は、こうした主張こそ、東西冷戦の最中にあったアメリカの立場を悪くするものだと警告します。

第五福竜丸事件の後、日本で反米感情と、反核の意識が高まっていました。広島では第1回、原水爆禁止世界大会が開かれ、被爆者が被害の実態と核の廃絶を訴えはじめていました。

「もしもここでアメリカが引き下がれば、何か悪いもの、時には共産主義の色合いのものまでが広島・長崎の被害を利用してくるだろう。そうなればアメリカは敗者となってしまうだろう。」(ダナム氏)

被害の訴えに強く対処すべきだという考えは、原子力委員会の中であたりまえになっていたとロックウェル氏はいいます。

「放射線被害について人々が主張すればするほどそれを根拠に原子力に反対する人が増えてきます。少なくとも混乱は生じ核はこれまで言われてきた以上に危険だという考えが広まります。私もアイゼンハワー大統領も考えていたように原子力はアメリカにとって重要であり、原子力開発にとって妨げになるものは何であれ問題だったのです。」(ロックウェル氏)

1958年11月、原子力委員会の会議にダナム氏と、広島から呼び寄せられたウッドベリー博士が出席。残留放射線の問題が議論されました。議事録は公開されていません。分かっているのは、会議の1ヵ月後、ウッドベリー博士が、ABCCを辞職したことです。

ウッドベリー博士の報告書には、こんな一説が残されています。
「この問題はほとんど関心がもたれていない。私が思うに、何度も何度も、研究の対象としてよみがえっては何ら看取られることなく、静かに葬り去られているのだ。」

ウッドベリー博士が、報告書の中で残留放射線の影響を指摘した栗原明子さんです。戦後、貧血や白内障など、さまざまな体調不良に悩まされ続けました。しかし被曝直後の急性症状も、その後の体調不良も、その後の研究で省みられることはありませんでした。

1975年、ABCCは組織改正されます。日本も運営に加わる日米共同の研究機関、放射線影響研究所が発足しました。研究の目的に被爆者の健康維持や福祉に貢献することも加えられました。ABCCの調査を引き継ぎ、被爆者の協力のもと、放射線が人体に与える影響を研究しています。

国は放影研の調査結果をもとに、被爆者の救済にあたってきました。原爆による病気と認められた人に医療手当てを支給する原爆症の認定制度です。救済の対象は実質、初期放射線量が100mSvを越える2キロ以内。残留放射線の影響はほとんど考慮されてきませんでした。原爆症と認められる人は、現在、被爆者全体のわずか4%、8000人にとどまっています。被爆者は自分たちの調査をもとに作られた国の認定制度との闘いを強いられることになりました。

2003年から全国にひろがった原爆症の認定を求める裁判。その中で被爆者は、半世紀以上も前の被曝の影響を自ら証明することを求められたのです。

原告の一人、萬膳ハル子さん(享年68)です。爆心地から2.6キロで被曝、黒い雨に合いました。訴訟が続いていた2005年、原爆症と認められないまま肝臓がんで亡くなりました。遺族のもとには戦後の貧しさの中で学校に行けなかった萬膳さんが、国に訴える紙を書くために練習していた文字が残されています。

「一生懸命に頼みたいからね、こういう字とか、「切実」とか」

自らの苦しみを必死に伝えようとしていた萬膳さん。それに対し、国は、裁判で被曝の確たる証拠を示すように迫ったのです。

「黒い雨を浴びたなどと供述しているが、それに放射性物質が含まれていた証拠はなく、肝臓がんの発症に影響を与えるとの知見も存在しない。」「脱毛な
どの症状も、客観的証拠は存在しない上、考えられる被曝線量からすれば、放射線による急性症状とは考えがたい」(国が提出した裁判資料より)

萬膳さんが亡くなった翌年、黒い雨の影響を認める判決が出されました。しかしそれから6年が経った今も、国は認定制度を抜本的に見直そうとはせず、黒い雨の影響についても、認めようとしていません。

30年以上、被爆者の医療にかかわり、医師として原告団を率いてきた齋藤紀さん(医師)。詳細な調査もせず、黒い雨の影響をないものとしてきた国こそ、責任を問われるべきだと考えています。

「初期放射線で国は説明がつかないから被曝がなかったんだと国は言っているのですけれども、説明のつかない放射線にもとづくと思われる症状が、多数被爆者の中に認められていたわけですね。その被害がなかったのかどうかは、その調査を突き詰めていくことによって結果として出てくることであって、その調査をつきつめないで被害がなかったというのは科学の常道ではないわけなんですね」(齋藤医師)

解明されてこなかった、黒い雨が人体におよぼす影響。放影研のデータが公開されないなか、被爆地広島の科学者たちが、独自の研究で明らかにしようと動きはじめています。(原爆放射線医科学研究所の映像)

広島大学の大瀧慈教授です。被爆者ががんで死亡するリスクについて研究してきました。大瀧教授らは、被ばくした場所によって、がんによるリスクがどのように変わるか調べてきました。すると意外な結果が得られたのです。

初期放射線の量は、距離と共に少なくなるため、死亡のリスクは同心円状に減っていくはずです。しかし結果は、爆心地の西から北西方向でリスクが下がらないいびつな形を示しました。初期放射線だけでは説明のできないリスクが浮かび上がってきたのです。

「まさか、同心円状でないようなリスクの分布があるということは、まさしく想定外だったと思いけれども。はい。」

このリスクは黒い雨によるものではないか。しか大瀧教授らが使ってきた独自の被爆者データだけでは、確認できませんでした。37000人について、どこで被爆したか調べていますが、黒い雨にあったかどうかまでは尋ねていなかったからです。

去年、放影研が黒い雨の分布図を公開してから、大瀧教授らは新たな分析を試みました。被爆者ががんで死亡するリスク全体から、初期放射線の影響を取り除きます。すると問題のリスクが姿を現しました。それは西から北西にかけて、爆心地よりも高くなっていたのです。

これを今回、放影研が公開した黒い雨の分布図とあわせると、雨にあったと答えた人と、重なったのです。

「やはりその、リスクが高くなっている地域というのは、黒い雨の影響を受けたのであろうということが、強く示唆されているものと考えております。直接被ばく以外の放射線の影響が、あまりにも軽視されてきたのではないかなということが、今回のわれわれの研究を通じてですね、明らかになってきたのではないかと思っております」。(大瀧教授)

今年6月、大瀧教授らのグループは、研究成果を学会で発表しました。
「黒い雨などの放射性降下物が影響しているのではないかと想像されます」。
(研究員の学会における説明より)

黒い雨によるリスクをさらに明確にしたい。大瀧教授は放影研が持つ黒い雨のデータを共同で分析したいと考えています。

放影研はABCCが作成した93000人の調査記録をもとに、すべての被爆者を追跡し、どのような病気で亡くなったか調べています。国から特別な許可を得て、毎年全国各地の保健所に、新たに亡くなった方の調査票を送り、死因の情報を入手しているのです。黒い雨にあったと答えた13000人について死因の情報を分析すれば、黒い雨の人体への影響を解き明かせるのではないか。大瀧教授は考えています。

「黒い雨の影響を研究する上で、世界に類をみない貴重なデータだと思います。可能な限り、広い見かたができるような状況で解析をするということが、データから真実をひきだす必要条件だと思います。そうするとデータはおのずから語ってくれるようになると思います。真実をですね」。(大瀧教授)

こうした指摘を放影研はどう受け止めるのか。共同研究については、提案の内容を見て判断したいとしています。しかし黒い雨による被曝線量が分からない限り、リスクを解明することはできず、データの活用も難しいとしています。

「可能性があるというところまでは、ああ、そうですかということで、もちろんそうかもしれない。そうかもしれないだけで、それ以上のことはいえません
のでね。ゆがむにはゆがむだけの死亡率の、リスクの違いがあるわけですから、その違いを証明できるだけの被曝線量を請求書でもなんでもだしていただかな
いとですね、放影研として一緒に、同じ土俵で議論することはできないということです。」(大久保理事長)

今、私たちは新たな被曝の不安に直面しています。去年おきた原発事故です。子どものころ、母親の背中で黒い雨を浴びた佐久間邦彦さん。福島などから広島に避難している母親たちに、自らの体験を語り始めています。

「母が私を連れて裏山に逃げたのですが、そのときに黒い雨にあったのですね。」
(母親たちへの講演で)

佐久間さんが繰り返し訴えているのは、事故のときにどこにいて、どう避難したのか、自分と子どもの記録を残すことです。被曝の確かなデータがなければ、子どもを守ることはできない。母親が答えてくれた自らの黒い雨の記録を見せながら、語り続けます。

「調査したけれども、その後、何もやっていない。やはり広島の経験を、本当に調査をやってなかったことは残念なことなのですが、怠慢だと思いますが、だけどやはり福島で生かすためには、どんどん進めていかなければいけないと思いますね。過去を振り返りながらね。そうすることが子どもたちを守ることにつながると思います。」(佐久間邦彦さん)

広島・長崎で被ばくし、ガンなどの病気で苦しんできた被爆者たち。長年にわたって集められてきた膨大なデータは、放射線によって傷ついた一人ひとりの体を調べることによって得られたものです。半世紀の時を経て明らかになった命の記録。見えない放射線の脅威に正面から向き合えるかが、今、問われています。

終わり


語り 伊東敏恵

声の出演 坂口芳貞 関輝雄

取材協力 高橋博子 冨田哲治
広島原爆被害者団体協議会
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

資料提供 アメリカ国立公文書館
全米科学アカデミー 広島平和記念資料館
気象庁 広島大学原爆放射線医科学研究所
林重男 林恒子

取材 田尻大湖 山田裕規 松本成至
撮影 佐々倉大
音声 土肥直隆
映像技術 猪股義行
照明 西野誠史
CG製作 妻鳥奨
音響効果 小野さおり

編集 川神侑二
リサーチャー ウインチ啓子
コーディネーター 柳原緑
ディレクター 松木秀文 石濱陵
製作統括 井上恭介 藤原和昭

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(525)広島県尾道市・福山市・三原市でお話します!放影研についも触れます。

2012年08月10日 12時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120810 12:30)



お盆明けの18日から19日にかけて、広島県三市の方たちから呼んでいた
だけました。18日尾道市、福山市、19日三原市でお話します。このとこ
ろ放影研訪問や、黒い雨の問題などなどで、原爆と放射線の問題を深め
てきただけに、この時期に広島でお話できるのはとてもありがたく、嬉
しいです。尾道では2回目の講演になりますが、今回は放影研のことに
ついてもより突っ込んでお話したいと思っています。

そもそも僕が広島県に呼んでいただけるようになったのは、肥田舜太郎
さんと岩波書店が、尾道の方たちと僕との縁を結んでくださったことに
はじまります。というのは昨年9月8日に東京で「講演会 さよなら原発」
が行われました。このときに大江健三郎さんが発言されていますが、そ
のなかで大江さんは、僕が肥田さんをインタビューして作成し、『世界』
9月号に載せて頂いた記事に触れてくださいました。

大江さんは次のように語られました。「『放射能との共存時代を前向き
に生きる』という 文章は必読の文章であります。とくに福島の子どもた
ち、お母さんたちには最良の支えとなるでしょう。ここにもきてくださっ
ている若いお母さんのために、私は最も有効な励ましになるものだと思っ
ています。」この発言は以下から動画で見ることができます。

明日に向けて(259)放射能との共存時代を前向きに生きる(大江健三郎さんと『世界』と肥田さんについて)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/de47f8fb787ad88eca411fb4930bf7da


さて、実はこのとき、東京まで尾道の「フクシマから考える一歩の会」の
メンバーの一人の方が駆けつけていました。大江さんのファンでもあった
ので、どうしてもこの集会に行きたかったのそうです。それでこの大江さ
んの発言に注目された。それでただちに『世界』2011年9月号を購入され、
尾道に戻って、みなさんに配って回し読みしてくださったのだそうです。

そこから出てきたのは「肥田さんを尾道にお招きしよう」という意志でし
た。それで今年の3月31日に尾道しまなみ会館に肥田さんをお招きした講演
会をされました。なんと500名の参加をみたそうです。肥田さんも広島で話
をするのはどこにもまして嬉しいと語られたとか。

そしてそのとき、一歩の会の方たちが、ちょうど3月8日に発刊になった、
矢ヶさんと私の共著『内部被曝』(岩波ブックレット)を販売しようと
いうことになり、私に電話を下さいました。もちろん快諾して岩波書店か
らブックレットを送っていただきましたが、それが私と尾道のみなさんと
の出会いの発端になりました。


不思議なもので、そうこうしているうちに私自身に個人的に広島に行く用事
ができました。それで尾道に寄ることができるので、ぜひみなさんとお話が
したいとお伝えすると、講演の場を設定してくださいました。私にとっては
経費の面でも助けられ、ありがたいの一言につきました。そうして尾道での
講演が設定されました。

このときの忘れられないエピソードが二つあります。一つは身体障がい者で
被爆者でもある方が、ストレッチャーに乗って僕の前に来て下さり、「守田
さんは、俺らのような障がい者が生まれるから原発に反対しているのですか」
と実に大切な質問をぶつけてくださったことでした。

ちょうどこの頃、放射線と障がいの問題を、映画『チェルノブイリハート』
などにも即して考え抜いていたときでもあり、僕は即座に「違います」と
お答えしました。「放射線はすべての人に病になる可能性を作り出します。
その意味でその可能性を作り出す原発に僕は反対です。それと、障がい者の
尊厳のことは分けて考えなくてはいけません。障がい者が生まれるから原発
に反対だと言うのは間違っています」とお答えしました。

広島・長崎では多くの被爆者の方が差別にも苦しめられました。結婚差別
などもたくさんあったと聞いています。放射線の害の強調は、一つ言い方を
間違えると、あるいは差別問題としっかりと向き合う観点がないと、差別の
助長にもなりえてしまいます。だからといって放射線がもたらす害について
ありのままに触れないと、被害隠しにもつながってしまうという問題も抱え
ています。この問題はまた別の機会にきちんと論じたいと思いますが、とも
あれそんな鋭い質問がポンと出てきたことに、感慨深いものがありました。

また交流会の席上で、ある女性の方が「私も赤ちゃんの時にABCCに連れて行
かれて検査されたことを、最近になってお母さんから聞いて知りました。も
う悔しくてなりません」と語られたことも忘れられません。ああ、ここは広
島県なのだと、当たり前のことですが、強い当事者性を感じました。僕はこ
れまでも、被爆者の方たちに何度も背中を押されたような感じをリアルに味
わうことが多かったので、ああ、また導かれてここまできたのだなと思いま
した。

その後、すでにお知らせしたように、「市民と科学者の内部被曝問題研究会」
での活動の中で、ECRR会長さんらと広島にある放影研本部への訪問までする
ことができたわけですが、ますます僕は広島・長崎で亡くなられた多くの方
たちの霊が、僕に、さらに奮闘せよ、自分たちが血で購った経験を未来の人々
の幸福のために活用せよと激励を強めてくださっているように思えてなりま
せん。

そんな思いも秘めながら、(これだけ話せば秘めることにはならないかもし
れませんが)尾道、福山、三原で、一生懸命にお話をさせていただこうと思
います。お近くのみなさま、どうかお越しください!

