『アンネ・フランクの記憶』 小川洋子
実家で読んだ、読売新聞の記事。戦争を語る数々の特集の中で、この本が紹介されていた。ちょうど、小川洋子を読みあさっているときだったから、なんだか嬉しくなって、早速、『博士の愛した数式』と一緒に借りてきた。
これは、アンネ・フランクの日記を読み、影響を受けてきた小川洋子の、アンネを巡る旅のエッセイだ。
彼女は、アンネを真似て日記を書き始め、それが今でも続いているという。彼女の書くことの原動力は、アンネ・フランクからもらったものなのだそうだ。
アンネ・フランクの生涯、ナチスドイツのユダヤ人迫害について、詳しく知りたいという思いがある人には、不向きかもしれない。とにかく、アンネ・フランクという女の子の文才にほれ込んだ(アンネフランクを心の友人としてきた)作家の、感傷的な旅日記だった。
それでも、同じように、中学生のとき「アンネ・フランクの日記」に出会い、それに触発されて日記を書き始めたことのある私には、なかなか、面白いものだった。
残念ながら、私の日記は、小川洋子のように長続きはせず、半年も続かないでやめてしまったのだけれど・・・。でも、日記帳を親友として名前をつけ、手紙を書くように綴っていく日記に、ひどく驚き、憧れたのは、はっきりと覚えている。たしか、私も日記帳に名前をつけたはずだったけれど・・・なんだったかなあ。
この本。「戦争モノ」と思って読み始めたので(新聞記事から受けた先入観って怖い)、その点では、ちょっと期待はずれだったけれど、中学生の多感な少女だった頃のことを思いだし、胸が熱くなった一冊でした。
ふと考えると、アンネフランクもまた、特別な人なのではでなく、小川洋子や私と同じ、多感な少女だったのですよね。悲惨さを直接描いた文章を読むのとは、また違った角度で、戦争の悲しみを感じずにはいられない、そんな一冊なのかもしれません。
アンネ・フランクは、永遠に少女であり続け、私は、もう、その頃のことを思い出し、胸を熱くする年になっているのですから。
実家で読んだ、読売新聞の記事。戦争を語る数々の特集の中で、この本が紹介されていた。ちょうど、小川洋子を読みあさっているときだったから、なんだか嬉しくなって、早速、『博士の愛した数式』と一緒に借りてきた。
これは、アンネ・フランクの日記を読み、影響を受けてきた小川洋子の、アンネを巡る旅のエッセイだ。
彼女は、アンネを真似て日記を書き始め、それが今でも続いているという。彼女の書くことの原動力は、アンネ・フランクからもらったものなのだそうだ。
アンネ・フランクの生涯、ナチスドイツのユダヤ人迫害について、詳しく知りたいという思いがある人には、不向きかもしれない。とにかく、アンネ・フランクという女の子の文才にほれ込んだ(アンネフランクを心の友人としてきた)作家の、感傷的な旅日記だった。
それでも、同じように、中学生のとき「アンネ・フランクの日記」に出会い、それに触発されて日記を書き始めたことのある私には、なかなか、面白いものだった。
残念ながら、私の日記は、小川洋子のように長続きはせず、半年も続かないでやめてしまったのだけれど・・・。でも、日記帳を親友として名前をつけ、手紙を書くように綴っていく日記に、ひどく驚き、憧れたのは、はっきりと覚えている。たしか、私も日記帳に名前をつけたはずだったけれど・・・なんだったかなあ。
この本。「戦争モノ」と思って読み始めたので(新聞記事から受けた先入観って怖い)、その点では、ちょっと期待はずれだったけれど、中学生の多感な少女だった頃のことを思いだし、胸が熱くなった一冊でした。
ふと考えると、アンネフランクもまた、特別な人なのではでなく、小川洋子や私と同じ、多感な少女だったのですよね。悲惨さを直接描いた文章を読むのとは、また違った角度で、戦争の悲しみを感じずにはいられない、そんな一冊なのかもしれません。
アンネ・フランクは、永遠に少女であり続け、私は、もう、その頃のことを思い出し、胸を熱くする年になっているのですから。