*************

8/18(土)・19(日)
守田敏也さん講演会

「報道されないフクシマ」@尾道・福山・三原

3.11から1年半がたとうとしている今、原発事故や放射能の報道は鳴りを
潜め、フクシマの人々が現在進行形でさらされる低線量・内部被曝の現実
も忘れられつつあります。

このような状態ですから、西日本の放射能危機はなおのこと話題に上りま
せん。ですが、食品の種類によっては、むしろこれから食卓に上るものの
ほうが気を付けないといけないものもあります。

フクシマの実態はどうなのか? 原発の状況や放射能汚染の現実は? 
そんな疑問に、科学者とともに内部被曝の問題に取り組むジャーナリスト
の守田敏也さんが答えます。3都市での連続講演会です。ぜひご都合のつ
く日程にお越しください。

--------------------------------------------------------------------

報道されないフクシマ

暮らしは? 子どもは?
食べ物は? 震災がれきは?
内部被ばくの危険性は?
日本の未来は?

守田さんのお話を聞いて、一緒に考えませんか?
講師:守田敏也さん(ジャーナリスト、共著に『内部被爆』)
*ブログ「明日に向けて」
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011
資料代:500円
託児あり:事前申込が必要、1人200円

《尾道》
日時:8/18(土)13:30~16:00
場所:尾道市公会堂別館(尾道市久保1-15-1)4F
主催:フクシマから考える一歩の会
TEL:090-2002-8667(小林)

《福山》
日時:8/18(土)19:00~21:30
場所:福山市市民参画センター(福山市本町1-35)5F会議室1
主催:原発のーてもえーじゃないBINGO!実行委員会
TEL:090-9115-3317(坂田)

《三原》
日時:8/19(日)13:30~16:00
場所:三原市中央公民館(三原市円一町2-3-1)第2・第3講座室
主催:命と未来を考える会・三原
TEL:0848-66-3592

********

なお以上の情報は、以下から転載させていただきました。

市民SOHO 蒼生舎
http://blog.livedoor.jp/sakatakouei/archives/51439751.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(524)「背を向けたまま被爆国を名乗るな」(毎日新聞「記者の目」より)

2012年08月09日 23時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120809 23:30)

今日は長崎に原爆が投下されてから67年目の日です。6日の広島の日も9日の
長崎の日も、それぞれの地で平和祈念式典が行われました。この式典に内閣
総理大臣である野田佳彦氏が参加していました。僕はテレビの映像を通じて
式典を見ていましたが、今日ほど「首相、あなただけにはこの場にいて欲し
くない」と思ったことはありませんでした。

野田首相は、長崎の式典で次のように語りました。「人類は、核兵器の惨禍
を決して忘れてはいけません。そして、人類史に刻まれたこの悲劇を二度と
繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として核兵器の惨禍を体験した
我が国は、人類全体に対して、地球の未来に対して、崇高な責任を負ってい
ます。それは、この悲惨な体験の「記憶」を次の世代に伝承していくことで
す。そして、「核兵器のない世界」を目指して「行動」する情熱を、世界中
に広めていくことです。被爆から67年を迎える本日、私は日本国政府を代
表し、核兵器の廃絶と世界の恒久平和の実現に向けて、日本国憲法を順守し、
非核三原則を堅持していくことを、ここに改めてお誓いいたします。」

ウソばかりです。どうしてこうも次から次へとウソを繰り返せるのか。私た
ちの国の政府は、第二次世界大戦の終結と同時に、「鬼畜米英を倒せ」と国
民を戦争に駆り立て続けてきた態度を180度転換し、アメリカべったりの政策
を取り続け、その中で、原爆の非人道性を隠そうとしたアメリカ政府に全面
的に協力してきました。このため被爆者の苦しみに背を向け、内部被曝によ
る痛みを無視し続け、被爆者を本当に辛い状態に置き続けてきたのです。そ
れでなぜ「悲惨な体験の記憶を次の世代に伝承していく」などと語れるので
しょうか。

しかも私たちの国は今、福島原発から漏れ出した膨大な放射能によって、非
常に深刻な汚染の中にあり、多くの人が「悲惨な体験」を重ねています。に
もかかわらず野田首相は昨年12月、「冷温停止宣言」によって事故は終わっ
たと宣言してしまいました。そもそも「冷温停止」は原子炉が健全な状態の
ときの安定停止をもって語ることができるものであり、原子炉に穴があいて
放射能が漏れ続けている状態では適用できない概念であるはずだという多く
の科学者の指摘も無視し、この大ウソの宣言を発してしまったのです。

もっとも許しがたいことは、そのうえに、これまたまったく根拠のない「安
全宣言」を重ね続けることにより、本来、避難すべき人たちが避難ができず、
被曝を避けるべき人が避けられずに、今も、広範で膨大な被曝が進行してい
ることです。それを強制している最高責任者が野田総理大臣であり、その人
が語るあいさつは、今日までに亡くなられた全ての被爆者の魂に対する冒涜
であると僕は思いました。だからこの首相だけには、あの式典の場にいて欲
しくはなかった。これほど深い憤りを感じながら、首相のウソだらけの「あ
いさつ」を聞いた記憶はありません。

このようなウソのあいさつ、ウソの宣言、そしてウソの鎮魂の言葉が許され
続けているこの異様な社会状況をなんとしてもひっくり返したい、いや返さ
ずにはおかないと感じたのは僕だけではないはずです。怒りを胸に、そして
またこうした権力者の偽りの言葉に、これまで騙され、何かを強制され、あ
るいは悲しい思いを重ね続けてきてすべての方々の無念を思い、それをシェ
アし、必ずや一矢報いるのだとの思いすら胸にさらに前に進みたいと思います。


このようなことを思っている時に、毎日新聞の加藤小夜記者の「記者の目」の
ハートフルな記事を読んで共感しました。加藤さんは京都支局にもいたことが
あり、京都での戦争反対のためのピースウォークを丁寧に取材してくださった
こともある記者さんですが、その加藤さんが、「黒い雨」の援護対象区域の拡
大をにべもなく否定した野田首相の姿勢に対し、「核被害の実相に向き合わな
い政府に「被爆国」を名乗って欲しくない」と語りました。まったくその通り
だと思います。深く共感しました。

みなさんにもこの記事をシェアしていただきたいと思い、ここに紹介することに
しました。野田首相による原爆被爆者の酷い切り捨て、また福島原発自己被災者
への被曝の強制にさらに強力に、全面的に反対していきましょう。

広島・長崎の日を経て、この誓いをさらに強めたいと思います。

*************

記者の目:「黒い雨」被害者切り捨て=加藤小夜
毎日新聞 2012年08月07日 00時11分
http://mainichi.jp/opinion/news/20120807k0000m070091000c.html

◇国は核被害の実相を見よ

米軍による広島への原爆投下から67年の今夏、「被爆者」と認められるはず
の「黒い雨」被害者は切り捨てられた。厚生労働省の有識者検討会は7月、あ
またある証言を無視して黒い雨の援護対象区域拡大を否定し、政府もそれを追
認した。爆心地から幾重も山を越えた集落を訪ね歩き、原爆の影を背負って生
きる人々の話に耳を傾けながら、私は何度、広島の方角の空を見上げただろう。
核被害の実相に向き合わない政府に「被爆国」を名乗ってほしくない。

「うそを言うとるんじゃない。事実はあるんじゃから」。1945年8月6日、
広島の爆心地から約15キロ西の祖父母宅近くで、女性(76)は黒い雨を浴
びた。神社で遊んでいると「痛いぐらい」の大雨が降り、その後、毎朝のよう
に目やにが止まらなくなり、爪はぼろぼろに。30代半ばで甲状腺の病気を患
い入院、白内障の手術も3回受けた。

山あいの集落で聞いた住民たちの情景説明は生々しかった。爆風で飛んできた
商店の伝票。シャツや帽子についた雨の黒いシミ。雨にぬれた乳飲み子の頭を
拭いて着替えさせたこと。女性の祖父は、しば刈りの作業中に雨に遭った。鎌
が滑って切れた手から血が流れた。祖父は「普通の雨じゃない。油のようだっ
た」と話したという。証言は細部まで具体的で偽りは感じなかった。取材した
後、女性から「記事にしてほしくない」と切り出された。30年近く前、幼く
して白血病で命を落とした孫のことが頭に引っかかっているからだった。孫の
入院先から「原爆に遭うてない?」と長女が電話をしてきた時「遭うてないよ」
と答えた。孫の病気は自分が黒い雨に遭ったせいなのか。親族からそう思われ
るのではと考えると気持ちが今も揺らぐ。匿名を条件に話を聞きながら原爆が
心身に刻んだ傷の深さを思った。

◇科学的な立証を求める理不尽さ

国の被爆者援護の歴史は被爆から12年後の原爆医療法施行に始まり、地域の
拡大や手当の創設・拡充が順次実施された。黒い雨を巡っては1976年、広
島の爆心地付近から北西に長さ19キロ、幅11キロの楕円(だえん)状の地
域が援護対象区域に指定された。区域内にいた人は無料で健康診断が受けられ、
特定の病気が見つかれば被爆者健康手帳が交付される。しかし、厚相(当時)
の私的諮問機関「原爆被爆者対策基本問題懇談会」は80年の意見書で、新た
な被爆地域の指定には「科学的・合理的な根拠がある場合に限る」とした。こ
の後、地域の拡大は一度もない。時間の経過に加え、そもそも被害者側に科学
的立証を求めるのは無理がある。

広島市などは08年、被爆者の高齢化を受けて「最後の機会」と位置づけた大規
模なアンケートを実施した。その結果から援護対象区域の6倍の広さで黒い雨が
降ったと主張し、10年、区域拡大を政府に要望した。これを受け同年末から厚
労省の有識者検討会が始まった。全9回の会合をほぼ毎回取材したが、審議は
「結論ありき」としか思えなかった。ある委員は、放射線の影響を認めることは
「疫学的な誤診」と発言し、「学術的に厳密な判断を求めないと、とんでもない
病気をつくってしまう」とまで言った。私には認めない理屈をあえて付けようと
しているとしか見えなかった。「現地を訪れて体験者の声を聞いてほしい」とい
う地元の訴えも黙殺された。

◇背を向けたまま被爆国名乗るな

援護対象区域拡大を訴えてきた「広島県『黒い雨』原爆被害者の会連絡協議会」は
今夏、54人分の証言集「黒い雨 内部被曝(ひばく)の告発」を刊行した。がん
など病気の苦しみとともに「死ぬのを待ちよるのか」など国への憤りがつづられて
いる。証言を寄せた森園カズ子さん(74)=広島市安佐北区=は甲状腺の病気を
長年患い、だるさとも闘う。「私らみたいなのは置き去りですよね……」。私は返
す言葉がなかった。

被爆者健康手帳の所持者は今年3月末現在、全国で21万830人いるが、手帳を
取れない「被爆者」の存在を忘れてはならない。援護区域の外側で黒い雨に遭った
人だけではない。焦土で家族や知人を捜したり、郊外で負傷者の救護活動に携わっ
た人も、放射線を浴びた。その事実を証明できないなどの理由で、申請を却下され
た人は多い。

隠された「被爆者」の存在に触れると今も残る原爆被害が身に迫り、被害を救おう
としない「被爆国」に悲しさを感じる。福島第1原発事故後も、国は核被害の原点
である被爆地の現実に背を向けたままだ。「切り捨て」の歴史に終止符を打つため
にも、私は真実を語る「被爆者」の側から告発を続けたい。(広島支局)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(523)ECRR会長、ドイツ放射線防護協会会長と放影研へ!!下の2

2012年08月08日 15時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120808 15:00)

前回に続いて、放影研との日本語やりとりの後半部分の報告を行いたいと思い
ます。この部分は僕の発話から成り立っています。放影研で配布されている
『わかりやすい放射線と健康の科学』というパンフレットに載せられている、
「放射線は物質を通りぬける」と題した項目についてです。まずは以下から同
パンフレットの2ページ目にある当該の図と説明をご覧ください。
http://www.rerf.or.jp/shared/basicg/basicg_j.pdf

僕が指摘したのは、このように「物質の中を通りぬける」ことだけ書くと、原
発から飛び出した放射性物質から発せられている放射線のうち、ガンマー線が
一番強く見えてしまい、最も危険なアルファ線、それに続くベータ線の恐ろし
さがあいまいになってしまう点です。なぜそうなのかとういとこのパンフレッ
トに次のような説明が書かれているからです。

「アルファ線は、ウランやプルトニウムのように大きくて不安定な原子核が分
裂した際に生じます。その粒子は、原子核をつくる陽子と中性子がそれぞれ2
個くっついたものです。これは、大きな粒子なので紙1枚で止めることができま
す。ベータ線も粒子線であり、その粒子は1個の電子です。アルファ線ほど簡単
には防げませんが、1cmのプラスチック板があれば十分に止めることができます。」
(同パンフレット2ページ下段の説明より)

アルファ線は簡単に防げる・・・。しかしこれは外部被曝に限った場合のこと
です。またアルファ線が「紙1枚で止まる」というのは、粒子の大きなアルファ
線が紙の分子と激しく衝突し、分子切断を行い、そこでエネルギーを使い果たす
ためにそれ以上は飛ばないからです。紙の分子が激しく切断されているのです。
これに対して、ベータ線やガンマ線は、その多くが紙の分子の中の原子核と電子
の間をすり抜けていきます。つまり紙の分子との相互作用が非常に少ないから、
エネルギーをほとんど失わずに通り抜けていくのす。物質への作用の力が、アル
ファ線より弱いから通り抜けるのだとも言えます。

そもそも原子の世界は私たちの日常感覚で言えば、「スカスカ」です。原子核が
米粒ぐらいだったら、電子は野球場の周りを回っているぐらいだなどと表現され
ます。その「スカスカ」のところを放射線はすり抜けていく。それが「放射線が
物質を通りぬける」ことの実相です。物質にあたらないから通りぬけるのであっ
て、例えばリンゴにナイフを突き刺すのとはまったくワケが違うのです。

ところがこの点をきちんと説明しないで、つまり日常の感覚と、原子の世界のあ
り方との違いが明らかにされないまま、こうした説明がなされると、物理的世界
に馴染んでいる人ならともかく、通常の感覚では、「物質を通りぬける」のは、
その放射線がそれだけ力があるからだとあやまって捉えられてしまいがちです。
それはこの放射線の性質が「透過力」と言われていることからも生じることがら
です。「力」とつけると、どうしても「力」の強いものがより強力に見える。つ
まりガンマ線が強力に見えてしまうのです。

放影研のこのパンフレットでは、このミスリーディングを誘いやすい「透過力」
という言葉は使われていませんが、それでも内部被曝の危険性をきちんと訴えよ
うとするならば、この図の説明だけで終わらすのはではあまりに不十分です。こ
のように外部被曝モデルでの説明に終始せずに、内部被曝の危険性について、
もっときちんと解説して欲しいというのが僕が要望したことでした。

これに対して放影研の方たちは、少なくとも僕が受けた印象では、きちんとした
応答を返してはくださいませんでした。むしろ、外部被曝と内部被曝の大きな違
いを問題とせず、従来の「被曝を線量で測る」という考えを保持したままだとい
う印象を受けました。その点で放影研がこの間、HNKの番組で紹介されたような、
内部被曝の研究に踏み切った・・・という感じはまったく伝わってきませんでし
た。それは放影研のパンフレット全体からも感じることです。

この「放射線を線量で測る」という答えに対して、沢田さんが、外部被曝と内部
被曝の違いに触れ、それを線量でひとくくりにしてはならない点を指摘してくだ
さいました。物質との相互作用が強いアルファ線は、そのためにごく短い距離し
か飛ばない。正確にはごく短い距離にある物質の分子を激しく切断し、そこで
エネルギーを使い果たして止まるのです。

そのためアルファ線による被曝は、ある密集した地点に行われることになる。こ
れに比べるとガンマ線による被曝はまばらに行われるのです。そのため例えば被
曝した細胞がアルファ線の方が強いダメージを受けてしまう。生物には驚異の自
己修復能力が宿っていて、被曝に対してもそれが働きますが、密集した被曝では
それができなくなってしまう可能性が高くなります。この点が、体内からごく密
集した地点に激しい被曝をもたらす内部被曝と、主にガンマ線により、まばらな
被曝がおこる外部被曝との大きな違いなのです。にもかかわらず、放影研の方た
ちは、これに何ら実りある応接をしてくださらなかった。内部被曝研究が実際に
は埒外におかれ続けているからだと僕は思いました。

以上より、僕は、放影研にすべてのデータの開示と、内部被曝研究への真摯な取
り組みの真の開始、またそれの前提となる被爆者への真摯な謝罪を求め続ける必
要があるとの思いをあらたにしました。以上を放影研訪問報告のまとめとしたい
と思います。

以下、やりとりの詳細をご紹介しておきます。

*****

守田 ぜひお願いしたいと思うのですが、このきれいに作られている(放影研)
のパンフレットの2ページのところをみますと、放射線の物質に対する透過力の
図が書いてあります。今、福島のことで、多くの方が内部被曝のことを心配し
ているわけですけれども、この図だけみるとアルファ線は紙1枚で止まって、
ベータ線は金属版1枚で止まって、あたかもガンマ線が一番強いかのように受け
止められてしまいやすい。

しかし実際には内部被曝しえるのはほとんどもうベータ線とアルファ線です。
もちろんガンマ線からもしますけれども、逆に言うとアルファ線やベータ線で
はほとんど外部被曝することがない。ベータ線はほんの少ししか入ってこない。
でも内部被曝の場合は、このアルファ線とベータ線をもっとも気をつけなけれ
ばならないわけです。

そういう今の現実性から言うと、食料品の中から内部被曝する可能性が最も深
刻なのに、その内部被曝のことがここには何も書かれていません。何も書かな
いでこれだけ(透過力だけ)書くと、あたかも、・・・もちろんそういう意図
で書いていると考えているわけではありませんが、・・・ガンマ線が一番怖い
ように見えてしまう。

しかし今、国民・住民が一番気にしなければいけないのは食べ物での内部被曝
です。にもかかわらず、その危険性がこの図を見ていても出てこないのですね。
危険性が非常に弱くみえます。やはりそうではなくて、放射線影響研究所が、
私たちの実生活に関する影響という面での内部被曝のことを、ぜひもっと、国
民・住民に対して説明していただきたい。このパンフレットをみたときにそこ
で非常に不安を感じるというか、これでは内部被曝の危険性が伝わらないので
はないかと強く感じるのです。

寺本 放射線の実態影響は、線量に応じての話だと思いますので・・・。

沢田 内部被曝では、微粒子のサイズもすごく違うのですよね。原子の種類に
よっても体の中に取り込んだときに影響が違いますよね。だから内部被曝と外
部被曝はぜんぜん違ったものなのです。複雑なのですね、内部被曝は。

寺本 その複雑さとか形態の違いは分かりますが・・・。

沢田 だから線量だけでひとくくりにすると、その辺が分からなくなるのです。
ローカルにいろいろな影響を与えるわけです。内部被曝の場合は。だから線量
ではなくて、線量では1キログラムあたり何ジュールということになるわけです
よね。そうではない影響が、つまりDNAの損傷などを考えると、それは線量だけ
ではなしに、どれだけ近距離から集中して被曝するのかが問題になるわけです。

例えばベータ線で、微粒子からの距離によってどう変わるかを計算すると、近
距離はものすごい、何十グレイとかになってしまうし、距離が変わればすごく
変わりますよね。それらは線量では表せないです。

吉木 数値では表せないけれども、実際に起こっていることについて、われわ
れは非常に重要視しているわけです。それを数値化できないからあまり公言で
きないのだというのは逃げだと私は思うのです。われわれが一番心配している
のはそういうことなのです。これはただちには問題ないはずですよね。よく言
われることですが。しかし将来どうなるのかということが分かってないところ
があるし内部被曝問題研のリサーチャーは一所懸命そこを研究しているのです。

寺本 福島の事故が起こってから、ホームページで情報提供を行うようにしま
した。汚染の度合いと被曝の形態、内部被曝を含めてですね、いろいろな形態
で被曝があるのだと。その場合にどういうことに気をつけなければいけないの
かと、それをかなり早くから情報提供をしました。

沢田 もうちょっと内部被曝の複雑さということがあるのです。

守田 線量について、臓器ごとで測っておられますよね。しかしベータ線だっ
たら、臓器全体が被曝するのではなくて、それこそ1センチ球ぐらいのところに、
全部、被曝したエネルギーがいってしまうわけですよね。それを臓器全体で考
えると、それを薄めたようになってしまうと思うのです。しかし現実の被曝の
実態というのは、ベータ線だったらそれが飛んでいくところにしか起こらない
わけですから、せいぜい1センチ、あるいは数ミリの球状に被曝が生じるわけで
すよ。そしてご存知のように、臓器というのは、一箇所だけ集中的にやられて
も、それが臓器全体に作用していくわけです。

ところがその線量の考え方というのは、臓器全体にどれぐらいあたったのかと
いうことが臓器への影響として考えられているから、臓器の部分に対して密集
してあたる内部被曝の影響ということが十分に解かれていないのではないかと、
そこが気になるわけです。

寺本 まあ、放影研だけで、すべてのことに情報を提供できるわけではありま
せんので。しかしうちはエビデンスに基づく研究成果を、完全中立性のもとに
提供するということに徹してやっておりますので、あとはまあ、関連のあると
ころの情報をリンクさせていただくというかたちでやっております。

吉木 まだまだ分かってないことがいっぱいあるのだということを、十分にひ
とつ考慮していただきたいと思います。

沢田 これまでのDS86の6章には残留放射線について書かれていますよね。そこ
には気象的に流れていたりするから、すべてとは言えないとちゃんと科学者だ
からそういう可能性については書いています。でも国とかがDS86を利用すると
きには、そういうことを全部すっとばして、フォールアウト、雨でもたらされ
たもの、それは残っていて、台風でも流されて、広島の場合は火災の雨でもす
ごく流されているのです。一番、北東方向に大量の放射性の雨があったことが
分かっているのです。池とかでたくさん蛙や魚があがってきたというたくさん
の被爆者の証言があります。北西の方向に大量に降ったのです。

しかしそこに残っているものを測定すると放射線は少ないのですよね。それで
広島では己斐・高須地域に残っているということになってしまって、己斐・高
須地域は強い放射性降雨があったところのはずれなのですよね。だけど火災の
雨を受けなかったから残っている。また己斐・高須地域は台風の洪水の影響も
あまり受けない地域なのです。川が入ってないものだから。

8月9日に政府の命令で原爆であることを確かめるために仁科芳雄さんたちが土
壌を採取して測定した最大の放射線であった場所が、今はもうないのですけれ
ども、西大橋の東詰め(現在の観音本町)なのです。そこは己斐・高須地域の
20倍ということが分かっているわけです。仁科資料を静間さんたちが測定した
ものがあって20倍なのです。当時は天満川と福島川が合流するその向かい側の
ところですが今は太田川が改修されてないですし、当時の大洪水のあとは強い
放射線量は見つかっていないのです。ようするに枕崎台風で広島中、橋が流さ
れる大洪水になってしまったので、それが被爆者にとっては逆にラッキーだっ
たのです。残留放射線の影響は急速に減りましたから。

ということで、そういう結果だけで、降下物の影響だと言っているわけですが、
しかし、被曝影響から求めると、それよりもはるかに大量の被曝をしているわ
けです。これは線量という概念よりも、外部被曝を受けたと同じ急性症状を発
症させる影響と言ったほうがいいのかも分からないですね。生物学的な効果か
ら調べるやつは。

でもそれでいくと、6キロさきでも0.8シーベルトということになってくるわけ
です。ということでそういう効果は無視できないということがあるので、そこ
にいろいろな研究をした経過を説明しておきましたので、そういうことがある
ということを知ってください。

放射線影響研究所は、初期放射線の影響を研究するという方針がABCC以来、
ずっと続いていますよね。そういう目的でここはスタートしているので、そこ
から変わるのはなかなか難しいし、Stramさんと水野さんも、そういうデータ
があるのに、初期放射線の影響だけを引き出すことをすごく努力してやられて
います。それはそれなりの目的に沿ったものだと思いますけど、将来は、今の
人類が抱えているような、内部被曝とかそういったことを明らかにする上では、
そういう残留放射線の影響はすごく大事なのです。

インゲさんは1980年代の論文で、もし放射線影響研究所がそういうことをちゃ
んとやってくれれば、人類には内部被曝とか低線量被曝の影響がもっといろい
ろと明らかになるであろうにと、論文で書いています。
(インゲさんの英文を読む)

記録はここまで


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(522)ECRR会長、ドイツ放射線防護協会会長と放影研へ!!下の1

2012年08月07日 09時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120807 09:30)

前回に続いて、6月に行った放影研訪問記録をご紹介します。今回は僕が
文字起こしした部分です。会談はドイツのお二人が参加していることもあ
って英語を基本に行われました。そのためすぐに文字おこしできなかった
のですが、会談の後半部分で、ぜひこうした会合をまた開いていただきた
いと私たちが要請したさいに、インゲさんが、「次は日本人同士、日本語
で話されるといいのではないですか」とおっしゃってくださいました。

すると英語のやりとりでムズムズしていた沢田昭二さんが、それではとい
う感じで日本語にシフトし、今回の会談の後半部分も日本語でのやりとり
になりました。沢田さんの姿を横で見ていると、放影研が溜め込んでいる
データへの思い、そこに被曝の実態をより明快に解き明かすにたるものが
あるはずだ、それを活用したいというなんとも切々たる気持ちが伝わって
くるようでした。

この熱意におされたのか、放影研の小笹氏が、こうしたデータがあること
をポロっと話されました。正確には「もう一度入力するというかそういう
作業をしないと」という発言で、データに整理される前の調査カードの
原本などがあると受け止められるものでした。

このことが聞き出せたことは、今回の会談のハイライトともいえるような
ことでした。昨日放映されたNHKの番組では、放影研が「黒い雨」にあたり、
内部被曝をしたことで生じた健康被害が後半に出ていたデータを今日まで
隠し持っていたことに焦点が当てられたわけですが、放影研はそれ以外に
も、たくさんのデータを持っていることが分かったのです。放影研はそれ
を一般に公開し、広く内外の方たちの自由な研究の道を開くべきです。
この報告の「下の1」ではこのやりとりを紹介しますので、ぜひリアリティ
をつかんで欲しいと思います。

なおこの間、放影研はこれまでの態度を変えたのか否かという論議があり
ます。僕は少なくとも今回の私たちとの会見において、放影研の変化を感
じることはできなかったのですが、そうであろうとなかろうと、科学者と
しての自らの良心を前面に出し、誠実に、熱意を持って、ひたすら放影研
の方たちの科学的良心によびかける沢田昭二さんの姿に深い感銘を受けま
した。そこには被爆者として、心から核の廃絶を願う沢田さんの姿が垣間
見えており、その姿勢こそが大事な証言を引き出すことになったのだと
思います。説得の王道だと感じました。

もちろん、アメリカ軍の機関として出発し、今も、アメリカ核戦略の体系
の中に位置している放影研を簡単に「信じる」わけにはいきません。あと
にも述べますが、放影研とその関係者は、昨年の福島原発事故以降も、明
確に「放射能は怖くないキャンペーン」に加担してきています。というか、
そもそもこのキャンペーンの基礎になるデータを与え続けてきたのが放影
研であり、態度変更には真摯な反省が伴う必要があります。こうしたこと
を念頭におきつつ、沢田さんのように迫っていくことが肝心ではないかと
思えました。

なお前回、昨日の番組は本年1月20日放送の「黒い雨 明らかになった新事
実」という番組が元になっていることを紹介しました。これを見ると、冒頭
にこの黒い雨をめぐる放影研の記者会見の様子が出てくるのですが、この会
見で、放影研の大久保理事長の左右に座っていて発言しているのが、私たち
の訪問の際、応対に出てこられた寺本隆信/業務執行理事、小笹晃太郎/疫学
部長の両氏です。(大久保氏から見て左が小笹氏、右が寺本氏)この映像か
ら、この方たちがこの記者会見の内容なども最もよく知りうる放影研の中心
メンバーであることがよく分かりました。
番組は以下から見ることができます。冒頭だけでもご覧になり、放影研の
お二人の姿も確認されてから、以下の記録をお読みになってください。
http://cgi4.nhk.or.jp/eco-channel/jp/movie/play.cgi?movie=j_face_20120120_1742

************

放影研でのやりとりから
20120626 記録 守田敏也

沢田 ここからは日本語でやりましょう。放影研による記者への発表で残留
放射線の影響については、なかなか数値化するのが難しいと言われていまし
たよね。でも僕は数値化したのです。ABCCのデータに基づいて、数値化する
のに成功したわけです。それは放影研のStramさんや水野さんの研究にも基
づいているし、ABCCが調べたデータにも基づいているわけです。

それから下痢については、広島の医師の於保源作さんという方、ご存知です
ね。彼が調べたデータ、それを用いたのですが、本当は放影研のデータを使
いたかったのです。それを使うにはどういうふうにしたらいいのですか。何
か方法がありますでしょうか。

放影研自身が1950年代に調べたデータの中で、脱毛だけはかなり詳しく調べ
られていて、他のことは詳しく調べられてないのではないかという気がして
います。発症率が距離と共にどのように変わっているかなどです。そういう
まとめ方はされていないのですか?そのところがすごく気になるのですけれ
ども。

小笹 基本的にはT65D、DS86の初期放射線線量ですね。あれを調べていると
ころで使っていると思います。ただそこで、何が最も線量と関係があるのか
というあたりで、落ちているものとか、残っているものとかあるかもしれま
せんが、ちょっと私もそこまで記憶はないですね。

沢田 一番、僕が欲しいものについてですが、T65DやDS86で行った区分ごと
のデータにLSSはなっていますよね。今、DS02が基準で、区分されているわけ
ですけれども、本当はその区分する前の距離ごとのデータ、まあ変換すれば、
初期放射線の線量は分かるから、変換すれば距離は分かりますよね。

小笹 それは遮蔽の影響がかなり強いですから、距離とはかなり変わってき
ます。

沢田 それから遠距離の方は、0.005以下と0の場合が全部まとめられている
から、いろいろな距離の人が全部、まとまっているのですよね。

小笹 それはそうです。はい。3キロから10キロまでの場合がありますから。

沢田 ですよね。広島は約6キロまでですか?10キロまでありますか?

小笹 定義としては10キロまでです。

沢田 はい。だけど当時の広島市の地域が10キロまでなくて、6キロぐらいで
切れていますから、僕は6キロにしているのですけれども。だからそういう
データが調べられてまとまっていると使えるわけです。インゲさんも、発表
されたデータに基づいて日本人平均と較べるということで、コホート、すご
く被曝しているということを見出されているわけですよね。

だからデータがそういう被曝距離という形で発表されていれば、降下物の影
響の研究に役立ちます。僕が知っているのは渡辺智之さんらの論文で、ご存
知ですか?彼は名古屋にいらっしゃるから、いろいろと議論ができるのです
けれども、放影研のLSSのがん死亡率を岡山県民、広島県民と比較され、最近
では日本人平均と、年齢ごとで区分した研究をやられていますよね。そうい
うふうに活用できるわけですけど、急性症状の下痢については、どこにも発
表されてないですよね。

小笹 まあ、そういう形で出ているかどうかは分かりません。

沢田 だからそういうのを利用するにはどうしたらいいか。何か方法はあり
ますか?

小笹 公刊されているTR(研究報告)については、請求していただければ出
すことはできます。

沢田 公刊されているものはね。でも公刊されていない、だからここで調べ
られてないものをどう利用するかというと、だからそれは難しいのですね?

小笹 それはですねえ。今、おっしゃったデータについてはきちんと残って
ないのです。

沢田 残ってない?

高橋 1950年代の初期の資料とかが残ってないということですか?

沢田 でも調査カードがありますよね。これはちゃんと残ってますよね。そ
れを見れば分かるわけですね・・・。

小笹 もしそれをやるとなるともう一度入力するというかそういう作業をし
ないと。

沢田 そういう作業を誰かやらないといけないのですね。元のデータはある
わけですよね。

小笹 はい。

沢田 だけれどもデータ化された形で残っていない、と、おっしゃっている。

吉木 だから生データをもらったらいいですね。

小笹 ABCCの調査のデータは残っていますけれども、それが今、おっしゃっ
たような用途に適切かどうかということが分からない。

守田 その生データを出していただくことはできないのですか?

小笹 それはできません。

守田 それはなぜなのですか。

沢田 国が原爆症認定裁判などで必要なときに、ABCCが調べたということで
ぱっと出てきますね。それは裁判のときは出てくるのですね。

寺本 個人のですか?個人のご本人の同意がある場合は・・・

沢田 裁判だからでるのですね。

寺本 はい。あくまで個人情報ですから、一般的に外に対して提供するような
性格のものではないですね。

沢田 だからそれを調べようとすると、ここの研究員にならないとできないの
ですね。

寺本 ここの研究員であっても、個別のデータを解析の場合にそういう方法を
とればやりますけれども、個人と特定できるような形では見てないです。

守田 放射線の影響というのは、個人のデータとは言えない側面があるのでは
ないでしょうか。

寺本 だから研究する場合に、研究者が、だれだれさんのとか、そういう形で
は見ないように、しかし研究のために、個別の人ごとのデータが必要なときに
は名前を出すとかしています。

高橋 そういう方法があるわけですから

吉木 よろしくお願いします。

寺本 さきほども説明したとおり、オープンにしています。

吉木 ですから1年間に1回でも良いですから、定期的にこういうチャンスを設
けていただきたいというのが私の要望です。たぶんインゲさんもセバスチャン
さんもそれに同意すると思います。

寺本 ドイツから来られるのですか?

吉木 来る可能性もあります。

沢田 僕の説明を、ちょっとこの図を使いますが、インゲさんがやったように、
遠距離の被爆者を、今ここでは、初期放射線による被曝線量区分を使ってやっ
てらっしゃるわけですね。それでここのデータを使えないものですから、広島
大学の原医研のデータで調査されていますね。それは広島県民に限っているわ
けです。その中の被爆者だけを非被爆者と比較して調べているわけです。その
データを使って、かつてABCCで調べた遠距離の被爆者がどれだけ降下物の影響
を受けているのかということをやって、10ページのところに図があるのです
けれども、(ここから英語のため省略)

・・・続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(521)ECRR会長、ドイツ放射線防護協会会長と放影研へ!!中

2012年08月06日 23時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120806 23:30)

みなさま。今日は広島に原爆が投下された日です。この原爆によって犠牲
になられた全ての方々に哀悼の祈りを捧げたいと思います。

この「広島原爆の日」にNHKが再び興味深いドキュメントを放映しました。
「黒い雨、生かされなかった被爆者調査」という番組で、この間、ここで
紹介してきたABCC=原爆傷害調査委員会が、かつて放射性物質を含んだ雨
である「黒い雨」による被害調査を行っていながら、それを生かしてこな
かったことを告発したものでした。

ある方から実はこの番組には、元番組があることを教えていただきました。
本年1月20日に放映された「黒い雨・・・明らかになった新事実」という
番組です。これは以下からみることができます。
http://cgi4.nhk.or.jp/eco-channel/jp/movie/play.cgi?movie=j_face_20120120_1742

今日の番組の重要なので、今後、文字起こしなどしますが、いずれにせよ
これらの中で、放影研の持つ重要性がどんどん明らかになりつつあると
言えます。


すでにお知らせしてきたように、「市民と科学者の内部被曝問題研究会」
は、この6月26日に、訪日していたECRR会長、インゲ・シュミッツ‐ホイエ
ルハーケさんと、ドイツ放射線防護協会会長セバスチャン・プフルークバ
イルさんと一緒にこの放影研を訪問し、実に重要な会話を交わしてきました。

僕もそれに同行し、案内の記事の上を書いて、すぐに続編を書く旨、お知ら
せしたのですが、諸般の事情でなかなか進めることができませんでした。
そうこうしているうちに、NHKで内容の深い番組が連続的に流され、なおか
つ広島・長崎の日が近づいてくる中で、記録の整理を急ピッチで進め、報告
の形にまとめたものを、同会の国際・広報委員長の吉木健さんとともに、
作成することができました。

写真も含めた全文を、同会のHPに載せましたので、ご覧ください。ただし
長文になりますので、ここの場で、いくつかにわけて報告させていただき
たいと思います。全文のURLは以下の通りです。
http://www.acsir.org/news/news.php?RERF-Prof.Dr.-Schmitz-Feuerhake-Dr.-Pflugbeil-ACSIR-22

今回はこの中から、吉木さんが作成してくださった会見全体のアウトライン
についてご紹介します。以下、文章を貼り付けます。なおRERFとは放影研の、
ACSIRとは私たちの会の頭文字をとった略称です。

*****

放影研RERFとProf.Dr. Schmitz-Feuerhake、Dr. Pflugbeil及びACSIRとの会談
-第一報 概要*-

*専門的内容については的確にフォローできないため、沢田理事長が別途第
二報を提出予定


(文責 吉木 健)
日時:2012年6月26日 10:00~12:00

出席者
RERF-寺本隆信/業務執行理事、小笹晃太郎/疫学部長*
* 寿命調査集団、胎内被爆者集団、被爆二世(F1)集団の長期追跡調査で、
放射線被曝の健康への影響の疫学調査を実施。

ACSIR-Prof.Dr.Inge Schmitz-Feuerhake、Dr. Sebastian Pflugbeil、
沢田昭二理事長、高橋博子副理事長、守田敏也広報委員長、
吉木健国際委員長、Dr. Ulrike Wöhr (広島市立大教授/通訳)、
三崎和志(岐阜大地域科学部准教授/通訳)



[発言:寺島-小笹-インゲ-セバスチアン-沢田-高橋-守田-吉木-]

発言は内容の要旨で、聞き取りが困難な発言や特に記録の必要がない発言は
除外した。特に断らない限り英語。(日)は日本語で発言。

会談に先立ち、ヴィデオの撮影を要望したが断られた。代わりに音声録音の
許可を申し出て同意を得た。この会談内容はサウンドレコーダーの記録に基
づいている(守田及び吉木)。
*:参考に入れた注。

会談は会話体ですべての発言を記録することが理想的であるが、小型のレコ
ーダーの性能の限界があり、また会場の設置場所の適否、さらには専門的な
発言内容の問題もあるので中心的テーマごとの要点を記すこととした。


会談はRERFの寺本氏の司会で始められ、ASCIRの希望により基本は英語とし、
必要に応じて日本語等も使用。ドイツ語も通訳を通して使用された。


自己紹介

寺本氏の発案で参加者全員の自己紹介が行われた。通訳を除く発言順。
要旨を記す。

寺本理事/科学以外の業務執行理事で広報、倫理調査等担当。7年間在籍。
広島生まれ。

小笹博士/疫学部に4年前に就任。

Prof.Dr.インゲ・シュミッツ-フォイエルハーケ(以下インゲ)/物理学者
で1974年に ヒロシマの研究所(当時ABCC=Atomic Bomb Casualty
Commission=原爆傷害調査委員会)を訪問。長年にわたり研究している。

Dr.セバスチアン・プフルークバイル(以下セバスチアン)/(ドイツ)放射
線防護協会の会員(会長)。数年前からRERFの研究もしている。

吉木/今回の会談をさせていただいたことに感謝し、ACSIRの会員に会談内
容を伝えたい。

高橋/広島市立大 広島平和研究所の講師。アメリカの歴史を専攻。特に原
爆関係の公文書を研究。特にABCCとRERFに関心が深い。

守田/フリー・ジャーナリストでACSIRの常任理事。

沢田/広島生まれ。中学生時に広島原爆で被爆。母は崩壊家屋に挟まれ動け
ず、生き残るためここを離れよと命じられた経験をした。後に素粒子物理学
を専攻し原爆の放射性降下物の影響を明らかにした。

注 なお放影研の小笹博士は、同研究所による「原爆被爆者の死亡率に関す
る研究第14報 1950–2003 年:がんおよびがん以外の疾患の概要」の筆頭執筆
者でもある。


原爆による被曝を巡って

寺本氏が小笹博士に最近の研究の紹介を要請したが、時間への配慮から質問
などに答えることとなった。
インゲ博士が口火を切って原爆の被爆について見解を述べ、沢田理事長が
(長崎を含む)自らの研究成果(脱毛と下痢等)を述べた。

以下は会談の主要の一部で、詳細は別途報告される沢田理事長の第二報参照。

寺本-会談に移りましょう。小笹博士に最新の研究を紹介してください。
小笹-時間をかけて説明するより質問などをお聞きした方が良いでしょう。

インゲ-放射線防護協会の被験者について職業上の被曝の問題に直面してい
る。あなた方のLSS(寿命調査)http://www.rerf.or.jp/glossary/lss.htm
についてコホート*が世界的に参照とされています。(*特定の地域や集団に
属する人々を対象に、長期間にわたってその人々の健康状態と生活習慣や環境
の状態など様々な要因との関係の調査)
残念ながらもし何らかのことが見出されているのでなければ、被験者ははっ
きりしない疾病のことを話しています。これについては議論するつもりはあ
りませんが、職業上の分野ではnon cancer(非ガン)影響が多く観察されて
います。ICRPの最近の勧告では0.5Sv以下ではnon cancerは観察されないとし
ています。私が尋ねたいのは、これはこれまでに確認されたのかどうかです。
私の見るかぎり直線閾値なし線量モデル*と矛盾しているのではないか。ICRP
はかようなことについての懸念はないとしています。

*(linear non-threshold model /LNT-放射線のリスクが線量に比例すると
いうモデルで線量が小さいとリスクは比例して小さくなる。

小笹-LNTについてはガンだけにかかわることです。non cancer(非ガン)に
ついては大変複雑でかなり弱い*。さらに詳細な分析が必要です。*LNTか

高橋 1952年・53年に、ABCCがME-81という残留放射線に関する調査に取組ん
でいたことは、私の著書(『新訂増補版 封印されたヒロシマ・ナガサキ』
凱風社、2012年)にも掲載したウッドベリー博士の文書からも明らかであ
る。残留放射線、入市被爆者たちの調査をしようとしていたのに、何故打ち
切ったのかも明らかにしてほしい。


RERFのデータの開示について

沢田 被爆者の生存期間はこれからそう長くはない。RERFのデータは人類に
とって重要だ。どうか低線量の影響の研究をして出版して戴きたい。

高橋 RERFとABCCで集積されたデータは広島と長崎の被爆者と人類に属するも
のだ。それらはRERFに占有さるものでなく、広い範囲の科学者と共有すること
をお願いしたい。

これらのリクエストに対してRERFはRERFが全てをカバーしているわけではない
がHPに開示してきたと回答。
HP:http://www.rerf.or.jp/programs/index.html
最新の学術論文:http://www.rerf.or.jp/library/archives/index.html 。

高橋 学術論文などの成果だけではなく、RERFの所有する生のデータの開示が
必要だ。最近「黒い雨」に関する事実が明らかにされているが、これも長らく
開示してこなかったではないか。

インゲ さらなるデータの開示を求める。「当初から開示しておれば、研究の
内容もゆたかになり、被曝による被害を少なくできたかもしれない。」

沢田 私の研究もRERFのデータに依存している。

吉木 データの開示については専門家が不十分だといっている。RERFはデータ
はRERFの所有と考えているかもしれないが、これは被爆者のものであり、ひい
ては人類のものではないか。どう考えているのか。

小笹 きちんと残っていないデータもある。カードとしてのデータはある。

沢田  生のデータを開示していただきたい。国の裁判では出せているが。

REDF 同意があれば出せる。だが一般的には出せぬ。個人の個別のデータは出
せない。

吉木 個別であっても匿名であれば出せるはず⇒ノーコメント

沢田 インゲ 研究者には個別のデータをよろしくお願いしたい。


低線量被曝、内部被曝について

守田 戴いた放影研のパンフレット「分かりやすい放射線と健康の科学」のp3
にγ線、α線やβ線の性質の説明があるが、内部被曝についてはパンフ全体に
も触れていない。γ線だけ怖いと思われているが、内部被曝ではα線やβ線が
重要なので配慮されたい。

(注)戴いた放影研の要覧には「有意な放射縁量」とはとの質問に対する答えで
は次のように記されている(p47)(吉木)。
『ガンのリスクの考察では5mGy(グレイ)以上の被曝者に焦点を置いている。こ
れ以下の低線量被爆者のガンやその他の疾患の過剰リスクは認められていない。
この値は一般人が受ける年間の放射線量(0.1mSv~1mSV)より高い。』

要覧には放射線の早期影響や後影響、遺伝的影響、放射線量、また寿命調査
(LSS)などの調査集団の研究などが紹介されているが、低線量の被曝、また内
部被曝は研究対象に入っていない。

沢田 放影研は寿命調査集団(LSS)の0〜0.005Svの初期放射線被ばく線量区分
のがんなどの晩発性障害の死亡率、あるいは発症率を実質上被ばくしていない
比較対照群(コントロール)として放射線によるリスクの研究をしている。初期
放射線被ばく0.005Sv以下は広島では爆心地から2,700メートル以遠の遠距離で、
ガンマ線しか到達していないので0.005Sv=5m Gyとしてよい。5mGy以上との説明
は実質的に比較対照群にしていることの表明であるが、初期放射線のみで放射性
降下物の影響を無視した研究であるので低線量被曝者とは言えない。


今後のRERF

今回がRERFとの会談の最初だが、今後継続して戴きたいとの要望(吉木)に対し
て受け入れるとのことであった(寺本理事)。

また小笹博士からは低線量の曝露のついては困難を伴うがreformが必要との発言
があった。REDFが自ら変わっていくのは困難だろうが、われわれとしては、こう
した発言も念頭にいつつ、RERFの今後を見ていく必要がある。

会談は約一時間半に及びその後放影研内寺本理事に案内していただき、全員で
放影研の前で記念撮影した。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(519)アメリカによる内部被曝隠しと放射線影響研究所 その2

2012年08月02日 21時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120802 21:30)

放射線影響研究所に関する考察を続けたいと思います。

前回の記事で、放影研に関する特集番組を紹介した。非常に突っ込んだ内容の
報道だったと思いますが、前提のない方にはわかりにくい面も多かったかと思
います。そこで今回は、放影研を論じる際の基礎となるものをおさえておこう
と思います。


放射線防護における放影研の位置性

放影研は私たちが今、福島原発事故と向き合うとき、とくに放射線被曝からの
防護を推し進めるときに、非常に重要な位置を持った組織として存在していま
す。なぜなら、放射線防護の指針の大元になる、放射線と人間の関係の基礎的
なデータを与えてきたのがこの組織だからです。

放射線と人間の関係を突き詰めていったとき、とくにどれぐらいの放射線が、
どれだけのダメージを身体におよぼすかを考察する際、私たちは必然的に広島
と長崎で投下された原爆の問題に行き着いてしまいます。なぜならこれほど
大規模な放射線被曝を被った経験が人類には他にないからです。

いいかえれば、私たちが今、考察の元にしている放射線と人間の関係に関する
データは、広島・長崎の被爆者の調査から得られたものなのです。そしてその
ための調査を勧めたのが、この放射線影響研究所の前進のABCC(Atomic Bomb
Casualty Commission)というアメリカによって作られた組織でした。

設立は1947年。日本名を「原爆傷害調査委員会」といいました。全米科学
アカデミー・学術会議の管轄とされましたが、実はアメリカ軍が大きく関与し
ていました。というよりもアメリカ陸海軍が、学術会議の体裁を装いつつ、
設立したのがこの組織でした。


放影研の前進のABCCが目指した内部被曝隠し

その目的な何か。一つには、原爆の兵器としての威力を知ることでした。とく
に研究対象とされたのは、原爆が爆発された時に直接に発せられる放射線の
威力でした。原爆が爆発すると、中心部から高線量の中性子線とガンマ線が飛
び出してくるのですが、それが人体をいかに破壊するのかが重視されました。

つまり兵器としての直接的な殺傷能力の研究です。いかに「敵」を倒せるかの
研究の他に、アメリカ軍が原爆攻撃を受けた場合に、どれだけの兵士が生き残
り、反撃に転ずることができるのかを試算するためのものでもありました。そ
のために原爆炸裂と同時に人々が浴びる放射線のダメージが研究対象とされた
のです。これは今もなお、放影研の研究の基軸にすえられています。

一方でABCCが大きな目的としたのは、この原爆が破裂した時に飛び出してくる
放射線・・・初期放射線と呼ばれましたが・・・に対して、あとから死の灰と
して降ってくる放射性物質からの被曝の影響を、全くないものとしてしまうこ
とでした。事実、ABCCはそうした報告を長年にわたって出し続けました。

実際には、原爆破裂後に発生したきのこ雲の中に、膨大な数の核分裂性放射性
微粒子が生まれ、広範な地域に効果しました。これを浴びたり、吸い込んだり、
あるいはこれによって汚染されたものを飲食することにより、広範な人々が
内部被曝をしたわけですが、アメリカはそれをそっくり隠そうとしたのでした。

このため被爆者調査の「一元化」が行われ、他の機関がけしてデータの蓄積や
原爆による人体への影響の研究をすることがないように、厳重な監視が行われ
ました。その意味で、ABCCは内部被曝の被害を隠すことそのものを、アメリカ
軍の核戦略の重要な一環として担ったのです。


なぜアメリカは被曝実態を隠そうとしたのか

それはなぜだったのか。実は1920年代にショウジョウバエにX線をあてる研究の
中で、次世代に突然変異が起こることが確かめられていたことを経緯としつつ、
原爆投下直後から、ヨーロッパの遺伝学者たちの中から、原爆の兵器としての
非人道性の告発が始まったからでした。

同時に、日本の敗戦後に広島に乗り込んだジャーナリストが、その惨状を世界
に向かって発信しはじめました。イギリスの『ロンドン・デイリー・エクスプ
レス』は「広島では・・・人々は『原爆病』としか言いようのない未知の理由
によっていまだに不可解かつ悲惨にも亡くなり続けている」と報道しました。
(1945・9・5)

またアメリカの『ニューヨーク・タイムズ』は「原子爆弾は、いまだに日に100
人の割合で殺している」と書きました。(1945・9・5)アメリカ軍はこれらに対
処する必要から、原爆製造計画=マンハッタン計画の副責任者のファーレル准
将を翌日6日に東京に派遣して記者会見を行います。そして「死すべき人は死ん
でしまい、9月上旬において、原爆で苦しんでいる者は皆無だ」と声明させまし
た。

さらに9月19日にはプレスコードによって、原爆に関する報道を全面的に禁止し
てしまいました。原爆被害の全資料は最高軍事機密とされ、米軍による一元的
管理のもとに置かれたのです。こうしたことの継続として、1946年末にABCCの
設立が計画され、1947年からその歩みをスタートさせたのでした。


内部被曝隠しと被爆者の切り捨て

では内部被曝はどのようにして隠されたのでしょうか。まず第一に、放射線の
害を原爆破裂時に飛び出してきた中性子線とガンマ線、およびそれによって放
射化されたものに限定することによってでした。アメリカはこの放射線の到達
範囲を爆心地から半径2キロ以内とし、それ以外の人々はまったく放射線を浴
びていないことにしてしまったのです。

このため原爆投下時に爆心地の近郊にはおらず、あとから救助に向かったり、
家族を探すなどして市内に入り、対象の放射性物質を吸引して内部被曝した
人々、長らく「入市被爆」と呼ばれてきた人々が、対象外に置かれてしまいま
した。きのこ雲の下にいて、大量の放射性物質の降下にさらされた人々も同じ
でした。

こうしたアメリカの目的を維持するために、ABCCは強引な調査を続けました。
前回の「報道特集」の中でも触れられていたように、いやがる被爆者をジープ
を乗り付けて強引に連れて行き、裸にして検査を行い、極めつけとして何の医
療行為もしませんでした。医療行為をすると被害の証拠が残るためだからでし
た。ABCCはこうした被爆者に起こった全てのことを一元管理したのでした。

しかも放射線の殺傷能力に関心を持つABCCは、被爆者の遺体を求め続け、さま
ざまな手で強引にわがものとして解剖を繰り返しました。被爆者の内蔵標本な
どを作り、原爆の威力の研究のために使ったのですが、こうした姿勢は、被爆
者の批判、恨みを根深く受け続けることになりました。

これらのために被爆者は、二重・三重の苦しみを背負わされました。まずアメ
リカが報道管制を敷いて、原爆に関するあらゆることを秘密事項としてしまっ
たために、被爆者の惨状は日本国内ですら社会的に伏せられてしまい、何らの
救済も及ばない時期が長く続きました。被爆者に対する法的援護が始まったの
は、被爆後10年以上も経ってからでした。

さらに内部被曝隠しのもとで、たくさんの実際に被爆した人が「被爆者」とし
て認められなかったり、認められても、自分の病気を放射線のせいだとは認め
られないといったことがたくさんおこりました。とくに被爆者のうち、放射線
を浴びて病にかかったと認定された人は「原爆症認定」を受けることになりま
したが、その数は被爆者全体のごくわずかにとどまり続けました。

ABCCは内部被曝を隠し続けるために、こうした被爆者の苦しみを放置し、救済
の道を遠ざけ続けたのであり、まったくもって非人道的で酷い役割を果たし続
けてきたことが批判される必要があります。ABCCを引き継ぐ放影研は何よりも
このことを被爆者に対して謝罪すべきです。


非常に甘い放射線防護基準の創出を下支え

ABCCと放影研の果たしてきた役割はそれだけはありませんでした。このように
内部被曝を伏せたままのデータを、放射線と人間の関係の基礎的データとして
世界に公表することで、ICRP(国際放射線防護委員会)による放射線防護基準
の策定をデータ面で支える役割を果たしました。

この場合のデータも、内部被曝を隠したことにとどまらず、さまざまな形で実
際の被害を過少に見積もる操作が繰り返されたものでしたが、このことでABCC
と放影研は、世界中の人々に、微量は放射線は危険ではないとして、事実上、
被曝を強制する役割を担いました。

広島・長崎の被爆者から得た恣意的なデータを利用して、放射線被曝の影響を
小さく見積もり、世界中の人々に、さらなる被曝を強いてきたわけですから、
ABCCと放影研が行ってきたことの罪は極めて深いといわざるをえません。しかも
それは今日、世界の「放射線学」のベースをも形作っているのです。

福島原発事故による膨大な放射能漏れと、それにもかかわらずものすごい数の
人々が、汚染地帯に今なお住んでいる現実を見るとき、私たちはこうしたABCC
と放影研、そしてICRP(国際放射線防護委員会)が築き上げてきた内部被曝隠
しものとでの虚構の「放射線学」を解体し、真の被曝の科学を打ち立てること
こそが問われていることを痛感せざるをえません。


TBS特集番組の突き出したもの・・・求められるのはデータの全面公開!

こうした観点から見るときに、今回の報道特集において、内部被曝の研究をして
こなかった放影研が、膨大な放射能漏れを引き起こした福島事故と、その低線量
被曝の影響においては、何ら参考にたる蓄積を持っていないことを引き出したこ
とは、それ自身が画期的な位置を持っていることだと言えます。

なぜなら事故後に行なってきた政府による「放射能は怖くないキャンペーン」や
これを支えてきた「原子力村」に連なる人々の言動のほとんどが、ABCCと放影研
が積み重ねてきたデータに基づく、ICRP=国際放射線防護委員会の言質の上に
たっているものであり、この番組での放影研・大久保理事長の発言は、これらの
論拠を根底から解体するに等しい重みを持っているからです。

その意味で私たちは、ここで述べられた放影研の見解を公式文書として引き出し、
今後、内部被曝を含む低線量被曝の考察において、放影研のデータは利用するに
値しないこと、また放影研のデータに基づくあらゆる言質は今後通用しないこと
をはっきりとさせていく必要があります。ここまで私たちが行うことで、この
番組が突き出したものは非常に大きなものとなりうると思います。

その上で、私たちはこの番組の中で表明されている放影研の方向転換については
真摯な反省を媒介としたものではないが故に、信用に値するものではないことも、
確認しておかねばならないと思います。先にも述べたように放影研は長年にわた
る被爆者への仕打ちをこそ誠意をもって謝罪すべきであり、それを方向転換の
土台とすべきです。

さらに放影研が今すぐになすべきことは、被爆者から強引に収集した全てのデー
タを公開し、多くの人々の自由な研究の手に委ねることによって、国家機関の手
から離れた真の内部被曝研究の道を切り開くこと、そのために貢献することであ
ると言えます。私たちは今後、このことをこそ放影研に求めていくのでなければ
なりません。報道特集はこうした重大な問題を引き出すことに成功しました。
これを受けた私たちの行動が今、問われています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(518)アメリカによる内部被曝隠しと放射線影響研究所 その1

2012年07月29日 23時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120719 23:30)

7月28日にTBSの報道特集で【知られざる”放射線影響研究所”の実態を初
取材】というタイトルの番組が流されました。さっそく視聴してみて、これ
までの取材にないかなり鋭い切込がなされていると感じました。
関係者の発言についても貴重なものが多いと感じたため、資料とするために
急きょ、文字起こしをしました。ぜひお読みください。また時間のある方は
ビデオクリップをごらんください。

いろいろと解説、注釈をつけたいところですが、長くなってしまうので、今宵
は文字おこし内容の紹介だけにとどめます。ともあれこれは内部被曝問題の
真相にからむことです。ちょうどもうすぐ原爆投下から67年目の夏を迎えよう
としている時期でもありますから、しばらくこの問題をシリーズにしてお届け
しようと思います。

ここで6月末からの宿題になってしまった課題・・・ドイツのおふたりとの
放射線影響研究所訪問に関する詳細報告も行います。(のびのびになって申し
わけありませんが、ようやく関係者間での記録もまとまってきました)

というわけで、以下の内容をお読みください。

*****

知られざる放射線研究機関 ABCC/放影研
2112.7.28TBS系「報道特集」
http://www.dailymotion.com/video/xsgr38_20120728-yyyyyyyyyyyy-yyyy-yyy_news?fbc=958


原爆の悲惨さを訴え、今も読み継がれている漫画がある。『はだしのゲン』
放影研の前身であるABCCを描いたこんな場面が出てくる。「なにもくれず、
まるはだかにされ、白い布をかぶせられ、血を抜かれて、身体をすみずみま
で調べられたと言うとった。」「アメリカは原爆を落としたあと、放射能で
原爆症の病気がでることがわかっていたんじゃのう。」「く、くそ、戦争を
利用して、わしらを原爆の実験にしやがったのか」

(『はだしのゲン』作者中沢啓治さん(73)談)
「原爆を投下する前にすでに、アメリカはわかってたんですよ。あれが。落
としたあと、どういう放射能影響が出るかということがわかっていて、それ
ですぐにABCCを比治山の上に建てるわけでしょう。」

中沢啓治さんは、『はたしのゲン』の作者であり、自身も被ばくしている。
母、キミヨさんは、被ばくから21年後に亡くなった。そのとき中沢さんは、
今も脳裏に焼きついて離れない体験をした。

「ABCCが来てね、オフクロの内蔵をくれというんですよ。棺桶の中にいる
オフクロの内蔵をくれって。怒ったんですよ。「帰れ」って。いやあ、あれ
はもう、広島市を見下ろす比治山の上から、じっとこうやって見ているんだ
よね。今日は被爆者の誰が死んだ、誰が死んだっていって」

ABCCによる被爆者調査の拝見を物語る文書が、アメリカの国立公文書館にあ
る。1946年、海軍省が大統領に送った文書だ。

「アメリカにとって極めて重要な、放射線の医学的生物学的な影響を調査す
るにはまたとない機会です。調査は軍の範囲を超え、戦時だけでなく平時の
産業農業など人類全体に関わるものです。」(報告書内容)

この文章にサインをしたのは、原爆投下を命じたトルーマン大統領その人だ。

「戦争の長引く苦病を短縮し何百万もの若いアメリカ兵の命を救うために原
爆を使用した」(トルーマン談)

アメリカ人の命を救ったとする一方で、放射線の調査を命じていた大統領。
その承認を受け、1947年、ABCCが広島で設立された。ABCCが当初最も重視し
たのは遺伝的な影響だった。広島・長崎で生まれた被爆者の子ども、被爆2
世を77000人調査した。担当部長として調査を指揮したウイリアム・シャル
氏は死産の赤ちゃんを調べたという。

「死産や生まれた日に死んだ赤ちゃんは、家族の同意があれば、ここABCCで
解剖しました。採取された組織は保存されました。」(放影研の前で、
シャル氏談)

遺伝的な影響があるのかは結論が出ず。被爆2世の調査は今も続いている。

そんな放影研に福島県郡山市から依頼があった。大久保利晃(としてる)理
事長が、市の健康管理アドバイザーとして招かれたのだ。専門的な知識を期
待されてのことだった。

「放射線に被ばくすればするほど、ガンは増えます。これは逆に。だんだん
だんだん減らしていったときにどうなるのか。本当にゼロに近いところでも
ごくわずかに増えるのか増えないのか。これが一つの問題です。」
「本家本元、広島の研究では増えたのか増えてないのかということは統計学
的に証明できてないです。」(大久保氏の福島での集会レクチャーより)

実は放影研のデータは、福島ではそのまま活用できない。放影研が調査して
きたのは、原爆が爆発した瞬間、身体の表面に高線量の放射線を浴びる外部
被曝だ。福島で今、起きていることはこれとは異なる。放射性物質が呼吸や
食べ物から身体の中に取り込まれ、放射線を放ち、細胞を傷つける、内部被
曝だ。

「子どもさんを外に散歩させていていいのか。乳児に外気浴をさせていいのか」
「これ、すべてですね、申し訳ないけれども『良い』『悪い』という形で、私
は返事ができないのですね。」(同レクチャーより)

低線量の内部被曝のリスクについて、大久保理事長は慎重に言葉を選んだ。
そんな大久保氏に講演会のあと、歩み寄った一人の女性がいた。出産を間近に
控えた井上美歌さん(28)だ。

「食べ物からの内部被ばくを気をつけていくことが一番安全なのかなと思うの
ですが」(井上さん談)
「特定の物ばかり食べて(放射性物質の濃度が)高いものばかりになってしま
うと、危険とは言わないけどできれば避けた方がいいですね」(大久保氏談)

福島の人々の不安に答えられない放影研。その原因は放影研のデータには、決
定的に欠落したものがあるからだ。

「うちのリスクデータには、内部放射線のことは勘案してありません。」
(大久保氏談)

放射線の人体への影響を60年以上調べている放影研だが、実は内部被曝のデー
タはないという。しかし言うまでもなく内部被曝は原爆投下でもおきた。爆発
で巻き上げられた放射性物質やすすがキノコ雲となりやがて放射性物質を含ん
だ雨を降らせた。この黒い雨で汚染された水や食べ物で、内部被曝が起きたと
考えられている。

「黒い雨の方は、これは当然、上から落ちてきた放射性物質が周りにあって被
曝するのですから、今の福島とまったく同じですよね。それは当然あると思う
のですよ。それについては実は、黒い雨がたくさん降ったところについては、
調査の対象の外なんですよ。」(大久保氏談)

内部被曝をもたらした黒い雨は、放影研の前進のABCCの時代から調査の対象外
だったという。もとABCC部長のシャル氏はその理由をこう証言する。

「予算の問題は1950年からありました。研究員たちは予算の範囲で何ができる
かを考え、優先順位をつけました。黒い雨は何の証拠もありませんでした。だ
から優先順位低かったのです」(シャル氏談)

だがABCCが内部被曝の調査に着手していたことが、私たちの取材でわかった。
それを裏付ける内部文章がアメリカに眠っていた。
「1953年にウッドベリー氏が書いた未発表の報告書です。」(公文書館員談)

ローウェル・ウッドベリー氏はABCCの当時の生物統計部長だ。報告書には広島
の地図が添えられ、内部被曝の原因となった黒い雨の範囲が線で書かれている。
ウッドベリー氏は、黒い雨の本格的な調査を主張していた。

「原爆が爆発したときの放射線をほとんどまたは全く浴びていない人たちに被
曝の症状が見られる。放射線に敏感な人が、黒い雨による放射性物質で発症し
た可能性と、単に衛生状態の悪化で発症した可能性がある。どちらの可能性が
正しいか確かめるために、もっと詳しく調査すべきだ」(ウッドベリー報告書)

この報告書にもどつき、内部被曝の予備調査が1953年から1年ほど続けられた。
調査の担当者として日本人の名前も記されていた。ドクター・タマガキ。

「懐かしいですねえ。10何年もここにおったんですから。」(元ABCC研究員
玉垣秀也氏(89)放影研の外で撮影)

玉垣秀也氏は、医師の国家試験に合格したあと、ABCCに入った。黒い雨を含め、
原爆投下後も残った放射性物質、残留放射能の調査を命じられた。玉垣氏は、
原爆投下後に広島に入った救助隊員40人を調べた。5人に深刻な症状を確認し、
うち2人はすでに死亡していたという。

「(放射線を)直接受けた人たちと同じように脱毛がある。それから歯ぐきか
らの出血ね、それから下血、発熱と。そういうような症状でしたね。」(玉垣
氏談)

しかしアメリカ人の上司は衛生状態の悪化が原因だと一蹴し、この調査を打ち
切ったという。

「(上司は)あの当時の人たちは衛生状態が悪いから腸チフスにかかっても不
思議はない」と。「それを聞いて玉垣さんはどう思われましたか?」(記者)
「私はやっぱり原爆の影響だと思いましたよ。」

ABCCから放影研に変わった後も、内部被曝の調査は再開されることはなかった。

黒い雨による内部被曝の実態は、今も、広島・長崎の研究者の間で論議をよん
でいる。内部被曝に関する放影研の姿勢を疑問視する声もある。

広島大学原爆放射線医学科学研究所 大滝慈(めぐ)教授談
「内部被曝のような問題がもし重要性が明らかになりますとですね、アメリカ
側が想定してきたようなですね、核戦略の前提が崩れてしまうのではないかな
と思います」

内部被曝への不安を訴えていた福島県郡山市の井上さんは、この4月、元気な女
の子、うららちゃんを出産した。

「春の生まれなので、春の新しい命が芽吹くときに力強く育って欲しいなと
思って、春といったら、うららかなって思いました」(井上さん談)

市役所から届いたバッジ式の線量計。しかしこれでは内部被曝については測り
ようがない。

「福島産であれば、「不検出」と書いてあれば買いますけれど、何も貼り出し
がない場合は、福島じゃないものを使ってしまいますね」

井上さんが放射性物質を取り込めば、母乳を通じ、うららちゃんの身体に入る。
井上さんは自分の内部被曝を防ぐことで、我が子を守ろうとしている。

「今は「何も異常はない」と言われていますけれど、いつ何があるかわからな
いし「自分たちで気をつけてください」ってただ言われているような気がして」

原爆の放射線の影響は、被爆者の生身の体で研究されてきた。それと同じ構図が
福島で繰り返されるのだろうか。

内部被曝を調査の対象から外した放影研。福島の原発事故の発生から1年が経っ
た今年3月、大きな方針転換を決めた。それは・・・内部被曝を調査の対象から
外した放影研が新たな方針を決めた。

「過去の業績と蓄積した資料を使ってですね、原発に限らず、一般の放射線の
慢性影響に関する世界の研究教育のセンターを目指そうと。」(大久保氏、放影
研会議の席上で)

取り扱い注意と記された放影研の将来構想、内部被曝を含む低線量被曝のリスク
を解明することを目標に掲げていた。原爆投下を機に生まれた研究機関は、今、
原発事故を経て方針転換を余儀なくされている。


・・・番組の最後にABCCの現場からキャスターと記者が中継

「取材にあたったRCC中国放送の藤原大介記者を紹介します。藤原さんね、この
放影研、放射線影響研究所ですね、やっぱり一般の研究施設とは違いますね。」
「そうですね。こちらの一本の廊下をはさんで、およそ20の検査の部屋が並ん
でいます。短い時間で効率的に検査をこなし、データを集めるためです。被爆
者たちはこの廊下を戦後60年あまり歩いてきました。放影研の建物は、ABCCと
して発足したころの、かまぼこ型の兵舎がそのまま使われています。」

「VTRの中に登場した『はだしのゲン』の作者の中沢啓治さんの言葉が強烈に
耳にこびりついているのですけれども、人体実験だったんじゃないか、モル
モットに扱われたんじゃないかという怒りの思いがですね、伝わってきたので
すが、放影研の前進のABCCですけどね、これ、そもそもどういう研究施設だっ
たのかという疑問が残りますね。」
「ええ。中沢さんと同じような暗い記憶を大勢の人たちが抱えています。占領
期のABCCは軍用のジープで半ば強引に被爆者を連れてきました。助産師に金銭
をわたし、赤ちゃんの遺体を集めたという元研究員の証言もあります。そうま
でして集めた被爆者の膨大なデータが、内部被曝の影響を軽視したことで、福
島で役にたたないということに、やるせない感じがします。」

「そして、311、あの大震災と原発事故を契機としてですね、ようやく1年
以上経ってから、ようやく放影研が内部被曝の研究に再着手するというそうい
う方針転換をしたわけですよね。」
「そうですね。ABCC、放影研の調査は、けして被爆者のためのものではありま
せんでした。内部被曝の影響が抜け落ちているのに、国はその不完全
なデータを根拠に、被爆者の救済の訴えを切り捨ててきました。今、放影研は
福島県民200万人の健康調査を支援していますが、そこで内部被曝を軽視し
た広島の対応が繰り返されてはならないですし、広島の教訓は福島で生かさな
ければいけないと思います。」

「そもそもですねえ、日本において被爆者を救うはずの原爆医療でさえ、アメ
リカのABCCのデータ集めから始まってしまった悲劇をみて、一体、何のための
医学なのか、誰のための医学なのかという思いをあらためてしましたけれども」
「放影研は将来構想で、低線量被曝を含め、内部被曝のリスクを解明すること
を目標に掲げました。しかしその研究は、今、福島で生きる人たちのためには
なりませんし、そもそも内部被曝のデータが欠落した放影研にリスクの解明が
できるのかは疑問です。なぜ内部被曝の問題を過去に葬り去ったのか、その
検証も欠かせません。」

「以上、広島から中継でお伝えしました」


コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(517)ストロンチウム汚染についての考察(どのように広がっているのか?)

2012年07月27日 22時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120727 22:30)

7月24日に文科省より、ストロンチウムの測定結果が公表されました。
これをどう見るのか、解析を試みてみたいと思います。ニュースは幾つかの媒
体から発信されていますが、時事通信ものをまずは紹介しておきます。

***

10都県で過去11年の最大値=ストロンチウム90の降下量-測定結果公表・文科省
時事ドットコム 20120724-16:52 

文部科学省は24日、東京電力福島第1原発事故で放出されたとみられる放射
性ストロンチウム90が、大気中から地上に降った量(降下量)の都道府県別
測定結果を公表した。津波や事故の影響で測定できない宮城、福島両県を除く
と、茨城県など10都県で、事故前11年間の最大値を上回る値を記録。最も
多かったのは昨年3月の茨城県で、1平方キロ当たり600万ベクレルだった。

文科省によると、測定は直径2メートルの水盤を1カ月間屋外に置き、たまっ
たちりなどを採取して放射性物質の量を調べた。

2000年以降、事故前までの最大値は06年2月に北海道で測定された同30
万ベクレルで、1960年代の大気圏内核実験の影響。事故後は、茨城のほか、
岩手、秋田、山形、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川の各都県でこの値
を超えた。原発事故の影響とみられる。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012072400675

引用はここまで
***

まず注目すべきことは、昨年の事故後に「ストロンチウムは重いから遠くまで
飛ばない」などという言説が繰り返し流布されましたが、実際には茨城、岩手、
秋田、山形、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川各県まで飛散していたこ
とが公式に認められた点です。残念ながら東北・関東の全域にストロンチウム
は飛散しています。

ではその量はどうなのか。いつものように文科省は「微量」「安全」を繰り返し
ています。読売新聞からこの点を引用すると以下のように書かれています。

***

「今回の調査での最大値は、茨城県ひたちなか市で昨年3月1か月間に採取され
た1平方メートル当たり6ベクレル。大気圏内核実験が盛んだった1960年代
前半に観測された最大値の60分の1程度で、同省は「健康への影響はほとんど
考慮しなくていい」としている」。

引用はここまで
***

ちなみに時事通信だけ1平方キロあたり600万ベクレルという書き方をしており
読売はじめ他社はみな1平米あたり6ベクレルと書いています。この方が小さくみ
える。東電が繰り返してきた発表形式ですが、ここにあるように、この量は大気圏
内核実験が盛んだった1960年代前半の60分の1程度だ!と書かれています。


核実験による汚染を考える

まずこれまでも繰り返されてきた「核実験のときの○○分の1」という言い方につ
いて言えば、それが何ら安全性を示すものではないことに注意を喚起しておきたい
と思います。というより、私たちはこうした核実験による汚染に対して、今更なが
らに憤慨しなければいけません。

例えば私は1959年生まれです。1960年代前半と言えばまさに赤ん坊のとき、幼年期
で、放射線に一番弱い時期でした。そのときに膨大な量の放射能が撒かれていた。
そしてその何がしかを私たちの世代は取り込んできているのでしょう。このことで
私たちはさまざまな健康被害をすでに被っているのだと思えます。

とくに最近、私たちの国では2人に1人がいずれはガンにかかると言われています。
何かそれが「自然」のことのように受け取ってしまっていますが、これはこの頃の
核実験の影響でもあるのではないか。いや少なくとも私たちの世代、あるいはそれ
以前の世代に発生しているガンのうち、確実に幾つかのものは、ばらまかれたスト
ロンチウムを起因とするものなのです。

にもかかわらず、私たちの世代で、この場合、国際的にですが、ただの一人でも、
「あなたは核実験のせいでガンになりました。なので補償させていただきます」な
どという勧告を受けた方はいるでしょうか。まるでいません。つまりひき逃げなら
ぬ「曝露逃げ!」をされているのです。放射能汚染が、「完全犯罪」であるゆえん
です。膨大な放射能がまいた事実ははっきりしているのに、たったの一人も被害者
が認知されていない。ものすごい社会的不正義です。

この点で私たちは「核実験より少ないから大丈夫」というレトリックにけしてのせ
られないようにしましょう。むしろ反対に「核実験における被害を補償せよ」との
声を上げるべきです。ちなみにICRP(国際放射線防護委員会)は、戦後社会で繰り
返された核実験による死者を100万人以上と見積もっています。ECRRは、そんなに
少ないはずがないとして6000万人以上という数値を出していますが、最低でも100
万人の殺人が行われながら、犯人が一人も捕まっていないのが私たちの世界なの
です。これはあまりに非道です。このことをけして忘れないようにしましょう。


公表された数値についてどう考えるか

続いて今回、発表された数値について考察します。最大で1平方キロあたり600万
ベクレルという数値についてですが、まず指摘しなければならないのは、これまで
文科省が、測定によるごまかしを繰り返し行ってきていることです。例えば福島
では、学校に空間線量計を導入するときに、業者にあらかじめ数値を低く出すよう
に「指導」を行った事実があります。

あるいは、多くの地域で「モニタリングポスト」を設置する際、その周辺だけあら
かじめ除洗して数値を下げることを繰り返してきました。何ともすぐにバレる小細
工で、みていて悲しくなるのですが、こうしたことが本当に、大規模に、かつあた
り前のように繰り返されてきています。なので文科省の出す数値は、実測よりかな
り低めになっているのではないかと疑わざるを得ません。

これは放射性物質の測りにくさにも連動することです。測りにくいので、いい加減
に測れば数値はすぐに低くなる。例えば時間を短くすることなどでそうなるのです
が、これまでできるだけ被害を小さく見せようとしてきた文科省が、こうした手段
をも使って、数値をさげてみせていることは十分に考えられます。

なんだか考察していて嫌になってきますが、こうした真実の隠蔽体質、何かを発表
するときは、必ず比較対象を持ってきて「これより少ないから安全だ」「健康への
被害はほとんど考慮しなくていい」と繰り返す体質そのものが、かえって人々の
疑心をかきたてていることに気づいて欲しいものです。いや「疑心」というのは
正しくない。そこで人々が自ら科学的に考察しはじめるとどんどん「ウソ」が暴か
れてくる。疑心ではなく正しい批判であったことが繰り返し証明されている。

それからこの数値はもっと高く見積もる必要があります。ただしいくらの係数をか
ければいいとかそうした判断はできません。少なくとも、もっと低い値が出るよう
に計測がなされているだろうこと、だからこれを最低値として、もっと高い値が
実際のものだろうということを考えざるをえないということです。

ただそうは言っても、この数字がまったく無意味かというとそうとは言えないと思
います。数値のごまかしの手段は多々ありますが、さすがに100倍、1000倍の単位で
ごまかしているとは思えない。なので信頼性は薄いけれども、一つの指標としてこ
れを活用することが大事です。ストロンチウムが市民的にはなかなか測れないため
にこれをうまく活用せざるをえないとも言えます。


数値をどのように判断するのか

ではどのようにこの数値からの判断を引き出すべきでしょうか。一つには1平方キロ
メー600万ベクレル、つまり1平方メートル6ベクレルという数値をどうみるかです。
これはセシウムだったら確かに恐ろしくない値であるといえます。しかしストロン
チウムは、体内に入るとセシウムよりもはるかに長くとどまるので、その危険性は
数百倍だと言われています。これに文科省の測定の信頼性が低いことを加味すると、
セシウムでの感覚では何千ベクレル・・・と見積もった方が良いでしょう。

それでもまだまだセシウムの現実の汚染度から比べると「低い」感じがするのでは
と思うのですが、肝心なのはここから先で、こうして飛散していることが確実になっ
たストロンチウムが、そこここで濃縮されてホットスポットを作っている可能性が
あることです。そうなると数値は一気に高くなる。そうしたものの存在がやはり一
番恐ろしい。

しかも注意すべきことは、ストロンチウムはセシウムと一緒に移動している場合が
多く、セシウムの作るホットスポットに同じように集まっている可能性が高いとい
うことです。なのでセシウムのホットスポットの危険性が、ストロンチウムの存在に
よってさらに高いものになっていることを認識すべきだと思います。

実はこのことはすでに横浜で示されていたのでした。昨年9月に、横浜港北区のマン
ション屋上から、1kgあたり195ベクレルのストロンチウム90が検出された件です。
今回、文科省は神奈川県までストロンチウムが飛散していることを認めたわけですが、
それが作り出したホットスポットがこのとき市民によって見つけられたのでした。と
すれば同じような汚染を形作っているところがいたるところにあるはずです。

ここから考えるべき点は、少なくともストロンチウムの飛散が伝えられた各県では、
セシウムが濃縮したホットスポットないしマイクロホットスポットには、ストロンチ
ウムもまた濃縮している可能性が高く、極めて危険な状態を作り出しているという
ことです。このため、こうしたホットスポットのそばではマスクは必携です。とくに
今は夏で猛暑が続いています。ジメジメした水だまりに形成されやすいマイクロホッ
トスポットが照りつける日差しでカラカラに乾燥し、土埃となって浮遊しやすい状態
になっています。これが風に運ばれやすい。そのため土埃の舞いそうなところでは
とくに注意が必要です。


膨大な量が海に流れ込み・・・

一方でここで過去に明らかにされたストロンチウムの動向から解析を重ねてみたいと
思います。その場合、一番深刻なのは、昨年12月18日に朝日新聞が発表したストロン
チウム漏れに関する試算です。東電のデータを解析した朝日新聞はこのとき海に流れ
出したストロンチウムの総量を462兆ベクレルと計算しています。ヨウ素とセシウム
4720兆ベクレルのなんと10分の1にもあたる量です。

これはどこに行ってしまったのでしょうか?まず魚を見てみた場合、水産庁の以下の
データで福島沖の魚からストロンチウムが検出されていることが報告されています。
http://www.jfa.maff.go.jp/j/sigen/housyaseibussitutyousakekka/pdf/120511_sr_result.pdf

検出日は昨年の4月21日が1件、12月21日が3件、本年1月18日が1件、魚の種類は、
マダラ、シロメバル、ムシガレイ、ゴマサバ、イシカワシラウオです。値はストロンチ
ウム90で1キログラムあたり0.03から1.2ベクレル。検出限界0.03で測定
されています。これらの魚は海の底に棲息しているものが多いことから、ストロンチウ
ムが海底に積もっていることが予測されます。

一方で水産庁のこのデータをみて一番強く思うのは、昨年からストロンチウムの海への
流出がさかんに指摘され、水産庁からストロンチウム調査を行うという発言が繰り返さ
れたにもかかわらず、発表されてるのがわずか13検体というとてつもなく少ない検査
でしかないことです。これでは測らないことによって、汚染実態を隠しているとしか
いいようがありません。462兆ベクレルものストロンチウムを漏らしながらわずか
13の検体しか調べていない。本当に悲しくなるほどずさんな調査です。ただちにこの
点をあらためて、もっとしっかりとした調査せよといいたいです。


以上から言えること

このように見てくると、今回の調査から言えることは、当初の原子力を推進したきた
人々の言動とは違い、ストロンチウムは福島原発から約250キロ離れた横浜を始め
東北・関東の非常に広い地域に飛散していること。それがホットスポットを形成して
いる可能性があり、厳重な注意が求められること。

海により膨大な量のストロンチウムが流れ込んでいながら、ほとんどまともな追跡調査
がなされていないこと。海に流れ込んだものの挙動の把握があまりになされておらず、
これがどのような形で私たちの生活圏に入り込んでくるのかが未知数であり、考えられ
る防御を重ねていく必要があること。この二つを引き出すことができると思います。

とくに海に入り込んだストロンチウムは、潮風にのって海岸線から陸地に舞い戻ってき
ている可能性が高いのではないかと思えます。海際にある原子炉から流れ込んでいるこ
とを考えるならば、十分ありうる可能性です。そのため今後は、原発に近いところから
海岸線の汚染調査を深める必要があるのではないでしょうか。とくにストロンチウムが
海から陸上にあがってきていないかを徹底して調べるべきです。

ストロンチウムについてのウォッチをさらに継続します。


なお、これまでストロンチウムについて述べたバックナンバーを紹介したのちに
幾つかの記事を貼り付けておきます。
*****

明日に向けて(446)膨大なストロンチウムが環境を汚染している!(焼却は極度に危険)
20120409
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/2e5cab4b20a545032ace3fe119c61d64

明日に向けて(347)4兆5千億ベクレル以上のストロンチウムが漏れ出している
20111205
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/2f48916ed9a40591031752e7a12fb858

明日に向けて(292)「プルトニウムは重いから飛ばない」というのはウソ!
20111013
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/16457148fe8f56cb730f29c1c118a2b9

明日に向けて(290)放射性物質:横浜でストロンチウム検出
20111012
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/bcd30bd2d0527804dfe48829eab3749d

明日に向けて(149)キュリウム・アメリシウム・ストロンチウムが検出された!
20110614
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/29360d5be7cccc6d875fbd108858455c

明日に向けて(141)福島県内11か所からストロンチウムを検出
20110609
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/0c666a3aaea2906ae4e6647490e5f7a9

*******

10都県で放射性ストロンチウム検出
NHKNEWSWEB 7月24日 19時56分

東京電力福島第一原子力発電所の事故で放出された可能性がある放射性物質
ストロンチウム90が、茨城や東京など10の都県でも検出されたことが文部
科学省の調査で分かりました。

こうしたストロンチウムが文部科学省の調査で検出されたのは、福島、宮城以
外では初めてですが、「濃度は非常に低く、健康への影響はほとんどない」と
いうことです。

この調査は、文部科学省が全国の都道府県で原発事故の前から毎月、行っていた
もので、今回は事故の影響もあって、おととし4月から去年12月までのデータ
が24日、公表されました。

それによりますと、原発事故で放出された可能性があるストロンチウム90は、
すでに別の調査で検出された福島、宮城以外にも、秋田、岩手、山形、茨城、
神奈川、群馬、埼玉、千葉、東京、栃木の10の都県で検出されたことが分かり
ました。

このうち最も数値が高かったのは、茨城県ひたちなか市の去年3月のサンプルで、
ストロンチウム90の濃度は1平方メートルあたり6ベクレルでしたが、同じ
サンプルに含まれた放射性セシウムの2850分の1程度だったということです。

文部科学省は「濃度は、放射性セシウムに比べて非常に低く、健康への影響は
ほとんどないと考えられる」としています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120724/k10013823121000.html

***

原発事故のストロンチウムか…10都県で確認
読売新聞 2012年7月24日19時44分

文部科学省は24日、各都道府県で実施する大気中からの降下物に含まれる放射
性物質の測定結果を公表した。

東京電力福島第一原子力発電所事故のあった昨年3~12月までの試料を分析した
結果、岩手県から神奈川県にかけた10都県で、2000年以降の水準(1平方
メートル当たり0・3ベクレル)に比べて高い値の放射性ストロンチウムが検出
された。同省によると、同事故で広がった可能性が高いという。

各都道府県では雨や風で降下したちりなどを集めて、それに含まれる放射性物質
を測定している。00年以降の水準を超える値のストロンチウム90が検出され
たのは岩手、秋田、山形、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川の計
10都県。福島、宮城両県では土壌を採取した別の調査で既に放射性ストロンチ
ウムが確認されている。

今回の調査での最大値は、茨城県ひたちなか市で昨年3月1か月間に採取された
1平方メートル当たり6ベクレル。大気圏内核実験が盛んだった1960年代
前半に観測された最大値の60分の1程度で、同省は「健康への影響はほとんど
考慮しなくていい」としている。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20120724-OYT1T01117.htm

***

福島原発事故由来のストロンチウム、10都県で初確認
朝日新聞 2012年7月24日21時49分

東京電力福島第一原発の事故後、大気中に放出された放射性ストロンチウム90
が福島、宮城両県以外の10都県で確認された。文部科学省が24日発表した。
茨城県では、2000年から事故前までの国内の最大値を20倍上回る1平方
メートルあたり6ベクレルが検出された。これは大気圏内核実験が盛んだった
1960年代に国内で観測された最大値の60分の1程度になる。

原発事故が原因と確認されたのは岩手、秋田、山形、茨城、栃木、群馬、埼玉、
千葉、東京、神奈川の10都県。いずれも昨年3~4月に観測された。事故で
放射性セシウムが広範囲に拡散したことから、ストロンチウム90についても
拡散が予想されていたが、国の調査で、宮城、福島両県以外で原発事故による
ストロンチウム90が確認されたのは初めて。

文科省が発表したのは、1カ月間に屋外の容器に降下してたまったちりに含ま
れるストロンチウム90の量。2010年4月から11年12月にかけ、47
都道府県の測定所で月ごとに調べた。

1平方メートルあたりの降下量が最も多かったのは茨城県(測定所・ひたちな
か市)で6.0ベクレル。群馬県(前橋市)の1.9ベクレル、山形県(山形
市)の1.6ベクレルと続いた。10都県で原発から最も遠い神奈川県(茅ケ
崎市)は0.47ベクレルだった。

00年から原発事故までの最大値は06年2月に北海道で観測された0.30
ベクレルで、茨城県の観測値はその20倍。10都県の値はいずれも0.30
ベクレルを上回り、事故直後に観測されたため、原発から放出されたものと
判断した。

過去のストロンチウム90の観測値は、1963年の仙台市での358ベクレル
が最高。核実験の実施回数が減り、その後は減少を続けたが、86年、旧ソ連
のチェルノブイリ原発事故の影響で一時上昇し、秋田県で6.1ベクレルを
観測した。今回の茨城県もほぼ同じ値で、健康への影響はほぼないと専門家は
みている。

文科省によると、宮城県は津波の影響で測定施設のデータが修復できず、福島県
は施設が警戒区域内にあって分析環境が整わず、いずれも公表できなかった。
ただ、福島県分は今後集計する。両県では、昨年6月の文科省の土壌調査で原発
から放出されたストロンチウムが確認されている。

文科省はこれまで、ストロンチウム90の降下量をほぼ1年遅れで発表しており、
昨年3月の観測値は今年1~3月ごろに公表されるはずだった。公表が遅れた
理由について、文科省の担当者は「事故の影響でセシウムやヨウ素など主要な
核種の検査を優先したため、ストロンチウムの分析が遅れた」と説明している。
(石塚広志)
http://www.asahi.com/national/update/0724/TKY201207240365.html

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(516)京都市「ガレキ」処理見送り!これについて北部クリーンセンターでお話します!

2012年07月26日 22時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120726 22:00)

昨日25日夜半に、京都市の震災遺物(がれき)受け入れが見送られたことが
京都新聞に発表されました。京都市は宮城県内からの受け入れを検討してい
ましたが、同県での処理のめどがたったため、環境省からの市への要請が
なくなったとのこと。これで京都での焼却の可能性は当面はなくなりました。

京都市民にとっては朗報です。単に「処理のめど」だけではなく、多くの方
たちが環境を守ろうとして懸命に行動したことによって環境省が後退したこ
とは明らかで、市民による直接行動の成果に他なりません。このことは、同
じく25日にこれを報道した毎日新聞の記事にも次のように記されています。

***

宮城県は当初、可燃物についても全国に受け入れを要請していたが、遠方で
の処理のコスト高指摘や、受け入れ方針を示した北九州市で反対運動が起こっ
たことを踏まえ、方針を転換した。

引用はここまで
***

毎日新聞は、環境省に考慮してか、反対運動に考慮した主体を「宮城県」とし
ていますが、ただしくは環境省と宮城県です。それも環境省の方に大きなウエ
イトがあります。

しかしただこれだけで喜ぶことはできません。共同通信から配信された記事に
次のように書かれているからです。(引用は日経新聞より)

***

受け入れ先が未定の広域処理量を見直し、全体で5月時点の114万トンから100
万トンに減少。うち可燃物と再生利用分は県内処理の加速などで計57万トンと
約4分の1圧縮が進み、ほぼ処理の道筋が付いた形となった。

不燃物の広域処理量は43万トンと4万トンの増加。処理にめどが立っていない
状況に変わりはないとして、引き続き遠方の自治体を含めて受け入れ先を探す。

引用はここまで
***

つまり問題がひとまず決着がついたのは「可燃物」に関してのみであり、「不
燃物」に関してはまだ残っているということです。毎日新聞の記事にも「不燃
物は全国で引き続き受け入れ自治体を探す」とこの点が記されています。

また全ての「広域処理」計画が白紙になったのではなく、大阪市など、すでに
話が進んでいるところでの受け入れはそのまま行われようとしており、そのこ
とで大阪湾での焼却灰の埋め立てなどが認められると、再び関西の広範な地域
で受け入れの話が再浮上してくる可能性があります。その意味で関西的には、
大阪のことをわがこととして捉え、危険で理不尽な広域処理反対の声をさらに
継続してあげていく必要があります。

さらに、それよりも何よりもすでに、青森、山形、福島、茨城、東京ですで
に受け入れが行われ、繰り返し焼却が行われているわけで、このことが本当に
深刻です。これまでも何度も述べてきましたが、これらの地域では、放射性物
質を含んだ廃棄物の焼却が、震災遺物だけでなく、一般廃棄物の焼却を通じて
も行われており、それを考えると、西日本のことだけで一喜一憂していること
はとてもできません。

どの地域での焼却にも等しく反対ですが、せっかく東北の中でも汚染が少なく、
東北再生の一大拠点となりうる青森県、山形県に、せっせと放射性廃棄物が
運ばれていることに本当に胸が痛みます。いや細かく見ていくと、しばしば放
射性物質は、当該の県、地域の中でも、より汚染の少ないところに運びこまれ
ようとしてることが見られます。汚染を均一化しようとしているのではと疑わ
ざるをえなくなる処置です。

これらに踏まえて、私たちは、放射性物質の焼却処置そのものの危険性につい
て、再度、大きく声を上げ、とくに東北・関東での被曝防止、軽減措置をさま
ざまに重ねるべきことを訴え続けていく必要があります。繰り返し、繰り返し
訴えを続けていくことは大変ですが、全国で互の立場を思いやりあい、すべて
の人を放射線から守る観点で声を上げ続けましょう。(疲れた時は、順番に、
ちょっとずつ休みながら、長く、声を上げ続けましょう・・・。)


こうした点については、今度の日曜日(29日)に、京都市右京区の「北部クリー
ンセンター」関連施設の「やまごえ温水プール2階会議室」でお話させていただき
ます。「北部クリーンセンター」は、京都市で震災遺物の受け入れを行った場合、
焼却が予定されている場で、このことを憂いた周辺自治会の方たちがお話の場を
セットしてくださいました。

この場でも今回のこの決定にまつわる分析を行い、焼却処理の危険性を訴えて
いきたいと思います。お近くの方、ぜひご参加ください。
以下、講演会の案内(地元で回覧されているもの)を先に貼り付け、そのあとに、
京都新聞、毎日新聞、日経新聞の記事を示しておきます。

***********

第二回
☆学習会のお知らせ☆
平岡第六自治会
平六環境を守る会

7月29日(日) 午後1時30分~
やまごえ温水プール2階会議室
(北部クリーンセンター関連施設)

☆フリーライター 守田敏也氏のお話
*放射線内部被曝について
*「がれき焼却」の問題点
*放射能問題をいかに生きるか 等々

フリーライター
守田 敏也さんの紹介

1959年生まれ。京都市在住。同志社大学社会的共通資本研究セ
ンター客員フェローなどを経て、現在フリーライターとして取材
活動を続けながら、社会的共通資本に関する研究を進めている 。
ナラ枯れ問題に深く関わり京都大文字山での害虫防除なども実
施。原子力政策に関しても独自の研究と批判活動を続け、東日本
大震災以降は被災地も度々訪問。ボランティアや放射能除染プロ
ジェクトなどに携わっている。2012年4月より、「市民と科学
者の内部被曝問題研究会」常任理事に就任。
同会の広報委員長も務めている。

参加費無料です。関心のある方是非ご参加ください。

**********

京都市、震災がれき処理見送り
2012年07月25日 23時00分

東日本大震災で発生した宮城県の震災がれき処理を検討していた京都市は25
日、受け入れを見送ることを決めた。同県で処理のめどが立ったため、同日、
環境省が市に協力要請しない方針を伝えた。これにより京都府内でがれきを
受け入れる自治体はなくなった。

宮城県が同日示した災害廃棄物処理実行計画で、可燃物の協力要請について現
在調整中の自治体と、すでに受け入れている自治体(青森、山形、福島、茨城
4県と東京都)に限るとし、新たに要請しない方針を決めた。

京都市は市内3カ所の焼却施設で受け入れに向けて試験焼却する方針を示し、
5月下旬に処理の安全性を検証する専門家委員会を設置。宮城県内のがれき集
積場や焼却施設を視察していた。

門川大作市長は「受け入れの必要性はなくなったと考える。今後とも一日も早
い復興を願い、幅広い被災地支援に取り組む」とのコメントを発表した。

京都府内では、舞鶴市と京丹波町もがれき受け入れに向けて準備を進めていた
が、岩手県でもすでに処理のめどが立っており、環境省が今月3日、年間数万
トン規模の処理能力がある自治体を除き受け入れを見合わせるよう要請してい
た。
http://kyoto-np.co.jp/top/article/20120725000139

***

可燃災害がれき:5都県・1市以外に協力要請せず 宮城県
毎日新聞 2012年07月25日 21時01分

東日本大震災で発生し広域処理が必要とされている災害廃棄物(がれき)につ
いて、宮城県は25日、可燃物は既に受け入れ表明している5都県・1市以外
に協力要請をしないことを明らかにした。木くずなど再生利用分は東北、関東
地方で、不燃物は全国で引き続き受け入れ自治体を探す。

県によると、7月時点での広域処理必要量は100万トンで、このうち可燃物
は22万トン、不燃物は43万トン。可燃物は、県内に加え、青森▽山形▽
福島▽茨城▽東京の5都県と北九州市での処理拡大で完了させたい考え。

宮城県は当初、可燃物についても全国に受け入れを要請していたが、遠方での
処理のコスト高指摘や、受け入れ方針を示した北九州市で反対運動が起こった
ことを踏まえ、方針を転換した。

一方、埋め立て処分が必要な不燃物は受け入れを申し出る自治体がなく、処理
のめどは立っていない。【宇多川はるか】
http://mainichi.jp/select/news/20120726k0000m040064000c.html

***

宮城県、可燃がれき処理の委託先増やさず 交渉中自治体に絞る
日本経済新聞 2012/7/26 0:27

宮城県は25日、東日本大震災で発生したがれきを県外自治体に要請する広域処
理について、可燃物や再生利用できる分は交渉中の自治体との協議に力を入れ、
新たな要請先を増やさない考えを示した。県内市町村が参加する協議会で処理
実行計画2次案として公表した。

受け入れ先が未定の広域処理量を見直し、全体で5月時点の114万トンから100
万トンに減少。うち可燃物と再生利用分は県内処理の加速などで計57万トンと
約4分の1圧縮が進み、ほぼ処理の道筋が付いた形となった。

不燃物の広域処理量は43万トンと4万トンの増加。処理にめどが立っていない
状況に変わりはないとして、引き続き遠方の自治体を含めて受け入れ先を探す。
〔共同〕
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2503O_V20C12A7CR8000/

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする